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「雪渡の黒つぐみ」(桜井真城 著)読了 [読書]

東北の歴史舞台上に繰り広げられる、キリシタン+忍者の活劇時代小説。

キリシタンといえば天草や長崎。忍者といえば伊賀・甲賀。…というのが、ひと頃までのお決まり。それが、近年では東北のキリシタン、忍者という広がりを見せてきた。

東北のキリシタンといえば、西欧交易に熱心だった伊達政宗が派遣した遣欧使節。率いたのは支倉常長。メキシコを経てローマに至り、時の教皇パウルス5世に謁見した。しかし、日本へ帰国した時には、すでに禁教令が出されキリシタン弾圧が始まっていた。

支倉は失意のうちに没するが、同じ伊達政宗の家臣に後藤寿庵がいた。

見分村(現在の岩手県奥州市水沢福原)の領主。熱心なキリシタン領主で天主堂などを建設し、全国から宣教師や信徒を集めた。寿庵の人望、キリシタン伝授の鉱山開発、土木工学技術を惜しんだ政宗は、布教をしないことを条件に信仰を許そうとしたが、寿庵は拒否。陸奥南部藩に逃亡したとも、出羽秋田藩に渡ったとも伝えられるが、その生死は定かではない。

一方の忍者集団。戦国大名はそれぞれにこうした集団を抱えていた。織田信長は「饗談(きょうだん)」、武田信玄は「乱波(らっぱ)」、上杉謙信は「軒猿(のきざる)」といった具合。

東北の忍者といえば、伊達家に仕えた「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」。これに対抗する南部藩の忍者は「間盗役(かんとうやく)」と呼ばれた。

東北のキリシタンも、忍者も、一般にはまだまだ馴染みがないが、近年の郷土史研究で、なかなかの史実的存在感を発揮しているというわけだ。

会話文が、すべて「東北弁」。

方言だから、かなり読みづらい。

しかし、そこには意味がある。――スパイ小説には、他国に潜入しなりすましたスパイがちょっとし仕草や言葉遣いで身元がばれるという仕掛けがよく使われる。ここでも東北弁の独特の語法が仕掛けとして隠されている。東北弁の面倒くささの果てにどんでん返しがあるから、読みづらさは我慢のしどころというべきか。

伊達藩と南部藩との確執、岩手・秋田に豊富な金鉱資源を、隠れキリシタン+忍者活劇に結びつけたアイデアは秀逸。

なかなかの力作。


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雪渡の黒つぐみ
桜井 真城 (著)

講談社
2024年6月17日 第一刷

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ちょいワルと善人のデュオ (芸劇 名曲リサイタル・サロン) [コンサート]

改修でしばしお休みとなる芸劇ブランチコンサートの最終回は大入り満員。1999席完売は、このシリーズでは藤田真央以来の二度目だと思います。

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とにかく大人気の石田泰尚。直前にはミューザ川崎に満員御礼の札が下りたし、武道館でも公演を予定しているとか。今回、この石田泰尚の出演の企画は、ナビゲーターの八塩圭子さんお手柄なんだと自らアピール。直々にお願いしたところ、その場で手帳を開いて「あ、空いてる…」のひと言で決まったのだとか(爆笑)。

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これほどの人気は、やはり、ちょいワル風の風貌のギャップが魅力だからだろう。口数の少ないぶっきらぼうさと、それでいて演奏には品格があって正統なクラシック――そういうギャップがユニーク。気取らずお高くもとまっていない。実はシャイだと感じさせ、それがクラシック音楽との距離を縮めてくれる。そんなところに幅広いファンを惹き付ける魅力がある。

このシリーズ恒例の食べ物質問にも「朝食は抜き」「好きな料理は《しょうが焼き定食》」と一言しか返ってこない。会場は大笑い。八塩さんもそれにめげず質問を続けるところがさすが。

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お相手は、實川 風。

以前、このシリーズに登場した時には、「バッティングセンターのピアニスト」などと失礼なことを申し上げたけれど、その健全な好青年ぶりは相変わらず。これがまた、石田と絶妙なコントラスト。

石田の實川評は、「何でも受け止めてくれる」。

そもそも石田組の人選基準は?問われて、「人柄」のひと言。

一方で、實川の石田評というと、「飛び出してくるような凄い音楽性」「リハーサルと本番でまるで違う」。

つまりは、實川は、どんなクセ球、悪球でも打ち返す器用さがあって、体勢も崩れない。悪球を打ち返しても、實川の健全な音楽性は少しも損なわれない。ちょいワルと善人がみごとに両立する素晴らしいアンサンブル。

だから、シューベルト、モーツァルトからファリャ、ピアソラまで、ドイツ正統の名曲から、ラテン度を徐々に盛り上げていくという音楽の流れにも聴いている方は安心して身を任せることができる。選曲について八塩が質問すると…

