「緑十字機 決死の飛行」(岡部英一 著)読了 [読書]
言ってみれば、これは終戦秘話。
日本人の目に焼き付いている敗戦の映像というと、8月15日の玉音放送、8月30日連合軍最高司令官マッカーサーの厚木到着、それに9月2日の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印という3つぐらいしか語られない。
特に8月15日は、「日本のいちばん長い日」として終戦記念日となっている。
事実、正午の玉音放送以後、軍部中央は「聖断ニ従テ行動ス」と降伏への抵抗を止め、最後の陸軍大将阿南惟幾ほか何人もの軍人がその数日以内に次々と自死を遂げている。
しかし、これで徹底抗戦派が一掃されたわけではなかった。
全国各地の軍事基地では、終戦の翌日から復員が始まり、すでに閑散とし始めていた一方で、あくまでも本土決戦を期する将校士官と残留要員が多く残存していて、一触即発の空気で張り詰めていた。
そうしたなかで、マニラのマッカーサー司令部から、「降伏軍使」の派遣を求めてくる。
降伏文書、降伏の天皇詔書の英文原案を受領し、調印式やGHQの設置の日程調整の協議が、軍使派遣の目的となる。それは軍人にとっては有無を云わせぬ屈辱の敗戦処理そのもの。誰もが引き受けたがらないのは、それだけではない。軍使派遣で敗戦を決定づけることを阻止しようという気配もあったし、協議の結果によって天皇の戦争責任が問われようなことになれば、生きて日本に帰れない。
「緑十字機」とは、その軍使を運ぶ機体のこと。
連合軍の指示により、機体が白く塗られ、緑十字が描かれていた。連合軍からの攻撃を防ぐためだが、目立つ機体はむしろ徹底抗戦派の友軍機から捕捉され迎撃される恐れがあった。機体は、航続距離が十分にある一式陸攻が選ばれた。徹夜で機体の塗装と整備が進められた。
搭乗員もにわか編成。主操縦士こそベテラン中のベテランが指名されたが、万全を期して整備員を優先して編成され、二番機には副操縦士はいない。出発ぎりぎりまで目的は秘匿され、顔なじみのいない隊員同士、誰もが互いに相手の本心はわからない。
全権軍使は、最後の参謀部次長・河辺虎史郎が。参謀総長の梅津美治郎(A級戦犯、終身刑で獄中死)が固辞したからだ。河辺はもともと戦争不拡大を唱え陸軍主流を外されていた。戦争末期になって呼び戻されて、屈辱の降伏軍使を拝命した。生きて帰れぬ覚悟もあったが、何かあれば戦闘再開も軍政も辞さぬ構えでいた米軍の不信を呼ぶ。正式な降伏まで長引けばソ連が北海道になだれ込み、日本の分割統治もあり得た。
その一行が協議を終え、降伏文書や詔書などの書類を携え帰路につくなかで予想もつかぬ困難に直面する。
中継地/沖縄伊江島で緑十字機に乗り換える際に二番機が事故で損傷する。やむなく一番機のみで夜間飛行を強行、帰路につく。その一番機は、原因不明の燃料切れを起こして、エンジン停止。
静岡県磐田の海岸に深夜の月明かりだけで不時着できたのは奇跡としか云いようがなかった。住民の協力や、浜松海軍基地などの機転で、予定よりわずか8時間の遅延だけで東京・調布飛行場の到着し、復命する。
実は、連合軍進駐に指定された厚木基地は、最大最強の徹底抗戦派が占拠していた。皇族を先頭に立てて必死の説得を行いようやく鎮圧退去させたが、飛行場の建造物は荒廃し、滑走路には嫌がらせの障害物が並べられていた。台風襲来が幸いし48時間の順延という譲歩があったものの、要求通り先遣隊を受け入れることができたのも奇跡的だった。
著者の岡部英一は、不時着地の地元静岡の郷土史家。
緑十字機に携わった人たちが真の戦争終結に向けて、気力と最後の力を尽くしたという事実と歴史的意義を後世に伝えていきたいとの一念、執念の調査や証言の発掘に尽力してきた。
本書の前半は、客観的な事実だけを時系列的に記述したもの。それがはからずも緊迫に包まれたこのミッションの息詰まるドラマになっている。
後半は、不時着に至った燃料切れの謎解きに挑む。搭乗者の誰かがトリックを仕掛けたものという疑いがどうしても残るからだ。搭乗員のなかに一人だけ氏名が明らかになっていない整備士がいる。副機長は「それは言えません。墓まで持っていく約束です」と証言を拒んだという。
二番機の故障にも謎が残る。著者は、陸軍と海軍との相互不信のなかで、軍使のなかの中堅士官を排除するためだったことが疑われるという。河辺中将らがマニラから伊江島に帰還し、「国体護持」要求がまったく相手にされなかったと知った彼らが一瞬気色ばんだ表情を見せたという。
敗戦国日本が粛々と停戦し、整然と保たれた社会的・政治的秩序を示し得たことが、どれだけマッカーサー以下GHQの好意的心象を引き出したかは想像に難くない。
緑十字機の奇跡の飛行には、軍使、搭乗員以下、不時着に偶然居合わせることになる磐田の市民に至るまで多くの人々が携わっている。本書からは、そうした人々ひとりひとりの顔が見えてくる。
感謝と感動の気持ちが抑えられない。
緑十字機 決死の飛行
岡部英一 (著)
静岡新聞社
