「余白の愛」(小川洋子著)読了 [読書]
突発性難聴と耳鳴りに悩まされる「私」が、雑誌取材の罹病者座談会で出会った速記者「Y」との交情が浮かび上がらせる記憶と幻想の世界。
きっかけは、青柳いづみこのエッセイ「六本指のゴルトベルク」の一章「耳の不思議」で紹介されていたから。小川洋子は好きな小説家なのに、そういえばこれは読んでいなかったと気づいたのです。1991年の作品なので比較的初期のものということになります。
「わたしの耳のために、あなたの指を貸してもらえませんか」
そうやって始まる、耳という感覚器官と指という機能器官との、どこまでも繊細なクローズアップとその交流は、読んでいると読み手の感覚のなかにも微かで心地よいさざなみを立てる。
聴覚と指先の触感というものは、かけ離れているようでいて確かにつながっているのだと思う。一方で、映像も微細なディテールがはっきりと浮かび上がるのに全体像に乏しい。とても部分的なものが親密に縁を結んでいるというような不思議な幻想感覚に心ひかれてしまうのです。
読後には、心地よい夢見心地のような思いが後をひきます。透明な質感があって、どこか懐かしく、どこか切なく、それでいてさわやかな幸福感につつまれるのです。この小説家の特質が、中高年のための少女小説ということだとしたら、その資質の開花の瞬間ともいうべき作品だと思う。
あやうい記憶と密やかな現実とが織りなす幻想の果てに、とてもロマンチックで幸福な夢想の結末がありました。
「余白の愛」
小川洋子著
福武書店
きっかけは、青柳いづみこのエッセイ「六本指のゴルトベルク」の一章「耳の不思議」で紹介されていたから。小川洋子は好きな小説家なのに、そういえばこれは読んでいなかったと気づいたのです。1991年の作品なので比較的初期のものということになります。
「わたしの耳のために、あなたの指を貸してもらえませんか」
そうやって始まる、耳という感覚器官と指という機能器官との、どこまでも繊細なクローズアップとその交流は、読んでいると読み手の感覚のなかにも微かで心地よいさざなみを立てる。
聴覚と指先の触感というものは、かけ離れているようでいて確かにつながっているのだと思う。一方で、映像も微細なディテールがはっきりと浮かび上がるのに全体像に乏しい。とても部分的なものが親密に縁を結んでいるというような不思議な幻想感覚に心ひかれてしまうのです。
読後には、心地よい夢見心地のような思いが後をひきます。透明な質感があって、どこか懐かしく、どこか切なく、それでいてさわやかな幸福感につつまれるのです。この小説家の特質が、中高年のための少女小説ということだとしたら、その資質の開花の瞬間ともいうべき作品だと思う。
あやうい記憶と密やかな現実とが織りなす幻想の果てに、とてもロマンチックで幸福な夢想の結末がありました。
「余白の愛」
小川洋子著
福武書店
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