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ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル [コンサート]

ピリオド仕様のガダニーニとモダン仕様のストラディヴァリウスのそれぞれの名器を堪能した。

ムローヴァは、ここのところ来日のたびにこうしたピリオドとモダンの弾き分けを披露しているようだ。ピリオドは古楽の演奏、モダンは近現代、あるいは、ロマン派以降であっても同時代のオリジナル楽器で演奏する――そういう弾き分けがだんだんと浸透してきて私たちを楽しませてくれる。

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けれども、この日のムローヴァは、そこからもう一歩踏み込んだ演奏だったのだと思う。それはとてもフィジカルな挑戦であって、音楽の楽しみ、感動というものを峻厳かつ深遠に掘り下げるような演奏だった。

ピアノのビートソンも、ムローヴァの楽器に合わせてフォルテピアノとモダンのスタインウェイを弾き分ける。フォルテピアノは、1820年製作の6オクターヴ、ウィーンアクションのオリジナル。

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前半の一曲目、4番のソナタが始まると、ガダニーニとフォルテピアノの音量と音色がとても調和していて、古典的が均整美がまずひときわ胸を打つ。モダン同志のデュオだと主役の取り合いになりがちで、あるいは、その逆にピアノが遠慮して活きてこないことが多い。それが、ピリオドだと音が溶け合いすばらしいバランス。

7番は、4つの楽章の全てがピアノだけで開始される。そのことがなぜかフォルテピアノだと鮮烈に印象づけられる。これもまたピリオドならではの対等のバランスが生む効果なのだろうか。それだけでなくそれぞれの楽器の音のコントラストが引き立ってくる。剣の鋭い切っ先が切り結ぶような、あるいは、名書家の雄渾な運筆が躍動するようなベートーヴェンの勇壮なハ短調。とてもピリオド演奏とは思えない力強さがあって、しかも、音の強弱や濃淡、勢い、運びが墨書のように引き立つ。

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休憩時にはピアノが交代するが、後半の開演直前までフォルテピアノはステージ右隅に蓋を開けたままで展示されていた。ホールの粋な計らいといえる。もともとこのホールは、開演時以外は写真撮影はOK。会場係員は、ちょっと距離を置いて待機しているだけ。多くの聴衆が興味深げに楽器をのぞき込み写真に収めていた。

後半は、モダン楽器。

最初の武満ではっとさせられた。ドビュッシーの影響が濃厚な若い武満のピアニズムに続いて深々とヴィヴラートをかけた叙情味あふれるヴァイオリンが現れる。こうしたロングフレーズにムローヴァは、いかにもモダンらしいたっぷりととしたヴィヴラートをかける。モダンならではのパルシブな運弓や浮遊するようなフラジオレットと対比されて、いかにも日本的な湿り気たっぷりの叙情を込めた息の長いフレージングは鮮烈。

そこには、ピリオドとモダンの境界、混交を感じてしまう。いわば、ピリオドとモダンの奏法の汽水域のようなものだ。そのことは、続けて演奏されたペルトにも流れ込んでいく。清澄な古楽的な協和音に満ちた世界が次第に色彩を帯びてきて、魂がぶつかり合い、きしみ合うようなモダニズムの厳しい触感の世界が混じり合う。ピリオドを聴いた直後だからこそ感じ取りやすくなった、音のコラージュの美学なのかもしれない。

最後のシューベルトでは、ストラディヴァリウスの華麗な音色に覚醒される思いがした。ここに至ってフルカラーの世界で、シューベルトの歌とその技巧的なヴァリエーションの世界が艶やかに躍動する。

普通に考えるなら、シューベルトの方がピリオドになじみやすい。ムローヴァは、あえてベートーヴェンと逆転させることで、互いの美点を際立たせている。ベートーヴェンでは、表現力の幅が広いモダンだと労なくして通り過ぎてしまいがちな本質が見逃されがち。スリムで敏捷性に富むピリオド奏法で、筋肉質で贅肉のない引き締まったベートーヴェンが鮮やかだった。一方のシューベルトでは、ガット弦で得た奏法によって実にフレッシュなモダンボウの裁きで聴き手をわくわくさせてくれた。

だから、このプログラムは、ベートーヴェンとシューベルトがリバーシブル。ピリオド奏法を一段と掘り下げ、その奏法で得たものをまたモダンでの演奏にフィードバックする。聴き手にとっても、そうした奏法の交換によってフレッシュな感覚が研ぎ澄まされてくる。ピリオドが作曲と同時代の楽器での再現という、アカデミックな視点からもっと純粋で自由な音楽探求にまで踏み込んできた。

ムローヴァの進化・深化はとどまるところを知らない。




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ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル
2022年11月20日(日) 15:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階10列9番)

ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
 ガダニーニ(ガット弦)/ストラディヴァリウス「ジュールズ・フォーク」
アラスデア・ビートソン
 フォルテピアノ/ヨハン・ゲオルグ・グレーバー製作(インスブルック1820年)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op.23
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2
(ピリオド楽器)

武満徹:妖精の距離 ヴァイオリンとピアノのための
ペルト:フラトレス
シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのロンド ロ短調 D895 
(モダン楽器)

(アンコール)
ベートーヴェン:スプリング・ソナタから第二楽章
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