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『都鄙大乱 「源平合戦」の真実』(高橋昌明 著)読了 [読書]

源平合戦ほど長く国民的に親しまれてきた歴史物語は他にないだろう。歴史観から果ては社会倫理や人生哲学に至るまで、日本人の心象、伝統文化、精神に与えてきた影響は計り知れない。

内乱は源平の闘いという形をとりながら、そのじつ、体制の矛盾によって引き起こされた全社会をまきこんだ内戦というものだった。

頼朝の決起は、確かに平家に追い詰められてのせっぱつまってのものだったが、虎口を脱して勢いを取り戻した頼朝は、こうした内乱の敵味方の対立を巧みに利用した。つまりは、平家や院政中央に敵対する側を味方につけていったというに過ぎない。

東国の反乱は確かに源氏だが、九州ではそうではない。源氏か平氏かということは、内乱の敵味方を分ける要因ではなかったという。現に、頼朝のもとに結集した関東の家人たちのほとんどは桓武平氏の末裔だったという。

院政の内輪で孤立化していた平家を追い落とし、武力のマジョリティを抑えた頼朝は鎌倉にあって京とは適度に距離を保ちながら、まず、中央政府から地方の管理統制の権限のみをまず奪っていく。武家の棟梁とは、つまりは、警察権と司法権の主権者というわけであって、必ずしも王権を中心とした形式的な体制の価値観そのものは否定しなかったというわけなのだろう。

本書は、源平の闘いの実相が都鄙を問わず国全体を混沌に陥れ生産流通を停滞荒廃させ、多数いの死者を出した苛烈な内乱状態だったことを、同時代の史料を懇切丁寧に読み解いていく。それが国のあり方を根本から変えていく時代の画期であるとともに、その混沌に翻弄される民衆の犠牲も甚大だったということも明らかにしていく。

もちろん、合戦の数々についても時代史料に基づいて、仔細に分析している。例えば、「『一ノ谷合戦』は、実はこうだった」的な話しも面白い。木曽義仲は、木曽谷が出自というよりは、今の佐久市など長野県東部から山梨、群馬、埼玉など関東北西部の豪族を糾合した勢力だったという。大飢饉が京の都をせい惨な飢餓に陥れたが、それは自然災害による凶作のせいというよりは内乱による物流の停滞断絶によるものだったという分析には目からウロコ。

学術研究の集大成としての重みのある読み応えもあって、なおかつ、一般読者にとっても読みやすいように配慮されている。歴史解説書として見ても、俗書とは一線を画す本格的なもので、読んでも面白い。


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都鄙大乱 「源平合戦」の真実
高橋 昌明 (著)
岩波書店
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リビングオーディオとマジコ、そして…(M氏邸訪問記) [オーディオ]