石田の回答は「テキトーです」で終わり(大爆笑)。

最後は、實川の編曲で、バッハとピアソラを同時に混ぜくった曲。これまた、ちょいワルと善人の同居みたいな趣向の音楽で、なかなか面白かった。




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芸劇ブランチコンサート 名曲リサイタル・サロン
第32回「石田泰尚 & 實川 風」
2024年9月25日(火)11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(31階 D列59番)

ヴァイオリン:石田泰尚
ピアノ:實川 風
ナビゲーター:八塩圭子

シューベルト/アヴェ・マリア
モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ 第25番ト長調 K.301
スメタナ/我が故郷より
      第1曲 モデラート
      第2曲 アンダンティーノ「ボヘミアの幻想」
ファリャ/スペイン舞曲 火祭りの踊り
ピアソラ/悪魔のロマンス(實川編)
實川 風/トッカティーナ ~バッハとピアソラのテーマによる~

(アンコール)
シュニトケのタンゴ
ラ・クンパルシータ
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フランス近代の厚みと色彩 (紀尾井ホール室内管 定期) [コンサート]

指揮者のデュムソーは、初登場。

その音楽には目からウロコ。フランスの若手だけれど、フランス近現代音楽のエッセンスがぎっしり。

ルーセルの《蜘蛛の饗宴》は、その昔、FM放送で聴いたことがあるというだけ。たぶんマルティノンだと思う。CDも持っていない。もちろんナマで聴くのは初めて。

だから、こういう音楽だったのかと目が醒める思い。若い頃はフランス現代音楽というと前衛的でシュールなものだと思い込んでいました。題名からそんなイメージを連想したのでしょうか。確かに印象派音楽の流れをひく新しい響きに満ちているけれど、とっても暖かみと繊細さを感じさせる音楽。こういう近現代和声を心地よいと感じさせることは、響きのよいこのホールであっても希なこと。

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チェロのアルトシュテットは、ドイツ出身だけれどフランス系。紀尾井ホールはこれが二回目。初登場はショスタコーヴィチで、その場で今回の出演が決まったのだとか。音色を自在に操り、色彩の色彩の振幅の大きさは、まさにプロコフィエフにぴったり。パリで隆盛を極めた近現代バレエへの未練が内在しているのではと確かに感じてしまうのは、ルーセルに続いて聴いたからでしょうか。

名手ぞろいのオーケストラが、見事なまでにフランスのエスプリに染め上げられたのは、もちろんデュムソーの卓越したリーダーシップですが、久々の登場となったコンマスの千々岩さんのコミュニケーション力のたまものだと思うのです。

これだけの演奏を聴かされたあとでの、ビゼーがまさに目からウロコだったのです。

近年、政治経済の世界でよく聞かれる言葉に『中間層の厚み』というものがあります。所得階層のなかで中間層の比率が高く安定していることが社会を安定させ、国民経済を強化し、健全な民主主義を支える――それが経済財政政策の目標として掲げられることが多い。

《中間層》とは、かつては《プチ・ブル》《小市民》と蔑称的に呼ばれていました。そもそもがマルクス主義の用語。支配層にもなれず、保守というほどの頑強さもなく、ともすれば頭でっかちのリベラルに走りがちな、どっちつかずの無党派層。

フランス語のプチ(“petite”)には、そういう蔑みの意味合いがありますが、どこか軽い――一方では、その軽さの深層に、人間主義・個人主義的な生きることの懊悩と真理が秘められているように思うのです。そういう『中間層の厚み』が勢いづき、とびきり突出していたのがフランスの近現代ではなかったかと思うのです。

「アルルの女」とは、ファム・ファタールに心を翻弄されてしまう小地主(プチブル)の息子の悲劇。それは「カルメン」と同じ。初演では受け入れられなかったのに、作曲者の死後、古今の名曲になることも共通します。それは、分厚い中間層が形成される過程にあった近代フランスだったからこそだと考えるのです。

ファーブルの「昆虫記」がヒットする背景には、学術的なものというよりも、そういう市民社会の形成・成熟があったと言われます。小昆虫たちを愛する趣味趣向は、すなわちプチを愛でる小市民の嗜好そのもの。デュムソーのルーセルは、そういう個人の夢想の物語をものの見事に表出していました。

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もうひとつの「プチ」は、オーケストラの編成とバランス。

今回、紀尾井ホール室内管は、両翼対向・左低弦型8-8-6-4-2 楽譜通りの2管演奏です。2管といえどもホルン4台、コルネット2台、トロンボーン3台も加わった800席の紀尾井ホールのステージいっぱいに拡がった最大級の編成です。

大ホールでのメジャーオーケストラならば、もっと弦のプルト数を増やした大きな編成になりますが、このオリジナル譜通りの小さな(プチ)編成。コントラバスはたったの2台。そのバランスが素晴らしいサウンド効果を上げていました。

