SSブログ

「土偶を読む」(竹倉 史人 著)読了 [読書]

話題沸騰の書。

明らかに人体を模した縄文土偶だが、その造形の奇妙きてれつさは類例がなく、長い間の謎でありありとあらゆる主観的直観的な類推が語られてきた。その土偶の「正体を解明した」と宣言する。

土偶は、縄文人の姿でも、妊娠女性でも地母神でもない。食用植物や貝類の姿をかたどったもの。つまり、ご当地の食品マスコット・キャラクター、いわば《ゆるキャラ》だというわけだ。

土偶を読む0002_1.jpg

確かに面白い。

では、何が面白いのか?

土偶を読む0001_1.jpg

まずは、もちろん、土偶が「食用植物や貝類をかたどったフィギュア」であるという新たな《読み解き》のこと。ハート型土偶の「ハート型」が実はクルミ(和製のオニグルミ)の断面だという着想から始まって、次から次へと9つの土偶のプロファイリングを明かしていく。そのひとつひとつが「なあるほど」的な驚きと納得に満ちている。

もうひとつは、アプローチの具体的な過程。美大中退後に東大で宗教史を学び東工大で学祭的な先端研究課程で学ぶという学問的な遍歴を重ねてはいるものの、考古学にはシロウト。その門外漢が、白紙の状態から始めて、文字不在の縄文時代の「神話」というふとした着想から土偶を「読む」という発想を得る。既存の伝統的なアプローチや権威にこだわらず、図像解釈学という美学的な手法で探索を進めるその過程そのもの。しかも、研究日常を余すこと描くというドキュメンタリータッチの文章そのものも反権威的。学術書とは縁遠い軽いノリで、あっという間に読み進んでしまう。

著者は、自己閉塞的な考古学研究の権威主義を辛辣に批判している。

考えてみると、考古学っていったい何だろうという気もしてくる。考古学者というと、思い浮かぶのはサファリハットかなんかを被って、地面をごそごそ掘っている姿ぐらいなもの。ヒーローといえば、インディアナ・ジョーンズぐらいか。実在の人物では、トロイ遺跡を発掘したシュリーマン。その彼とてもともとは武器商人として成功し巨万の富を得てからの転身であって、いわばシロウト。

この「縄文土偶=食用食物形象」説には、考古学の権威からは笑殺的否定、反発がほとんどのようだ。とはいえ、主流となっている学説にも定説らしき定説はなく、同じように直観的な仮説ばかり。それだけに、読者も含めてシロウトにもいろいろ口を出したくなる面白さに満ちている。いわば、「邪馬台国」論争のような魅力がありそうだ。

考古学も、遺跡・遺構、あるいは土偶のような遺物の発掘に限らず、本書でもしばしば援用されている、年代測定法のような原子物理学、植物学、地質学、地理・気候研究など、自然科学的な知見の応用が多用されるようになり、科学的ツールが増え、ますます学際化・総合化している。学問学術的にも各方面からいろいろ口出しがありそうで、それもまた興味津々。

本書に不満があるとすれば、そういう研ぎ澄まされた知的・科学的ツールの存在感が希薄なこと。全ては著者自身の「直感」的考察に終始していること。“イコノロジー”といういかにもそれらしきカタカナ言葉を連発するが、要するに《似ている》ということを言っているに過ぎない。どこか言語学者・大野晋の『日本語の起源』を想起させる。その点では、批判を浴びるのも無理もない。

そもそも、「土偶研究の始まり」で著者自身が述べているような「呪術で使う道具」といった、使用目的や使用方法などについての考察は、本文では全く触れられないことにも不満が残る。

とはいえ、それやこれやの「未解決」感覚こそ、縄文土偶の魅力。本書はそういう謎だらけの魅力に新たな扉を開けたといってよい。だから面白い。




土偶を読む_1.jpg

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎
竹倉 史人
晶文社
タグ:土偶
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。