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「第七師団と戦争の時代」(渡辺 浩平 著)読了 [読書]

第七師団とは、北海道に置かれた常備師団のこと。

その歴史は、そのまま近現代日本の北方の守り、日露の確執の歴史そのもの。

そもそも第七師団は、内地のそれとは成り立ちが違う。

内地の軍隊は、各地で徴兵されて編成された国民軍。一方、人口寡少の北海道にはそのような兵力は存在しなかった。だから、治安警備と開拓とを兼ねて屯田兵制度が出来た。その多くは、奥羽越列藩を中心に各地から入植してきた食い詰め士族だった。いわば開拓民自警の軍隊であり、寡兵とはいえ士族としての誇りも高かった。それが第七師団の母体となる。

北辺は、新開地であると同時に、ロシアと国境を接していた。「ロシアの南進という夢魔」に苛まれてきた明治以来の日本防衛を担うということでも、常に日本国土の守備の最前線にいた北鎮の軍隊であった。

その戦歴は、屯田兵としての西南戦争から始まり、日露戦争の旅順攻略戦、奉天会戦、シベリア出兵、ノモンハン事件…と、戦争の時代のほとんどの戦役に参加しているが、他の軍隊が中国本土や南方への侵略に駆り出されていた間は静謐を保ち続けている。8月15日で日本軍が武装解除し復員が始まってからが、北方方面軍の死闘の始まりとなる。9月2日の降伏文書調印後にようやくロシアの軍事侵攻が止まる。それが第七師団の歴史の終焉――まさに最後の帝国陸軍。

占守島の守備隊の抗戦は、北海道占領の危機を救ったとも言われるが、ソ連軍の攻勢が遅れたのは侵攻開始時に兵力の大部分が満州に注力されていたため。逆に、もし、関東軍・満州国軍があのようにあっけなく壊滅・潰走しなければ、あるいは米軍がアリューシャンから進駐しさえすれば、今日の北方領土問題は存在せず日露の国境はもっとずっと違った様相となっていたかもしれない。南樺太も千島列島も、カイロ宣言が言うような『第一次世界大戦後に武力で奪った土地』ではないからだ。

著者は、立命館大・都立大で学んだ中国の専門家。企業で北京・上海駐在という現地経験を経て、現在は北海道大学教授。そういう中国現代史の知見と北海道在住という地の利が本書に活かされている。

東京中心の正規資料ではなく、そのほとんどが、北海道現地で収拾された資料、証言、遺構であり、それは、まさに地を這う道民の視点から見た日露の歴史。忘れかけている北方領土問題など北辺の現代史の深層について認識を改めることも多い。

しかも、まるで大河ドラマを観るように面白い。



第七師団と戦争の時代.jpg


第七師団と戦争の時代
帝国日本の北の記憶
渡辺 浩平 (著)

白水社
2021年8月25日 新刊
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