その効果というのは、管楽器群が弦楽器群と対等に明確な色彩コントラストを描き出すことの音楽的ドラマです。

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そのことは冒頭の前奏曲(第一組曲)から、いきなり目からウロコです。弦楽器群のモノトーンの主題から次々と変奏曲が繰り出されていく。その管楽器のアンサンブルやソロの見事なこと。大ホールの大編成では、こうした管楽器の自立した音色は、埋もれてしまったり、遠い遠景へと追いやられてしまいがち。テンポも少し速めにとっていて個々の楽器のテクスチュアが際立ちます。

そういうことは、あの有名なフルートとハープだけで始まるメヌエット(第二組曲)でも顕著。デュムソーさんは、ここではもはや指揮をせずふたりに任せてしまう。アンコールで繰り返された最後のファランドールでもオーケストラの勢いに任せてほとんど指揮をしない。ラストの二曲は、室内楽的な縮小からオーケストラが大集団となって高揚するその振幅の大きさが見事でした。

そういう室内楽的な自立性、凝縮性と個々の自我が集団となって多彩な膨張を繰り返す近現代のマス大衆文化という点では、まさにプロコフィエフの協奏曲も同じだったのです。その中核にあるのは「中間層の厚み」そのもの。

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ピエール・デュムソー、おそるべし。

この人の、フランス近現代歌劇をぜったい聴いてみたいと思いました。そういえばこの髭づらはビゼーに似てなくもない。






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紀尾井ホール室内管弦楽団 第140回定期演奏会
2024年9月21日(土) 14:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(2階C席2列13番)

ニコラ・アルトシュテット(チェロ)
指揮:ピエール・デュムソー
コンサートマスター:千々岩英一

ルーセル:交響的断章《蜘蛛の饗宴》op.17
プロコフィエフ:交響的協奏曲ホ短調 op.125
(アンコール)
バッハ:無伴奏チェロ組曲第一番よりサラバンド

ビゼー:劇付随音楽《アルルの女》第1組曲・第2組曲
(アンコール)
同上よりファランドール

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「第七師団と戦争の時代」(渡辺 浩平 著)読了 [読書]

第七師団とは、北海道に置かれた常備師団のこと。

その歴史は、そのまま近現代日本の北方の守り、日露の確執の歴史そのもの。

そもそも第七師団は、内地のそれとは成り立ちが違う。

内地の軍隊は、各地で徴兵されて編成された国民軍。一方、人口寡少の北海道にはそのような兵力は存在しなかった。だから、治安警備と開拓とを兼ねて屯田兵制度が出来た。その多くは、奥羽越列藩を中心に各地から入植してきた食い詰め士族だった。いわば開拓民自警の軍隊であり、寡兵とはいえ士族としての誇りも高かった。それが第七師団の母体となる。

北辺は、新開地であると同時に、ロシアと国境を接していた。「ロシアの南進という夢魔」に苛まれてきた明治以来の日本防衛を担うということでも、常に日本国土の守備の最前線にいた北鎮の軍隊であった。

その戦歴は、屯田兵としての西南戦争から始まり、日露戦争の旅順攻略戦、奉天会戦、シベリア出兵、ノモンハン事件…と、戦争の時代のほとんどの戦役に参加しているが、他の軍隊が中国本土や南方への侵略に駆り出されていた間は静謐を保ち続けている。8月15日で日本軍が武装解除し復員が始まってからが、北方方面軍の死闘の始まりとなる。9月2日の降伏文書調印後にようやくロシアの軍事侵攻が止まる。それが第七師団の歴史の終焉――まさに最後の帝国陸軍。

占守島の守備隊の抗戦は、北海道占領の危機を救ったとも言われるが、ソ連軍の攻勢が遅れたのは侵攻開始時に兵力の大部分が満州に注力されていたため。逆に、もし、関東軍・満州国軍があのようにあっけなく壊滅・潰走しなければ、あるいは米軍がアリューシャンから進駐しさえすれば、今日の北方領土問題は存在せず日露の国境はもっとずっと違った様相となっていたかもしれない。南樺太も千島列島も、カイロ宣言が言うような『第一次世界大戦後に武力で奪った土地』ではないからだ。

著者は、立命館大・都立大で学んだ中国の専門家。企業で北京・上海駐在という現地経験を経て、現在は北海道大学教授。そういう中国現代史の知見と北海道在住という地の利が本書に活かされている。

東京中心の正規資料ではなく、そのほとんどが、北海道現地で収拾された資料、証言、遺構であり、それは、まさに地を這う道民の視点から見た日露の歴史。忘れかけている北方領土問題など北辺の現代史の深層について認識を改めることも多い。

しかも、まるで大河ドラマを観るように面白い。



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第七師団と戦争の時代
帝国日本の北の記憶
渡辺 浩平 (著)

白水社
2021年8月25日 新刊
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USB接続のノイズが消える(出川式 USB‐PDFIX current+CPM) [オーディオ]

A&RラボのUSB‐PDFIX current+CPMがすごい。

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PCオーディオは、DACのUSB入力につないでいます。

USBオーディオインターフェースは10年ほど前に較べると大違い。今や完全にDAC入力のデフォルトにまりました。それでも泣き所は、PD(Power Delivery)。給電のためのVBUSとGNDの2ラインが信号ラインと同居している。

