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進化がとまらない (バズケロ邸訪問記 その1) [オーディオ]

心地よい響きをそのままに現代的ハイファイを一段と進化させていることにびっくり。

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バズケロさんの「ハーベス部屋」は、木造のコテージ風の部屋の響きが心地よいリビング。リラクゼーションを主体としてまったりと音楽を楽しんでおられました。それをぐっとハイファイの方向へと転換させたのが一年前。

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きっかけは、それまでのマックトンの真空管アンプをアキュフェーズに入れ換えたこと。真空管アンプは何かと不安定でしばしば病棟を行き来。それが少し煩わしくなったからだそうです。

せっかくのくつろぎの良さを…とも思ったのですが、それを思い切って転換し音楽のディテールを描出し音色や細かなダイナミックスのグラデーションを鮮やかに浮かび上がらせていることに驚喜しました。

今回、一聴してみて、その現代ハイファイのリアリティを一段とグレードアップさせていることに、またまたびっくり。何気なくかかっていたのは村治佳織のギターですが、とってもリアリティが高く、しかも美しいアコースティックの音色。いろいろと聴かせていただきました。

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古いCDですが、マとオザワのドンファン。ボストンのシンフォニーの豊かな響きとリアルな音色、複雑多彩なオーケストレーションが眼前にくっきりと現れます。

手を入れたキモは、サブウーファ。

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従来は、サブウーファのセッティングをまず極める。部屋にまんべんなく低域が回るように徹底的に位置や方向などをチューニングしたそうです。そのサブウーファの低域にうまく乗るようにハーベスを設置する。

今回は、まったく逆にまずハーベスのセッティングを極める。まず左の1台だけで部屋の最適位置を徹底して絞り込んでいったそうです。長いケーブルと台車を用意して部屋中を動かす。その最適解が決まると左右両スピーカーの幅などのベストを探る。この日、ご一緒だったTさんも加わっての作業だったそうです。TさんはSONYで、LPのカッティングやCDマスタリングに携わった元エンジニアですから耳は確かです。

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ハーベスの位置は、わずかに背面壁に近めになり幅もはは縮まったそうです。ここにサブウーファを流し込んでいく。カット周波数は限界まで下げて急峻にカット。ミニマムな重ね方。実のところ、試聴はほとんどサブウーファはオフにして聴きました。小型モニターとはいえHLCompact 7ES-3の20cmウーファーは公称43Hzまで伸びていて低音は十分。オンにするのは小音量でのリラックスした鑑賞時のみ。等ラウドネスのための低域補正のような使い方では効果的だとのこと。とても納得します。

最後に、私の検聴用定盤だからとかけてくれた、幸田浩子さんのカッチーニの「アヴェ・マリア」。

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これを聴いて「ええ~っ」と思いました。

突然のようにハーベス部屋のライブで心地よい響きが浮かび上がってきたのです。まるでイタリアの貴族の邸宅のエントランスロビーで歌っているかのような濃醇なベルカントが部屋いっぱいに広がり包み込まれる。幸田さんの口が大きくなったように思えますが、すぐにその音像は明快でしっかりと中央に立像が浮かび上がる。

こういう響きが、スピーカー特性と部屋のアコースティックにソフトが柔軟に適応して実現しているということは、後で聴いてみて確認しています。このソフトは、再生システム次第で、ボーカルが小さく奥に引っ込んだり、逆に前にヒステリックに出てきたり、と変幻自在。検聴用として必殺のソフト(日本コロンビアをなめたらアカン)。

洋楽の声楽唱法はベルカントに限らず、会場とその立ち位置次第でホールいっぱいに響きわたりますが、そのことがまさに眼前で起きている。BBCモニターの人声再生の妙と、部屋の木の香りのするライブな響きが見事にマリアージュ。あれだけハイファイに振ったのに、ハーベスはハーベスなのです。
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空間表現の極み (CENYA邸訪問記) [オーディオ]