日本人の目に焼き付いている敗戦の映像というと、8月15日の玉音放送、8月30日連合軍最高司令官マッカーサーの厚木到着、それに9月2日の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印という3つぐらいしか語られない。
特に8月15日は、「日本のいちばん長い日」として終戦記念日となっている。
事実、正午の玉音放送以後、軍部中央は「聖断ニ従テ行動ス」と降伏への抵抗を止め、最後の陸軍大将阿南惟幾ほか何人もの軍人がその数日以内に次々と自死を遂げている。
しかし、これで徹底抗戦派が一掃されたわけではなかった。
全国各地の軍事基地では、終戦の翌日から復員が始まり、すでに閑散とし始めていた一方で、あくまでも本土決戦を期する将校士官と残留要員が多く残存していて、一触即発の空気で張り詰めていた。
そうしたなかで、マニラのマッカーサー司令部から、「降伏軍使」の派遣を求めてくる。
降伏文書、降伏の天皇詔書の英文原案を受領し、調印式やGHQの設置の日程調整の協議が、軍使派遣の目的となる。それは軍人にとっては有無を云わせぬ屈辱の敗戦処理そのもの。誰もが引き受けたがらないのは、それだけではない。軍使派遣で敗戦を決定づけることを阻止しようという気配もあったし、協議の結果によって天皇の戦争責任が問われようなことになれば、生きて日本に帰れない。
「緑十字機」とは、その軍使を運ぶ機体のこと。
連合軍の指示により、機体が白く塗られ、緑十字が描かれていた。連合軍からの攻撃を防ぐためだが、目立つ機体はむしろ徹底抗戦派の友軍機から捕捉され迎撃される恐れがあった。機体は、航続距離が十分にある一式陸攻が選ばれた。徹夜で機体の塗装と整備が進められた。
搭乗員もにわか編成。主操縦士こそベテラン中のベテランが指名されたが、万全を期して整備員を優先して編成され、二番機には副操縦士はいない。出発ぎりぎりまで目的は秘匿され、顔なじみのいない隊員同士、誰もが互いに相手の本心はわからない。
全権軍使は、最後の参謀部次長・河辺虎史郎が。参謀総長の梅津美治郎(A級戦犯、終身刑で獄中死)が固辞したからだ。河辺はもともと戦争不拡大を唱え陸軍主流を外されていた。戦争末期になって呼び戻されて、屈辱の降伏軍使を拝命した。生きて帰れぬ覚悟もあったが、何かあれば戦闘再開も軍政も辞さぬ構えでいた米軍の不信を呼ぶ。正式な降伏まで長引けばソ連が北海道になだれ込み、日本の分割統治もあり得た。
その一行が協議を終え、降伏文書や詔書などの書類を携え帰路につくなかで予想もつかぬ困難に直面する。
中継地/沖縄伊江島で緑十字機に乗り換える際に二番機が事故で損傷する。やむなく一番機のみで夜間飛行を強行、帰路につく。その一番機は、原因不明の燃料切れを起こして、エンジン停止。
静岡県磐田の海岸に深夜の月明かりだけで不時着できたのは奇跡としか云いようがなかった。住民の協力や、浜松海軍基地などの機転で、予定よりわずか8時間の遅延だけで東京・調布飛行場の到着し、復命する。
実は、連合軍進駐に指定された厚木基地は、最大最強の徹底抗戦派が占拠していた。皇族を先頭に立てて必死の説得を行いようやく鎮圧退去させたが、飛行場の建造物は荒廃し、滑走路には嫌がらせの障害物が並べられていた。台風襲来が幸いし48時間の順延という譲歩があったものの、要求通り先遣隊を受け入れることができたのも奇跡的だった。
著者の岡部英一は、不時着地の地元静岡の郷土史家。
緑十字機に携わった人たちが真の戦争終結に向けて、気力と最後の力を尽くしたという事実と歴史的意義を後世に伝えていきたいとの一念、執念の調査や証言の発掘に尽力してきた。
本書の前半は、客観的な事実だけを時系列的に記述したもの。それがはからずも緊迫に包まれたこのミッションの息詰まるドラマになっている。
後半は、不時着に至った燃料切れの謎解きに挑む。搭乗者の誰かがトリックを仕掛けたものという疑いがどうしても残るからだ。搭乗員のなかに一人だけ氏名が明らかになっていない整備士がいる。副機長は「それは言えません。墓まで持っていく約束です」と証言を拒んだという。
二番機の故障にも謎が残る。著者は、陸軍と海軍との相互不信のなかで、軍使のなかの中堅士官を排除するためだったことが疑われるという。河辺中将らがマニラから伊江島に帰還し、「国体護持」要求がまったく相手にされなかったと知った彼らが一瞬気色ばんだ表情を見せたという。
敗戦国日本が粛々と停戦し、整然と保たれた社会的・政治的秩序を示し得たことが、どれだけマッカーサー以下GHQの好意的心象を引き出したかは想像に難くない。
緑十字機の奇跡の飛行には、軍使、搭乗員以下、不時着に偶然居合わせることになる磐田の市民に至るまで多くの人々が携わっている。本書からは、そうした人々ひとりひとりの顔が見えてくる。
感謝と感動の気持ちが抑えられない。
緑十字機 決死の飛行
岡部英一 (著)
静岡新聞社
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