信号ラインにとっては不要のはずだけれど、接続を認識するためにどうしても必要とする。5Vの直流だからさほどの影響ではないはずだが、これがばかにならない。この2ラインだけ離すなどの対策ケーブルの売られている。このPDの問題は、i2SでもHDMIケーブルで接続するならおそらく同じだろうと思っています。

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これまでは、iFi audioのiDefenderを使っていました。当初は、さらに、5V給電には、バッテリー電源に加えて、同じiFi audioのmicro iUSB3.0を通じてiDefenderに給電するという念の入れようでした。ところがバッテリー電源(日本トラストテクノロジー/モバイル・パワー・バンク)の経年劣化でかえってノイズ源になってしまい、これをGaNアダプターに置き換えて現在に至っています。

GaN整流は、スイッチング周波数を従来のものから倍以上に上げてノイズを可聴帯域のはるか圏外に追い出すという画期的なものでした。しかし、A&Rラボの出川さんに言わせれば、それはあくまでも電圧変換回路の話しであって整流回路はダイオードということで変わらないとのこと。±が交差するゼロクロスでの負荷電流欠落は免れず、ここでスパイクノイズが発生することは変わらないということです。

出川さんの測定したオシロ画像には、この電流欠落やノイズが明確に観察できますし、PDFIX current+CPMでノイズが激減できることもわかります(写真)。

私のDACとは、すなわちESOTERIC GRANDIOSO-K1のUSB入力のことですから、パスパワーは関係ありませんので、本当かいな?と半信半疑でした。

ところが、USB接続に“USB‐PDFIX current+CPM”をかませてみたところ、一聴して違いがわかりました。ちょっとがく然とするほど。

周波数帯域の高低の両端で解像度がさらに改善しました。高域の厳しいハーモニーや音型でのキツさやささくれがさらに解消に向かいます。それでいて音の手触りのリアル、低音楽器の存在感が聞こえてきます。立体音場の広がりが半端なく、スピーカーのミリ単位のセッティングの違いなど、どこかへ吹っ飛んでしまいます。

PDラインの高周波ノイズが減少したと感じた瞬間でした。

それにしても、PDラインのノイズが、これほどデジタル信号の伝送ラインに影響していたとは予期しないことでした。これはDACというアナログを含む回路に直結しているところだけに起こる現象のようです。

これで、PC→DAC間の種々のノイズ対策アクセサリーが除去され、一本のUSBラインだけということでシンプルになりました。

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鏡の中の鏡 (奥井紫麻 ピアノ・リサイタル) [コンサート]

豊洲シビックセンターに奥井紫麻さんという若いピアニストのリサイタルを聴きにでかけました。

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お目当ての第1はファツィオリ。

ファツィオリはイタリアの新興ピアノメーカー。英国のレーベル、ハイペリオンがニコライ・デミジェンコやアンジェラ・ヒューイットに弾かせて先鞭をつけましたが、かつてはどこへ行ったらファツィオリが聴けるのか、誰がファツィオリが弾くのかと東京中を探し回りました。それをナマで聴ける。

この豊洲シビックセンターは、そのファツィオリ(F278)を常備しているというのです。ホールは300席ほどの小ホール。間近に聴けるチャンス。この初めてのホールの音響はどんなものかということも興味津々でした。

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奥井紫麻さんは、私にとっては無名でしたので、正直言って、動機としては3番目に過ぎなかったのですが、プロフィールを見てみると大変な天才少女。2004年生まれということですから、弱冠二十歳になったばかり。早くからその才能を認められ、幼少時から、モスクワのグネーシン音楽学校でロシアン・ピアニズムの英才教育を受けているという。

ステージに現れた奥井紫麻さんは真っ白なロングドレス。背中と脇が大きく空いていてちょっとドッキリさせられますが、ピアノを弾くまでの立ち居振る舞いには、まだまだ“天才少女”のあどけなさが残っています。

何と言っても聴かせてくれたのは、後半のラフマニノフ。

ファツィオリは、ステージ上で映える美しい姿態。内部のバーズアイの木調も艶やかで、会場を写し込むフィニッシュは本当に鏡のように磨き上げてある。ちょっとスリムに見える筐体や上蓋――これが轟くようにパワフルに響きわたる。

とにかく響きが豊か。ハンマーが弦を鋭く叩き発音するとその瞬間にキャビネットが共鳴しているような感覚があって、響きの豊穣さと透明度や明晰さが両立している。強烈な和音や、急速のパッセージでも、決して響きが濁らない。個々の音は完璧にクリアで、高音、中音、低音の全てが共に調和し、共鳴し、実に豊かな美しい音色を生みだす。高音は明るく輝かしく、中音はまろやかで濃厚、低音はオルガンのように豊か。