音場が視野の横幅いっぱいに広がって、音像がくっきりとその空間に立体感豊かに浮かぶ。この空間表現はすごいなぁ。CENYAさん、やったねぇ~。

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音場が部屋いっぱいに充溢する感覚は、けっして間接音の効果ではない。その証拠に、横使いの配置で、センターのリスポジではなくて横の席で聴いているとそういう横幅は感じない。スピーカーはやや内振りで平行法ではない。これはあくまでもスピーカーからの直接音で造り上げたバーチャルな空間だということがわかります。

前回にお伺いしたときも同じような立体感覚はありました。部屋中に間接音をわんわんと響かせる擬似的な立体感とは対極的で、録音に入っている音情報を余さず正確にリスナーの耳に届けるという感覚。頭の中に響くのではなく、まさにスピーカーでの空間再生なのに、そのサウンドはまるでヘッドフォンでの鑑賞のような質感です。

そこは全く変わっていないけど、前回の音場空間は、くっきりと引き締まったもので、まるで精緻なドールハウスを愛でるかのようでした。今回は、空間がものすごく拡がっていて幅が広い。目指しているものは変わらない。でも今回は徹底して位相を合わせた――その結果だというのです。

CENYAさんのシステムは、唯一無二。

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徹底したマルチアンプ駆動で、スピーカーユニットは、基本の2wayに低域とサブウーファを加えさらに左右や後方のユニットも加えて指向性を広げている。しかも、そのユニットを2台のAVアンプを左右独立で使い、多チャンネルで直接駆動しているというユニークなもの。

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送り出しは自分で組み上げた大型PCと、改造ネットワークプレーヤー。特にネットワークプレーヤーは、もはや原型を留めないくらいに改造。オリジナルはトランスと筐体ぐらい。まるでサイボーグ。

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今回は、いわゆるサブウーファはやめて、帯域はそれぞれにカットしてクロスさせてる。後方のサブウーファはやめてドロンコーン化した。磁気回路は、まあ、おもりのようなもの。左右のウーファーユニットは正面と同じチャネルを再生。同一のキャビネットで違う帯域を持たせるとやはり位相が正確にならないそうだ。チャンネルデバイダは、ケーブル直結の空中配線。パッシブ型のアナログで6dB/OCTの1次フィルターのみというのも位相合成の徹底のため。そんなこんなで、焦点合わせを徹底的に磨きに磨いたというわけ。

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面白かったのは、各ユニットの音量バランスも微細にバランスさせていること。これをちょっと変えると音色のみならず定位感も変わる。アッテネーターではなくてそれをAVアンプの機能でやってのける。だからそのバランス調整は微細で、しかも、dB表示で見える化される。

今回は、いたちょうさんとご一緒しましたが、最後は、これまたこの帯域バランスを徹底的にイジリ倒しました。一人だとどうしても思い込みと馴れで、自己撞着におちいっちゃう。だから、我々の意見も聞いてチューニングをしたいというのが、今回のオフ会の目的というわけでした。

清純かエロか、ピチピチか熟女か……いたちょうさんの決定打は、中森明菜。私は、坂本冬美…かな?
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アスカオーディオの調音ボックス 韻(HIBIKI)を聴いてもらう [オーディオ]

Mさんをお招きしてのオーディオオフ会。

調音グッズのデモ。

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Mさんは都心のマンション住まいで、リビングオーディオということで私と共通する。私は恐妻家、Mさんは家族思いと背景は違うがつまりはリビングオーディオということで話しが通じ合える。
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最近私のお気に入りのこの調音グッズ。私自身の導入時に検討したセッティングのあれこれを再現してその効果を体感していただいた。
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私のセッティングは、どちらかと言えば変則。正面や後背面の両隅やリスポジの左右など定石セッティングから始めて、あれこれ試聴していただき私のセッティングをご納得いただいた。

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曖昧さがなくなり音像がしまる。センターボーカルの存在感がリアルになりその背後の空間も感じさせる。余韻などの微小な音が聞こえるようになり、各パートがかぶることなく聞こえてきて、各々がどんどん音楽に参加していきてわくわくする…そんなご感想をいただいて我が意を得たり。このグッズ、ちょっと音の焦点合わせと共通するところがある。
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もちろん、オーナーの部屋や機器が千差万別なのでセッティングも千差万別。決まり事はない。逆に、軽量でコンパクトなのでセッティングの自由度が高いというのが、我々、リビングオーディオ派にはうれしい。