Mさんのところを訪問するのはほんとうに久しぶりでした。 今回の訪問は、新たに導入したマジコ(MAGICO S1 Mk2)をきっかけに再構築した新システムのお披露目。 スピーカーの導入は、コロナ感染拡大の前のことでした。それが2年越しのプロジェクトとなったのは、もちろんコロナ禍の影響もありますが、何と言ってもスピーカーケーブルにラダーケーブル、足元にウェルデルタ、そして、そのウェルデルタに合わせてチタンスパイクを導入したことでした。 IMG_1939mask_1.jpg Mさんは都心のマンション住まい。ご家族との共用スペースであるリビングの一角に、都会的な洗練されたシステムをセットされています。もとの家主はグランドピアノを置いていたそうで防音は十分。 IMG_1942_1.JPG システムは一新されスピーカーこそトールボーイのフロア型になりましたが、以前と変わらぬコンパクトでスタイリッシュな洗練されたシステム。アンプはアリオンA-10の1台のみ。上流もエソテリック(ESOTERIC K-01Xs)のみという潔いシンプルさ。ここにさりげなくTechnicsのSL-1500Cが加わって、これからのアナログへの展開を狙うというもの。 Mさんとは出水電器の試聴会で知り合って以来で長いつき合いですが、相互訪問ということでは間遠になっていました。スピーカー新調をきっかけに、私のラダーケーブルやウェルフロート導入の記事に興味を持たれ、私の家に再訪されたのが今回の始まりでした。それはまたウェルデルタが発売されるという絶好のタイミング。 IMG_1941mask_1.jpg Mさんが最初にマジコを導入した時の印象は… ■密閉型とバスレフの低音の違いもあるのかなんだか線が細い ■鳴らし込んでいくと「やっぱりいい」とということになり、これからが楽しみ というものだったそうです。 さらに、ラダーケーブルを導入。余計な色付けを排して音楽の純度を上げてくれるという方向性をはっきりと感じとり、ウェルフロート(デルタ)も同じ方向性を持つということでその導入検討に入ります。 ご友人からウェルデルタを貸してもらって試聴したところで、すぐに購入を決心されたとか。ウェルデルタの1番の効果は「余計な付帯音をカットしてくれる」ということ。その時の印象は… ■其々の音像が締まって定位がはっきりすると共に間の空間を感じられる ■今まで埋もれていた音がハッキリ聞こえてくる ■ヴォーカルやソロの後ろで、バッキングの楽器がどんなことをやっているかよく分かる ■飽和感を感じていた音源がスッキリと聴こえる ■音楽の精細さの度合いが上がる IMG_1944_1.JPG Mさんは、ご自身、ギターを弾くことを趣味とされていますが、弦を弾いた時の質感がリアルで、ギターが鳴っているのではなく、弦が揺れているのが感じられるようになった曲があって驚かれたとのことです。 反面、例えばブルースなど少し上品になり過ぎると感じる人がいるかもしれないとのことでした。こういったことは、機器の分解能とレスポンスが上がり、また、特にSNが上がると感じられることなんだと思います。 発売間もない頃でしたので納品までは時間がかかったようです。実際に納入されてみても、マジコのスパイクではサイズが合わずスパイク受けを介しての試聴でした。どうしてもスパイク直刺しにしてみたいとの気持ちも強まります。そのためには直刺しが可能になるように、スパイクを特注する必要がありました。私がチタンを勧めたことで、チタン製のスパイクを特注することになりました。 チタンスパイクの製作は、加工業者とのやり取りもあって完成までには思いのほか日時を要したそうです。そこに感染症拡大も重なりました。しかし、セットアップした直後の感想は、まさに、これがチタンの音だという期待通りのものだったそうです。それはひと言で言えば、高解像度とハイスピード。驚きの効果ですが、同時に線が細すぎるとか、リアル過ぎてかえって人工的だとの印象に戸惑うことも。ここは私にもよくわかるような気がします。機器のエージングということもあるし、従来の音に慣れていた耳が目覚めていくまでには、しばらく聴き込むことが必要。奇しくもマジコ導入と同じようなファーストインプレッションを持たれたということが、そのことを示しているのだと思います。 さて… 実際にお伺いして聴かせていただくと、上述の印象はまったくその通りだと思いました。 Mさんは、私とはジャンルが違っていて、それだけに私にとっては異分野ソフトを教えてくれる先生のおひとりです。 IMG_1925trm_1.jpg (sensuous コーネリアス/小山田圭吾) そのことは、こういうオーディオデモで知られるソフトでも同じ。音像の締まり、クリアネス、定位、空間、あるいは密度の高い音の分解能。こうやって聴かせていただくと、マジコの美質とウェルデルタの相乗効果で、相性は抜群。 IMG_1928_1.JPG (Lagrimas Mexicanas) ラテンの楽天的で快活な雰囲気はそのままに、音楽としてはちょっと知的な雰囲気できかせてくれるところもあって、懸念されるような生々しさに欠けるというようなことは感じません。 こういうラテン系のソフトは神楽坂の大洋レコードでみつけるそうです。コロナ禍で散策の徒歩圏が拡がったのだとか。 IMG_1931_1_1.JPG (トゥリーナ、ロドリーゴ、ファリャとその周辺) そうした美質は、クラシックギター系でも同じ。繊細さとともに音色の表現力にも優れています。SNの高さ、付帯音の無さ、ということの証しでしょう。 (Live at the Village Vanguard) Mさんはけっこうウッドベース・フリークでもあって、これまでもいくつかソフトを教えていただいたことがあります。ライブ空間の生々しさのなかで躍動するベース。決して無理して持ち上げていない密閉型でびくとも鳴かないキャビネットの締まったハイスピードの低域が体格の大きなウッドベースの魅力を引き出しています。 IMG_1937trm_1.jpg (光と影 泉谷しげる) 芸術ならぬ“フォークロックは爆発だぁ!”的なファンキーな魅力。それが一見、冷静謹厳な面構えから盛大に発せられることの意外性…それもマジコの魅力。 Mさんは、まだ音がスピーカーに貼り付き気味だと気にしていました。録音がそういうものだからだと思いましたが、翌日、某氏邸で同じソフトを聴かせていただくと確かにそういうところが残っているようです。信号ケーブルの詰めや機器類のいっそうの振動対策などをさらに進める余地はあるようで、それもまたこれからの楽しみです。 システム機器のひとつひとつにMさんの愛着が感じられ、それぞれが楽しそうにその愛情に応えながらアンサンブルを奏でているというところにMさんらしさが感じられてとても嬉しく感じます。 懇親会は、神保町の路地の奥まった焼き鳥屋。お互いに家族が鳥が苦手ということで、家飲みが続いたこの2年、焼き鳥屋さんそのものも久しぶり。オーディオ談義のみならず身辺の世間話にも大いに話しが弾んで楽しいオフ会の一日でした。