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奥井さんは、そのままにラフマニノフのピアニズムに向き合い、その「音楽」や「美しさ」に没頭しているかのよう。ファツィオリを弾く喜びが、ラフマニノフを弾く喜びと完全に合一しているかのよう。イタリアとロシアとは真反対のように距離が遠いと思えるのに、ファツィオリは、ロシアン・ピアニズムにぴったり。聴いているこちらまでも、そういうメカニカルなピアノの魔力に引き込まれてしまう。その吸引力は、以前に聴いた読響でトリフォノフが弾いたプロコフィエフ以上のものがありました。

さて…

このホールは、とても面白い仕掛けがある。

はて?と思ったのが、左右の壁面が非対称であること。左は木製だが、右とステージ背面はガラスになっている。フラットなガラス面が鏡になって、ピアノが合わせ鏡のように映し出される。まるで、鏡の中の鏡。音楽ホールとしては異例のことで、音響面への影響を心配したけれど、響きは多目的ホールとしては上々。

客席は、典型的な多目的ホールで階段状になっている。このことはピアノ独奏にとっては悪くない。天井高さがある程度確保できる前列なら、むしろピアノにとっては音楽専用ホールよりもよいかもしれない。ピアノの底が見えないからです。その分、サロンコンサートの平土間のピアノの親密で純度の高い響きに限りなく近い。

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プログラムが終了し、満場の拍手に応えてアンコールを弾き出した刹那に、ステージ背面から右にかけて、壁面が開けてガラス張りの向こうに薄暮の街が見えてくる。夕景に浮かぶ豊洲の都市景観美という何とも見事なフィナーレの演出でした。

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Fazioli Japan プレゼンツ
奥井紫麻 ピアノリサイタル
2024年9月15日(日)16:00
東京・豊洲 豊洲シビックセンターホール
(5列15番 自由席)

ショパン:
 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
 24のプレリュードOp.28全曲

ラフマニノフ:
 前奏曲集Op.23より2、4、5,6、7番
   〃 Op.32より1、2、3、5、6、7、8、12、13番

(アンコール)
スクリャービン:
 12のエチュードop.8から第4番
 
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期待の若き星 (中川優芽花 ピアノ・リサイタル) [コンサート]

まさに驚愕の才能。

ステージに現れると意外なほど小柄。ジャケットにロングパンツで全身黒ずくめ。音大出たて新任の音楽の先生みたい。

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その意外さが最初のラフマニノフで真反対にひっくり返る。信じられないような豪快なピアニズムと轟音。その音量の大きさ、最小の弱音からのレンジの広さに驚かされます。

足を運んだきっかけは、先だってNHKFMで放送された、ケルンでのリサイタルのライブ録音を聴いたこと。モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」やショパンなど、とても新鮮。なるほど、河村尚子や藤田真央に続くクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの覇者。しかも最年少。

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とにかく音楽が雄弁でその語り口の巧みさがとても新鮮。フレーズとフレーズの間合いや、旋律と内声部の重畳的な織り込み、装飾的なアクセントが巧みというだけでなく、曲と曲とのアクセントや場面転換の間合いが巧み。プログラム全体の構成が熟考されていると感じさせるのです。

ラフマニノフの前奏曲は、作曲家の生涯にわたって書き綴られた。だから、通しで演奏されると印象が散漫になってしまう。中川は、作品23から4曲だけ選び、しかも番号順に弾かない。最初は家庭的な幸福感に包まれた優しさのあふれる穏やかな第6番。曲調が一変する第2番はその音量とヴィルティオーシティで驚かせるのだけれど、これ見よがしの技巧披瀝ではなくてロシアの五月の爆発的な春の到来とその喜びを見事に感じさせてくれます。第4番は、また静謐な家族愛に戻り、第5番で家族愛の未来を信じ切った前向きの躍動とともにこの一連の家族の物語を閉じる。

その連なりの続きにシューマンがある。

たちまちの大拍手。それにニコニコと答え、いったんステージから下がるけれど、遅参の客の着席の時間を取っただけですぐに開始したのは、ラフマニノフの家族愛の余韻につなげるため。夢の世界へと導く、その開始が見事。

シューマンのピアノ曲のなかでも最高の傑作ともいえるこの曲は、同時にそのもの狂いが陰をひそめてしまう、シューマンとしては異質の音楽です。この曲の中心にあるのが、あの「トロイメライ」。逆クライマックスというのでしょうか、ぼんやりとした夢見心地が沈潜する世界。中川は、中級者でも弾けそうな平易なこの曲の巧みなコード進行と断片でつづる息の長い旋律を、ことさらに強弱のレンジを小さくとって弾く。意図は明らか。プログラムの中核はこのシューマンでありそのまた中心が「トロイメライ」。それは、ダイナミックスのコントラストの基底とも言うべきもの。つまり、ラフマニノフと後半のリストとの真ん中に置かれた「子供の情景」そのものがプログラム全体の二重の逆クライマックスになっている。アンコールピースとして聴かされてもこういう感動はないと思います。

