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弦の国のクァルテット (プラジャーク・クァルテット)

プラジャーク・クァルテットは、この日本ツアーが現メンバーでの最後の演奏となるという。

1972年結成され、50年にわたって息の長い活動を続けてきた。2015年に第1ヴァイオリンが女性奏者ヤナ・ヴォナシュコーヴァに交代したが、第2ヴァイオリンのホレクも2018年に20-21年のシーズンをもって引退すると表明。チェロのカニュカも独立を表明。本来は、20年のベートーヴェン・イヤーにベートーヴェンの全曲演奏をもっていったん解散ということになっていたらしい。それがコロナ禍で1年、また1年と延期となり、今回まで延びた。ようやく実現した今回の日本ツアーが、いよいよ最後ということになったのです。

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ベートーヴェン全曲は、サルビアホールで行われる。全曲は大変なので、この「ひまわりの郷」ホール(横浜市港南区民文化センター)での公演を聴くことにしました。クァルテットはその後、京都と大阪で公演する予定。それがほんとうのさよなら公演ということになります。

1曲目の第4番が始まると、「弦の国」チェコの団体だと感得しました。

「弦の国・チェコ」というのがいつから言われていて、それがどういうものを指すのかは、本当のところよく知りません。自分自身では、アメリカの郊外地の大学キャンパスで、初めてチェコ・フィルハーモニーを聴いた時のこと。もう40年近い昔ですが、まさに「弦の国」を実感した刹那でした。

その音色は、とても暖かみがあって、まさにボヘミアの森を吹き抜ける風のように爽やか。

最近の若い団体は、ベートーヴェンをとても鋭敏で厳しい音楽にしてしまいます。切っ先鋭く切り込んでくる。それはそれで素晴らしいのですが、このプラジャークのベートーヴェンを聴くと、音楽にくつろぎがあって本当に楽しい。4番は、このジャンルに挑んだ若い頃の連作のひとつですが、すでに円熟味さえ感じます。野心満々のベートーヴェンが、プラジャークにかかると、聴き手をいかに楽しませるかという工夫に腐心し、それがうまく決まるとニンマリする、いたずら好きのエンターテイナーとさえ思えます。

そのことは次の「セリオーソ」も同じ。その作曲技法は機知に富んでいて、意外なことばかりが起こる。交代を繰り返す強弱や緩急の対比が大きく、山坂が多く起伏にも富んでいる。第3楽章も、威儀を正して草原を騎乗で駆け抜けるような爽快さとユーモアがある。そういう親しい自然との調和があって心が晴れやかになるのです。

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そのことは最後のラズモフスキーでも同じ。

進軍するような雄渾さといったような気張ったところがなくて、四人の奏者が繰り出す会話のやりとりや、機転の利いた駆け引きが、いかにも弦楽器のアンサンブルらしくよく溶け合って耳に心地よい。冒頭の強拍の和声の響きのよいこと。ヴァイオリンの単線の伸びやかさ、アクロバティックな跳躍の楽しさ、高域の美しさ。それと対比するチェロの甘やかな歌。ヴィオラやヴァイオリン低音弦の刻みの心地よさ、内声の受けやツッコミの面白さ。

ベートーヴェンが丁々発止と繰り出す音楽が、実に、柔らかく軽快かつ爽快です。音が耳にまろやかなことは、まさに弦の国のクァルテットということなんだと嬉しくなってしまいます。ドヴォルザークとかヤナーチェクといったお国ものの演奏だから…ということとは別のこと。今や懐かしささえ覚えるほどの弦楽アンサンブルの質朴な美しさと魅力そのものです。

最後の公演を、延期を重ねた末の、長途かつ長期の遠征ツアーとして聴かせてくれるのは、メンバーの皆さんが日本びいきだからこそだと思います。こんな演奏が聴けてとても幸せになりました。




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ひまわりの郷コンサート・シリーズ
プラジャーク・クァルテット
2022年5月29日(日)14:00
(2階L列-24)

プラジャーク・クァルテット
ヴァイオリン:ヤナ・ヴォナシュコーヴァ ヴラスティミル・ホレク
ヴィオラ:ヨセフ・クルソニュ
チェロ:ミハル・カニュカ

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲
 第4番ハ短調 作品18-4
 第11番ヘ短調 作品95「セリオーソ」
 
 第8番ホ短調 作品59-2「ラズモフスキー第2番」
 
(アンコール)
 第5番 作品18-5より「メヌエット」
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雅趣と躍動 (国立劇場 舞楽) [芸能]

久しぶりに国立劇場で舞楽を観ました。

久しぶりといっても、これまでは数も限られていて、しかも、武満徹の創作であったり寺社の復活公演だったりしたので、宮内庁雅楽部の正統な形での公演は初めてです。それだけに改めて長い年月をかけて磨かれてきたその伝統の雅趣と絢爛豪華な様式美に心酔う思いがして堪能しました。