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私の場合は、すでに三角コーナーや目立たないボード背面には低周波対策のボードなどあれこれ導入していたのでそれとの入れ換えなども試行したが、結局、センターと両スピーカー背面というとてもコンパクトなミニマム設定で済んだ。
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私と同じリスニングチェアもすでに導入決定とのこと。こちらも折りたたんでしまえるのがリビングオーディオ派向き。デザインもスリムでお洒落。
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Mさんは一からのセッティングなのでどうなるかなぁ。
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呼吸するように歌うチェリスト 上野 通明 (芸劇 名曲リサイタル・サロン) [コンサート]

いきなりたった一人のプレリュード。

それだけでもう満席の聴衆を魅了させてしまいます。分散和音の初めの音を少しだけアクセントをつけて引っ張る。そのタメがアウフタクトになって情感のこもった分散和音が連なる。まるで呼吸するように歌う。しかもたっぷりと。

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またもすごい若手チェリストが現れたものです。

次々と現れる日本の若手チェリスト――技術も確かで驚くほど安定していて、音も甘く艶やかで、中高音の美音が持ち味の軽めで若々しいリリコスピント――そんなところが、若い世代のチェロに共通しているように思うけど、上野はとびきりよく歌う。しかもとても胸底の深いところからため息のように呼吸する。その歌と息の深さが、他の同世代日本人チェリストと違う。これだけ音価の振幅を大きく取るバッハは、マイナルディとかちょっと遡った世代の南欧のチェリストを想起させます。

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それがぴたりとはまるという印象を受けたのがシューマン。息の長い延びのあるロマンチックなメロディはとても心地よい。チェロの名曲だけれど、これは傑出した演奏を聴いたという充足感がありました。

最後のラフマニノフも、この若いチェリストの幅の広さを堪能させてくれました。本人が訥々と語ったところでは、交響曲第1番の失敗で心傷ついた若い作曲家の心情が立ち直った証のような曲なんだとか。そういえば若林顕さんだったか、チャイコフスキーを敬愛してやまなかった作曲家が、その死によって後ろ盾を失いペテルブルク派のいじめにあっていたというようなことを言っていた。

個人的には、アレグロ・スケルツァンドがとても印象的。ある種の道化と敵を揶揄するような心の棘をはらみながら、とても劇的で自己克服的な曲。ピアノの實川が、ここぞというところでラフマニノフのピアニズムを炸裂させてチェロとのインタープレイを好演。上野が「きれいな音」と惚れてデュオを組んでいるということがうなずける。このピアニストの新境地と言ってもよいのかもしれない。

このシリーズでは、珍しい時間超過のアンコールは、グラズノフの「吟遊詩人の歌」。

もともとは管弦楽とチェロのために書かれた曲。ロストロポーヴィチと小澤征爾との名録音があります。實川はとても控えめであくまでも上野のアンコールとして、彼が朗々とした息の長い歌を歌うに任せていた。なんて長い息なんだろうと聴き惚れました。

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芸劇ブランチコンサート 名曲リサイタル・サロン
第18回 上野 通明
2023年1月25日(水)11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階P列18番)

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007より プレリュード
シューマン:幻想小曲集 op.73
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 op.19

チェロ:上野 通明
ピアノ:實川 風
ナビゲーター:八塩圭子
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「仲蔵狂乱」(松井今朝子 著)読了 [読書]

門閥外の下積みから江戸歌舞伎の看板役者へ駆け登った不世出の名優・中村仲蔵の波乱の生涯。

立川志の輔の人情噺や、神田伯山の講談で知るひとも多い。私の場合は、NHKで一昨年放映され昨年度の文化庁芸術祭 テレビ・ドラマ部門「大賞」を受賞した。それが昨年末に前編・後編という形で再放送され、それを見て夢中になってしまったのです。その後、目にとまったのが、この時代小説でした。

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「忠臣蔵狂詩曲No.5」と題されたTVドラマでは、忠臣蔵五段目「二つ玉の段」斧定九郎役で大当たりを取るところで大団円となる。

