父と母の終戦の日 [雑感]
父と母は、終戦を仙台市で迎えました。
結婚は、その年の3月。新婚ほやほやでした。
父は、理系の研究生でしたので兵役を免除され、東京の研究所に所属していました。終戦直前になって研究室全体が仙台の大学に疎開することになったのです。けれども、すでに仙台も焼け野原になっていました。
父母はそこで終戦の日を迎えることになったのです。
その終戦時の風景も、映画やTVドラマのそれとはだいぶ違っています。
8月15日の夜、父は仲間と配給の残りの酒で飲み明かします。白熱灯を思う存分に煌々と灯すのがすごくうれしかったとぽつりと言うのを聞いたことがあります。そのまぶしい電球の下で、肩を組んで輪になって、「さあ、これからは自由だ!万歳!」と踊り騒いだそうです。
それを見ていた母は、戦争に負けたのだから少しはしんみりしたらよいのにと、いつまでも続く酔漢の大騒ぎを呆れて見ていたそうです。
結婚は、その年の3月。新婚ほやほやでした。
父は、理系の研究生でしたので兵役を免除され、東京の研究所に所属していました。終戦直前になって研究室全体が仙台の大学に疎開することになったのです。けれども、すでに仙台も焼け野原になっていました。
父母はそこで終戦の日を迎えることになったのです。
その終戦時の風景も、映画やTVドラマのそれとはだいぶ違っています。
8月15日の夜、父は仲間と配給の残りの酒で飲み明かします。白熱灯を思う存分に煌々と灯すのがすごくうれしかったとぽつりと言うのを聞いたことがあります。そのまぶしい電球の下で、肩を組んで輪になって、「さあ、これからは自由だ!万歳!」と踊り騒いだそうです。
それを見ていた母は、戦争に負けたのだから少しはしんみりしたらよいのにと、いつまでも続く酔漢の大騒ぎを呆れて見ていたそうです。
タグ:終戦
コメント 0