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今回は、思うところがあって2階席を取りました。舞楽の様式美を楽しむには、高い位置から見下ろすほうが面白く、また、管楽も音響面だけでなく視覚的に捉えることができると考えたからです。幸い2階席の中央近くの2列目の席が確保できました。おかげでいろいろと気づくことも多く、退屈しませんでした。

舞楽は、「左方」か「右方」のいずれかに配置されて上演されます。舞人たちが左右のそれぞれから登場するというだけでなく、「左方」は中国系の[唐楽]であって「右方」は朝鮮半島系の[高麗楽]と淵源を異にしていて、左右の似たタイプの演目同士を交互に1組として番組を構成します。伴奏の管楽も、左右で異なり、雅楽ではおなじみと思っていた笙(しょう)は「左方」の唐楽にしか用いられないということに今回初めて気がつきました。

太鼓と鉦鼓は、「左方」「右方」共通ですが、左右各々に配置されて、特に巨大な太鼓(落語でおなじみのいわゆる《火焔太鼓》)は、叩く度に切っ先の矛が揺れて大迫力。なるほどこれなら録音再生時の絶対位相も峻別できるかもしれないと思ったほど。

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最初の「還城楽」は、中国西域の胡人が蛇を捕らえて喜ぶ…というもの。中央に運ばれておかれた金色の作り物の蛇を掲げ、もう一方の手には桴(ばち)を持って狂喜乱舞する。一人で舞うものですが、拍子が変則的で面白い。装束もエキゾチックで文様も色彩もど派手、これに奇怪な面相のお面までつけているので興味が尽きません。

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対する「右方」の「白浜」は四人で舞うアンサンブル。装束はいかにも平安貴族風ですが、途中で肩脱ぎになったりとこれまた退屈させません。最初のうちは四人全員が正面向きで踊りますが、途中から後ろ向きと前向きに分かれたり、それを交互に換えたり、時計回りに大輪を作って廻ったりと変化に富んでいます。伴奏もその度に曲調や拍子を換えていくので楽と舞が一体となってとても立体的。

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後半の、「喜春楽」も四人で舞います。こちらではさらに、前後の入れ違いだけではなく対面して鏡映しのように対称的に舞ったりとさらに変化に富んでいます。舞人が登場する場面の音楽は拍節感がありませんが、いざ踊り出すと、やはりダンスですから独特の規則的リズムにのってくる。そういう伴奏の様式にも次第に耳が慣れてきて、楽しさも増してきます。特に、この曲の舞人登場の序での、管楽器が少しずつ追いかけるように細かく重ねていく「退吹(おいぶき)」。拍節が無いのでフーガというよりも、演奏前のオーケストラの無秩序で騒然とした試奏に近く、開演直前の高揚感を連想させてとても面白かった。

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終曲の「納曽利」は、二人で舞う双舞。四人で舞うのも面白いのですが、二人で舞うのも、かえって軽快さと自由度が増し、対角線の動線や背中合わせなど変幻さも増すというのも面白い。装束は、一曲目と同じような武張った派手なもので、面を被るのも同じ。「左方」「右方」それぞれに対照的に同じような装束があるのも意外でした。

かつては、雅楽や舞楽の公演は、歌舞伎などに較べると今も回数も少ないのですが、ずいぶんと機会が増えてきたようです。しかも、この日は満員で入口には長蛇の列ということにも驚きました。お年寄りも若いカップルも子供を連れた家族連れも多く、お客さんも多彩。その盛況ぶりに気持ちが晴れやかになります。



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国立劇場 第90回雅楽公演 「舞楽」
2022年5月28日(土)14:00
東京・半蔵門 国立劇場 大劇場
(2階2列17番)

舞楽

左方 還城楽(げんじょうらく)
右方 白浜(ほうひん)

左方 喜春楽(きしゅんらく)
右方 納曽利(なそり)

宮内庁式部職楽部

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『生命の谺 川端康成と「特攻」』(多胡吉郎 著)読了 [読書]

「美しい日本の私」の川端康成と「特攻」というのは容易には結びつかない。

川端が、戦争末期、沖縄戦の最中に鹿児島県鹿屋の特攻出撃基地を訪れていた。同じく海軍報道班員として同道した山岡荘八が、戦後、ここでのことを能弁に語り、記念碑に揮毫までしているのとは対照的に、川端は黙して語らなかった。ノーベル賞作家の戦中の戦争協力は、触れたくない触れられたくない過去として、川端文学を論ずる文脈のうえでは無視されてきたというのが現実だった。