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大変なストーリー・テラー。

リストのロ短調ソナタは、様式構成としてはとりとめもない曲ですが、なぜか連続ドラマのように起承転結が繰り返し、片時も目が離せないドラマチックな音楽。その旋律や動機の音色や色彩、和声リズムが千変万化で、前後で雰囲気が一変するような場面転換も鮮やかで、まるで、能楽を観ているよう。

中川のパレットの多さは驚くほどで、複雑に絡み合う動機、旋律、内声、ベースライン、リズム打鍵がまるでオーケストラのように繰り出され、見事にコントロールされています。その象徴とも言えるのが、再現部となる長い終結の部分を導くあの短いフガートでした。そういうオーケストラルなピアニズムは、アンコールでのピアノ編「ヴォカリーズ」でも舌を巻く思いでした。

楽器のコントロール力が驚異的。

ラフマニノフでのロングトーンでの消えゆく終結での、指先のストロークとフットペダルで醸すダンパーの絶妙なバランスには驚きました。デリケートな楽器のメカニズムが強音でわずかに狂わされ、その後はなかなか金属的なノイズが抑えられなかったことは差し引いても、はっとさせられた一瞬でした。一音一音の粒のそろえ方、強弱の階調の無限大とも思える数の多さ、強弱の偏移の滑らかさなど、ほんとうに見事。

リストへは、毒のようなもの、どこまでも堕ちていく陰鬱なものなど、聴く者をドキリとさせるような表現がもっと欲しいという気もしましたが、それはやはりまだ若いせいなんだと思います。あれだけのドラマはなかなかお目にかかれないと思いました。

ほんとうにこれからどうなっていくのか、とても楽しみなピアニスト。…というと、誤解されてしまいかねないのですが、だからこそ今こそ聴いておきたいピアニスト。「驚才!」




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中川優芽花 ピアノ・リサイタル
2024年9月11日(水日)194:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階9列9番)

ラフマニノフ:
前奏曲集 作品23より
 第6番 変ホ長調
 第2番 変ロ長調
 第4番 ニ長調
 第5番 ト短調
シューマン:
 子どもの情景 Op.15

リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178

(アンコール)
ラフマニノフ:
 ヴォカリーズ
 イタリアン・ポルカ

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「正義の行方」(木寺一孝 著)読了 [読書]

NHKBS1スペシャル『正義の行方』-飯塚事件30年後の迷宮-』を書籍化したもの。映画版『正義の行方』もこの4月に公開されている。

「飯塚事件」――

それは、1992年に福岡県飯塚市で小学生の女児2人が殺害され無残な姿で山中に遺棄された事件。容疑者が否認のまま、最高裁まで争われ死刑が確定した。死刑執行は、死刑確定後、その2年後の2008年に異例の早さで執行され、元死刑囚(当時70)は、その死の最後まで無罪を訴えていたという。その死後に再審請求が行われるという異例の展開をたどっている。

拉致現場や遺棄現場にいたとされる容疑者の姿やその自家用車などの目撃など、すべてが状況証拠に過ぎず、何一つ犯行が容疑者によって行われたという直接証拠はない。そうした状況証拠のつなぎ合わせのみで起訴され、裁かれて死刑が確定している。

状況証拠のひとつとして決定的だったのがDNA鑑定。

当時、DNA鑑定はまだまだ未成熟な技術だった。証拠として使えるかどうかが、大きな焦点となった。容疑者のものと一致するという鑑定結果とは真逆の主張をする法医学者の鑑定証言もあった。

この事件の直前に発生していたのが、歴史的えん罪となった足利事件。

ここでもDNA鑑定が焦点となった。結局、再審が認められDNA鑑定結果はくつがえることになった。実は、当時、警察庁は、新たな技術であるDNA鑑定の本格導入と予算獲得に向けて、その成果を急いでいたという事情もあった。

しかし、このふたつの事件の結末は大きく違う。

この事件では、えん罪被害者となった菅家利和は、当初は強要されて犯行を認める自白をしている。一方で、「飯塚事件」の容疑者は一貫して否認している。足利事件は、無期懲役。しかし、「飯塚事件」は死刑。死刑執行により口が閉ざされた以上、もはやえん罪であることが証明されても誰も救われない。死刑執行後の再審は、そのまま、それは死刑廃止につながる。

このノンフィクションは、この殺人事件に巻き込まれていった当事者たちの「正義」をめぐる物語。

DNA鑑定結果をいち早く察知し、特ダネを打った新聞記者たちの悔恨にまみれた執念の再取材が心を打つ。捜査を担った警察官たち、被告人の妻と弁護士たち、それぞれに信じる「真実」があり、その依って立つ「正義」がある。そのことを公正に取材し、一切の色づけをしない。そこに報道記者としての「正義」がある。

それにしても、こうした「正義」の裏に隠れている司法の真実はどこにあるのだろうか。

状況証拠だけで、しかも一貫して無罪を訴え続けていた被告に死刑の判決を下した判事たち。この事件に限って、異例の早さで死刑執行を急いだ司法当局。再審請求に悶々ともがいていた弁護団の動きを知らなかったはずがない。