團十郎(市村正親)の引き立てで人気が上がり、それを面白く思わない立作者三笑(段田安則)に冷遇されて窮地に追い込まれる。三笑が割り当てたのは忠臣蔵では「弁当幕」と揶揄(やゆ)される五段目の全く見せ場のない場でのチョイ役。薄汚い盗賊に落ちぶれた家老の息子・定九郎を、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという当世の二枚目浪人侍に仕立て直して客席の不意をつき、せい惨な殺しの場面にして大評判を取るという仲蔵出世話のクライマックスだ。

この小説は、ここで終わらず仲蔵のその後も追い続け終焉にまで至る。生い立ちからその死までを綴ったまさに一代記だが、江戸歌舞伎時代の義理と人情といった人と人とのつながり濃厚な世界、しかも、歌舞伎役者や芝居小屋という人気商売の世界に渦巻く人いきれに思わずむせかえるような空気が伝わってくる。それはまた同時に、色恋や夫婦愛とともにその世界で生きる生身の情が醸し出す妬みや嫉み、恨みごとが人々の浮き沈み、命運を左右する様を描く社会小説という一面もある。

TVドラマでは制約のある男色やえげつないリンチなども遠慮容赦なく描き出すところは、これもまた画像音声のエンターテーメントとはまた違った小説を読む醍醐味。歌舞伎を観る眼も変わる。

面白かった。




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仲蔵狂乱
松井今朝子
講談社(1998)
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「縄文海進」(遠藤邦彦ほか 著)読了 [読書]

「縄文海進」とは、縄文時代(年前)には、海面上昇により関東平野は内奥まで海だったということを指す。

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およそ1万1千年前、現在より約50m低下していて東京湾はほとんど陸地だった。海は、横須賀市(浦賀)から、細々としていた浦賀水道を通って、次第に内陸へと入り込んできた。縄文海進の始まりである。8千年前には、現在の東京湾北岸より30kmも奥にまで海は広がり、広大な内湾が生じる。さらに5千年前には埼玉県久喜市の北、栃木県古河市や群馬県板倉町にまで、あるいは荒川に沿っては埼玉県川越市の北にまで海が入り込んでいたという。

本書は、関東平野内陸部の貝塚発掘や周辺の地層調査によって、主に貝類などの海生生物の堆積組成により縄文時代の汀線を明らかにし、また、縄文人の漁労技術の実態もたどっている。

アカデミックな内容だが、図解もふんだんにとりいれ、ところどこにコラムをもうけてわかりやすく説明するなどの工夫もあって面白い。

縄文期の温暖化がもたらした海進は、必ずしも日本全国で同じような規模で起こったわけではないようで、関東地方ではそれが特に著しかったようだ。同時に黒潮の北上も起きており、この地域の温暖化と大規模な海進が海流変化の影響も大きかったことが示唆されている。

本書では触れられていないが、西ヨーロッパや北米大陸などではこうした汀線上昇は認められておらず、それは氷河融解によって上部重量が軽減し陸地が上昇したからと説明されているようだ。また、特に日本列島は複数のプレートがひしめき合っていて構造的に隆起・沈降が錯綜もしているので、海進を全国一律には説明できないようだ。いずれにせよ、一定の海水準で縄文・弥生時代の文化は語れないということになるし、とにかく数十メートに及ぶ大きな海水面の上下がつい数千年前にあったということに驚くしかない。

地球温暖化が叫ばれ、その原因がすべて温暖化ガスであるかのように論じて、その防止策ばかりを声高に唱える論調が強まるばかりだが、そちらばかりに気をとられていてよいのだろうか。実際に、日本海域の海面上昇と海流変化はすでに目に見えるレベルで昂進している。目の前の災害対策や、港湾や河川などのインフラの保全など、もっと危機意識を高める必要があるのではないだろうかとも思う。


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縄文海進ー海と陸の変遷と人々の適応
著:遠藤 邦彦、小宮 雪晴、野内 秀明、野口 真利江
グラフィックス:杉中 佑輔、是枝 若菜

冨山房インターナショナル
タグ:縄文海進
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「東州しゃらくさし」(松井今朝子 著)読了 [読書]