著者は、元NHKのプロデューサー。これまでも漱石の足跡をたどるルポ的な著書を出している。本書も同じスタイルなのだろうが、ドキュメンタリーとしては弱い。もちろん本格的な文学論ではない。川端の著作と「特攻」体験を結びつける論理もかなり強引なところがある。そのことは著者も半ば承知のうえでのこと。それでも川端文学への思い入れは強く、秀逸な文学エッセイになっている。

川端が「特攻」を書かなかったわけではない。けれども、こうした小品は他の傑作の陰に隠れてあまり表には出てこなかった。「特攻」は、反戦平和であっても国粋主義であっても強烈に政治的硝煙が立ちこめ、川端文学の透徹した感性や美意識はかき消されてしまう。しかし、川端が特攻基地で見た情景は、川端の死生観に深く暗く重い影を落とし、深い地下水脈となってそのいくつもの作品に痕跡を残しているという。その生命(いのち)の谺(こだま)は、即ち「美しい日本の私」へと昇華されていく。

『敗戦のころ』(1955)で描かれた特攻隊員の面影は、その原点となっている。

――私は特攻隊員を忘れることが出来ない。あなたはこんなところへ来てはいけないという隊員も、早く帰った方がいいという隊員もあった。出撃の直前まで武者小路氏を読んでいたり、出撃の直前に安倍先生(能成氏、当時一高校長。)によろしくとことづけたりする隊員もあった。――

ここから著者は、ひとつひとつ解明していく。早く帰れと言ったのは誰だったのか。武者小路の著書とは、死に方を諭す哲学書のことだったのか。安倍一高校長によろしくと言った東大出身の隊員とは誰か。そのメッセージにこめられた本意は何だったのか。

隊員たちは、決して「神風」による救国を信じていたわけではない。

「学鷲(予備学生出身の搭乗員)は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです…」(山岡荘八「最後の従軍」)

「…すしを喰った。あと三時間か四時間で死ぬとは思えぬ。皆元気なり。――」(搭乗員の遺書)

川端らが到着した当日、隊員のひとりからいきなり封筒を渡される。処理を託された封筒を開けてみると現金が入っていた。渡した隊員はそのまま隊列に戻り出撃していってしまう。その24歳の少尉は「…明日どうもこの体が木っ端微塵になるとは思われない」との遺書も遺している。地下壕の通信所でその最後の信号が途絶えるまで身じろぎもしなかった川端は、その後でその遺書を開いたらしい。

死の淵にいる特攻隊員たちとともに日々を重ねるなかで、いつしか川端自身も闇に迷い込み憔悴していく。予定を早めて逃げ帰るように帰還するが、その帰路の川端は顔面蒼白で歩くのもやっとだったという。5月の鹿屋の美しい自然は、そういう死の淵で燃え尽きる生命として川端の心象に焼き付いた。同時に川端自身ももはや自分が明日も生きているとは思えなかったのだという。

こうした川端の「特攻」体験の痕跡や影を、著者は執拗に戦後の川端文学からあぶり出していく。それは根拠に乏しく、いささか牽強付会とさえ思うのだけど、読み進めるうちにどんどんと引き込まれてしまう。確かに、川端文学のエロスは異様で、底知れぬ虚無があって、どこか冷静さと合理性を欠いている。その謎めいた生の深淵には「特攻」があるに違いないと思えてくる。

本書は、当然のように三島由紀夫にも触れている。いわゆる三島事件の翌年、川端も自死する。そのあっけない死から今年はちょうど50年にあたる。

ノーベル賞受賞の知らせに、三島はさっそく祝福に川端邸を訪れる。そのまま庭先での鼎談となって収録され流れた白黒のTV画像は、今でも私の目に焼き付いている。妙に熱く語る三島に対して、川端は目をぎょろぎょろさせるだけで不機嫌そうだった。川端が受賞したことで、もはや三島は自分に順番が回ることはないと嘆いたという裏話がまことしやかに流れていた。

しかし、それ以前からふたりの間には埋めがたい深い溝が生まれていたという。その亀裂をもたらしたものは、ほかでもない「特攻」だった。国粋主義的な論理にどんどんとのめり込んでいく三島が、特攻隊の基地に暮らしていてどんなお気持ちでしたかと川端に尋ねると、「――楽しかったですよ、食事がおいしくって。――」とぶっきらぼうに答えたという。

川端が寡黙で、しばしば周辺を戸惑わせたというのはよく知られている。晩年、しばしば赤く染まる落日を「なんて美しい」とつぶやいたままあたりが暗くなるまでずっと動こうとせず取り付く島もないということがしばしばあったという。鹿屋の基地でも、そういう夕焼けを見たに違いない。逗子の仕事部屋のマンションでガス自殺した日の夕刻、とりわけ夕焼けが美しかったという。

