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「ふんどしニッポン」(井上章一著)読了 [読書]

私が卒業した小学校は区内で二番目に古かった。区内最古を誇ったのは、創設が1年だけ前の明治7年開校のY小学校でした。

そのY小学校は《赤ふん》で有名でした。区の臨海学校で一緒になると、なるほど、男子児童は全員赤ふんで、これを見た同級生の女の子たちは大騒ぎ。私自身もぜったいイヤだと思った。昭和30年代半ば、前の東京オリンピックより以前のことでした。

この《赤ふん》というのは、学習院の名物だそうで乃木大将が院長時代に始まった遠泳が今でも伝統だそうで、今上天皇の小学生時代のふんどし姿の写真(本書ではなく、出所は『女性自身』)まで公開されています。
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「下着」というキャッチーな帯にかかわらず、水着としてのふんどしにもかなりのページ数を裂いています。なるほど、男性水着としてのふんどしは戦後になってもまだまだ一般的だったというわけです。女性は、大正初期から西洋風の水着に置き換わり、貴賤と地域を問わず普及していたのに…なのです。

明治維新以来、早くから外装は西洋化した男性の服装ですが、下着としてのふんどしは戦後まで続いていた。フロックコートに身を包みながら、その下の見えない下着はふんどしだったというわけです。一方で女性は、早くからズロースとかパンツと呼ばれる西洋下着を身につけていながら、外装は和服という出で立ちが戦争の頃まで続いていた。

女性と男性の服飾風俗史という観点では、和と洋の継承・受容の経緯が大きくねじれているというのは面白い指摘です。

ふんどしは、恥ずかしい下着ということではなく、相撲に見られるように、神事、祭事など裸身こそ清く凜とした姿だと誇って外見にさらすことに躊躇がなかったというのも日本人の風俗のあり方として卓抜な指摘です。その《男児の矜持》は仕事着にも通じていて、軍隊では当たり前。中国大陸の前線のただなかでふんどし姿で榴弾砲の設営や、渡河作戦を遂行している報道写真を示していますが、不思議と違和感がありません。ふんどし姿の裸身は、公然と新聞や写真雑誌などで公の目にさらされていて何の疑いもなかったというわけです。

とはいえ、ちょっと下心過剰のところがあるのはいかがなものでしょうか。女性だってふんどしをしめることはあった…との指摘は、まあ範囲内かもしれませんが、男女問わず裸身をさらすことに昔は今ほどには抵抗はなかったと、海女のハダカや海水浴のポンチ絵を掲載するのは、風俗論の名を借りて後進性を面白がる猥褻すれすれのところがあって、好ましいとは思えません。

著者は、文献資料を駆使した建築史がもともとの専門ですが、本書は文献といってもほとんどが、ハダカの写真やポンチ絵。いつもながらの井上先生のエッチ度満開。学術的ないかめしい作り顔で内心ニヤニヤしながら眺めるにはもってこいの教養書というわけです。


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ふんどしニッポン
下着をめぐる魂の風俗史
井上章一 著
朝日新書

タグ:井上章一
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