荒川放水路 通水100周年 [自転車散策・紀行]
ここのところ、今月末の仲間との自転車ツアーに備えて、朝練と称して早朝の散策をしています。今朝は久しぶりに荒川下流に向けて往復20㎞・1時間のコース。
今の荒川が、人工のものだと知っているひとは少ないと思います。
私が子供の頃は、「荒川放水路」と呼ばれていました。
今年は、その今の荒川、すなわち「荒川放水路」に注水されて100年。荒川と隅田川の分岐点にある岩淵水門が、ちょうど100年前の大正13年(1924年)に竣工した。この10月がその100周年になるというわけです。
荒川は、秩父山系を源とする荒川水系の本流。その下流が隅田川。関東平野は、この荒川と群馬県三国山脈を水源とする利根川とのふたつの大水系が形成した広大な平野で、この暴れ川がともに東京湾に注いでいた。江戸時代から、その川を付け替える工事が進められてきて、現代のような姿になりました。
その最後の大工事が、荒川放水路という人工河川の開削工事でした。
そのきっかけとなったのは、明治43年(1910年)の大水害。その年8月5日から続いた長雨に、11日の房総半島をかすめた台風と14日に山梨・群馬を抜けた台風に襲われ、荒川(隅田川)、利根川、多摩川などが軒並み氾濫。死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生した。
政府は根本的な首都の水害対策に迫られ、荒川放水路の建設を決定する。以来、17年を要する難工事となりました。
「荒川放水路」が正式に荒川の本流とされたのが、昭和40年(1965年)。それにともない、岩淵水門から分かれた旧荒川全体が「隅田川」となったというわけです。
以来、「荒川放水路」という言葉は死語となりました。
今の荒川が、人工のものだと知っているひとは少ないと思います。
私が子供の頃は、「荒川放水路」と呼ばれていました。
今年は、その今の荒川、すなわち「荒川放水路」に注水されて100年。荒川と隅田川の分岐点にある岩淵水門が、ちょうど100年前の大正13年(1924年)に竣工した。この10月がその100周年になるというわけです。
荒川は、秩父山系を源とする荒川水系の本流。その下流が隅田川。関東平野は、この荒川と群馬県三国山脈を水源とする利根川とのふたつの大水系が形成した広大な平野で、この暴れ川がともに東京湾に注いでいた。江戸時代から、その川を付け替える工事が進められてきて、現代のような姿になりました。
その最後の大工事が、荒川放水路という人工河川の開削工事でした。
そのきっかけとなったのは、明治43年(1910年)の大水害。その年8月5日から続いた長雨に、11日の房総半島をかすめた台風と14日に山梨・群馬を抜けた台風に襲われ、荒川(隅田川)、利根川、多摩川などが軒並み氾濫。死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生した。
政府は根本的な首都の水害対策に迫られ、荒川放水路の建設を決定する。以来、17年を要する難工事となりました。
「荒川放水路」が正式に荒川の本流とされたのが、昭和40年(1965年)。それにともない、岩淵水門から分かれた旧荒川全体が「隅田川」となったというわけです。
以来、「荒川放水路」という言葉は死語となりました。
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