「正義の行方」(木寺一孝 著)読了 [読書]
NHKBS1スペシャル『正義の行方』-飯塚事件30年後の迷宮-』を書籍化したもの。映画版『正義の行方』もこの4月に公開されている。
「飯塚事件」――
それは、1992年に福岡県飯塚市で小学生の女児2人が殺害され無残な姿で山中に遺棄された事件。容疑者が否認のまま、最高裁まで争われ死刑が確定した。死刑執行は、死刑確定後、その2年後の2008年に異例の早さで執行され、元死刑囚(当時70)は、その死の最後まで無罪を訴えていたという。その死後に再審請求が行われるという異例の展開をたどっている。
拉致現場や遺棄現場にいたとされる容疑者の姿やその自家用車などの目撃など、すべてが状況証拠に過ぎず、何一つ犯行が容疑者によって行われたという直接証拠はない。そうした状況証拠のつなぎ合わせのみで起訴され、裁かれて死刑が確定している。
状況証拠のひとつとして決定的だったのがDNA鑑定。
当時、DNA鑑定はまだまだ未成熟な技術だった。証拠として使えるかどうかが、大きな焦点となった。容疑者のものと一致するという鑑定結果とは真逆の主張をする法医学者の鑑定証言もあった。
この事件の直前に発生していたのが、歴史的えん罪となった足利事件。
ここでもDNA鑑定が焦点となった。結局、再審が認められDNA鑑定結果はくつがえることになった。実は、当時、警察庁は、新たな技術であるDNA鑑定の本格導入と予算獲得に向けて、その成果を急いでいたという事情もあった。
しかし、このふたつの事件の結末は大きく違う。
この事件では、えん罪被害者となった菅家利和は、当初は強要されて犯行を認める自白をしている。一方で、「飯塚事件」の容疑者は一貫して否認している。足利事件は、無期懲役。しかし、「飯塚事件」は死刑。死刑執行により口が閉ざされた以上、もはやえん罪であることが証明されても誰も救われない。死刑執行後の再審は、そのまま、それは死刑廃止につながる。
このノンフィクションは、この殺人事件に巻き込まれていった当事者たちの「正義」をめぐる物語。
DNA鑑定結果をいち早く察知し、特ダネを打った新聞記者たちの悔恨にまみれた執念の再取材が心を打つ。捜査を担った警察官たち、被告人の妻と弁護士たち、それぞれに信じる「真実」があり、その依って立つ「正義」がある。そのことを公正に取材し、一切の色づけをしない。そこに報道記者としての「正義」がある。
それにしても、こうした「正義」の裏に隠れている司法の真実はどこにあるのだろうか。
状況証拠だけで、しかも一貫して無罪を訴え続けていた被告に死刑の判決を下した判事たち。この事件に限って、異例の早さで死刑執行を急いだ司法当局。再審請求に悶々ともがいていた弁護団の動きを知らなかったはずがない。
残念ながら、その「正義」は、本書では問われていない。
何かにせき立てられるように一気に読み進んだが、その「行方」には慄然とせざるを得ない。
正義の行方
木寺一孝 著
講談社
2024年3月31日 第一刷
「飯塚事件」――
それは、1992年に福岡県飯塚市で小学生の女児2人が殺害され無残な姿で山中に遺棄された事件。容疑者が否認のまま、最高裁まで争われ死刑が確定した。死刑執行は、死刑確定後、その2年後の2008年に異例の早さで執行され、元死刑囚(当時70)は、その死の最後まで無罪を訴えていたという。その死後に再審請求が行われるという異例の展開をたどっている。
拉致現場や遺棄現場にいたとされる容疑者の姿やその自家用車などの目撃など、すべてが状況証拠に過ぎず、何一つ犯行が容疑者によって行われたという直接証拠はない。そうした状況証拠のつなぎ合わせのみで起訴され、裁かれて死刑が確定している。
状況証拠のひとつとして決定的だったのがDNA鑑定。
当時、DNA鑑定はまだまだ未成熟な技術だった。証拠として使えるかどうかが、大きな焦点となった。容疑者のものと一致するという鑑定結果とは真逆の主張をする法医学者の鑑定証言もあった。
この事件の直前に発生していたのが、歴史的えん罪となった足利事件。
ここでもDNA鑑定が焦点となった。結局、再審が認められDNA鑑定結果はくつがえることになった。実は、当時、警察庁は、新たな技術であるDNA鑑定の本格導入と予算獲得に向けて、その成果を急いでいたという事情もあった。
しかし、このふたつの事件の結末は大きく違う。
この事件では、えん罪被害者となった菅家利和は、当初は強要されて犯行を認める自白をしている。一方で、「飯塚事件」の容疑者は一貫して否認している。足利事件は、無期懲役。しかし、「飯塚事件」は死刑。死刑執行により口が閉ざされた以上、もはやえん罪であることが証明されても誰も救われない。死刑執行後の再審は、そのまま、それは死刑廃止につながる。
このノンフィクションは、この殺人事件に巻き込まれていった当事者たちの「正義」をめぐる物語。
DNA鑑定結果をいち早く察知し、特ダネを打った新聞記者たちの悔恨にまみれた執念の再取材が心を打つ。捜査を担った警察官たち、被告人の妻と弁護士たち、それぞれに信じる「真実」があり、その依って立つ「正義」がある。そのことを公正に取材し、一切の色づけをしない。そこに報道記者としての「正義」がある。
それにしても、こうした「正義」の裏に隠れている司法の真実はどこにあるのだろうか。
状況証拠だけで、しかも一貫して無罪を訴え続けていた被告に死刑の判決を下した判事たち。この事件に限って、異例の早さで死刑執行を急いだ司法当局。再審請求に悶々ともがいていた弁護団の動きを知らなかったはずがない。
残念ながら、その「正義」は、本書では問われていない。
何かにせき立てられるように一気に読み進んだが、その「行方」には慄然とせざるを得ない。
正義の行方
木寺一孝 著
講談社
2024年3月31日 第一刷