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あの素晴らしい愛をもう一度 (ニッキー邸訪問記) [オーディオ]

ニッキーさんのお宅を訪問するのはまる2年ぶり。コロナ禍で完全に断絶されてしまいました。新規感染者数が減少している今の機会にと足を運びました。今回もいたちょうさんとご一緒です。

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前回は、テクニクスのSL-1000RとモニターオーディオのスピーカーPL-300Ⅱのお披露目でした。今回の目玉は何と言っても、SoulnoteのプリアンプP-3とCDプレーヤーS-3の導入。すでに導入されていたフォノイコライザーアンプE-2とともに、Soulnoteのハイエンド機がずらりと並ぶラックは壮観です。

さっそくお披露目試聴です。

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いたちょうさんが、次々と女性ボーカルを中心にかけていきます。「う~ん、やっぱりこれはいい録音だなぁ」と唸っておられます。その後ろで聴いていた私は少々心おだやかではありません。実は、このCD、我が家では気持ちよく滑らかに鳴ってくれないのでヤキモキしていたからです。インストルメントのキレとボーカルの滑らかさがほどよくバランスしている。そこがうらやましい。

私のリファレンスであるパッヘルベルのカノン。

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一聴して…びっくりするやら、嬉しいやら。三声部のカノンがホールトーンの響きとよく融合しながら左、中央、右と気持ちよく定位します。右手の通奏低音のバスも品良く響く。押し過ぎず、痩せず、ふっくらと柔らかく、しかも存在感のある低音。左右の定位感とふわっと拡がるアコースティックの心地よさ。一発でここまで鳴らしている方はなかなかいないでしょう。

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一見したところでは、スピーカーの風景は変わっていませんが、あえて問い詰めてみるとスピーカーのセッティングはずいぶんと細かく弄ったとのこと。そうでしょうねぇ、この完成度はなかなかのもので、機器の入れ換えだけでは一朝一夕に実現できるものではないと思いました。

こうなると、ベルウッドのレファレンス・シリーズが始まってしまいます。

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こちらもボーカルが奥に引っ込んでしまいがちですが、気持ちよく前へ出てくる。取り囲むようなストリングオーケストラの響きや音色もとても品位が高い。関所のひとつである、バスのピッチカートもとてもバランス良く響きます。チェロとバスのメロディラインの分離もよく質感もリアル。こういう低域の品位の高さは、もしかしてモニターオーディオとの相性抜群ということなのかもしれません。

改めて見渡してみると、セッティングはとてもさっぱりとなりました。

なるほど、ご本人が豪語するだけあって、その“シンプル・イズ・ベスト”はかなり徹底しています。すぐに目につくのは音響パネルが無くなっていること。確かあのパネルは一戸建て時代からあったはずですから、それを一掃してしまったのはちょっとした事件です。

ある程度予測していたのは、アイソレーショントランスの撤廃。

というのも、Soulnoteは電源が半端ない。プリアンプといってもP-3では左右独立のトロイダルトランス2台など総計600VAだし、フォノアンプのE-2でさえ400VA。MRIなどの医療機器の開発に携わったというベテランオーディオマニアの話しを人づてに聞いたところでは、アイソレーショントランスは、オーディオ機器内蔵のトランス容量の8倍ぐらいなければデメリットが大きいのだとか。ニッキーさんが、たかだか0.2KVAのトランスではお門違いだと見切ったのはとても理に適っています。

他にもいろいろあるようですが、とにかく機器のポテンシャルが各段に上がると、こういうアクセサリーの徹底した再吟味も必要です。無い方がよいというものが次から次へと出てくるのは、まさに機器のポテンシャルの高さの証しだともいえます。

アナログLPも聴かせていただきました。

前回までは、必ずしもプレーヤーやフォノアンプなどの入れ換えの成果を感じにくいところがあったのですが、今回は様相一変。リベンジ成就です。やはりプリアンプを入れ換えた成果ではないでしょうか。

