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「音楽嗜好症(ミュージコフィリア)」(オリヴァー サックス 著)読了 [読書]

音楽嗜好症というのは病的に音楽が好きだとか、並外れた天才性を発揮する人々のこと。
青天の霹靂のように音楽が好きになってしまったという突発性音楽嗜好症になってしまった同僚の医者の例は鮮烈だ。
避雷のショックによって失神しやけどを負うという事故の後、職場に回復してから突然のように音楽に対する渇望が始まる。さほど音楽に興味もなく楽譜も読めなかったのに、独学でピアノを習い、朝の四時に起きて仕事に行くまで弾いて、仕事から帰ってきたら夜通しピアノの前に座る。音楽に取り憑かれ、ほかのことをする時間がほとんど無くなってしまったという。
あるいは、ウィリアムズ症候群と呼ばれる認知障害を持つ人々は、知能に障害を持つにもかかわらずとても饒舌で社交的、なおかつ音楽に対して極めて敏感だという。
同じように、幼時に髄膜炎にかかった知的障害者の男性は、音楽に魅了され、耳にしたメロディを痙攣の障害のある手足と声の許すかぎり歌い、ピアノを弾く。驚異的な暗記力を持ち2千曲以上のオペラを暗記している。健常者ではほとんど活性化しない小脳や扁桃体など、はるかに広範の神経構造を使って音楽を知覚し反応していることもわかっているという。
著者は、神経学・精神医学の研究者。開業医として数多くの臨床経験も合わせ持っている。本書には、その中から音楽知覚に関連する豊富な事例が紹介されている。
音楽幻聴、音楽によって誘発されるてんかん症、失音楽症、極度の絶対音感の持ち主とそれとは対照的な音感の乱れを持つ蝸牛失音楽症など音楽をめぐる神経症や精神疾患の数々。あるいは、記憶喪失、運動障害やパーキンソン病、失語症などの他の病状に対して、音楽療法が驚くほどの効果をあげたという事例など。
そうした不可思議な事例から、人間の音楽知覚がとても本源的なものであり、五感や言語、文字などと同じように人間性にとってかけがえのない認知領域を持ち、相互にかかわり合っていると痛感させられる。音楽をどう認知しているのかということも、いわゆる楽典的な説明とは違う視点を与えてくれる。
晩年のラヴェルは、ブリック病とよばれる疾患に苦しめられた。意味失語症を発症し、象徴やシンボル、抽象概念、カテゴリーに対処できなくなり、もはや頭のなかにいぜんとしてあふれかえる音楽パターンや旋律を譜面にすることができなくなった。『ボレロ』を書いたときにはすでに認知症状が現れ始めていたのではないかという。音と楽器編成は大きくっていくが、単一の楽句が繰り返されるばかりで展開がない。そのことにかえって多くの健常者が熱狂させられるのはなんとも奇跡的な不可思議だとさえ思える。
左手のピアニストとして活躍したレオン・フライシャーは、局所性ジストニー(筋失調症)で右手の運動能力を失った。その原因は、脳内の感覚的な制御システムの障害なのだという。全速力で演奏する音楽家は奇跡だが、特異なもろさを秘めた奇跡であり、そのもろさが不測の結果を招くことがあるという。フライシャーが症状を引き起こした曲は、シューベルトの『さすらい人幻想曲』だったという。彼はそれを一日に8時間も9時間も練習していたのだという。彼はボツリヌス菌毒素をごく少量投与するという最新療法で、両手づかいのピアニストに復帰できた。筋肉がある程度弛緩し、混乱したフィードバックや運動プログラム異常を抑制できるようになったのだ。
第11章「生きたステレオ装置――なせ耳は二つあるのか」には、片耳の聴覚を失ったイギリスの音楽評論家の体験談が引用(*1)されている。立体音響を失うと、音楽の豊かさや、感動を呼ぶ響きも失われてしまったという。もっとも彼は毎日音楽を聴くようにして、三次元の立体感の回復(*2)に努力している。そして『両耳で聞こえるのがどういうものだったか、まだ記憶やイメージは残っている』という。
とにかく事例が豊富で、読み通すのも大変だが、そうした事例を通して「音楽」というものの人間的な本質が垣間見えてきて興味が尽きない。
音楽嗜好症_1.jpg
音楽嗜好症(ミュージコフィリア)
脳神経科医と音楽に憑かれた人々
オリヴァー サックス  (著)
大田 直子 (訳) 
早川書房
(*1)
『かりにも音楽好きな人なら、頭のなかに立体感のようなもの、面だけではなく量も表し、質感だけではなく被写界深度も感じさせる、そいういう次元があるのではないだろうか。…私はかつて音楽をきくときは必ず「建物」が聞こえていた…その建物が「見える」というより、感覚中枢で感じていた。…今音楽を聴いているときに聞こえるものは、平板な二次元の表象だ。…かつて建物だったものが、ただの設計図になっている。…技術的な図面に胸を打たれたことはない。…私はもはや音楽に感情で反応することがない。』
(*2)
『…片耳の聴力低下を補う方法をいろいろと見つけていた。場面を視覚と聴覚で交互に分析し、二つの知覚器官のインプットを融合しようとしている。…コンサートホールで頭を少しだけ回すことを憶えた。「バイオリンのときは左、低音と打楽器のときは右、というように、その瞬間に演奏されている楽器を見るみたいな感じにね」。触覚も視覚と同じように、音楽空間の感覚を再建するのに役立っていてた。ステレオのサブウーファーで試したところ、「自分が聴いている音には触覚で感じられる物理的な性質があって、それがよてもよくわかった」と彼は話している。』

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