東洲斎写楽といえば、ほんの10ヶ月だけ役者絵や相撲絵の傑作を数多くを手がけて駆け抜け、あっという間に姿を消した謎の絵師。

その正体については様々に推測されていきて、阿波徳島藩お抱えの能役者だとか、絵師・歌川豊国、葛飾北斎の別名説、あるいは戯作者でもあった山東京伝、十返舎一九ではないかと多くの人物が当てられるが、未だに定説はない。

蔦屋重三郎ほどの版元が当てた逸材で、しかも、初版は雲母摺(きらずり)とたいそう力の入った版物だった。現代に至るも大人気で、その人物描写の画風は前代・後代から隔絶した個性を強烈に放っている。当時から人物は不特定で、それがあっという間に姿を消してしまったのだから、その謎に挑むことはちょっとした推理小説となる。

その正体に挑むのは、正統な学説から著作家のエッセイ、小説仕立ての時代ものなど多岐にわたって楽しませる。ところが、あれだけの歌舞伎役者絵を残した絵師の謎解きに、かんじんの歌舞伎通が不在であることが惜しまれてきた。

著者は、早稲田大学で演劇を学び、松竹で歌舞伎の企画・制作でもまれた後、フリーとして歌舞伎の台本等も手がけた歌舞伎通。それだけに歌舞伎や役者の故事来歴がてんこ盛り。これまでの「写楽もの」に一石を投じるユニークな時代小説。

全編を貫くキーマンは、歌舞伎狂言作者の並木五兵衛(改名して、後の初世 並木五瓶)。上方で活躍したが、三代目澤村宗十郎の招聘で江戸都座に下った。上方の写実合理性を奔放な江戸歌舞伎に融和させた点を高く評価されるが、江戸に下った当初には手痛い挫折も味わう。

小説は、誰が写楽なのかという謎解きよりも、この五兵衛の挫折が主軸になっている。それはまた、上方と東州・江戸の気質の違いでもあり文化気風のぶつかり合いでもある。その切実さは、さすが京都出身の著者ならでは。

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これにまた、江戸と上方を行き来した役者の三代目 澤村宗十郎や、もともとは上方出身の女形、三代目 瀬川菊之丞が、濃厚に絡んでくる。もちろん彼らは写楽が描いた役者たちだ。この小説は、写楽ものとは言いながら、実のところその正体は歌舞伎における上方と江戸(東州)の文化の確執と挫折の物語なのだと言っていいのではないか。

とにかく歌舞伎というもののピクチャレスクでインテレクチュアルな世界が、濃厚で華麗に繰り広げられる。その知識には圧倒されるし、語彙や言い回しが豊富で、文をそのまま口ずさめば、それはそのまま歌舞伎の世界に入り込む。

写楽の謎解きを期待した向きは、ちょっと裏切られた思いがするかもしれない。写楽の絵そのものの面白さというものもいささか希薄。役者たちの存在感があまりに濃厚過ぎて、誰が主人公なのか、そういう人物像としてのプロットが複雑でわかりにくいというのも、著者の歌舞伎への造詣の深さがあまりにも濃厚だからかもしれない。


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東州しゃらくさし
松井今朝子
PHP研究所
( 幻冬舎時代小説文庫にて文庫化)
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「日本インテリジェンス史」(小谷 賢 著)読了 [読書]

「『米国の下請け』からの変遷」と、いささか刺激的なコピーの短評もあるが、戦後の日本の国策にかかわる情報収集や防諜機関の組織変遷をたどった書。

《インテリジェンス》というと、すぐにスパイだとか陰謀、工作といった映画や小説の世界を思い描きがち。あるいは思想弾圧や学生運動や過激派取り締まりなどの陰湿な警察公安も連想するのかもしれない。いずれも、当たらずとも遠からずといったところかもしれない。

