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「明治憲法の思想(八木秀次 著)」読了 [読書]

戦後の社会的風潮からすれば、明治憲法はイメージが悪い。

戦後教育では、「五箇条の御誓文」や「自由民権運動」などに較べれば扱いが軽く、主人公と脇役や背景とが逆転しているとさえ思える。一方で、現憲法の、基本的人権、平和主義、主権在民の三大原理と三権分立の基本は、かなり徹底的に教え込まれている。

そうした戦後世代にとってみれば、「万世一系の天皇」「天皇は神聖ににして侵すべからず」「天皇は国の元首にして統治権を総攬す」という条項を見れば、思わず身震いするほどの嫌悪感を覚える。いわばその「顔」を見れば、その性格の悪さは一目瞭然だということになる。その後ろ暗さからすれば、新憲法はあるべき理想を高らかに謳った尊い憲法に見えるのも当然だと言える。

果たしてその実像はどうなのかということを、憲法起草の歴史的事実から解き明かそうというもの。その試みは、なかなかに新鮮なものがある。

そもそも明治憲法の制定とは、日本が一等の近代的法治国家であることを、欧米列強にも認めさせることが目的だった。しかも、当時は、憲法そのものも最新のものだった。プロシアのビスマルク憲法は1971年(明治3年)に制定されたばかりだったし、イギリスに至っては未だに一元的な成文憲法はない。一方で、フランス革命やルソー思想などの影響を受けた在野の民権運動に対しては、まだまだ脆弱だった政権権力の立場から極めて強い危機感があったという。

その起草制定は、「欽定」として伊藤博文を中心として政府有力者が専権的に進めていく。そうした有力者の刻苦勉励ぶりがまず強調される。起草の中核は、伊藤のほか、金子堅太郎、井上毅の三人だという。

伊藤は、歴史法学に活路を見いだし和洋融合に腐心する。金子は日本の国典研究による調和的国体を追求し、井上は急進を厳に戒める保守主義に徹する。その三者の共通の認識に基づいてはいるものの、最終草案までには対立妥協を重ねてようやく完成する。制定時には、内外から讃辞を受けるほどの大歓迎、高評価だったという。

しかし、三人の対立妥協の痕跡が、まさに明治憲法の弱点・欠陥として露呈していき、日本を国難へと導いていくことになる。

伊藤は「国柄」、すなわち国のありようとして、国の大権の根源を「万世一系の天皇」とそれに対する国民の一致した尊崇に求めた。金子はプロシアの模倣となる王権に否定的で、イギリスのような君主権を国民が制約するという立憲民主にも反対する。井上は、大権委任的な議員内閣制に反対し、各大臣が天皇をそれぞれに輔弼するという「権力割拠」にこだわり伊藤も最終的に折れざるを得なかった。

その結果は、どうなったか。本書を読み進めるとそれは一目瞭然だということになる。

総理大臣の統括的な任免権と責任を欠く内閣の「権力割拠」により、政党政治は脆弱で政争に明け暮れるようになり自滅の一途をたどる。やがて陸海軍大臣の現役制により息の根を止められてしまう。天皇大権は、「統帥権干犯」と「国家総力戦」にしゃぶり尽くされて、ついには軍部官僚が国家権力を簒奪してしまう。その一方で、昭和天皇自身は、君主教育が徹底されていたために、立憲君主を自らに戒め、軍部の暴走を止める超越的な一元的権力を終戦に至るまで行使しなかった。

著者は、親・安部政権のブレーンとして知られ、歴史教科書批判などの「教育再生」や女系天皇容認にも徹底的に反対するなど活動的な保守派論客の代表的存在。

本書の主旨も、不当に貶められている明治憲法の「再評価」を目指すものだという。果たしてその目的は達成したのかといえば、そのようには思えない。

著者は、悪いのは、もっぱら、政党政治と歪曲憲法学者のせいだと要約している。が、それは詳細な本文からはかなり浮き上がって見える。あるいは、言外には先人が心血を注いで探求した「国柄」を示す明治憲法に対して、現・憲法は外国からの即席のお仕着せに過ぎない、と言いたいのだろうか。

しかし、明治憲法、あるいはそれが示した「国柄」は、いざとなるとあまりに脆かった…。

そうとしか取りようがない。
 
 
 
 
IMG_1_1.jpg 
 
明治憲法の思想
日本の国柄とは何か

八木秀次
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