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ワグナー「ワルキューレ」 (新国立劇場) [コンサート]

5年ぶりの再演となる新国立劇場の「ワルキューレ」。ベルリン・ドイツ・オペラ総監督を務めたゲッツ・フリードリヒが、1997年にフィンランド国立歌劇場のために制作したプロダクション。コロナ禍による非常事態宣言下での上演は、果たしてどうだったのだろうか。

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外国人キャストは全てキャンセル、メインはほぼ総入れ替えとなった。指揮者は、予定されていた飯守泰次郎が体調不良で降板、新国立・芸術監督の大野和士自らの代演。ピット内のオーケストラは、奏者同志の距離を確保するため、管楽器群半減の縮小版が使われた。

特に大規模かつ歌手にとって過酷なワーグナー楽劇だけにその逆風は厳しかったに違いない。そもそも、公演催行が決定しチケットが販売されたのは先月初めのこと。過酷な長丁場のワーグナーを歌える歌手というのはもともと数少ないだけに、代演歌手の確保に時間がかかったようで、ジークムント役に至っては決定したとアナウンスされたのは今月初め。しかも、経験不足を補うため二人の歌手で第一幕と第二幕を分担するという体たらく。

急遽集められた、その日本人歌手たちが大健闘!という「ワルキューレ」となった。

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まず、素晴らしかったのがジークリンデの小林厚子。

藤原歌劇団のプリマとはいえ、ドイツ語のワーグナー楽劇は未知。ところが、幕開けの「見知らぬ人がいる」からして確かな存在感。不幸の境遇におずおずとしていた内気なジークリンデが生き別れた双子の兄に出会い、真実の愛に目ざめて高揚していく。第三幕でも、その最愛のジークムントを失い、愛不在の略奪婚に穢れた自身の身体を厭うという複雑な心情から、誕生してくる子供のために生きようと、再び、立ち直るまでを感情豊かに絶唱。ワーグナー楽劇の意外なほどの女性感情あふれるドラマの再発見につなげてくれたのは大収穫。

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オリジナルキャストの藤村実穂子のフリッカはさすがの貫禄。

バイロイト、ルツェルンと大活躍していた往年の声量と声の深みには微かな衰えを感じさせるものの、演技面ではいよいよ凄みを増している。正論を押し通す冷静で知的な威厳で夫を説き伏せるフリッカを見事に演じていた。嫉妬や底の浅い感情の振幅など全く無縁の、こういうフリッカを演じることは、かえって至難のこと。しかも、唯一の外国人キャストであるヴォータン役ミヒャエル・クプファー=ラデツキーとの渡り合いは、素晴らしいドイツ語の口跡で際立っていた。

そのクプファー=ラデツキーは、たまたま年初のマエストロ・飯守の関西フィル「ワーグナー特別演奏会」に出演のため来日していたためそのまま唯一の外国人キャストとして出演が実現したようだ。日本人ばかりのなかでその長身は際立っていたが、歌唱の演技もその日本人に融け込んでいて、その怒りは凄まじいばかりでほんとうに恐ろしく、フリッカの正論に屈従せざるを得ない沈痛なまでの無念や、第三幕の「ヴォータンの告別」での艶やかな愛惜などヴォータンの多相性を色気たっぷりに感じさせ日本人の琴線に触れた。

さて、それでは二人のジークムントはどうだったのだろう。

まずは、二人一役というのは「有り」だと思った。直情と鬱屈がない交ぜになった不運の英雄だからこそ、その様相の変面を演ずるのは声楽的に難しい。今回はあくまでも準備時間の制約という後ろ向きの理由であったにせよ、それぞれの声の特性を活かしての分担は、体力的負担の軽減とともに、平常時であってももっと採用されてよいと思った。どちらかといえば役に入る困難さを感じさせたのは第一幕の村上敏明、分担でうまくハマったのが第二幕の秋谷直之だというのが、正直な印象。

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歌唱面では素晴らしかったのに、衣装と演技で損をしたのが、ブリュンヒルデの池田香織。

池田は、ワグナーなどドイツオペラにももともと熱心な二期会だから意外感はない。すでにびわ湖ホール「リング」でブリュンヒルデ役を掌中に入れていたというので突然の代役にも戸惑いはなかったはず。やはりその歌唱は絶大な安定感を感じさせた。ところがどうも額縁にはまりにくい。その衣装が日本人の体型に合わず天翔るワルキューレにならない。しかも、どうも手足の動作がしょぼくれていて演技らしい演技にならない。ただただ舞台を左右にうろつく他のワルキューレたち共々、衣装のつたなさ、演技演出の不在で大損している。もちろん、時間もなかったのだろうが、振り付けなど演出の無策ぶり、演技指導の不在は、(前回の公演をみていないのでわからないが)平常時であったとしても海外の借り物プロダクションということで、もともと大きな課題だったのではないだろうか。

そして、オーケストラ。とにかく大野和士の指揮する東響が素晴らしかった。

縮小版というのは、ドイツの地方歌劇場で「リング」全曲を上演したアルフォンス・アッバスが編曲した「アッバス版」と呼ばれるもののこと。日本人歌手の体格体力にとってはよかったのかもしれない。

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12-10-8-6-5の弦五部という規模では、確かにオリジナルのような厚みのある迫力は得られないが、個々のパートやソロが鮮やかでアンサンブルの骨格が透けて見えるという面白みもある。それだけに奏者の技量の高さと度胸が必要で、ここぞというクライマックスでの金管セクションも驚くほどの思い切りのよい吹奏ぶりでワグナーの醍醐味は十分。しかも大野和士の指揮が、楽団員の絶大な信頼と集中を引き寄せただけでなく、自らも尋常ならざる音楽への陶酔・没頭ぶりも見せてくれた。かえって厳しい種々の制約があったからこそ、東響、会心の快演になったとさえ思えた。

コロナ禍により、心ならずも変則的な「ワルキューレ」となったことは否定できない。大野和士総監督をはじめ、スタッフもキャストの皆さんも艱難辛苦を乗り越えるために、大変な努力を強いられたに相違ない。それでも、いや、それだからこそ、かえって本場のプロダクションやキャストでは薄かった「ワルキューレ」の情深いところがよく出ていたのだと思う。

課題もよく見えただろうし、一方で、その実力や潜在的な対応力の高さも実証できた。コロナ禍は、日本というオペラ辺境国にとってはつらい試練だが、そういう西欧本場の神々の支配や呪縛から解き放たれて、日本らしく自由で独自に振る舞える明るい未来も見えたとも思うと、実に楽しい公演だった。




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新国立劇場
R.ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環・第1日 ワルキューレ」
2021年3月14日 14:00
東京・初台 新国立劇場 オペラハウス
(1階12列23番)

出演 
ジークムント:(第1幕)村上敏明 (第2幕)秋谷直之
フンディング:長谷川 顯
ヴォータン:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
ジークリンデ:小林厚子
ブリュンヒルデ:池田香織
フリッカ:藤村実穂子
ゲルヒルデ:佐藤路子
オルトリンデ:増田のり子
ヴァルトラウテ:増田弥生
シュヴェルトライテ:中島郁子
ヘルムヴィーゲ:平井香織
ジークルーネ:小泉詠子
グリムゲルデ:金子美香
ロスヴァイ:セ田村由貴絵

管弦楽:東京交響楽団

指揮:大野和士
演出:ゲッツ・フリードリヒ
美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ
照明:キンモ・ルスケラ
再演演出:澤田康子
舞台監督:村田健輔

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