印象的だったのは、SL-1200G+AUDIO-TECHNICA VM750SH。VM型ってこんなに音が良かったっけと感服してしまいました。失礼ながら、これがメインで十分なのではないでしょうか。音質も、聞き耳を立てればわずかにナローですが、バランスはとてもよい。トレースもとても安定している。

メインのSL-1000R+AT-ART9のほうに戻し、ちょっとだけ針圧を微調整。そういうこともダブルシステムの競い合わせのメリットだと思います。これでクラシック系もじっくりと聴かせていただきました。


またまた、参りました。

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我が家ではいまいちと感じていたディスクです。デジタルリマスターのCDの方がずっと良い音だと感じてきた録音です。かけていただくと、またまた、こんなに良い音だったけ?とタジタジ。後日、我が家で聴き直してほっとはしましたが、一聴したときには、過去のイメージを一新させるような再生だとさえ感じたのです。

実は、このディスクを持参したのは、もしかするとEQカーブが違うのかもしれないと思っていたからです。E-2なら、EQカーブの違いを試してみることができます。

このディスクは、DECCAですが西ドイツ・プレス盤。中古レコード店でみつけて喜び勇んで買ったものでしたが、あるベテラン氏に、同じオリジナルのデッカでも西ドイツデッカは音が悪いとくさされて、がっくり。確かに、ちょっと音がぼけています。録音年代からすればEQカーブはRIAAのはずですが、もしかしたらffrrかもしれないと思っていたものです。

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E-2には、各レーベルの年代別のカーブ一覧が取説の別冊としてついているそうで、見せてもらうと…、CCIRの可能性があるようです。CCIRは、テープ録音の規格で米国のNABに対応する欧州規格としてよく耳にしますがレコードのEQカーブにもあったのでしょうか。そんなこともあるとは知りませんでした。それにしても、この一覧表の詳しさには感服しました。

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いざ、聴いてみると…

確かに、CCIRにするとRIAAでは地味だった音調がぐっとハイファイ調になります。ただ、CDを聴き慣れた耳には若干ハイ上がりにも聞こえます。ディスクには、“Telefunken-Decca”ともあるのでTelefunkenも試してみましたが、こちらはかなりドンシャリになりました。こういう旧EQカーブと現代標準カーブと即座に切り換え可能。面白い体験で、やはりE-2にはそういう楽しさがあります。

ここまでSoulnoteでそろえると、パワーアンプが気になってきます。「どう思いますか?」と聞かれたので、「正直言ってここまでの音がするとは思わなかった。このままでもいいんじゃない?」と率直に申し上げました。音はブランドの見てくれとは違うのです。

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実は、ONKYO M-5000Rは、以前のバイアンプ接続ではなくてBTL接続に変更しているとのこと。それもアンバランスを内部回路で位相反転させるとかの「なんちゃってBTL」ではなくて、P-3の純正バランス出力からそのままXLRで接続してのBTL。つまり、プレーヤーからプリ~パワー~スピーカーまで全段ディファレンシャル伝送増幅が実現している。さすが、硬派ONKYOの最後を飾るパワーアンプ。だからこれだけのクォリティだったのかと改めて見直した次第。ニッキーさんのソウルノウト魂も筋金入りだし、オンキヨー教も決して転んでいるわけではない。

何にしても目出度い。
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鈴木優人プロデュース/月に憑かれたピエロ (読響アンサンブル・シリーズ) [コンサート]

このところ、鍵盤演奏や指揮もこなし、古楽からロマン派まで幅広いレパートリーを縦横無尽、八面六臂の活躍ぶりの鈴木優人だが、その面目躍如ともいうべきアンサンブルコンサート。

もちろん、メインで注目は、後半の「ピエロ・リュネール」。

ちょっと昔の話しだけれど、3人に2人が、読んでもいない本を読んだと偽っているという調査結果が英国であったそうだ。

それによると、読んだとウソをつくベスト3は、

ジョージ・オーウェル「1984」
トルストイ「戦争と平和」
ジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」

クラシック音楽では、見栄を張るとしたらシェーンベルグは筆頭候補かもしれない。

曲で言えば、この「月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール)」。新ウィーン楽派といえども「浄夜」など濃厚なロマンチシズムな曲ならともかく、十二音技法を確立してからの曲は聴きづらい。それでも聞き流す分には鑑賞したふりもできるが、この曲は全体が3部21曲と長いし、シュプレヒシュティンメという聞き流すにはあまりに耳障りな要素が加わっている。それでも、長い間、一度でも生の演奏を聴いてみたいと思い続けてきた曲のひとつでした。