残念ながら、その「正義」は、本書では問われていない。

何かにせき立てられるように一気に読み進んだが、その「行方」には慄然とせざるを得ない。


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正義の行方
木寺一孝 著
講談社
2024年3月31日 第一刷

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オールホーンの音作り(Tさん宅訪問)後編 [オーディオ]

Tさん宅をお訪ねしたオフ会の報告の続きです。

訪問のテーマは「立体音場再生」。

「オールホーンのマルチウェイでも立体再生はできる」のか??という、こちらでのやりとりが、きっかけでした。

実際にお伺いして聴いてみれば、「立体音場再生」の思いも目指す方向性も、私と同じ、ということでした。

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「立体感」というと、奥まった音場空間に幽霊のような音像がホログラフィックに林立するというイメージが一般には多いようです。特に「ハイエンド」を標榜するような人々。ここでの「立体音場再生」というのはそういうことではありません。もちろん録音によってはそういうものもあるのでしょうが、むしろ、それはコンサートフィデリティということではかえって人工的で不自然。

ひと言で言えば、眼前のステージが拡がる感じ。ホールにワープするような感覚。決してシャープでキレのあるということに限らない。音楽が部屋いっぱいに展開する。空気の共有感…。

どのようにしてそれを目指すのか?ということをTさんに聞いてみました。普段心がけていることとか、どんなことに注意を払っているかとか…。

一番のキーワードは『音圧』なのだそうだ。

実は、これまでもブログなどでTさんが『音圧』ということを仰っていることは知っていました。ところが、その言葉の意味がピンと来なかったのです。今回、直接お聴かせいただきながら会話させていただけたことでわかったような気がしてきました。

まず、強調されていたことは〈タイムアライメント〉。

ドライバーの振動面を合わせること。

各ユニットの設置位置を厳密に合わせる。それはドライバー振動面とリスニングポジションまでの距離を厳密に合わせるということ。言い換えれば、ドライバー振動面を仮想的に点音源とするように面を厳密に合わせることになります。中核となっている中低音ホーンの開口部が突出していて、しかもワンターンの折り曲げホーンになっているので見た目では気づきにくいのですが、ドライバー面はぴったり合っているそうです。ウーファーも後の壁際にあたりまえのように置いてあるのですが、よく見ればツィターも後の壁際にあって、すべてのユニットの振動源は後の壁際の二次元面にぴたりとそろっています。

勝手な思い込みかもしれませんが、『音圧』の意味合いは、全てのユニットがタテヨコぴったりと合っていること。タテ(片chの上下)だけでなくヨコ(両chの対応する左右)もピッタリと合わせてある。ネットワークも相当に年季の入ったもので時間をかけてバランスを細密に調整されてきたのではないでしょうか。

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つまりは、レガッタのエイトのオールみたいなもの。

ボートは、複数のオールで漕ぐもの。エイトともなると8人で8本のオールを合わせる。ひとりひとりの体力と技術もさることながら、8本のオールをぴたりと合わせることでとてつもないスピードの差を生みます。スピーカーで全ての振動源がぴたりと合うことがすなわち『音圧』。

ホーンスピーカーの振動板は小さく、スロートを絞っているので点音源に近い。数理的に計算されたホーン形状で抑制された拡散なので干渉や反射の無い純粋な波動が得られる。その点ではコーン形よりもずっと有利です。純度の高さという意味では平面型も近いものがありますが、点音源ということではホーン型には敵わない。

ホーンスピーカーの欠点、扱いの難しさは山のようにあって、なかなか一般的普及には耐えないわけです。さらにウーファーまでホーン型というのはなかなか実現できない。たいがいはコーン型ウーファーを使うのですが、それだけでつながりが悪くなり致命的にバランスを崩してしまう。その点でもTさんは徹底しています。お聞きするとネットワークは6dB/octの一次フィルターなんだとか。これも驚きです。帯域はかなり被ってしまうわけですが、それを丹念に調整してきたのでしょう、結果として各ユニットの位相や音色のつながりが完璧に近い。しかもドライバーユニットは全て励磁に改造してあるという徹底ぶり。

振動源を合わせ焦点密度を高めたことから生まれるサウンドのエネルギーと純度は素晴らしいものがありました。もちろん、「立体音場再生」という点で部屋全体をホール音響で満たし、その中に包み込まれる。そういうオーディオの豪奢な愉悦は極上のものでした。

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もうひとつ共感したのは、ジャンルの幅の広さ。

よく、クラシック向き、ジャズ向き、ロック向きだとか、ジャンルに合わせてシステムを何通りも使いわけることを自慢する人がおられます。完璧なオーディオなんて存在しないというのはわかりますが、かといって何か特定のものに合わせたものというのは主客転倒の独りよがりに過ぎないと思うのです。どんなジャンルであっても音楽ソースの隅々までバランスよく鳴らすことができてこその完成度。様々な音楽ソースを聴いてチューニングを重ねるということがオーディオの本道だと思うのです。ソースによって多少の調整をしたければトーンコントロール(あるいはグライコ)による帯域バランスの調整で十分だし、それが本道。


