期待の若き星 (中川優芽花 ピアノ・リサイタル) [コンサート]
まさに驚愕の才能。
ステージに現れると意外なほど小柄。ジャケットにロングパンツで全身黒ずくめ。音大出たて新任の音楽の先生みたい。
その意外さが最初のラフマニノフで真反対にひっくり返る。信じられないような豪快なピアニズムと轟音。その音量の大きさ、最小の弱音からのレンジの広さに驚かされます。
足を運んだきっかけは、先だってNHKFMで放送された、ケルンでのリサイタルのライブ録音を聴いたこと。モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」やショパンなど、とても新鮮。なるほど、河村尚子や藤田真央に続くクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの覇者。しかも最年少。
とにかく音楽が雄弁でその語り口の巧みさがとても新鮮。フレーズとフレーズの間合いや、旋律と内声部の重畳的な織り込み、装飾的なアクセントが巧みというだけでなく、曲と曲とのアクセントや場面転換の間合いが巧み。プログラム全体の構成が熟考されていると感じさせるのです。
ラフマニノフの前奏曲は、作曲家の生涯にわたって書き綴られた。だから、通しで演奏されると印象が散漫になってしまう。中川は、作品23から4曲だけ選び、しかも番号順に弾かない。最初は家庭的な幸福感に包まれた優しさのあふれる穏やかな第6番。曲調が一変する第2番はその音量とヴィルティオーシティで驚かせるのだけれど、これ見よがしの技巧披瀝ではなくてロシアの五月の爆発的な春の到来とその喜びを見事に感じさせてくれます。第4番は、また静謐な家族愛に戻り、第5番で家族愛の未来を信じ切った前向きの躍動とともにこの一連の家族の物語を閉じる。
その連なりの続きにシューマンがある。
たちまちの大拍手。それにニコニコと答え、いったんステージから下がるけれど、遅参の客の着席の時間を取っただけですぐに開始したのは、ラフマニノフの家族愛の余韻につなげるため。夢の世界へと導く、その開始が見事。
シューマンのピアノ曲のなかでも最高の傑作ともいえるこの曲は、同時にそのもの狂いが陰をひそめてしまう、シューマンとしては異質の音楽です。この曲の中心にあるのが、あの「トロイメライ」。逆クライマックスというのでしょうか、ぼんやりとした夢見心地が沈潜する世界。中川は、中級者でも弾けそうな平易なこの曲の巧みなコード進行と断片でつづる息の長い旋律を、ことさらに強弱のレンジを小さくとって弾く。意図は明らか。プログラムの中核はこのシューマンでありそのまた中心が「トロイメライ」。それは、ダイナミックスのコントラストの基底とも言うべきもの。つまり、ラフマニノフと後半のリストとの真ん中に置かれた「子供の情景」そのものがプログラム全体の二重の逆クライマックスになっている。アンコールピースとして聴かされてもこういう感動はないと思います。
大変なストーリー・テラー。
リストのロ短調ソナタは、様式構成としてはとりとめもない曲ですが、なぜか連続ドラマのように起承転結が繰り返し、片時も目が離せないドラマチックな音楽。その旋律や動機の音色や色彩、和声リズムが千変万化で、前後で雰囲気が一変するような場面転換も鮮やかで、まるで、能楽を観ているよう。
中川のパレットの多さは驚くほどで、複雑に絡み合う動機、旋律、内声、ベースライン、リズム打鍵がまるでオーケストラのように繰り出され、見事にコントロールされています。その象徴とも言えるのが、再現部となる長い終結の部分を導くあの短いフガートでした。そういうオーケストラルなピアニズムは、アンコールでのピアノ編「ヴォカリーズ」でも舌を巻く思いでした。
楽器のコントロール力が驚異的。
ラフマニノフでのロングトーンでの消えゆく終結での、指先のストロークとフットペダルで醸すダンパーの絶妙なバランスには驚きました。デリケートな楽器のメカニズムが強音でわずかに狂わされ、その後はなかなか金属的なノイズが抑えられなかったことは差し引いても、はっとさせられた一瞬でした。一音一音の粒のそろえ方、強弱の階調の無限大とも思える数の多さ、強弱の偏移の滑らかさなど、ほんとうに見事。
リストへは、毒のようなもの、どこまでも堕ちていく陰鬱なものなど、聴く者をドキリとさせるような表現がもっと欲しいという気もしましたが、それはやはりまだ若いせいなんだと思います。あれだけのドラマはなかなかお目にかかれないと思いました。
ほんとうにこれからどうなっていくのか、とても楽しみなピアニスト。…というと、誤解されてしまいかねないのですが、だからこそ今こそ聴いておきたいピアニスト。「驚才!」
中川優芽花 ピアノ・リサイタル
2024年9月11日(水日)194:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階9列9番)
ラフマニノフ:
前奏曲集 作品23より
第6番 変ホ長調
第2番 変ロ長調
第4番 ニ長調
第5番 ト短調
シューマン:
子どもの情景 Op.15
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
(アンコール)
ラフマニノフ:
ヴォカリーズ
イタリアン・ポルカ