前半は、鈴木優人ならではのプロデュース。

ダウランドの「涙のパヴァーヌ」も、ヴィヴァルディによる「ラ・フォリア」も、オスティナート・バス上での変奏が延々と取り憑かれたように繰り返す「狂気」の音楽。つまりは、前半は後半の伏線というわけ。

デュティユーの「引用(“Citations”)が、この日の圧巻だったかもしれない。既存の作品の引用なのだそうだが、初めて聴いたのでその痕跡は感知できないが、オーボエとチェンバロ、コントラバス、打楽器という編成が、旅芸人的ミニマルなもので、そういうところが伏線なのだろう。第1曲での、憑依した巫女のような金子亜未のオーボエ。重音奏法などコンテンポラリーな技巧がふんだんで見事な巫女ぶり。第2曲では鈴木のチェンバロに続く金子泰士のパーカッションが凄みを見せ、第3曲ではコントラバスの大槻健がフラジオレット奏法を駆使して複雑なリズムとハーモニーでこの楽器の多彩な面相を遺憾なく発揮。これだけ聴いても、読響はスゴイ!と思う。

これですっかり、後半への心の準備が整ったというわけだ。

メインの「月に憑かれたピエロ」は、ほんとうに完成度が高かった。語りの日本語字幕の電光掲示が準備されているのは有り難いし、ステージ背景には、青い月の遠景がシンボリックに映し出されている。これが、曲の進行とともに肥大化していき黄色味を帯びていく。曲のクライマックスである第2部の「赤いミサ」「絞首台の歌」あたりでは血の色のように真っ赤に染まる。やがて、狂気は哀しみと孤独に静まるように再び青く縮小していく…。シンメトリックな全体構成に合わせたうまい演出になっている。

語りは、左手に立っていて中央の指揮者と視覚的に被らず、決して歌手と伴奏というロマン派的リートの伝統にこだわらない。あくまでもアンサンブルの一員という位置づけなのだろう。ステージ上には、指揮者、歌手、ピアノを含めた器楽奏者6人の合計8人が並ぶ。作曲者の指定は、フルートとピッコロ、クラリネットとバスクラリネットの持ち替えと同じように、ヴァイオリンもヴィオラと持ち替えで、本来、7名の演奏者を想定していたが、ヴァイオリンは對馬哲男、ヴィオラは冨田大輔とそれぞれが担当する。

ピアノの津田裕也がさすが。先日もトリオ・アコードで聴いて感心したばかりだが、シェーンベルクをかくも見事に演奏するとは思いも寄らなかった。冒頭の月の光が降り注ぐかのような情感は、まさに息を呑むほどに美しかった。

こういうプログラムの、正統にして超一級の演奏に出会えるのは、聴衆としても望外の幸せですが、一方で、演奏家としても幸せなのではないでしょうか。読響はスゴイ!と思うと同時に、団員もこのような演奏環境に恵まれて充実感を感じているに違いないと思うのです。

触発されて、ついこんなCDまで買ってしまいました。

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コパチンスカヤは、ヴァイオリニストとしてこの曲の演奏に参加しているうちに、どうしても自分で語りも担当したくなったのだとか。専門の声楽教師に教えも受け、ヴァイオリニストの余技・余興というレベルをはるかに超える。

声質は若く軽いが、それがかえって狂気に取り憑かれたピエロにうってつけ。いかにもコパチンスカヤらしい斬新で意欲的、エキサイティングな意匠が満ちあふれる。セントポール室内管との共演など、何度か公演を積み重ねて、満を持してのスタジオ・レコーディングだそうだ。



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読響アンサンブル・シリーズ
第32回 《鈴木優人/月に憑かれたピエロ》
2021年12月3日(木) 19:30~
よみうり大手町ホール
(16列 4番)

指揮、チェンバロ、プロデュース:鈴木優人○●◇
語り(シュプレヒシュティンメ):中江早希◇
ピアノ:津田裕也◇
ヴァイオリン:對馬哲男◇、外園彩香○、杉本真弓○
ヴィオラ:冨田大輔◇
チェロ:髙木慶太○◇
コントラバス:大槻健●
フルート:佐藤友美◇
オーボエ:金子亜未●
クラリネット:芳賀史徳◇
打楽器:金子泰士●