日本のインテリジェンスは、敗戦とともに解体された。戦前は、陸海軍、内務公安、外務とひどく縦割りで横の連携がまったく無かったという。戦後の生き残り方も各々にばらばらで、そのことが長く日本の国策の課題となった。占領期にまず引き継がれたのは一部の軍人たちだったがすぐに内部抗争で潰れる。外務は、戦前・戦中に軍に席巻され壟断されて海外公館の活動が壊滅し戦後も著しく萎縮した。比較的、復興が早かったのが公安で警察官僚が戦後日本のインテリジェンスを主導した。冷戦の影響下で共産党や左翼思想運動の監視が主力、防諜面は脆弱。だから日本がスパイ天国と揶揄されたのは周知の通り。いずれにせよ、『米国の下請け』の性格が強く、米国に依存し独立性はほぼ皆無だったということが本書を読むとよくわかる。

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記憶に残っているのは、「大韓航空機撃墜事件」。

個人的に米国のサマーキャンプで知り合った友人が乗り合わせて命を落としたので、その記憶は生々しい。あの時に、自衛隊の無線傍受が決め手になった。それを米国がつきつけたことでソ連はシラを切り通すことができなかった。“自衛隊の傍受能力、スゲー!”みたいに誇らしくも思ったが、一方で、こっちの手の内を明かせばこっちも危うくなるという安全保障のイロハはシロウトのすっとこどっこいでもわかるので、ちょっとヘンな気分だったことも覚えている。

米国がすかさず「撃墜」と断定し、国連安保理で傍受音声に英語とロシア語のテロップまでつけて各国代表にぶちまけたのは撃墜の5日後。その時点で日本政府の内部はろくに情報共有もできず右往左往、中曽根首相と後藤田官房長官の勇断とはされているが、米国への内通は内閣府の判断で、もちろん、米国が安保理で発表することは外交の頭越しだったという。まさに日本の自衛隊レーダー基地は米軍に直結していて、『下請け』そのものだったというわけだ。


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金大中事件も、記憶に生々しい。

東京のど真ん中で白昼堂々、韓国の諜報機関員に拉致誘拐されて韓国に連れ去られるという前代未聞の大失態。誘拐犯の人物まで特定できても、日本政府内部はバタバタでほとんど何もできず、国の安全保障、国民や住民の安全もなにもかもがいざとなれば少しも守られないという実態をさらけだした。この国は、政府高官や自衛隊幹部を籠絡したスパイを取り逃がす《スパイ天国》どころか、スパイが自由勝手のし放題という無法地帯だったわけだ。そうした内情を本書はつぶさに描いている。

「情報が回らない、上がらない、漏れる」。そういう日本のインテリジェンスはどうあるべきか、という硬派の書であり、内容はかなりマニアック。けれども、いまだに記憶が生々しいそうした同時代体験の裏舞台を見るようで、読み始めるとなかなか途中でやめられない。そこが本書の面白さ。


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日本インテリジェンス史
  旧日本軍から公安、内調、NSCまで
小谷 賢 (著)
中公新書2710 (2022年8月25日 新刊)
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「日ソ戦争 南樺太・千島の攻防」(富田武 著)読了 [読書]

満州(中国・東北部)とともにソ連侵攻の場となった南樺太・千島戦およびその後の占領の経過を、冷戦後に明らかとなったロシア側の資料もふんだんに駆使して、詳細に記述した最新研究。

満州と違って、軍上層部や官吏が住民や最前線の兵士を見捨てて潰走するなどのことはなく、居留民の本土への退避などもそれなりに行われていた。捕虜となった日本人の日記や回想も細かいものが残っており、ロシア国防省や防衛研究所にデジタル保管された戦闘記録や文書などからソ連側の実態や兵士の証言も多く取り上げられていて、その考察は詳細にわたる。

その戦闘経過や、ソ連軍上層部とクレムリンとのやりとりなどから、いわゆる北方領土問題について考えるうえでも大いに参考になる。


本書から読み解く「北方領土問題」ということをかいつまんで論点のみ挙げておきたい。

1.「固有の領土」とは?
 ヤルタ秘密協定では、ソ連に移転すべき日本の領土、権益の根拠として、1875年千島・樺太交換条約以前のものが含まれていない。日本とロシアとの国境は1855年の日露和親条約において千島列島(クリル列島)の択捉島と得撫島との間に定められたが、樺太については国境を定めることができず、日露混住の地とされた。これが「固有の領土」の根拠になり得るが、ヤルタ秘密協定はこれを無視している。