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立体音場再生のテーマからは外れますが、モノラル再生あるいはカートリッジの比較なども楽しませていただきました。特にEMTやデッカのカートリッジのキャラクターの違いが面白かった。デフォルトはオルトフォンですが、そのことにも納得。それと比較すると、なるほどこういうことだったのかと、その違いがとても鮮やか。認識を改めました。これもまた趣味のオーディオ。ジャンルや自分の好みという独り合点の型にはめるというのではなくて、ユニットそのものの音味の違いを楽しむということ。それもオーディオの趣味性だと思うのです。


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最後に、昭和歌謡をリクエストさせていただいたら、取り出したのは何と因幡晃の「わかって下さい」。低音はご謙遜だったのに、そのイントロのパイプオルガンのサウンドにはあっけにとられました。

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残念だったのは、やはり、アンプや励磁電源、ネットワークのコンディショニングでしょうか。次回はぜひ、トラブル無しで安定したベストチューニングでお聴かせください。

楽しい時間をありがとうございました。

タグ:訪問オフ会
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オールホーンの音作り(Tさん宅訪問)前編 [オーディオ]

Tさん宅をお訪ねしました。

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Tさんは、オールホーン・システム。大変なオーディオ遍歴を重ねられてきた方で、その果てにこのシステムがあります。古典的なユニットに真空管アンプで、アナログオンリー。とにかくハンドメイドの独自の世界観があるオーディオです。

そもそもは、私が「立体音場再生」と題して投稿した記事へのレスのやり取りです。Tさんが「オールホーンのマルチウェイでも立体再生はできる」「リアルサウンドでステージを実現できている」というので、それでは是非聴かせてください…となったわけです。

…というわけで、訪問のテーマはあくまでも「立体音場再生」。

到着までに一波乱。

励磁スピーカーの電源のひとつが壊れてしまったとのこと。予熱を入念にと準備中に物が落下して電源に当たってしまったそうです。車で旧知のショップで応急修理。私が駅に到着するまでに間に合いましたが、その重い電源を車内に積んでのお出迎え。

オーディオルームに入ってからも、いろいろとお取り込み。午前中からの入念な準備と十分な予熱という思惑は大ハズレ。アンプ類も励磁電源も全て到着してからの点灯というわけです。もうお気の毒と言ってよいほどのドタバタです。

案の定、最初はなかなか安定しません。言い出せばキリが無いほど気になる点が満載なのです。Tさんも最低でも2時間はかかると仰います。

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しかし…

最初からおや?…と思いました。先入観として持っていたホーンのマルチウェイのイメージとは違う。確かに、音の拡がりとナチュラルなハーモニーとステージ感があります。

私の耳慣れた音源ということで、持参したレコードを優先して聴かせていただきました。上述のような暖機不足ですのでいろいろと思うところはありましたが、次第にこちらの耳も慣れてきて、このオールホーン・システムの本質が見えてきました。


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最初にかけていただいたショルティ/シカゴのワグナー。

国内廉価盤なのですが、これがこういうハイクラスのオーディオにはけっこう鬼門。やっぱりそうかとちょっと落胆はしたのですが、ホルンやトロンボーンなどには気がつかなかったリアリティ。このLPは、暖機の進捗にともなって何回かかけ直しました。そのたびにこのシステムの素晴らしい素性を感じさせるようになっていきました。

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次にかけたのは中本マリのボーカル。

Tさんは、低音の量感を求めないと公言しています。低域であってもあくまでも弾むような溌剌としたリアリティを追求。ユニット2本のショートホーンは巨大なもので、多少のご謙遜はあるとは思いますが、確かにとてもタイトで低域の遅れが音に被ってしまうことが皆無。ただし、周波数の加減なのか、このLPはかなり低音が気になりました。東芝音工の力作プロユース・シリーズ――洒脱なボーカルと原田政長の弾むようなウッドベース、ビッグバンドのパワフルなサウンドが魅力ですが、気になったのはキックドラム。ガツンと甲高い衝撃になってしまって低音にならない。――この原因は最後の最後に、低音ユニットの励磁電源の電圧が上がっていなかったことと判明しました。

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驚いたのは、シャルランレコードが見事に鳴ったこと。

たいがいのシステムには鬼門のはずのこのレーベルが見事に鳴りました。ヴィヴァルディの四季ですが、これほどアンサンブルがほぐれて輝かしい弦楽器の蠱惑的な音色が立体的に再生されたのはあまり聴いたことがありません。この演奏にはコントラバスが含まれていないので、バランス上、前述のウーファーが悪さしなかったということもあったのかもしれません。

4way10ユニットのオールホーンをこれだけマネージするというのは大変なこと。しかも、アンプやプレーヤーもかなりの年代物です。その大変さの一端をはからずも目撃することになりましたが、大変さを苦労とせずに嬉々としてやっておられる。これこそ趣味のオーディオ。

(続く)

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