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エリーザベト・レオンスカヤ~シューベルト・チクルス I [コンサート]

今年も東京春祭は、とても多彩で充実した内容です。けれども私は、二人のロシア・ピアニストにすべてをかけてしまいました。ひとりは、リフシッツの二夜にわたるバッハ。直前のパルティータも含めれば三晩にわたるバッハです。そして、このレオンスカヤの全6公演にわたるシューベルト・ソナタ全曲演奏です。

エリーザベト・レオンスカヤは、正確にはジョージアのトリビシのロシア人家庭に生まれました。1978年には旧・ソビエト連邦を離れウィーンに移り住んでいます。それでもモスクワ音楽院に学び、ソビエト時代の偉大なロシア音楽家の志を継いでいるピアニスト。なかでもその才能をいち早く見出したリヒテルとの交流から得たものははかりしれないものがあります。

東京春祭には、3年前のリヒテルイヤーにおいて“《リヒテルに捧ぐ》シリーズ”に参加しいくつも滋味深い名演を繰り広げ深い印象を与えてくれました。シューベルトのピアノ・ソナタは、近年になってこそ晩年の3つの大ソナタが若手に至るまで争うように取り上げられるようになりましたが、中期や初期のソナタはいまでも演奏される機会は決して多いとは言えないでしょう。そのシューベルトを早くから取り上げて精力的に演奏していたのがリヒテルだったと言えます。その衣鉢を継ぐレオンスカヤのシューベルト。しかも全曲演奏。2日おきに上野に通うというのも大変ですが、それに十分に値するツィクルス。矢も盾もたまらずシリーズチケットを買ってしまいました。

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プログラムは、第16番以降のソナタを全6日のそれぞれに配し、初期のソナタを第1曲目、中期のソナタを2曲目に配置するというプログラムで成り立っています。それぞれのプログラムで、シューベルトのソナタの進化を体感し、シューベルトらしい個性の萌芽と深化をたどり、後期ソナタの長大な思索と精神的彷徨の深層を探るというような構成になっているのだと感じます。

使用ピアノはヤマハ。

このこともリヒテルの衣鉢を継ぐということのひとつなのでしょうか。今回のリフシッツのベヒシュタイン、メジューエワのNYスタインウェイ、あるいはメルニコフの古今東西のピアノの弾き分けなど、ロシア人ピアニストたちの楽器へのこだわりも最近のロシア・ピアニズムのうれしい系譜なのでしょう。そして、このヤマハがとても素晴らしい音色でシューベルトにとてもふさわしいと強い印象を持ちました。そのことはまた後日書いてみたい思います。

初日、第一曲目は、シューベルトが18歳のときに書いた、記念すべきピアノ・ソナタの処女作。そういうと、いかにもハイドンやモーツァルトなどウィーン古典派の亜流にとどまっているような作品を思い浮かべてしまいます。けれどもシューベルトはこの年にすでに歌曲『魔王』を作曲しています。まさに天才だったわけですが、己の才の赴くままの自由奔放さがある歌曲は、伝統的形式に反していると賛否両論を巻き起こします。ゲーテは側近の音楽家の弁のままにその才能を認めようとはしませんでした。一方で、ソナタは音楽家としてエスタブリッシュメントを目指す道筋。若さは感じますが、確かにどこか窮屈さを感じるようなところはあります。

その2年後に作曲された第4番。イ短調という調性なのか、優雅なウィーン風の装いやベートヴェン的な市民階級の自己意識の勢いのなかにシューベルトらしさが芽ばえています。一曲目では多少ぎこちない指の動きもあったレオンスカヤですが調子を上げていきます。ヤマハも目が醒めてきて、跳ね上がるような高域に澄んだ輝きを聴かせてくれる。第2楽章はとても歌謡的。シューベルトらしさとはやはり歌なんだと。そのことで伝統とか形式に対する遠慮を少しずつ解いていくのがシューベルトのソナタなのではないかと思わせるような魅力的なアレグレット。どこかで聴いたような旋律の歌があって、分散和音の逍遙がある。小径を軽いステップで逍遙しながら所々で花を摘む乙女のような音楽。

第17番は、もはやシューベルト独自の世界と言うべきだと思います。けれども作曲された1825年というのは体調不良に襲われた晩年というよりも、むしろシューベルトの傑作の森とも言うべき幸福で充実した時期に当たっていたのではないでしょうか。レオンスカヤのピアノにはそういう気迫と美意識が漲っていてそういう躍動がこちらに伝わってきます。ヤマハも低音の響きにオルガンのような深みが増していきます。小さいようで鳴りにくい文化会館小ホールですが、私はここでヤマハのピアノがここまで何もかも忘れさせるように鳴っているのを聴くのは初めてのような気がします。

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アファナシエフというピアニストは、シューベルト弾きを輩出するロシア・ピアニズムの系譜でどういう位置づけなのか、つかみどころが無くて私自身は戸惑うところがあります。時として過大なほどに哲学的で、あるいは過剰なほどに文学的であったりします。このレオンスカヤを聴いていると、ところが、不思議にアファナシエフと近しいものを感じてしまいました。もちろんレオンスカヤは、さすがにウィーン的な情緒を豊かに湛えていて、理想のシューベルト弾きだと思います。けれどもリヒテルの硬質な哲学性よりも、アファナシエフの文学的な劇性や詩情、卑俗への愛情などに共通するものをこの17番には感じてしまいます。スラブ的情緒も愛したウィーンの歌謡性を、私は今回のレオンスカヤの演奏を通じて、アファナシエフにも感じるようになって、彼のシューベルトをもすっかり見直してしまいました。

アンコールは即興曲。果てしなく続くアルペジオに多少の疲れを感じましたが、かえってそのことで弾き手と聴き手のシューベルトへの熱い情熱を互いに慈しみたたえ合うエールの交歓が会場に静かに広がるような素敵なアンコールでした。






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エリーザベト・レオンスカヤ (ピアノ)
~シューベルト・チクルス I

2018年4月4日(水) 19:00
東京・上野 東京文化会館小ホール
(J列23番)

 シューベルト:
  ピアノ・ソナタ 第1番 ホ長調 D157
   I. Allegro ma non troppo
   II. Andante
   III. Menuetto. Allegro vivace
  ピアノ・ソナタ 第4番 イ短調 D537
   I. Allegro ma non troppo
   II. Allegretto quasi andantino
   III. Allegro vivace
  ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 D850
   I. Allegro vivace
   II. Con moto
   III. Scherzo. Allegro vivace
   IV. Rondo. Allegro moderato

 [アンコール]
 シューベルト:4つの即興曲 D899 より 第4曲 変イ長調
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