川端文学と「特攻」というまったく新しい切り口は、すこぶる斬新ではあるが、同時に心を揺すぶるものがある。川端の未亡人の手には鹿屋基地訪問時のメモが遺されていて、乱筆でいまだ誰も解読しようとしたことがないという。本書は、軍国主義とは無縁だったはずの川端文学の謎を解き明かしていくきっかけになるだろう。深い感慨とともに、そういう確かな予感を持つ。





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生命の谺(いのちのこだま) 川端康成と「特攻」
多胡吉郎 著
現代書館

タグ:川端康成
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オルフェオとエウリディーチェ (新国立劇場) [コンサート]

新国立劇場初のバロック・オペラ。

一昨年に予定されていたヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』がコロナ感染で中止となってしまい、鈴木優人の起用による古楽スタイルということもあってとても期待していました。

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けれども…

最初のシンフォニアの響きにがっかり。

ピリオド奏法といってもモダンオーケストラですから、もっと現代オペラハウスのデッドな大スペースにふさわしい響きの創出というのはあってもよいはずです。あまりにそのままで工夫がないので響きや音色がとても貧相です。せめてピットの床面をもっと上げればよいのにと思いましたが、これが限界いっぱいまで上げているかどうかはわかりません。幕が上がると多少は歌唱とのバランスが取れるのですが、それはそれで問題です。結局、演奏は単調で場面転換らしい転換もなく右から左へと流れていくだけでドラマ性は皆無。

舞台にもがっかり。ある意味で洗練されたものですが、これも現代オペラハウスにはふさわしくない固定的で二次元的な視覚美に終始するばかり。大きな舞台に皿を載せただけのステージでほかの空間はすべてムダなものになってしまう。どこかもっと小さな劇場で上演するならともかく、これでは新国立のステージも装置も何も活かされない。これなら演奏会形式のほうがよほどまし。結局、ここでもドラマ性皆無。

演出は、舞台装置から推して知るべし。皿の上でぐるぐる回るだけ。さしたる仕草や姿勢の工夫もない。葬列の痛切で重い悲しみも、冥界へ下りていく下降感も、魔界のおどろおどろしい暗黒も、エウリディーチェの再生の奇跡と輝かしさも、アモーレのユーモアも、夫婦のスリリングなやり取りも何もない。歌手の立ち位置が舞台装置(例の"ソーサー")に限定されて奥まっていてよく響かない。音楽や音響を知らない演出の悲劇です。

ダンスの単調さにもうんざり。ほとんど同じような振付の繰り返しが循環するだけで、ここでも場面転換らしい転換がない。感情の代弁や、シンフォニアやバレエ曲シーンでの視覚を楽しませるような変化に富んだアクロバットもない。次第に視覚の邪魔のようにうるさく感じて、どいてくれと言いたいくらい。

合唱は、いつもの新国立合唱団の精彩がない。もともと3人しか歌手の登場しないこのオペラの魅力は合唱にもあるはずですが、残念ながら、それが常にステージの両袖に追いやられ黒子のような衣装でただただ直立整列して歌うだけ。合唱の責任というより演出の発想の乏しさのせいでしょう。これを放置するかのような指揮者にも責任はあるのかもしれません。

歌手陣も期待はずれ。やはりここでも現代オペラハウスのエアスペースはカウンターテナーには荷が重いのでしょう。歌唱に滑らかさを欠き、起伏に乏しい。血を吐くような絶唱は期待するべくもなかったのかもしれませんが、せめてもうすこし透るような伸びやかさがほしかった。救いは、エウリディーチェのヴァルダ・ウィルソン。姿良し声良しで納得の歌唱でしたし、演技も一番しっくりしていました。

とにかく、これほどつまらないづくしの公演も珍しい。

その責任は、演出・振付・美術のすべてを引き受けた勅使河原三郎にあるのでしょう。よく言えば、一時代前のクール・ジャパンなのでしょうか。こういうシンプルでスタティックなエキゾチシズムはスノッブ好みなのかもしれませんが、あまりにも古くさい。こういう独りよがりがいつまでも持てはやされるはずもないと思います。あるいはオペラファンというのは体質が古すぎるのでしょうか。

次の『ペレアス』も『ジュリオ・チェーザレ』も何だか不安になってきました。



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新国立劇場
クリストフ・ヴィリバルト・グルック 「オルフェオとエウリディーチェ」
2022年5月19日 19:00
東京・初台 新国立劇場 オペラハウス
(1階11列19番)

【指 揮】鈴木優人
【演出・振付・美術・衣裳・照明】勅使川原三郎
【アーティスティックコラボレーター】佐東利穂子
【舞台監督】髙橋尚史

【エウリディーチェ】ヴァルダ・ウィルソン
【オルフェオ】ローレンス・ザッゾ
【アモーレ】三宅理恵

【ダンス】佐東利穂子、アレクサンドル・リアブコ、高橋慈生、佐藤静佳

【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
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海外留学へのあこがれ  竹澤勇人 (芸劇 名曲リサイタル・サロン) [コンサート]

