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隠棲者の音楽 (ラドゥ・ルプー ピアノリサイタル) [コンサート]

友人から譲っていただいたチケット。

ルプーの頭上から鍵盤上の手を見下ろすようなパースペクティブ。ピアノの前にはパイプ椅子だけ。

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お隣は若い中国人の夫婦だった。若くてこんなに品のよい中国人もいるのだと妙に感心した。譲ってくれた友人は、香港のご友人のためにチケットを求めたそうだが、アバド/ルツェルン祝祭管の来日が中止になって、その友人は来日を中止したそうだ。お隣のお二人は、それでもルプー目当てで日本までやって来たのかしら。


ルプーを聴くのは、30年ぶりのこと。

シカゴ響との共演でベートーヴェンの4番のコンチェルト。ルプーは黒髪豊かでまだ若かったが、内気で孤独な隠棲者の風情があって、滅多に人前には姿を現さないと思わせる独特の風格があった。年を経てすっかり面変わりしてしまったが、そういう風格はさらに深みを増している。

さて…

響きが木質で、その音色は暖炉の火のようにとても暖かくまろやか。鍵盤上の運びを見ていると本当にしなやかでやさしい。それでいて中低音域の響きが豊かで、ほどよい丸みを帯びた輪郭のメロディラインが明瞭に浮かび上がってくる。タッチが柔らかく、時には、ノンペダルの段落でスタッカート様の軽く切るようなフレージングに変化することもあるが、心優しい語り口は変わらない。

最初の「子供の情景」は、これまで聴いたことがないような滋味深い音楽だった。

第一曲の「見知らぬ国と人々について」は他愛もない子供のおしゃべりが始まったようでいて、フレーズがくり返されるたびに情景が遠くなっていく。そういう子供の夢想が、やがて、幼時を回想する遠い幻惑に入れ代わっている。詩を語り聞かせる声が遠く消えていくかのような最後の静寂が訪れたとき、いったい自分は、母親のやわらかい膝のうえで寝入ってしまう子供なのか、孫を抱いたまま疲れて寝入ってしまう老人なのか、どちらがどちらなのかが判然としない。

二曲目は、そういうシューマンの小曲集。

原生の森を逍遙して、風に揺れる梢の音や、鳥の声、小さな動物たちの気配、沢の水音など、様々な命の営みの連なりが、筋道があってないような物語を紡いでいく不思議な時間だった。気が遠くなるほど長い時間のようであって、様々な出来事が錯綜するほんの短い一瞬のようにも思えた。

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最後のシューベルトも素晴らしかった。

遺作の3つのソナタのなかでも明るい色調の曲だと思っていたけれど、ルプーはとてもゆっくりとした語り口のなかに馥郁とした歌謡的な香りを漂わせくれる。さながら歌曲のピアノ編曲でも聞かされているように、恋歌なのか、祈りの歌なのか、別れの歌なのか、常に何らかの歌が歌われているようなソナタ。

第二楽章では、ルプーが、ピアノを離れて、ステージ上でふらふらと独りでワルツを踊りだすという幻影を見た。かつてのよき日々の思い出を抱くようにうろうろと孤独な円を描くように静かなステップを踏む。突然、激しい心の嵐が襲ってきて悔悛の稲妻に撃たれ倒れ込んで失神してしまう。やがて目が醒めてよろよろと立ち上がり、またゆっくりと、ぎこちなく踊り出す。私が見たのは、そんな孤独な隠棲者の幻影だった。

決して厳しい音楽ではないのに、とても深い。寂しい孤独に満ちた音楽なのに、とても満ち足りている。

こんなシューベルトを聴けたのは幸いだった。


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ラドゥ・ルプー ピアノ・リサイタル
2013年10月17日(木) 19:00
東京・初台 オペラシティー コンサートホール

シューマン: 子供の情景 op.15
シューマン: 色とりどりの小品 op.99
     *    *   *
シューベルト: ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959 (遺作)

(アンコール)
シューベルト: スケルツォ D593
シューマン: 「森の情景」op.82から 孤独な花

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