王子権現 [自転車散策・紀行]
ご近所散歩。土曜日には王子近辺を散策しました。
王子神社は、王子権現とも呼ばれ江戸名所のひとつとして親しまれてきました。「王子」の地名はこの神社が由来です。
古い神社で、創建はいつのことかわかりませんが、すでに平安時代、源義家が奥州征伐凱旋の折りに甲冑を奉納したとの記録が残っているそうです。紀州熊野から王子大神を迎えたとの縁から、紀州尾張家出身の8代将軍吉宗公もこれを喜び、飛鳥山を寄進し桜の名所としたことでも知られます。
社殿の横の小道を抜けていくと、階段道が下っています。
その踊り場のそばにイチョウの大木があります。王子神社は空襲で灰燼に帰しましたが、このオオイチョウは数少ない生き残りなのだそうです。
その階段を下りていくと、音無川親水公園があります。
音無川というのは、実は、石神井川の別名。かつてはここに石堰があって農業用水としていくつかに分流させていました。江戸時代蛍が飛び交う名水だったそうですが、今ではこの公園に当時の面影を復元するのみ。本流はどうも地下を通してJR王子駅の反対側につながっているようです。
平常時には人工的なせせらぎを作って、子供たちのかっこうの遊び場になるはずでしたが、今は閉園しています。側道は人出は少ないですがいつものように散歩道となっています。
王子神社は、王子権現とも呼ばれ江戸名所のひとつとして親しまれてきました。「王子」の地名はこの神社が由来です。
古い神社で、創建はいつのことかわかりませんが、すでに平安時代、源義家が奥州征伐凱旋の折りに甲冑を奉納したとの記録が残っているそうです。紀州熊野から王子大神を迎えたとの縁から、紀州尾張家出身の8代将軍吉宗公もこれを喜び、飛鳥山を寄進し桜の名所としたことでも知られます。
社殿の横の小道を抜けていくと、階段道が下っています。
その踊り場のそばにイチョウの大木があります。王子神社は空襲で灰燼に帰しましたが、このオオイチョウは数少ない生き残りなのだそうです。
その階段を下りていくと、音無川親水公園があります。
音無川というのは、実は、石神井川の別名。かつてはここに石堰があって農業用水としていくつかに分流させていました。江戸時代蛍が飛び交う名水だったそうですが、今ではこの公園に当時の面影を復元するのみ。本流はどうも地下を通してJR王子駅の反対側につながっているようです。
平常時には人工的なせせらぎを作って、子供たちのかっこうの遊び場になるはずでしたが、今は閉園しています。側道は人出は少ないですがいつものように散歩道となっています。
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