前回1月の藤田真央に続いて若手ピアニストの竹澤勇人。

ふたりはほぼ同じ世代。藤田さんはいまや若手きっての人気ピアニスト。竹澤さんは桐朋学園音楽学部を卒業してディプロマコースに在籍中。これはいわば海外留学の準備中ということ。ご本人は、ドイツものが得意ということでドイツへの留学を予定しているとのこと。ドイツのどこが好きな町かと問われて、それはハンブルクだという。その理由は、大好きなブラームスの出身地だからだそうだ。でも留学先はベルリンを考えているとのこと。

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最初のベートーヴェンを聴くと、なるほど、とてもよい。音がくっきりしていて気持ちが良い。その音色は、私にはちょっと田部京子さんの音色を想起させる。そういえば田部さんもベルリン留学でした。留学中にミュンヘン国際コンクール入賞などをステップに大きく飛躍しています。

海外留学や海外渡航というのは、かつては背中に日の丸とか背負っているところがありました。それこそ遣唐使の時代から明治の文明開化まで、そいういう国家的な重みがあってそのことは戦前まであったのだと思います。それが違ったステージへ進化したのは、やはり小澤征爾の「音楽武者修行」だったのでしょう。海外に雄飛するという、もっと個人的私的なもの。でも、それはひとりひとりの日本人をわくわくさせるもの。国内の権威や因習を脱して自由に活躍の場を海外に求める。欧米こそ本場という憧れもありました。それはバブルがはじける時代までずっと輝いていました。今はもっと日常的で多様化していて、ずっと自由なものなのかな。竹澤さんの、手作りパスタ談義など自炊話しを聞いていてもそんな気もしてきます。

続いてショパンを二曲。

プログラムの核は、このショパン。得意なドイツものをとの迷いもあったそうですが、1時間のリサイタル・サロンということで、親しまれ演奏映えもするショパンの幻想曲二曲をまず選んだのそうです。

でも、そういう選択はどうだったのでしょうか。

ショパンはとても楽器としてのピアノのメカニズムや音色を肉体の一部として一体化したような音楽。そのことは聴き手も、意識しているといないとにかかわらず身に染みて知っている。そういう感覚的な快感は理詰めで観念的なドイツ音楽とはコンポジションが違っている。

例えば、「ジュール・ペルレ」。こぼれ落ちる真珠の玉のように均質な粒立ち…そのことが完璧なときの快感。

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《幻想即興曲》の冒頭は、とてもかっこいい。まず最初のG♯の強音。このオクターブの単音がいかによく響くか。そんな単純なことが印象を変えてしまう。続いて左手の6連符のアルペジオ。頭のオクターブとペダルでためを作って6連符に入るけれど、そのトランジッションは音符通りではなくて即興的。その6連符に右手の16分音符の速いパッセージがのる。それこそが均質な粒立ちでこそ心地よい聴感が得られる。左右両手は3と4で割り切れないのに、均質な粒立ちと、それを支えるアルペジオの和声の波が揺れながらせめぎ合う。そのトリックはドイツ的な音符音価の観念流で弾こうとすればぎくしゃくとするだけで感覚をくすぐってくれません。ショパンはおなじみなだけに、かえって聴く方は感覚的によく知っています。そこは見くびってはいけない。

最後のモンポウのヴァリエーションは、ショパンの前奏曲のおなじみのメロディの親しさと、曲の新しさで名誉はいくぶんか挽回しましたが、どこかしっくりしないもどかしさも残りました。それはやっぱりショパンの感覚的な魅力が不足していたことが尾をひいたのだと思います。

海外留学、あるいは海外経験というのは、今のグローバルな時代にあっては、かつてのように知識や論理を吸収するというよりは、そういう感覚的なことを磨くことなのかもしれません。音楽の技巧的なことというのは積み重ねですが、何をどう積み上げていくのかということはとても感覚的な理解が必要。そのことは音感、リズム感、即興感覚ということはもちろん、言語感覚や視覚、嗅覚、食感や味覚など感覚のすべてが海外での生活体験から総動員されるものなのだという気がします。

竹澤さんの海外での飛躍、今後の進化がとても楽しみです。


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芸劇ブランチコンサート 名曲リサイタル・サロン
第18回 竹澤勇人
2022年5月18日(水)11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階B列24番)

ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ WoO.57
ショパン:幻想曲 op.49

ショパン:即興曲第4番 op.66 《幻想即興曲》
モンポウ:ショパンの主題による変奏曲

(アンコール)
オーバー・ザ・レインボー

ピアノ:竹澤勇人
ナビゲーター:八塩圭子

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「現代の建築家」(井上章一 著)読了 [読書]