ダウランド(ファーナビー編曲):涙のパヴァーヌ ※チェンバロ・ソロ
ヴィヴァルディ:トリオ・ソナタ ニ短調 RV63「ラ・フォリア」○
デュティユー:引用 ~オーボエ、チェンバロ、コントラバス、打楽器のための~ ●

シェーンベルク:「月に憑かれたピエロ」 op.21 ◇

(アンコール)
シューベルト:「月に寄す」D.193
 中江早希(ソプラノ)、鈴木優人(ピアノ)

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ハンマー・マジック (岡山秋の音会 その3) [オーディオ]

岡山・秋の音会への遠征記の続きです。 IMG_1723_1.JPG 今回は、岡山だけではなく私にとっては久しぶりの2Hさん邸訪問です。瀬戸大橋のルートは本州四国連絡橋の中でも最短のルートですが、橋梁部は尾道・今治ルートとほぼ同じ。陸上部が短いだけにかえって豪快な眺め。 IMG_1730_1.JPG 香川県側に上陸したところで、昼食。2Hさんの案内で、さっそく評判の讃岐うどん屋さんへ。美味しかった! 2Hさんのオーディオルームは、14畳分の二間続きを合わせた大空間のオーディオ専用スペース。マジコのハイエンドスピーカーを長手方向のほぼ真ん中に据えた配置は独特の空間感覚です。機器類は、ラックを使わずすべてスピーカーの後方の平土間に展開しているというのも独特で、そういうシステムの基本は、やはり変わっていません。 まず最初は、Blu-rayによるAV再生で絢香のライブ。 IMG_1732_1.JPG はっとしたのは、ディスプレイがスピーカーよりはるか後方に置かれているのに、音の奥行き位置と映像とがまったく違和感がないことです。4年前は空間感覚があまりにも研ぎ澄まされていて、聴いていてそのテンションの高さにちょっと疲れてしまうところとか、リスポジやソフトによって音場や音像定位が極端に変わってしまうところがあったのですが、これはとてもナチュラル。音像輪郭も線ではなく前後の曲面を感じさせる自然な3D立体感です。 スピーカーは以前に比べると少しだけ前方(リスポジ側)に移動したとのこと。アンプの配置なども変更があるようです。音響パネルやフロアに敷いたモジュールマットなども無くなって、全体にシンプルになりました。電源関連も変更があったようですが詳しい説明は伺っていません。とにかくそこかしこに2Hさんの細かいこだわりがうかがい知れるのです。しかも、そういう細かい変更なのに、大幅な進境ぶりなのです。 とにかくステージ全体の奥行き感(Ensemble Depth)と個々の奥行き(Individual Depth)が半端ない。音像定位が明快で、その安定度は抜群。特に奥行きの表現が素晴らしいのです。立体感覚に無頓着なセッティングでは金魚鉢や水族館の水槽を眺めているような再生になってしまいがちで、どこかに面が生じたり屈折率の歪みようなものがあるのですが、2Hさんは部屋ごと音楽会場にワープしたかのような空間共有感があります。 その意味で、このソフトは2Hさんの独壇場という感じでした。 IMG_1746_1.JPG 雷鳴には、ほんとうにドキリとさせられました。2chのピュアオーディオにもかかわらずサラウンド・パンニングでは、ほぼ円を描きます。さすがに真後ろでは頭に近めの後ろを横に移動する感覚になりますが、これは5.1chのサラウンドでも傾向は同じだと思います。 それが、ゴムプラスチック・ハンマーでスピーカー・ベースをコツンと一撃すると、なんと音像や空間がバラバラと崩れてしまいます。