ローマ三部作 (ファビオ・ルイージ N響定期) [コンサート]
ルイージの快演が炸裂!素晴らしい名演でした。
何しろレスピーギの“ローマ三部作”。加えて、ルイージ自身が世界初演した現代イタリア作曲家の日本初演も組み合わせての“オール・イタリア”もの。しかも、いずれも色彩豊かな大編成の管弦楽曲。盛り上がらないはずがありません。
名ホールとまでは言わないけれど、NHKホールはサントリーホールよりもずっと良い、こんなに音のよいホールだったのか!?――そう思わせるような胸のすくような音響です。
選んだ席が良かったというよりも鳴らしきったルイージとN響の快挙というべきでしょうか。3600席の多目的ホールのいささかデッド気味の大空間が音で満ちあふれるのを目の当たりにしたという感激。パイプオルガンや、バンダの金管群も音響の立体的な厚みを加えて、ホールがフル稼働。こんなことを日本のオーケストラがやってのけるのか!?――うれしい限りです。
曲は、レスピーギの華麗なオーケストレーションでよく知られた名曲。けれども、ルイージにかかると、そういうありきたりな印象がすっかり書き換えられてしまうような、新鮮な興趣に満ちあふれるところがありました。
まずもって、“三部作”とひとからげにできない、曲想や管弦楽法のキャラクターの違いや綾などがレスピーギという作曲家のキャリアの変遷として浮かび上がってくる。ルイージは、そこにイタリア人としての矜恃をかけていたのだと思います。
最初に演奏された新曲「戦いに生きて」が、その口切りとして実にふさわしく、技法上の色彩のイタリア的な変幻自在さや、その新味にかけるイタリア人の覇気あふれる情熱。飛びきり楽天的な前衛で、享楽的でさえあるのです。冒頭のヴィオラの音色や、弦楽器のピッチカートやハープ、あるいは打楽器群がかもし出す触感の実に雄弁なこと。こういう現代イタリアのモダニズムに感受性が覚醒されてから聴くレスピーギの何と豊穣豊満なことか。
「ローマの噴水」は、ドビュッシー的な絵画手法の音楽革命への共感から来るものだったと気づかされたし、「ローマの松」は、歴史スペクタクル、「ローマの祭り」はその擬古的な趣向の延長拡大で、さらに大画面化し、マンドリンまで持ち出して緩急の呼吸で俗っぽいラブシーンもてらうことなく駆使するところが後のハリウッドに大いに影響を与えたのではないでしょうか。
当然に、N響のソロの巧さも改めて再確認。技術に感服するだけではなかったのがこのルイージのカリスマなのでしょう。とにかくソロが単なる技術的に上手というだけでなく、意趣卓逸な歌心にあふれている。それを包み込み合わせていくアンサンブルの精妙なこと。ここに、ルイージ効果みたいなものを絶対的に感じます。
もちろんレスピーギの打楽器群の使い方の巧さにも感歎させられます。ドラやベルの持続する音色もさることながら、ある意味で尖った、当たるような触感が、音楽が本来持っているリズム感覚に生気をもたらす。N響の打楽器奏者には、かぶいてみせる好き者感覚も抜きん出ていて、演奏にためらいがありません。タンバリンを全身で前へ吹き飛ばすように打つ黒田英美さんにはしばし目が釘付け。
コンサートマスターは、長老・篠崎史紀氏。まだいるのかとの声もかかりそうですが、思えばルイージの正式就任直前のコンサートのぎこちなさを救ったのは篠崎氏。今回は、ルイージが特に指名したのではとかんぐりたくなるほどの息の合った演奏。
客席もステージも会心の演奏という満足感にあふれていて実に楽しそうでにこやかでした。
NHK交響楽団
第2010回 定期公演Aプログラム
2024年5月12日(水)14:00~
東京・代々木 NHKホール
(1階 L11列 12番)
指揮:ファビオ・ルイージ
コンサートマスター:篠崎史紀
パンフィリ:戦いに生きて[日本初演]
レスピーギ:交響詩「ローマの松」
