旧・乾邸 [旅日記]
メインイベントは、渡邊節の傑作といわれる旧・乾家住宅。
汽船会社の創業者・乾新治の個人住宅。住吉山手は近代になって開発された高級住宅街ですが、その中でも昭和10年という遅い時期の建築なので立地は、急坂を上ったかなり山手の斜面にあります。
渡邊節の作品としては、綿業会館がありますが、こちらはれっきとした個人の自宅。迎賓館とか別荘とかでもない。渡邊は、設計者としてはかなりのカネ喰いだったようですが、施主にしてみれば思いのたけを尽くしてくれるひと。綿業会館に較べると確かにスケールは小さいのですが、それだけに贅が凝縮されています。導線や見た目の立体的な意匠に細やかな配慮が行き届いてるという印象。
特に、ゲストルームはとても気持ちが良い。薄い色づけのステンドグランスがお洒落で部屋が開放的で明るい。半分はサンルームにいるような雰囲気で、庭園をながめながらゆったりといつまでもくつろいでいたい気分。
それでいて、天井は吹き抜けのように高く大きなシャンデリア――さらに、渡邊節のシンボルとも言える2階へと上がる階段が重厚さと豪華さを演出している。ここはやっぱりゲストルームなんだと忘れかけていたことに思い当たります。
洋式庭園から眺める正面外観は、ちょっと不均衡。向かって右が洋式のゲスト部分で左が居室部分で和式になっているからです。でも、それは外観という見てくれよりも内側の機能や意匠を優先するからであって、そこが個人住宅の魅力でもあり、渡邊節の真骨頂だという気がします。
意匠面でカネに糸目をつけなかったと言われる渡邊ですが、一方では建築家として極めて機能主義、合理主義で、この建物も鉄筋コンクリート製だそうです。短期間で済ませることが得意だったそうで、建設中に住居を失う新婚の息子夫婦にはその間、世界旅行に行かせて見聞を広めさせたのだとか。
そのおかげで、長い風雪に耐えていまでもまるでそこに人が住んでいるかのように保全されています。この一帯(旧・住吉村)には大富豪たちの大邸宅が立ち並んでいたそうですが、そのほとんどが失われている。その意味でも、この乾邸は見る価値のある建物です。
汽船会社の創業者・乾新治の個人住宅。住吉山手は近代になって開発された高級住宅街ですが、その中でも昭和10年という遅い時期の建築なので立地は、急坂を上ったかなり山手の斜面にあります。
渡邊節の作品としては、綿業会館がありますが、こちらはれっきとした個人の自宅。迎賓館とか別荘とかでもない。渡邊は、設計者としてはかなりのカネ喰いだったようですが、施主にしてみれば思いのたけを尽くしてくれるひと。綿業会館に較べると確かにスケールは小さいのですが、それだけに贅が凝縮されています。導線や見た目の立体的な意匠に細やかな配慮が行き届いてるという印象。
特に、ゲストルームはとても気持ちが良い。薄い色づけのステンドグランスがお洒落で部屋が開放的で明るい。半分はサンルームにいるような雰囲気で、庭園をながめながらゆったりといつまでもくつろいでいたい気分。
それでいて、天井は吹き抜けのように高く大きなシャンデリア――さらに、渡邊節のシンボルとも言える2階へと上がる階段が重厚さと豪華さを演出している。ここはやっぱりゲストルームなんだと忘れかけていたことに思い当たります。
洋式庭園から眺める正面外観は、ちょっと不均衡。向かって右が洋式のゲスト部分で左が居室部分で和式になっているからです。でも、それは外観という見てくれよりも内側の機能や意匠を優先するからであって、そこが個人住宅の魅力でもあり、渡邊節の真骨頂だという気がします。
意匠面でカネに糸目をつけなかったと言われる渡邊ですが、一方では建築家として極めて機能主義、合理主義で、この建物も鉄筋コンクリート製だそうです。短期間で済ませることが得意だったそうで、建設中に住居を失う新婚の息子夫婦にはその間、世界旅行に行かせて見聞を広めさせたのだとか。
そのおかげで、長い風雪に耐えていまでもまるでそこに人が住んでいるかのように保全されています。この一帯(旧・住吉村)には大富豪たちの大邸宅が立ち並んでいたそうですが、そのほとんどが失われている。その意味でも、この乾邸は見る価値のある建物です。
タグ:神戸散策
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