日本の近現代建築を彩った、20人の有名建築家をずらりと並べて論ずる建築家列伝。

大部で読み応えはありますが、もともとは建築専門誌に連載されたものなので、丹下健三など知った名前を見つけて、興の向くまま拾い読みしてもよしで、意外にあっという間に読めてしまいます。

ありきたりの評伝とか代表作説明ではなくて、例によって井上流の「いけず」が随所に炸裂。これまでの建築界内の通説や、一般化したイメージを覆すような切り口に、目からウロコの建築家論。通史ではなく、ひとりひとりを取り上げての建築家論ですが、そこには、あの「つくられた桂離宮神話」以来の、一貫した著者のこだわりもあって、そういう「筋」を感じとっていくのも、これもまた井上の建築論議の魅力なのです。

例えば…

堀口捨己

堀口は、日本における分離派運動の提唱者で伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図ったといわれる建築家。数寄屋造りを称賛し庭園や茶室建築史については権威とされた。その堀口捨己の章は、あの和辻哲郎をこっぴどくこき下ろすことから始まります。

曰く「『古寺巡礼』や『風土』などは、一種のトンデモ本」だと。和辻の『桂離宮』は「書き流し」の「キワもの的著書」であり、「ノリとハサミで名を売るジャーナリスト」にほかならないとも。…もっとも後段は、ある庭園史家の言の引用ですが。私たちの世代にとっては教科書や受験読解問題でなじんだ名著だけに、これはもう大ショック。

数頁を経てようやく堀口本人が登場する。その和辻をかばい、こき下ろしたその庭園史家をたしなめたのが堀口だったというわけです。建築史・庭園史知り尽くしていたはずの堀口は、なぜ、しろうとの和辻をかばい立てしたのか?それは岩波書店とのつながりだというのです。岩波が、当時、教養書の世界で得ていた威信、そしてその常連執筆者の選民意識はいかなるものだったか。和辻はその岩波教養主義の看板執筆者であり、一方の堀口は分離派建築会を立ち上げ、その建築図面や思想を世に問うたのは岩波の出版書を通じてだったという。「和辻先生」を悪く言うな…とたしなめたのは、堀口が岩波家の邸宅の設計に取り組んでいた時期でもあったのだとか。

切っ先の鋭利さは、単なる「いけず」にとどまりません。目からウロコだったのは、戦時色深まる時期の建築家たちの立ち居振る舞いであり、戦後の歪んだ評価のこと。

そもそも建築界は戦時のことをあまり語りたがらない。

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*写真中央が九段会館、左は菊竹請訓設計の昭和館、右は新築された九段会館テラスビル(鹿島建設)

帝室博物館(現・東京国立博物館本館)を設計した渡辺仁は、ファッショにおもねった建築家とのレッテルが貼られた。確かに瓦屋根を冠したビルは今から見れば異形で、しかも軍人会館(現・九段会館)は直裁に軍国主義を想起させて、どこか不気味だ。しかし、「日本趣味」は大正期から起こっていて、むしろ、戦時の統制経済はこうした「日本趣味」を質素倹約に反すると逆に忌避さえしたと指摘している。当時の霞ヶ関は四角四面のバラック庁舎が建ち並んでいたそうで、むしろ、こちらのほうこそが日本の国家主義建築だと井上は皮肉る。

逆にファシズムと闘ったともてはやされた前川国男のモダニズムこそ、戦時統制経済が求めた建築だという。こういう「和風」とモダニズムとの対立から歪められ、着せられた濡れ衣や、それを着せた側が掠め取った戦後利得は、他にも丹下健三など例は少なくないというのです。

建築家と施主との主客関係もこれまた歪んでいる。

「住宅は芸術である」と宣した篠原一男は、「住宅はその施主のために設計してはならない」とも言った。挑戦的にそう言い放った篠原にはむしろ「先生にいいなりになる」施主たちが群がった。時代は、個人住宅であってもコンセプチュアルなものを求めた。「理想の批評家」を求めて、ついに篠原は「批評家を兼ねる」建築家になる。そういう篠原が重宝したのは写真の効用だという。もはや、建築への教養は岩波書店ではなく建築ジャーナリズムが支える時代になった。篠原は自分のデザイン優先の部屋を住人が無残に散らかしていようと文句を言わなかったのに、写真を撮る時だけは徹底的に片付けさせたという。

施主の最たるものが国や自治体などの公共団体と言えるでしょう。国家におもねるなと言った磯崎新に井上は辛辣にあたる。そうなら、あの筑波センターこそはまさにその実例だろうと批判する。どうも磯崎は井上の趣向には沿わないらしい。そういう本音のような好き嫌いが滲み出てくるところも読んでいてクスリと笑ってしまう。