2.米軍の進駐はなぜなかったのか?
 トルーマンの致命的なミスだった。クリル(千島)列島を対ソ降伏地域に含めることを要求したスターリンに対し、トルーマンがあっさりとこれを呑んでしまった。
 千島列島最北の占守島(しゅむしゅとう)に、日本がポツダム宣言の受諾を宣言した後、ソ連軍が上陸開始し日本軍と戦闘に突入した。これが千島列島で唯一のソ連との交戦となった。この後、日本軍は抵抗をやめたが、ソ連軍は、明確に米軍と遭遇したら停止するよう厳命されていた。米国海軍は、千島の日本軍はニーミッツ提督に降伏すべきと主張したが受け入れられなかった。トルーマンと国務省の度重なるミスとしか言い様がない。

3.北海道の命運
 スターリンは千島列島とともに北海道北部の占領を要求したが、さすがにこれにはトルーマンも拒絶した。マニラのマッカーサーは、ソ連代表の北海道占領要求に「絶対反対と明言し、「ソ連兵が一兵といえども許可なく日本領に侵入するならば(ソ連代表の)デレヴァンコ中将を含む代表団全員を投獄する」と激怒したという。
 こうした経緯から、占守島兵士の決死の奮闘により北海道占領を免れたというのは俗説に過ぎない。北海道の命運は、武力行使ではなく米ソの戦時交渉とはいえ外交によって決した。

4.四島か二島か
 この問題は、これらの島々が「千島列島」なのか、あるいは、北海道に帰属する島々なのかという認識の問題。しかし、これもトルーマンは問題提起を怠った。米軍陸海両軍幹部は、択捉と「北海道に接する二島(国後、色丹)」を確保すべきだったと切歯扼腕した。
 歯舞群島は、北海道に属する諸島との認識は多少なりともソ連側にもあったようだ。


以下は、本書の読後感とも言うべき私見に過ぎないが…

「北方領土問題」は、すべて「ヤルタ秘密協定(極東密約)」に帰する。
ヤルタ会談の大半はポーランド問題とドイツの戦後の処遇についての交渉に費やされた。極東の問題は軽視され、この地域にも野心満々だったスターリンに対してルーズベルトは関心が薄かった。これにトルーマンの無知も加わって、ソ連の極東艦隊に太平洋側への出口を与えるという致命的なミスを犯してしまった。

この戦略上の重要な領土権を、現在のロシアが手放すはずはない。米国も、戦勝国協定としてのヤルタ協定を、ソ連を追いつめてまで覆すだけの気迫は現在に至るまで持ち得なかった。

北方領土問題に対して何らかの解決をもたらし平和条約を締結するチャンスがあったとしたら、冷戦終了直後のソ連の崩壊と東欧の民主化時代だったろう。経済的軍事的に困窮してもいたロシアは、欧州では勢力圏の大幅な後退やNATO拡大による勢力圏の後退を容認していた。この時期、日本がもう少し米国に対してヤルタ秘密協定の解釈見直しを強力に迫ることができていたらと思うが、日本政府にはそれだけの政治的胆力もなかった。

安倍政権が、プーチンのクリミアの一方的な編入など力による現状変更を推し進め、欧米がいっせいに反発し制裁に踏み切ったなかで、その立場を曖昧にして、ことさらにプーチンに融和的だったことは完全に誤りだった。今となっては、日本はこの曖昧さを維持するしか他に選択肢もないし、今後のプーチンの終焉とロシアの弱体化を待つしかないのだと思う。


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日ソ戦争 南樺太・千島の攻防――領土問題の起源を考える
富田武 (著)
みすず書房
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「虚妄の三国同盟」(渡辺 延志 著)読了 [読書]

日独伊三国同盟は、ナチドイツを信奉する軍部や、松岡洋右などの外交政治家が主導した軍事同盟で、日本が英米と開戦する決定的要因となった。欧州大戦と日中戦争を結びつけて世界大戦への道筋から後戻りできないものにしてしまった。

