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青春時代 [自転車散策・紀行]

板橋から池袋を抜けてちょっとだけ足を延ばしてみました。

池袋は、今でこそ、渋谷、新宿と並ぶ東京の副都心といわれる繁華街ですが、かつては巣鴨や雑司ヶ谷などとともに東京近郊の農村地帯が宅地化されていった地域に過ぎませんでした。

今の山の手線の前身となる赤羽~品川間の路線が開業しても池袋に駅は無かったのです。その後、田端方面の支線が開通し分岐点に池袋駅が開設され東上鉄道や武蔵野鉄道が乗り入れてきます。けれども、その時点でも繁華街というよりは文教地区でした。

ようやく繁華街としての賑わいを見せるようになるのは、デパート(現・西武百貨店)が開店し東京市電が乗り入れてからのこと。それはようやく昭和の大戦直前の頃でした。駅周辺は戦後になって急激に繁華になっていったので、もともとの閑静な文教地区や住宅地が繁華街の喧騒に近接しています。

そういう文教地区と繁華街のギャップのようなものを感じさせる境界が池袋駅周辺のあちこちにありますが、池袋二叉交番から立教通りへ入っていく瞬間もそのひとつだと思います。

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立教大学は、いわゆるミッションスクール系としては同志社大学と並んで古い大学です。

ミッションスクールというのは、本来は伝道(ミッション)の使命を帯びて創建された学校のことですが、同志社大も立教大も、洋楽教育の高い志を持った私塾が母体となり、専門学校令、その後の大学令の発布とともに認可された私立の高等教育でしたから、むしろ私学の雄として慶應義塾や早稲田と並ぶ伝統校なのです。

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ここのキャンパスを眺めると、「蔦の絡まるチャペルで…」という歌のフレーズが浮かんできます。実際のところ、本館も礼拝堂も、そういう古い建築を包み込む蔦木の緑はいっそう深く鮮やかで、《学生時代》の思い出にふさわしい。

作曲した平岡精二の案は「大学時代」だったそうです。

歌手のペギー葉山が猛反対して「学生時代」というタイトルにしたということらしいのです。ともに青山学院の出身ですが、ペギー葉山は、大学には進学していません。伸び伸びとした若い青春にそぐわない『権威』の匂いがするからでしょうが、「大学」という識別タグには、「アイビー・リーグ」的な伝統校の専権めいたものを感じさせていた時代。一般世間には、敬意だけではなく羨望の裏返しの反発もあったし、あるいは遠慮のようなものもあった…のかもしれません。

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今は、正門は固く閉ざされ、キャンパスはひっそりと静まりかえっています。

山手通りに出て、西武池袋線も越えて南長崎まで足を延ばすと、そこにはまた別の青春時代があります。

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この地域は、戦後間もない混乱の時代に「帝銀事件」という、いまだに謎の多い怪事件があったところです。「帝国銀行」というのは、三井銀行の前身で、今の三井住友銀行につながる都市銀行ですが、その支店があった椎名町というのは当時からかなり繁華な住宅地だったわけです。

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けれども、そんな忌まわしい事件のことはすっかり忘れられ、この椎名町という土地は、今やアニメ大国となった日本の原点、マンガの聖地となっています。

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その聖地にふさわしい記念の復元施設を建設しようというプロジェクトが進められ、オープンを目前に控えていましたが、それもあえなく延期となってしまったままです。

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