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虚言を弄し、施主をいいなりにしたのは黒川紀章も同類。そういう若い頃の黒川の見栄や虚言に満ちた饒舌ぶりを散々にとっちめています。中銀カプセルタワーの安普請ふりを暴き、当時、黒川が標榜したメタボリズムと、後年になって若返り保存を訴えた未練の滑稽さを辛辣にあげつらう。竹中工務店の設計した福岡銀行本店の名義を乗っ取ったのもむしろ福銀側の意向だったと暴いている。ここにも「先生のいいなりになる」施主がいる。施主のほうも設計者の名声、ブランドが欲しいのだ。

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そういう黒川が世界的な寵児となって以後の建築を、井上は称賛しています。黒川の虚勢は、名声を得るための方便だったのではないかというわけです。私も、若い頃の黒川の饒舌が嫌いでしたが、アムステルダムのゴッホ美術館アネックスも六本木の国立新美術館もつくづくいい建築だと思っています。裏を返せば、才能ある建築家たちも、自分を認知させるために四苦八苦している。

対照的なのは安藤忠雄。

工業高校出身で独学で一級建築士を取得。建築中の現場で、安藤に直接自分の家も建てて欲しいと声をかける施主が殺到し、下町の建築家が、あれよあれよという間に世界のTadao Andoに上り詰める。隈研吾は、その作品を見てがっかりしたそうです。下町の長屋とは名ばかりで、実のところ住人は富裕層のシティボーイで、やっぱりデザイン優先。便所にも傘をさしていく現実にいささか鼻白んだとか。それを井上は、施主の覚悟だと持ち上げる。コンクリート打ちっ放しは住環境としては劣悪だが、安藤はその表面を美的に磨き上げることに執着する。そうしたことを列挙して建築家と施主の相思相愛の事例として持ち上げる。関西人同志で気が通じ合うというのか、ウマが合うというのか、そういう安藤へのえこひいきで、井上の好き嫌いがここでもじわりと滲み出ています。

逆に、あれだけ素晴らしい外観の名作建築の数々を残した丹下健三が、最後にあの醜悪な高層の新都庁舎を遺したことをいかにも残念だという口ぶり。井上によれば、ゴシック風な擬態に満ちた高層の新都庁舎は丹下の西洋主義回帰だというのです。若い頃に、日本様式、和風の論理にこだわり前川国男を突き上げた丹下でさえも、最晩年は壮大なイタリア的な重厚長大な古典的様式美に対する憧憬を内に隠し続けることができなかった。現代の土地効率性の要求は、イタリア的な横へ拡がる意匠をバベルタワー風の威容に置換せざるを得ず、イタリア的広場は建物内部に内包させざるを得ない。そんな無理を承知の上での西洋回帰というわけです。壮年期の作品が好きでも新都庁舎にはがっかりということにも、私は共感を覚えます。

日本の近代建築史は、音楽史とも響き合う気がします。ナショナリズムとモダニズムは同じパトスの裏表なのだという気がするからです。江戸時代以来の日本の伝統は、建築物で支配権力を誇示することをしなかった。そういう市民社会中心の建築観とそれが形造った都市空間に西洋建築を導入していくのが日本の近代建築の矛盾でもあったわけです。丹下らのパトスは父権的な古典主義へのアンビバレントな愛憎に由来している…。

こうした示唆に富んだ本書は、近代社会思想史や近代芸術史など、社会科学的な視点からも読まれて良いと思ます。とにかく面白い。


現代の建築_1.jpg

井上章一 現代の建築家
井上 章一 (著)
エーディーエー・エディタ・トーキョー
(初出は同出版の建築定期誌『GA JAPAN』)
タグ:井上章一
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多段多層フローティング [オーディオ]

もともとは、ラックの足元へのウェルデルタの導入でした。
https://bellwood-3524.blog.ss-blog.jp/archive/20220205

ウェルフロートに屋上屋を架すような振動対策の効果にびっくり。その発想はHarubaruさんに教えていただいたのですが、ウェルフロートというものは2階建てがとても効果的です。そのことは私もCDPの足元にすでに導入していたことから実感していました。それでもウェルデルタの導入はいろいろとインパクトがありました。

IMG_2616_1.JPG

それで、2階建てはスピーカーの足元へと発展。
https://bellwood-3524.blog.ss-blog.jp/archive/20220224

こうした2段重ねが、アンプやオーディオPCにも効果的だということは、これも、ずいぶん以前からHarubaruさんが実証を重ねておられました。ウェルデルタの導入に味を占めて、さっそくウェルデルタのスペシャルヴァージョンであるバシリスを取り寄せて試聴を重ねてみました。

バシリス.jpg

ところが、これはうまくいきませんでした。

ラック足元のウェルデルタと同じような効果―SNが上がり解像度が増す―には確かな手応えを感じるのですが、どうしても中高域に嫌な歪みを感じてしまうのです。SNや解像度という効果にもどこかやり過ぎ=過剰感のようなものがつきまとってしまいます。