私たちの世代はそのように教えられてきた。

しかし、現代では研究が進み、実際のところは《軍事同盟》としては非常にちゃちな建てつけの条約で、実際に非常に急ごしらえのものだったことがわかっている。その目的は、あくまでも米国の欧州参戦をけん制することが日独の目的であって、日本の参戦を促すような拘束力は極めて弱かったし軍部も対米戦争回避を心から切望していたという。実際に、東西両面の戦争準備が整っていなかった米国のけん制としてはそれなりに機能したし、軍部も欧州情勢を見極める時間を十分に得たとも言われている。

本書は、これまであまりその実態が解明されてこなった外交交渉の舞台裏を余すところなく暴いている。それは東京裁判の国際検察局(IPS)の膨大な尋問調書を読み解くことによって明らかになった。東京裁判では、当事者であった近衛文麿が逮捕前に自死し、松岡も拘留中に病死したことにより追求が徹底せず、尋問調書の存在もあまり注目されてこなかったからだ。著者は朝日新聞の記者だが、退職前から英文資料を読み込み、執念を燃やしてこうした交渉の経緯をたどっている。渾身の力作といえよう。

尋問のなかから浮かび上がってくるのは、松岡の不誠実な対応だ。のらりくらりととぼけて事実を認めない。一方で、他の尋問からIPSは、その実態をほぼ把握していた。そうした他の証言をぶつけても、松岡は、肝心なことになると「覚えていない」と逃げる。対照的に、誠実に応答しているのが交渉時に駐日ドイツ特命全権大使の任にあったオイゲン・オットだ。交渉は、ほとんどドイツから派遣された特使ハインリヒ・スタマーと松岡との間だけで進められた。外交組織は茅の外に置かれた。

最大の問題は、「自動参戦条項」。

本文第三条には、欧州戦争、日中戦争それぞれの非当事国によって攻撃されたら「政治的・経済的・軍事的方法」により相互に援助すべきとあった。国内には戦争に巻き込まれると強硬に反対する向きが多かった。松岡は反対派を押し切るために交換公文で骨抜きにすることを企てる。これで枢密院の査問も言い抜け、折からのドイツの快進撃による「バスに乗り遅れるな」の国民的大合唱も背中を押した。一方で、スタマーは、交換文書は私信レベルと解釈し本国に対して報告していなかった。公文として発信されていれば、暗号解読に成功していた英米もこれを知ったであろうことは想像に難くなく、三国同盟が自動参戦ではなく条件留保付きだと認識できていたろうと悔やまれる。それほどにいい加減な同盟だった。

松岡は、対米戦回避論者であり三国同盟はあくまでも米国参戦をけん制する目的であったことは確かなようだ。その思いは、むしろソ連も巻き込んでより対米けん制を強化できると踏んでいた。とはいえ同盟締結を拙速に進めたのは己の政治的野心に過ぎない。駐独大使大島浩らは、ナチスドイツのソ連侵攻の事前情報も、それがモスクワ前面で挫折したことも、薄々知りながらドイツ優勢を煽り立てた。三国同盟は、結局は、ひどくちぐはぐなまま日本を自ら窮地に追い込むばかりで何の実効性をあげなかったのだ。むしろ日本はナチスドイツに散々に翻弄されてしまった。その様は、ひどく無様な外交だったとしか言い様がない。

松岡は、日米開戦時、「三国同盟は僕一生の不覚」と号泣したと伝えられるが、どういう責任を感じたのかは怪しいものだ。ましてや、近年、再評価の声もあるがとんでもないことだと思う。

東京裁判で、三国同盟を罪状として起訴されたのは、松岡洋右のほかに駐独大使大島浩と駐伊大使白鳥敏夫の3名。結局、松岡は判決前に獄中で病死、他の2人は死刑を免れた。それは松岡の死ということもあるが、あまり法廷で理非が論じられることもなく調書も長らく日の目を見なかった。国際検事局は実のところその内情を知って鼻白んだのではないか。



虚妄の三国同盟_1.jpg

虚妄の三国同盟――発掘・日米開戦前夜外交秘史
渡辺 延志 (著)
岩波書店
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