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「ツリーハウス」(角田光代著)読了 [読書]

何のかんのと言ってはみるが、実は、やっぱり角田光代が好き。

前読の「紙の月」から一転して、心底感動し一気読み。

もし「満州文学」とも言うべきジャンルがあるとするならば、この小説はベストのひとつに数えられるべき傑作だとさえ思う。

勝手にでっち上げた仮想のジャンルだが、その頂点に君臨するのは山崎豊子の「大地の子」だと、これまた勝手に思う。この小説は、そういう今までの「満州」モノとは視点もスタイルもまったく違っていてユニーク。――だからこそ読む価値がある。


冒頭から筆致が冴える。

新宿・角筈の何の変哲もない中華飯屋。その店奥の一室で老人が息を引き取る。この店は、その老人が戦後の焼け跡で始めた店。角筈(つのはず)とは、今の新宿駅西口一帯を指した旧地名で一部に歌舞伎町も含む。西新宿一帯の広大な土地には浄水場があって、関東大震災以後に駅周辺の住宅地開発が一気に進んだが、戦争で灰燼に帰した。満州の引き揚げ者だった夫婦は、ここに流れ着いて誰の土地ともわからぬこの場所に掘っ立て小屋を建ててとにもかくにも飲食商売を始めたのだった。

そういう近隣の戦後史は次第に明らかになるが、先ずは、この祖父の死をめぐるドタバタから、この凡庸極まる一家に潜んでいる求心力の欠如や根無しで味気ない日常を浮かび上がらせる。それは、カミュの『異邦人』のような肉親の死への無関心が不条理を暗示するようでもあり、伊丹十三の『お葬式』のようなコミカルな右往左往ぶりに潜ませた新しい家族観のようでもあり、どこか謎めいてもいて、さながら女性週刊誌のような卑俗な好奇心をそそる。その小気味よいテンポとリズムの導入は見事な筆致で、瞬く間に引き込まれてしまう。

祖母が、突然、ひとりごとのように「帰りたい」と言い出し、それが「満州」(現・中国東北地方)であることを知った孫の良嗣がその祖母と無気力な叔父を引き連れて長春(旧満州・新京)に出かけることになる。そのルーツ探しともいうべき道中話と、本編とも言うべき祖父母の人生経緯が交錯する構成は見事。その互いに逆行する時間軸の交錯から、さらに日本の戦後史を背景とした父母やその兄弟たちの人生が浮かび上がってくる。新京の城内の裏通りでの占い師の予言は、いかにも陳腐なプロットなのに、つい、作者の術中にも嵌まってしまう。

「満州」の歴史的記憶には、もちろん、戦争の悲惨、辛苦に満ちた人生の不条理が込められるわけだけれど、既存の小説やドラマは、たいがいが、よき時代と突然の暗転、命がけの逃避行、それに続く辛苦の克服という連なりがワンパターンのようにある。それはともすれば、軍人や満鉄、あるいは医師、教員などのエリート層の子弟たち、あるいは帰還成功者たちのセンチメンタルな人生回顧に堕する恐れなしとはしない。残留孤児を扱った「大地の子」でさえも、生き別れの父子の再会は、ふたりが互いに国家の基幹産業を担うエリートとなったからこそであり、その舞台は日中国交正常化と中国の改革開放を牽引した上海の大製鉄所が設定されている。

ところが作者は、そういう重厚長大を一切登場させずに、戦争と時代に翻弄され、そのなかでたくましくも生きながらえた凡庸な庶民だけを描き、彼らが背負い込んだ重い感情の《沈黙》と、それが次の団塊世代に落とした深い陰影を丹念に解きほどいていく。しかも、そのアンチヒーローへの視線は例によってとても温かく感動的。

角田ワールドにはまった。

取材も緻密でリアリティに富んでいる。あくまでも主婦の目線と筆法に徹するのは作者のこだわりだろうが、その実、いわゆる「歴史問題」にも一石を投ずる深みのある社会小説だと思う。


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ツリーハウス
角田 光代 著
文藝春秋
タグ:角田光代
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