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「ロシアについて――北方の原型」(司馬遼太郎 著)読了 [読書]

司馬遼太郎というひとは、ロシアというものの本質を見抜いていた。

恐ろしいほどまでの洞察というしかない。しかも、それを語るに実に簡明で当を得た記述であって、読み手にとって音をたてるかのように胸に落ちるものが多くある。

司馬は1972年に傑作『坂の上の雲』を上梓しているが、以来、ロシアについて考え続けてきたという。この長編エッセイは、1986年に刊行され、その年の読売文学賞(随筆紀行)を受賞している。

副題の「北方」というのは、もちろん私たち日本人にとっての方角のことである。著者自身、「ロシア」といってもロシアという国家(当時・ソ連)のことでも、ロシア人のことを書こうとしたわけではないと断っている。西欧から見ると、そのロシアは特異な世界だという。それがロシアというものの原風景だという。

『外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰』という本質は、まさに今のウクライナ侵攻の風景として私たちが目の当たりしていて、現代の軍事専門家たちも指摘していることだ。それらすべてが『キプチャク汗国の支配と被支配の文化遺伝』だと喝破する。

すなわち、それはいわゆる《タタールのくびき》のこと。

かつて《ロシア人をひと皮剥くとタタール人だ》と喝破したフランスの外交官がいた。タタール支配下の野蛮で残虐なロシアは、西欧から隔絶され嫌われ者となった。それはまた彼らのアジア人嫌悪にも根ざしている。モンゴルなどのユーラシアの遊牧民は西進するにつれ混血し、今の西洋人の相貌になったという。遊牧民の支配は野蛮で残虐であったから、同族のスラブ系諸民族からさえもロシア人はタタールの血と文化をひいていると嫌われる。

ロシアという国は若い。そして小さな国から始まった。

遊牧民は内部から崩壊する。16世紀になってようやく《タタールのくびき》を脱したロシアはイヴァン雷帝治世になって、逆にタタールを征討し領土を拡張していく。クリミア汗国も滅ぼし、西シベリアのシビル汗国も征服する。その膨張体質は果てしなく、ついにはシベリアの果て、すなわち私たち日本の《北方》に達するというわけだ。その過程で、かつて圧倒的な軍事力を誇った獰猛なはずの騎馬民族が、銃の前にはあっけないほどに脆いことを知る。こうしてロシアの重火砲信仰が始まる。

シベリアは黒テンの毛皮を追った少数の傭兵たちによって瞬く間に征服されてしまう。資源こそあっても、極寒の不毛の地はもぬけのからだが、国土の広大さはロシア帝国の自負となっていく。やがて、シベリア東岸から樺太、カムチャッカ、クリル(千島)列島にまで東進を続けたロシアは、食料と薪炭の補給を求めて日本に接することとなる。

「ロシアと日本の因縁は、シベリアにおける飢えと渇えからおこる」

現代の日本人は、ロシアに震撼していたかつての恐怖心を忘れがちだし、安倍政権の北方領土への取り組みは、そういう日本人の退行を促進しさえした。それがいまウクライナへの侵攻によってロシアへの歴史的警戒心を呼び覚ます事態になっている。

今こそまさに読み返すべき司馬遼太郎の隠れた良書だというべきだろう。



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司馬遼太郎全集 (53) アメリカ素描 ロシアについて
文藝春秋
(私が読んだのはこちら――図書館で借りてきました)



41ZHwAepH+L.jpg
北方の原形――ロシアについて
(文春文庫)

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