朝ドラ「虎に翼」で思い出した中学時代 [雑感]
朝ドラ「虎に翼」を見ていたら、私が通った中学校のすぐそばにあった児童養護施設のことを思い出してしまいました。
当然にクラスにもそこから通っている生徒が何人もいたわけです。
施設は、戦後間もなく主に戦災孤児を収容するために設立されました。戦後生まれの私が中学生だったのは、もう、戦後20年近く経っていて戦災孤児はいなかったはずですから、様々な理由で居場所を失った子どもたちだったのでしょう。
とにかく名うての不良ばかりでした。同クラスには「お客さま」と陰口をたたかれる子がいて、教師からも見捨てられている。むしろ熱心な教師ほど叱る、叩くなどの乱暴をする。それでもニヤニヤ笑うだけ。やがて教室にも姿を現さない。当時流行っていたスロットカーのレーシングコースに入り浸っていて周囲を呆れさせました。なかなかマニアックで様々な細かい改造をしていて、それを自慢する時に歯抜けを丸出しにしてニヤッとする笑い顔が今でも目に浮かびます。発育不全なのかとても小柄でした。
対照的に壮健な体つきの子もいて、こちらは根っからの武闘派で、常に喧嘩沙汰を起こす問題児。周囲は怯えて遠巻きにするばかり。猪ノ爪家のこどもたちが通男に怯えるあの感じそのものです。何かのことでその子と殴る蹴るの喧嘩になりかけたことがあります。やせっぽちの私がかなう相手ではないのですが、すぐカッとなる性分の私は見境もなく歯向かっていった。それを周囲の級友たちが羽交い締めにして私を遠ざけてことを収めてくれました。「やめろ、お前がかなうわけがない。ケガをするぞ。」というわけです。
私には、この子のことが今日の道男にどうしても重なってしまいます。
当時、私たちの間で鉄棒が流行りました。昼休みに皆で校庭の隅の砂場にある高鉄棒で蹴上りなどを競うわけです。あの問題児はこともなく車輪なんかをやってみせて、そこではちょっとしたヒーローでした。やせっぽちで小学生の時は逆上がりもできなかった私も、そこで蹴上りができるようになりました。そういう場では、みんな何事もないようにわいわいいいながら鉄棒に夢中になっていました。あの子も、この隅っこの砂場では、そういう輪の中になじんでいました。
以前、音楽サロンに出かけたついでに、懐かしいこの町を散策したことがあります。私の中学校もそのままでした。
私の頃は「上目黒八丁目」でしたが、いまでは「大橋」と町名を変えています。ちょっと驚いたのですが、愛隣会・駒場若葉寮は、そのままもとの所にありました。近年は、児童虐待のために入寮する子どもがほとんどなのだそうです
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