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『都鄙大乱 「源平合戦」の真実』(高橋昌明 著)読了 [読書]

源平合戦ほど長く国民的に親しまれてきた歴史物語は他にないだろう。歴史観から果ては社会倫理や人生哲学に至るまで、日本人の心象、伝統文化、精神に与えてきた影響は計り知れない。

内乱は源平の闘いという形をとりながら、そのじつ、体制の矛盾によって引き起こされた全社会をまきこんだ内戦というものだった。

頼朝の決起は、確かに平家に追い詰められてのせっぱつまってのものだったが、虎口を脱して勢いを取り戻した頼朝は、こうした内乱の敵味方の対立を巧みに利用した。つまりは、平家や院政中央に敵対する側を味方につけていったというに過ぎない。

東国の反乱は確かに源氏だが、九州ではそうではない。源氏か平氏かということは、内乱の敵味方を分ける要因ではなかったという。現に、頼朝のもとに結集した関東の家人たちのほとんどは桓武平氏の末裔だったという。

院政の内輪で孤立化していた平家を追い落とし、武力のマジョリティを抑えた頼朝は鎌倉にあって京とは適度に距離を保ちながら、まず、中央政府から地方の管理統制の権限のみをまず奪っていく。武家の棟梁とは、つまりは、警察権と司法権の主権者というわけであって、必ずしも王権を中心とした形式的な体制の価値観そのものは否定しなかったというわけなのだろう。

本書は、源平の闘いの実相が都鄙を問わず国全体を混沌に陥れ生産流通を停滞荒廃させ、多数いの死者を出した苛烈な内乱状態だったことを、同時代の史料を懇切丁寧に読み解いていく。それが国のあり方を根本から変えていく時代の画期であるとともに、その混沌に翻弄される民衆の犠牲も甚大だったということも明らかにしていく。

もちろん、合戦の数々についても時代史料に基づいて、仔細に分析している。例えば、「『一ノ谷合戦』は、実はこうだった」的な話しも面白い。木曽義仲は、木曽谷が出自というよりは、今の佐久市など長野県東部から山梨、群馬、埼玉など関東北西部の豪族を糾合した勢力だったという。大飢饉が京の都をせい惨な飢餓に陥れたが、それは自然災害による凶作のせいというよりは内乱による物流の停滞断絶によるものだったという分析には目からウロコ。

学術研究の集大成としての重みのある読み応えもあって、なおかつ、一般読者にとっても読みやすいように配慮されている。歴史解説書として見ても、俗書とは一線を画す本格的なもので、読んでも面白い。


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都鄙大乱 「源平合戦」の真実
高橋 昌明 (著)
岩波書店
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