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フルトヴェングラーと「シカゴ事件」 [読書]

丸山真男らの鼎談「フルトヴェングラー」(岩波新書)を読んで、あらためて確認してみたことがある。


フルトヴェングラーの、いわゆる「シカゴ事件」をめぐって。

「シカゴ事件」とは、戦後、シカゴ交響楽団の招聘を受けたフルトヴェングラーが猛烈な反対運動を受けて渡米が挫折した事件のことを言う。

《客演指揮者》として招聘されたが、多くの亡命ユダヤ系音楽家の猛烈な抗議を受けたとされる。本書でもそういうふうに言及されている。けれども、これは正確ではない。経緯をたどれば、あくまでも正式な音楽監督就任要請に端を発している。《客演》なのか《音楽監督》なのかなどどうでもよさそうな些細なことかもしれないが、どうもフルトヴェングラー信奉者は、あえて客演ということに矮小化したがるような気がしてならない。そういう人々がフルトヴェングラー自身の著書をその教養のある種の聖典として偏重し、その記述に従おうとするからだろう。

さて…

1948年8月 シカゴ交響楽団は次期音楽総監督にフルトヴェングラーを指名し、本人に連絡を取る。しかし、フルトヴェングラーは、ナチ協力批判の世論が根強い米国で演奏活動を行うことに自信が持てずにいつもの優柔不断ぶりを発揮する。けれども不人気なロジンスキーを解任したばかりのシカゴ響はカリスマ指揮者の招聘が切実な問題だったので強引と言ってよいほどの懇請を繰り返す。ようやく8週間の長期客演という妥協が成立しかけた12月になって、フルトヴェングラーのもとへ突然のように不明の人物から脅迫電報が届く。同時にNYタイムズの攻撃が燃え上がり、名だたる音楽家たちがこぞって反対運動を巻き起こすことになる。1月早々に、出演ボイコットの脅迫に屈したシカゴ響の理事会は招聘撤回を表明する。この解約要請に対して、今度はフルトヴェングラーがあくまでも契約の履行をと迫ることになる。

これが、実際の経緯である。

フルトヴェングラーはもともとは渡米に否定的だったのだが、むしろ反対運動が起こってから過剰なまでに反応し、自らの傷口を広げた。誇り高い指揮者は、自分だけが攻撃の的になっていると意固地になり、友人たちの誤認、無理解と裏切りに心が傷ついたと周囲やブルーノ・ワルターのような旧友に訴えたのだ。反対署名を毅然と拒否していたワルターだが、こういう逆ギレのようなフルトヴェングラーの考え方を、手紙のやりとりの中で厳しくたしなめている。

フルトヴェングラーへの攻撃と擁護は相半ばしたが、一般大衆はかえって彼の第三帝国時代の政治姿勢のあれこれについて多くを知るようになった。最終的にシカゴ響理事会が解約手続きを完了したのは5月になってからのこと。経済的な窮境にあったフルトヴェングラーだったが、理事会側の報酬全額支払いの申し出も断った。解約時に彼が受け取ったのは電報や電話代の実費900ドルだけだったという。しかし、フルトヴェングラーへの攻撃と擁護の議論はその後も延々と続くことになる。

ユーディ・メニューインとその父親は、ともにフルトヴェングラーを一貫して擁護し続けた。父親のモシェは、反シオニズムの立場を取るベラルーシ出身のユダヤ人哲学者だったが、後年、ニューヨークのユダヤ人向け新聞に次のように寄稿している。

「フルトヴェングラーは、彼をうらやましく、ねたましく思っているライバルだちの犠牲となりました。この人たちは自分たちの秘密をそのままにしておくために、彼をアメリカに近づけないよう、宣伝や中傷、誹謗に頼らざるをえなかったのです。…この人たちは少しばかり世間の注目を浴びるために、理想主義者と称する人々やユダヤ人を商売にしている人々、そして臨時に雇われたひとびとの楽隊車の流れに参加して、純真で人間性溢れる、心の広い人を無責任にも襲撃したのでした。」



個人的には「シカゴ事件」は、音楽興行とかマネジメントを生業とする何者かのしかけた陰謀によるものではないかと思っている。フルトヴェングラーの北米への進出は、亡命国家アメリカに活躍の場を見いだした音楽家たちと彼らから莫大な利益を上げていた黒幕の危機感を煽ったのだろう。

もっと根深い問題は、移民国家アメリカが本来的に持つグローバルな普遍性という価値観と、民族血統と大地に根ざす歴史的文化伝統という価値観との相互不可侵的な相克なんだと思う。その相克の裏には、レコード産業の勃興とともに演奏様式の深層における根本的な対立もあったのだろうと思える。

何が言いたいかといえば、フルトヴェングラーの政治姿勢の当否や是非ばかりをあれこれ言っていても、もっと深みや拡がりを持つ芸術論の視点にはなかなか到達できないということ。こういう価値観の対立に日本人はどうしても鈍感で、特にフルトヴェングラー信奉者は客観的、相対的な見方ができずに、この議論になるとひいきの引き倒しのようなことになってしまう。この本を読むとつくづくとそう思う。

フルトヴェングラー_1.jpg

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