:交響詩「ローマの噴水」
:交響詩「ローマの祭り」
何しろレスピーギの“ローマ三部作”。加えて、ルイージ自身が世界初演した現代イタリア作曲家の日本初演も組み合わせての“オール・イタリア”もの。しかも、いずれも色彩豊かな大編成の管弦楽曲。盛り上がらないはずがありません。
名ホールとまでは言わないけれど、NHKホールはサントリーホールよりもずっと良い、こんなに音のよいホールだったのか!?――そう思わせるような胸のすくような音響です。
選んだ席が良かったというよりも鳴らしきったルイージとN響の快挙というべきでしょうか。3600席の多目的ホールのいささかデッド気味の大空間が音で満ちあふれるのを目の当たりにしたという感激。パイプオルガンや、バンダの金管群も音響の立体的な厚みを加えて、ホールがフル稼働。こんなことを日本のオーケストラがやってのけるのか!?――うれしい限りです。
曲は、レスピーギの華麗なオーケストレーションでよく知られた名曲。けれども、ルイージにかかると、そういうありきたりな印象がすっかり書き換えられてしまうような、新鮮な興趣に満ちあふれるところがありました。
まずもって、“三部作”とひとからげにできない、曲想や管弦楽法のキャラクターの違いや綾などがレスピーギという作曲家のキャリアの変遷として浮かび上がってくる。ルイージは、そこにイタリア人としての矜恃をかけていたのだと思います。
最初に演奏された新曲「戦いに生きて」が、その口切りとして実にふさわしく、技法上の色彩のイタリア的な変幻自在さや、その新味にかけるイタリア人の覇気あふれる情熱。飛びきり楽天的な前衛で、享楽的でさえあるのです。冒頭のヴィオラの音色や、弦楽器のピッチカートやハープ、あるいは打楽器群がかもし出す触感の実に雄弁なこと。こういう現代イタリアのモダニズムに感受性が覚醒されてから聴くレスピーギの何と豊穣豊満なことか。
「ローマの噴水」は、ドビュッシー的な絵画手法の音楽革命への共感から来るものだったと気づかされたし、「ローマの松」は、歴史スペクタクル、「ローマの祭り」はその擬古的な趣向の延長拡大で、さらに大画面化し、マンドリンまで持ち出して緩急の呼吸で俗っぽいラブシーンもてらうことなく駆使するところが後のハリウッドに大いに影響を与えたのではないでしょうか。
当然に、N響のソロの巧さも改めて再確認。技術に感服するだけではなかったのがこのルイージのカリスマなのでしょう。とにかくソロが単なる技術的に上手というだけでなく、意趣卓逸な歌心にあふれている。それを包み込み合わせていくアンサンブルの精妙なこと。ここに、ルイージ効果みたいなものを絶対的に感じます。
もちろんレスピーギの打楽器群の使い方の巧さにも感歎させられます。ドラやベルの持続する音色もさることながら、ある意味で尖った、当たるような触感が、音楽が本来持っているリズム感覚に生気をもたらす。N響の打楽器奏者には、かぶいてみせる好き者感覚も抜きん出ていて、演奏にためらいがありません。タンバリンを全身で前へ吹き飛ばすように打つ黒田英美さんにはしばし目が釘付け。
コンサートマスターは、長老・篠崎史紀氏。まだいるのかとの声もかかりそうですが、思えばルイージの正式就任直前のコンサートのぎこちなさを救ったのは篠崎氏。今回は、ルイージが特に指名したのではとかんぐりたくなるほどの息の合った演奏。
客席もステージも会心の演奏という満足感にあふれていて実に楽しそうでにこやかでした。
NHK交響楽団
第2010回 定期公演Aプログラム
2024年5月12日(水)14:00~
東京・代々木 NHKホール
(1階 L11列 12番)
指揮:ファビオ・ルイージ
コンサートマスター:篠崎史紀
パンフィリ:戦いに生きて[日本初演]
レスピーギ:交響詩「ローマの松」
:交響詩「ローマの噴水」
:交響詩「ローマの祭り」