いったんはバシリスの導入は断念しましたが、二階建ての効果は確かにあるはず…ということで、バシリスではなくアルファゲルによるフローティングを試みてみました。というのは、ウェルフロートではバッテリー電源で別筐体の金田式アンプはあまりにも軽量過ぎると考えたからです。

ところが、やってみるとやはり中高域の歪みから抜けきれません。

これはどうも介在させているボードのせいだと気づきました。アンプは底板がなかったり、ネジが出ていたりでバシリスに単純に載せることができないので、ボードを介してアンプを載せていたのです。バシリスのトップボードと同じアルミ合金製のボードでいろいろ試しましたが、これがどうも良くない。金属の響きがのってしまうのです。

IMG_2608_1.JPG

そこで材質を変えて試してみることにしました。最終的には、木製、しかも柔らかい木質のスプルースが最適という結果になりました。中高域が伸びやかで艶が出てきてとてもナチュラル。同じ木製でもウォールナットなど堅いものはダメ。ピアノやヴァイオリンなどの楽器によく使われる針葉樹がよくて、無垢のスプルースが抜群に良い結果が得られたのです。一番軽くて柔らかいスプルースがかえって材質の音がのらないというのはちょっと不思議な気がします。とにかく良いものは良い。

昨年末のウェルデルタ導入を起点とすれば、半年近い時間がかかってしまいました。時間がかかったのは、いろいろな材質のサイズぴったりのボードを入手するのに時間がかかってしまったことです。特別な材質のものでもないし特に込み入った加工でもないのですがあまり業者がいないようで、試行錯誤の都度に発注依頼するので時間がかかりました。

IMG_2609_1.JPG

PC用のタワーも、同じように変更しました。

最下段に改めてウェルフロートボードを導入。一番、影響のあるroonコアPCは、サンシャイン超薄型制振シート+アルファゲル&アルミボード+アルファゲル&真鍮ボードという多段式です。PCの方はなぜか金属系でも歪みがのりませんのでしっかりと重量のあるアルミ厚板等をそのまま使用しています。

IMG_2607_1.JPG

ようやくうまくいきました。フローティングの多段多層化は効果ありです。
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「産経新聞と朝日新聞」(吉田 信行 著)読了 [読書]

標題だけ見ると、何だか右派ジャーナリズムと左派のそれとの罵り合いに思えてしまう。ところがそうではない。読んでみると、ジャーナリストの矜持が示された良書。

著者は、産経新聞の元論説委員長だから、もちろん朝日新聞や論壇左派、あるいは共産党への批判はある。産経新聞の自画自賛のようなものであることも否定できない。けれども、基本はジャーナリズムとしての矜持である。著者が改訂に関わった新しい「新聞倫理綱領」についての考察は、起草委員会の責任者であった朝日新聞・中馬清福に対する公正な評価とともに傾聴に値する。

著者の産経新聞社内での立ち位置も微妙であった。フジサンケイグループの総帥として君臨し続けた鹿内親子と反りが合わず、台湾やモスクワ、ソウルへ降格左遷されたりしている。そこで得たものが大きかった。李登輝との知己を得て、もともとは産経新聞記者の先輩だった司馬遼太郎が朝日新聞に連載していた「街道をゆく」シリーズで台湾での取材を取り持つことにもなる。ここらあたりの経緯は、国際ジャーナリズムのあり方のみならず、日中関係や台湾問題を考えるうえで、その思考に深みを与えてくれると思う。

重ねて言うが、良書である。

産経新聞が常に好戦的な保守反動のジャーナリズムではないし、それと同じ程度に、朝日新聞が筋の通った左派リベラルというわけでもない。著者の新聞人としての冷静沈着な主張や、日本新聞史の俯瞰、今の世相やそれを導いているジャーナリズムに対する警鐘は読むに値する。

それを、何かサンケイv.s.朝日のように見せるタイトルはどうかと思う。あえてそうしているのは産経新聞そのもの。そのことは、下記のような産経新聞掲載の書評でよくわかる。

「朝日新聞はなぜこうまで日本人を貶(おとし)めたいのだろうか。
…それでも朝日は〈世界の潮流の音に合わない平和の歌を虚(むな)しく歌い続けるしかない〉と著者は喝破(かっぱ)する。
…朝日内部の具体的人名を挙げ社論の変遷をたどる筆致が次第にその歴史的な罪を炙(あぶ)り出す手法に、新聞人の矜持(きょうじ)が溢(あふ)れる。」
(2020/12/17 評・門田隆将)

こういう著しく内容を歪めた書評を喜々として掲載する産経新聞は、やはり、どこか狂っている。


産経新聞と朝日新聞_1.jpg

産経新聞と朝日新聞
吉田 信行 (著)
産経新聞社
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