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「古代の皇位継承」(遠山 美都男 著)読了 [読書]

今上天皇は、天智系だといわれる。

天智天皇が亡くなり壬申の乱が起こって、大海人皇子が勝利し即位して天武天皇となった。

しかし、天武天皇系の聖武天皇には男子が育たなかった。天武系は、女帝である称徳天皇(孝謙天皇重祚)を最後として、100年ほどで絶えたからだ。

聖武天皇の実の娘で女帝となった孝謙天皇(重祚して称徳天皇)は皇位を天智帝の曾孫である光仁天皇に譲る。光仁天皇は、62歳で立太子してわずか2ヶ月で即位する。

これだけでも異様な継承の経緯だが、あわせて聖武天皇の第一皇女で妃の井上内親王が皇后となりその実子・他戸親王(おさべしんのう)が11歳で立太子する。天武の血統も守られたかに見えた。しかし、わずか1年余りの後、井上内親王が呪詛の罪に連座し皇后を廃され、皇太子の他戸親王も皇太子を廃されてしまう。

代わって山部親王が37歳で皇太子に立てられた。後の桓武天皇である。ここで天智帝の系統が確立する。天武系の井上内親王も他戸親王もいずれも悲惨な末路となったことも考え合わせるとまことに異様な経緯だった。

ここから、両系統の間には対立があり、単なる血統の起点というにとどまらない天武系、天智系という皇統の系譜が語られることになる。あわせて、孝謙天皇について、退位後も上皇として権勢をふるい、あげくには弓削氏の僧・道鏡を寵愛して悪名をはせたこともあって権謀術数の陰湿な女帝というネガティブな印象論がまかり通ることにもなった。

著者は、こうした「天智系・天武系の対立」という見方に疑義を唱える。

確かにそんなものはなかったのだろう。皇位継承はその都度、都合の良いレトリックが提起され、その正統をめぐって争われ、時には権謀術数を駆使してライバルを追い落とした。その背後には相も変わらず有力な豪族の権力争いがあったわけだ。こうした複雑な皇位継承の経緯の解明には、なかなかに説得力がある。なるほど、奈良時代になっても、かくも血生臭い身内同士の血の争いをしていたのかと、尊崇する我が皇統のいささか情けない歴史に感心するやらがっかりするやら。万世一系とは、実はこんなものだったのかとため息交じりにそう思う。

一方で、天皇が、貴族政治の没落、武家政権の確立と戦乱、徳川封建国家から明治まで、一貫して民族の一体統合の超然とした象徴として不可侵の尊崇を受け続けたことも事実。そういう皇統の原理原則がどのようなものであり、それがいつどんな形でどのように確立されていったのかという根本的な疑問は残されてしまう。

また、「女帝」問題ということにもどこか隔靴掻痒の感が残る。本書が書かれた当時には、女性天皇の容認あるは本格的な女系天皇という皇統継承のあり方が論じられていたはず。歴史の俗っぽい論議としても、古代の女性天皇とは定説がいうように「中継ぎ」「時間稼ぎ」「傀儡」だったのか、あるいは、むしろ、在位が長年に及んだ推古、いずれも重祚した孝謙天皇あるいは皇極天皇のように、むしろ、強大な主導的王位者だったと見るべきなのか。疑問は尽きない。

日本の古代史は面白いが、釈然としないことが多すぎる。



古代の皇位継承.jpg

古代の皇位継承
 ―天武系皇統は実在したか
遠山 美都男 (著)
(歴史文化ライブラリー 242) 吉川弘文館
タグ:皇位継承
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