これにはびっくり仰天しました。スピーカーセッティングは、まさにコンマ1ミリのフォーカス。自分のシステムも含めて、数々の平行法セッティングを体験していますが、ここまで繊細なものは初めての体験でした。ほんの少し戻すとほぼ元に戻りますが、直前までの立体フォーカスまでに戻すにはかなり時間をかけて調整する必要がありそうです。まさにマジック。とにかく驚きました。 音色や質感の向上にも目を瞠るものがありました。 Karajan.jpg カラヤンの第九リハーサルをかける2Hさん。第四楽章では、カラヤンは楽章初めの低音弦パートを執拗に繰り返させて、音の強弱やアウフタクト、アクセント、音の区切りなど、こと細かに指示を出します。その度にみるみる音楽に生気を帯びていく。2Hさんは、本番よりもこのリハーサルの方が低音の量感や質感がよく捉えられているというのです。それは、自分のシステムの低音に自信を得たからだということなのでしょうね。 helicatsさんが、この日に持ち回ってかけたハイレゾ音源。 Izutsu Kanae.jpg 残念ながら、唯一、ディスク派の2Hさん宅ではうまくセッティングができませんでした。でもCDなら持ってますよということで再生してみましたが、helicatsさんはハイレゾ再生に未練が残ったようです。面白かったのは、ハイレゾでは2曲(カナリア~500マイル)が1トラックでつながっているのに、CDでは別トラックになっていること。それで最初は、ちょっと混乱。こんなこともあるのですね。 helicatsさんのお目当ては、「500マイル」冒頭のベースのアルコ。ほんの10秒程度のところ(笑)。でもこの新譜は、井筒香奈江のボーカリズムの原点回帰みたいなところもあってなかなかの録音。このほか、スイートサウンドさんご紹介の森恵、とりさんのUruなど、さすが女性ボーカル・フリークの岡山・音会の面々らしいソフトに耳を奪われました。 モノクローム (Special Edition).jpg Uruは、かなり録音レベルが高くて音量設定に戸惑うところがありましたが、音会の皆さんのサウンドをお聴かせいただいた後で自宅で聴いてみると、拙宅システムでのこれらのソフトの再生にはちょっときつさも感じる部分もあって、まだまだだなぁと痛感させられました。 最後に、例の余興です。 IMG_1738trm_1.jpg 2Hさんは、実はEDさんと同じアイソレーショントランスをお使いです。このトランスは、Soulnoteのパワーアンプ(デジタル(PWM)パワーアンプ)だけに使っています。そこで、スイートサウンドさん持参のノイズカットトランスはCDプレーヤー(Esoteric K-01)につないで、ここだけでの有無の比較となりました。 直列カスケードほどではなく違いはわずかですが、ほぼ同じ傾向だと感じました。 Uru.jpg Uruでは特にわかりやすかったかもしれません。《有り》だと、音像が引き締まり、“よりオーディオ的になる”印象があります。一瞬、お?いいかも!とも思いますが、《無し》に戻すとと、ボーカルにわずかにピッチを変えた音声がかすかに重ねられていることがわかったり、エコーがよく聞こえるなど音楽的な情報量が多いことが感知できます。 帰りは、丸亀駅まで送っていただき、JRで帰宅の途につきました。 IMG_1767_1.JPG 初めて鉄道で渡る瀬戸大橋から観る夕景が素晴らしかった。車内は立ち客が出るほどの混雑でした。 音会の皆さん、2日間、楽しくも充実したオーディオ旅でした。大変お世話になり、ありがとうございました。 (終わり)

