新たな展開の始まり (田部京子ピアノ・リサイタル) [コンサート]
田部さんのこの朝日ホールでのリサイタル・シリーズは、昨年、20周年の区切りをつけました。その折り返しともいうべき新シリーズ。-SHINKA-<進化×深化×新化>の第1回。
最初のモーツァルトでは、ちょっと、おや?という気がしました。田部さんのモーツァルトはとても平明。翳りや曇りがなくて、軽やかで純真無垢。よく知られた「トルコ行進曲」つきのソナタですが、とても重たい。変奏曲も流れがわずかに滞りがち。
どうもピアノのせいのように思われます。
前2回のベーゼンドルファーModel275ではなくて、今回は現行生産品のコンサートグランド280VC。奥行きサイズはやや大きめですが、逆に鍵盤数は一般的な88で横幅はわずかに小さい。あくまでも勝手な憶測ですが、そういうモデルの違いというよりも、ピアノが若くて目覚めが悪く、しかも、この日の天候のせいで湿気が重いせいなのではないでしょうか。
そのことは二曲目のブラームスでも引きずっていました。
ただでさえ重たい曲ですが、よけいに重たくてテンポも遅めに聴こえてしまう。鍵盤が重く指にまとわりつくような感じがして、ターン(回転音)がうまく回らない。もともとが思い入れたっぷりの弦楽六重奏曲ですから、こういうターンが回らないとどうしてもピアノの曲に転化しきれないところがあります。期待していた曲の実演だっただけに、正直、あまり楽しめませんでした。
少し調子が上がってきたのは、三曲目のシューベルト。ロザムンデの即興曲ですが、ふっきれたような打鍵で指先の重さが取れてきたようにシューベルトらしい歌が聞こえてきます。
そういう重力の作用を振り切ったような後半は素晴らしかった。
気迷いを吹き飛ばすようなショパンのバラードの冒頭の左手のユニゾンのハ音がどーんと思い切りよく沈み込みそこから湧き上がるような移調の連続の響きで、さあ、物語が始まり始まり、どうか聴いてほしいというような口上で、たちまちのうちに伝承のロマンスに気持ちを持って行かれました。
続く「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」では、切々と未練と郷愁の気持ちが語られる。冒頭の繰り返しなどは、まるで、ため息のように切ないし、続く、自分の願いを吐露するようなメロディはほんとうに胸を打ちます。
この日の白眉は、最後のシューマン。
喧噪とも取られかねないような自由で奔放な幻想の世界。こういうシューマンを聴くと、ほんとうにその魅力に翻弄されてしまう。田部さんのピアノは、もはや、何も顧みるものがなくなったかのように、そういうシューマンの際限もない情熱の世界の音を紡ぎ出す。それは、躁病の状態。とてつもないほどのロマンチックな高揚感と支離滅裂なまでの自由奔放さがあります。
これはほんとうに、田部さんの新しい展開。
前半は少しもやもやしましたが、最後には田部さんの快心の笑みと沸き立つ聴衆の喝采に包まれて、とても幸福な気持ちになりました。
田部京子ピアノ・リサイタル
-SHINKA-<進化×深化×新化>Vol.1
2024年6月30日(日) 14:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階9列11番)
田部京子(ピアノ)
使用ピアノ:ベーゼンドルファーコンサートグランド280VC
モーツァルト:ピアノソナタ 第11番 K.331「 トルコ行進曲付」
ブラームス:主題と変奏(弦楽六重奏曲第1番より) op.18b
シューベルト:即興曲 op.142-3
ショパン:バラード第1番 op.23
ショパン:ノクターン第19番 op.72-1
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化「幻想的情景」 op.26
(アンコール)
ブラームス :6つの小品 間奏曲 op.118-2
ショパン :ノクターン 第20番 嬰ハ短調 「遺作」
シューマン/リスト : 「献呈」
最初のモーツァルトでは、ちょっと、おや?という気がしました。田部さんのモーツァルトはとても平明。翳りや曇りがなくて、軽やかで純真無垢。よく知られた「トルコ行進曲」つきのソナタですが、とても重たい。変奏曲も流れがわずかに滞りがち。
どうもピアノのせいのように思われます。
前2回のベーゼンドルファーModel275ではなくて、今回は現行生産品のコンサートグランド280VC。奥行きサイズはやや大きめですが、逆に鍵盤数は一般的な88で横幅はわずかに小さい。あくまでも勝手な憶測ですが、そういうモデルの違いというよりも、ピアノが若くて目覚めが悪く、しかも、この日の天候のせいで湿気が重いせいなのではないでしょうか。
そのことは二曲目のブラームスでも引きずっていました。
ただでさえ重たい曲ですが、よけいに重たくてテンポも遅めに聴こえてしまう。鍵盤が重く指にまとわりつくような感じがして、ターン(回転音)がうまく回らない。もともとが思い入れたっぷりの弦楽六重奏曲ですから、こういうターンが回らないとどうしてもピアノの曲に転化しきれないところがあります。期待していた曲の実演だっただけに、正直、あまり楽しめませんでした。
少し調子が上がってきたのは、三曲目のシューベルト。ロザムンデの即興曲ですが、ふっきれたような打鍵で指先の重さが取れてきたようにシューベルトらしい歌が聞こえてきます。
そういう重力の作用を振り切ったような後半は素晴らしかった。
気迷いを吹き飛ばすようなショパンのバラードの冒頭の左手のユニゾンのハ音がどーんと思い切りよく沈み込みそこから湧き上がるような移調の連続の響きで、さあ、物語が始まり始まり、どうか聴いてほしいというような口上で、たちまちのうちに伝承のロマンスに気持ちを持って行かれました。
続く「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」では、切々と未練と郷愁の気持ちが語られる。冒頭の繰り返しなどは、まるで、ため息のように切ないし、続く、自分の願いを吐露するようなメロディはほんとうに胸を打ちます。
この日の白眉は、最後のシューマン。
喧噪とも取られかねないような自由で奔放な幻想の世界。こういうシューマンを聴くと、ほんとうにその魅力に翻弄されてしまう。田部さんのピアノは、もはや、何も顧みるものがなくなったかのように、そういうシューマンの際限もない情熱の世界の音を紡ぎ出す。それは、躁病の状態。とてつもないほどのロマンチックな高揚感と支離滅裂なまでの自由奔放さがあります。
これはほんとうに、田部さんの新しい展開。
前半は少しもやもやしましたが、最後には田部さんの快心の笑みと沸き立つ聴衆の喝采に包まれて、とても幸福な気持ちになりました。
田部京子ピアノ・リサイタル
-SHINKA-<進化×深化×新化>Vol.1
2024年6月30日(日) 14:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階9列11番)
田部京子(ピアノ)
使用ピアノ:ベーゼンドルファーコンサートグランド280VC
モーツァルト:ピアノソナタ 第11番 K.331「 トルコ行進曲付」
ブラームス:主題と変奏(弦楽六重奏曲第1番より) op.18b
シューベルト:即興曲 op.142-3
ショパン:バラード第1番 op.23
ショパン:ノクターン第19番 op.72-1
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化「幻想的情景」 op.26
(アンコール)
ブラームス :6つの小品 間奏曲 op.118-2
ショパン :ノクターン 第20番 嬰ハ短調 「遺作」
シューマン/リスト : 「献呈」
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