ステージに現れると意外なほど小柄。ジャケットにロングパンツで全身黒ずくめ。音大出たて新任の音楽の先生みたい。
その意外さが最初のラフマニノフで真反対にひっくり返る。信じられないような豪快なピアニズムと轟音。その音量の大きさ、最小の弱音からのレンジの広さに驚かされます。
足を運んだきっかけは、先だってNHKFMで放送された、ケルンでのリサイタルのライブ録音を聴いたこと。モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」やショパンなど、とても新鮮。なるほど、河村尚子や藤田真央に続くクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの覇者。しかも最年少。
とにかく音楽が雄弁でその語り口の巧みさがとても新鮮。フレーズとフレーズの間合いや、旋律と内声部の重畳的な織り込み、装飾的なアクセントが巧みというだけでなく、曲と曲とのアクセントや場面転換の間合いが巧み。プログラム全体の構成が熟考されていると感じさせるのです。
ラフマニノフの前奏曲は、作曲家の生涯にわたって書き綴られた。だから、通しで演奏されると印象が散漫になってしまう。中川は、作品23から4曲だけ選び、しかも番号順に弾かない。最初は家庭的な幸福感に包まれた優しさのあふれる穏やかな第6番。曲調が一変する第2番はその音量とヴィルティオーシティで驚かせるのだけれど、これ見よがしの技巧披瀝ではなくてロシアの五月の爆発的な春の到来とその喜びを見事に感じさせてくれます。第4番は、また静謐な家族愛に戻り、第5番で家族愛の未来を信じ切った前向きの躍動とともにこの一連の家族の物語を閉じる。
その連なりの続きにシューマンがある。
たちまちの大拍手。それにニコニコと答え、いったんステージから下がるけれど、遅参の客の着席の時間を取っただけですぐに開始したのは、ラフマニノフの家族愛の余韻につなげるため。夢の世界へと導く、その開始が見事。
シューマンのピアノ曲のなかでも最高の傑作ともいえるこの曲は、同時にそのもの狂いが陰をひそめてしまう、シューマンとしては異質の音楽です。この曲の中心にあるのが、あの「トロイメライ」。逆クライマックスというのでしょうか、ぼんやりとした夢見心地が沈潜する世界。中川は、中級者でも弾けそうな平易なこの曲の巧みなコード進行と断片でつづる息の長い旋律を、ことさらに強弱のレンジを小さくとって弾く。意図は明らか。プログラムの中核はこのシューマンでありそのまた中心が「トロイメライ」。それは、ダイナミックスのコントラストの基底とも言うべきもの。つまり、ラフマニノフと後半のリストとの真ん中に置かれた「子供の情景」そのものがプログラム全体の二重の逆クライマックスになっている。アンコールピースとして聴かされてもこういう感動はないと思います。
大変なストーリー・テラー。
リストのロ短調ソナタは、様式構成としてはとりとめもない曲ですが、なぜか連続ドラマのように起承転結が繰り返し、片時も目が離せないドラマチックな音楽。その旋律や動機の音色や色彩、和声リズムが千変万化で、前後で雰囲気が一変するような場面転換も鮮やかで、まるで、能楽を観ているよう。
中川のパレットの多さは驚くほどで、複雑に絡み合う動機、旋律、内声、ベースライン、リズム打鍵がまるでオーケストラのように繰り出され、見事にコントロールされています。その象徴とも言えるのが、再現部となる長い終結の部分を導くあの短いフガートでした。そういうオーケストラルなピアニズムは、アンコールでのピアノ編「ヴォカリーズ」でも舌を巻く思いでした。
楽器のコントロール力が驚異的。
ラフマニノフでのロングトーンでの消えゆく終結での、指先のストロークとフットペダルで醸すダンパーの絶妙なバランスには驚きました。デリケートな楽器のメカニズムが強音でわずかに狂わされ、その後はなかなか金属的なノイズが抑えられなかったことは差し引いても、はっとさせられた一瞬でした。一音一音の粒のそろえ方、強弱の階調の無限大とも思える数の多さ、強弱の偏移の滑らかさなど、ほんとうに見事。
リストへは、毒のようなもの、どこまでも堕ちていく陰鬱なものなど、聴く者をドキリとさせるような表現がもっと欲しいという気もしましたが、それはやはりまだ若いせいなんだと思います。あれだけのドラマはなかなかお目にかかれないと思いました。
ほんとうにこれからどうなっていくのか、とても楽しみなピアニスト。…というと、誤解されてしまいかねないのですが、だからこそ今こそ聴いておきたいピアニスト。「驚才!」
中川優芽花 ピアノ・リサイタル
2024年9月11日(水日)194:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階9列9番)
ラフマニノフ:
前奏曲集 作品23より
第6番 変ホ長調
第2番 変ロ長調
第4番 ニ長調
第5番 ト短調
シューマン:
子どもの情景 Op.15
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
(アンコール)
ラフマニノフ:
ヴォカリーズ
イタリアン・ポルカ
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