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シュシュシュが上がらない (岡山秋の音会 その2) [オーディオ]

久々の岡山・音会への遠征記の続きです。 前夜の反省会で盛り上がった話題が、NHKの「日本人のおなまえ」。朝ドラの番宣も兼ねてのことでしょうが、「岡山のナゾ解き」ということで岡山のことがテーマになったばかりでした。 IMG_1689_1.JPG それで、第二日は、スイートサウンドさん宅に伺う前の空き時間に吉備津彦神社に参拝してきました。とてもすがすがしい朝で、まだ早い時間なのに次々と七五三祝いの家族連れも訪れています。 IMG_1706_1.JPG その足で、吉備津神社のほうにも寄ってみましたが時間がなくて階段下の鳥居まで。すぐに駅に向かいましたが乗り遅れてしまい、ずっと徒歩で移動するはめに。おかげで、お宅に着いたのは5分遅れ。すでに皆さんがお待ちでした。 スイートサウンドさんのシステムも外見はほとんど変わらないように見えます。 シンボルマークとも言える正12面体キャビネットのスピーカーは、相も変わらず美しいスイートサウンドを部屋にまんべんなく行き渡らせてくれています。そのサウンドは、スイートといっても砂糖などの甘さとかではなく、気持ちのよい心地よさ。味付けや濃厚さ、量感とは対極で、素材のよさを引き出す優しいサウンドです。 音量の小ささも持ち味ですが、今回は少し大きめ。 そういうなかで、前回以上に音の品位が向上した印象があります。特に低音がそうで、ふっくらとしていてしっかりした音像のめりはりが増して、サウンド全体のバランスがとてもよい。その秘密は、Direttaの導入のほかDACのコンデンサーをSEコンに換装したことにあるとのこと。チャンデバもオイルコンに換装されたそうです。なるほどガッテンです。 3wayスピーカーですが、チャンネルデバイダーではハイとローに2分割し、ハイ側をミッドとツィターにネットワークで2分割させています。だからチャンデバのクロスオーバー周波数は通常の3wayのウーファーとミッドバスと同じでかなり低い。それだけコンデンサーは大きく高価なものになりますが、コンデンサの音質面での影響はより大きいということでしょう。実際に聴いてみて、大いに納得しました。 スイートサウンドさんのホスピタリティにはいつも感服させられます。奥様の手作りで作りたての柔肌の大福を淹れ立てのコーヒーでいただく。サイコーのおもてなし。加えていつものように音会プログラムのプリントを事前に準備されていて、試聴会の進行はそのプログラムのままに進みます。ファイル再生時代の試聴オフ会は、こういう心得と心遣いが必須ということなんだなぁと、私自身も大いに反省させられます。 そのプログラムは、例によって女性ボーカル中心。 Follow Me.jpg 内容は、とてもバラエティに富んでいて楽しいし、リラックス効果も抜群。伊藤君子の“Follow Me”は、私が持っているアルバムとは別バージョン。とりさんも、私の日記に触発されてよく聴くようになったそうですが、このバージョンの方だそうです。それに続けて村治佳織の「アランフェス協奏曲」というのもイキでオシャレな設定です。村治は、2回(ライブ収録DVDも入れれば3回)、この曲を収録していますが、オーディオ的にはこちらの方が断然聴き応えがあります。 Momoe Yamaguchi.jpg 山口百恵の「秋桜」は、CDリッピングとLPアナログ再生との聴き較べ。デジタルとアナログというより、マスタリングが違うかどうかの聴き較べです。それだけ両者の音質品位が接近していて違いが小さい。こうして聴き較べてみると、なるほど、マスタリングが違うのではないかという微かな疑念がわいてきます。 最後に、ここでもノイズカットトランスの実験です(笑)。 スイートサウンドさんは、このトランスを常設させています。ただし、自作DACの電源だけこれを通しています。シンプルに、ここを着け外しして有無の比較ということになりました。 比較音源は、私のリクエスト。先ずは聴かせていただいた中で、ちょっと気になった音源です。 Jun Shibata.jpg 《有り》では、音像が締まる感覚がある一方で、音場が狭く多少窮屈になるような気がします。この差はごくわずかだとは思いました。また、女性ボーカルの音像もくっきりするのですが、子音が目立ちハスキー傾向が強まるようです。こうした傾向は、最初に聴かせていただいた時から気になっていたことでした。 Yo-Yo Ma.jpg 《無し》では、空間の広がりが自然になったと感じます。気になっていた女性ボーカルが柔らかくリアルになります。ヨーヨー・マのチェロの響きも少し痩せ気味で気になっていましたが、響きに深みが出てチェロらしくなったと感じました。 面白かったのは、特に私からお願いして持参のチェックCDでの実験。 Nordost Test CD_1.jpg このテストCDのLEDR(The Listening Environment Diagnostic Recordings)トラックのの再生です。《有り》だとシュシュシュという“Chuffing”音の高さが低くなります。[12 Tone 2. Over]では、《無し》だと見事にアーチ型を描くのに《有り》では、上昇が頭打ちになってコの字型になってしまいました。 このCDは、もともとはスイートサウンドさんのリクエストで持参したものでしたが、最初に聴かせていただいた時に、全体的にどうも音の高さが出にくいと感じていたのでぜひ試してみたいと思っていたところでした。以前のスイートサウンドさん宅のサウンドは、音像定位が高くなる傾向が強かったのですが、前回(一昨年)にはこれが改善してとても自然で聴きやすい高さになったと感じたという経緯があります。今回は、音像定位の高さはそのままですが、音場の拡がりとしての高さが出てないことがちょっと気になっていたというわけです。 人間の音像定位の上下高さの認知やこのテストトラックのカラクリはよくわかりませんが、やはり高音音域の周波数特性や位相特性が関係しているのだと思います。ノイズカットトランスは、このトラックでの意図を正確には出しにくくしているのではないでしょうか。もちろん上記のノイズカットトランス有無比較の印象は、個人的な観察感想です。人の聴覚・認知、好みには違いがあるので、人それぞれです。スイートサウンドさんご自身は、気に入っておられていて、このまま使い続けてみたいとのことでした。 笑いながら「トランスどうしようか?」というスイートサウンドさんですが、せっかくだから持って行きましょうという声に押されて、2Hさんも手伝ってよいしょよいしょととりさんの車のトランクへ積み込みました。 というわけで、トランスも2Hさん宅に向かって出発です(笑)。 (続く)

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