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どら焼きと同潤会住宅 [自転車散策・紀行]

北区は、その南北を縦断するように武蔵野台地の崖地が走っていて、高低差のある変化に富んだ地形をしています。特に、赤羽の近辺は顕著です。

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東十条駅は、そういう台地と平地の境界の崖下にある駅です。

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跨線橋の上には新幹線の高架が走っていて、ここはとても立体的。それもこれも、台地から平野に落ちる崖が急峻だからです。

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南口改札のある跨線橋の坂道を下ったところにある和菓子屋さんは、どら焼きが名物。

何でもどら焼きの「東京御三家」の一つなんだとか。

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やや黒っぽい皮は黒糖と蜂蜜が入っているからで、まだらな焦げ目が可愛らしくて、もちっとした歯ごたえがたまりません。割ってみるとあんこがあふれ出し、口に入れると皮と餡の甘みが融け合い、その上品な甘さが後を引きます。

他の二つは、上野のうさぎや、浅草の亀十。上野や浅草というのは、いかにも、という感じですが、東十条というのはちょっと意外かもしれません。

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この跨線橋を上っていくと、下町の演芸場として親しまれている篠原演芸場があります。

自粛解禁のこの日は、換気のためなのか入り口は開けっぱなしで、中の観客の楽しそうなざわめきが通りまでこぼれ出してきていました。

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ここから十条銀座を抜けて環七を渡ると、その先に、清水坂公園があります。急峻な崖地そのものが大きな緑地公園になっています。急な坂には、大きくて長いすべり台もあって、地形を利用した立体的な形状はとてもユニークです。

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台地の崖下には湧水もあって、その水を利用した渓流のような親水公園にもなっているのですが、外出自粛が続いていて水は枯れていました。

この公園の上縁から広がる十条仲原の住宅街は、もともと同潤会が開発した住宅地です。

「同潤会」というと、表参道にあった「同潤会アパート」を思い浮かべる人は少なくないと思います。

「同潤会」とは、関東大震災の義捐金をもとに内務省によって設立された財団法人で、震災で被害を受けた住宅困窮者のために住宅の建設、賃貸などを行いました。

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この一帯は、その同潤会ととても関連が深いのです。

武蔵野台地上に広がる農村地帯に拓かれた住宅地は、震災復興とその後の東京近郊の住宅地発展の先駆けとなったのです。

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入り込むと、みっしりと住宅が建ち並び、迷路のように細い曲がった道が錯綜していて、どこか昭和の懐かしい香りがします。どら焼きも、十条銀座の大衆演芸場もこういう住宅地が背景になっているのです。

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しかも、ここは武蔵野台地に、いくつかの谷地が入り組む複雑な地形。至る所に行き止まりと、人ひとりが通れるのがよっとの急峻な階段があって行く手を阻みます。車が通り抜けることはまず不可能。

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そういう崖地の際に立って眺めると、向こうには赤羽台の町が見えます。実は、そこまでの間には、稲付谷があって、その正面に赤羽西の高台があって、そのまた先には弁天通りの谷があります。赤羽台はそのさらにまた先にあるというわけで、実に入り組んだ地形になっているのです。

とうていこの谷間を越えるわけにはいかないので、再び環七に沿って遠回りして、ようやく隣町の西が丘に入ります。

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ここも同潤会が手がけた町ですが、震災復興事業としての住宅建設が一段落したところで、東京の都市サラリーマンのための住宅分譲地として開発された町です。いわば新興分譲住宅地のはしりというわけで、広い区画割の整理された町並みと、緑があふれる桜並木はとても静かでいかにも高級住宅街といった風格があります。

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同じ西が丘であっても、中山道にかけての地域は、かつては軍の造兵廠支廠があった土地。戦後、米軍から返還されてから、その多くは国有地として活用されてきました。

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そこに70年代初めに建設された国立西が丘サッカー場「味の素フィールド西が丘」)に隣接して、2001年、国立スポーツ科学センターが日本のオリンピック強化の中枢として開設され、今や周辺にはトレーニングセンターなどの施設が集中していて、スポーツ強化の一大拠点となっています。

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