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「アメリカ連邦最高裁判所」(リンダ・グリーンハウス 著)読了 [読書]

アメリカの司法制度は、わかりにくい。

日本の司法制度のことが一般にどれほど理解されているかということを抜きにしても、相当にわかりにくいと感じる人々は多いと思う。そのわかりにくいという実感は、その際立った政治性にあると思う。とにかく目立つのだ。大統領選挙がらみでやたらにマスコミに登場する。日本の最高裁など、判決が話題になっても、その存在感自体は薄い。

連邦最高裁判所は、実のところ合衆国憲法に規定される唯一の裁判所である。

日本国憲法では、1章7条にわたって規定されている。これが立法・行政・司法の三権分立の手本とされる合衆国憲法の実態なのだ。逆に、だからこそ連邦最高裁判所は、常に大統領や議会と激しく対峙している。アメリカでは、裁判所も政治的・イデオロギー的対立の渦中にあり、そうであることを隠すことすらもしない。

他国との大きな違いは、終身制であること。任期が無い。死去、辞任するまでその地位は終身保証される。

影響力を残したい大統領は若くてイデオロギー性の明確な人材を指名したがるし、対立する政党が上院の多数派の場合は審議が紛糾する。勢いその任期は長い。アメリカでは、司法の時代区分が、しばしば長官の名前を冠して語られるのもそのせいだそうだ。

そういう実態だから、判決はしばしば世論の多数とも対立する。日本のように「法の正義と安定性」「司法の独立」などという常識とは違って、あくまでも党派的駆け引きの結果としての多数派形成がもたらす評定なのだ。しかも、長い任期の中でイデオロギー的信条を逆転させてしまう判事もいて、ことはそう単純ではない。

審判についても、必ずしも全員一致を建前としない。原則、多数決であり、しかも僅差を争うことも少なくない。各判事がその立場を明確にして賛成・反対の意見を開示する。だからこそ、指名・任命は大きな政治的な駆け引きとなり政治的スキャンダルとなる。日本では誰が長官や判事なのかなど誰も気にしていない。日本とは大違いの政治的大騒動となるのは、そのせいなのだ。

連邦最高裁判所が管轄権を持つのは、連邦法に関するものや、外交に関するものの他、州をまたがる訴訟や州政府が当事者となる事件に限られる。申請されるものに較べて実際に審理されるものは極めて少ないという。一方で、合憲審理は多く連邦最高裁判所が違憲と判決すれば、連邦議会の法律はそのまま無効とされることが判例上確立している。合憲違憲がいつも曖昧にされてしまう日本とは大違いだ。

本書は、そういう連邦裁判所制度の歴史や経緯、現在の姿を、著名事例をふんだんに散りばめて、簡潔に解説する。むしろ簡潔すぎて門外漢にはかえってわかりにくい。文章も独特の法律的修辞が多くハードルが高い。文章がわかりにくいのは、多分に翻訳のせいもありそうだ。

三権分立にふさわしい司法が絶対的権限を持って積極的に関与する違憲審査のあり方や、立法府内の根本的な対立に一定の法的決着をつける司法の役割など、参考にしたいことは多く、テーマとして興味深いものがあるのだけれど、本書はそういう探究心をあまり満たしてくれなかった。




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アメリカ連邦最高裁判所
基礎法学翻訳叢書 6巻
リンダ・グリーンハウス (著), 高畑 英一郎 (翻訳)
勁草書房

【目次】

序文
第一章 起源
第二章 連邦最高裁判所の任務 1
第三章 連邦最高裁判所判事
第四章 連邦最高裁判所長官
第五章 連邦最高裁判所の任務 2
第六章 連邦最高裁判所と他の政府機関
第七章 連邦最高裁判所と国民
第八章 連邦最高裁判所と世界

参考文献
引用判例
文献案内
ウェブサイト
訳者あとがき

付録1――アメリカ合衆国憲法三条
付録2――連邦最高裁判所規則
付録3――判事一覧

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過ぎたるは…(?) (ベテラン氏の感想で気づく その1) [オーディオ]

久しぶりにUNICORNさんにご来訪いただきました。

今回は、特にASKA「韻」やセラミック炭(「飛騨炭」)によるルームアコースティックの調整の成果をお聴きいただくことがテーマです。実は、このあとすぐに、お二人の来訪があり、その直前に、我が家のシステムを何度も聴いていただいているベテランのUNICORNさんからのご感想とご意見をいただいておこうという下心がありました。(お二方の来訪の様子については既報)
https://bellwood-3524.blog.ss-blog.jp/archive/20241013

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そのご感想は?というと…

先ずは部屋に踏み入れたとたん…

『静かになりましたね』

その後、アナログLPを聴いていただき、アルコール付き反省会で忌憚のないご意見を伺ったところ…

『定位感も音像の立体感も間違いなく改善されているものの、従来から最大の特徴であった誇張の無い自然な響きの拡がりがやや後退した』
『吸音性調音材にはプラス/マイナスはつきもの。各種音源での確認の必要性があるかも。』

というもの。

これは、やっちまったかな――とはいえ、このご意見ご感想を前向きに捉えることにしました。

このセラミック炭による吸音材は広帯域にわたって吸音するというスグレもので、従来の狭帯域の吸音グッズとはまるで違います。部屋の響きのクセを除きフラットでニュートラルなものにする特性があるので、多用しても弊害が少ないのです。

とはいえ、やはり、過ぎたるは…です。

早速、吸音グッズの削減に取り組みました。とにかく、漫然と置いていたものを除去してみました。

自作を重ねているうちに不用となり、要所から外したものも部屋のあちこちにそのまま漫然と置いていました。それらを真っ先に根こそぎ除去。その後も、いろいろな音源を聴きながらリストラを進めます。取り除いても、その瞬間、違いがわからないものは除去。導入時は、置いてみて違いがわからなければ《無害》とみてそのまま置いて様子を見る。今度は、その逆です。同じならどんどんと除去していく。

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それだけで相当な量になりました。

実は、自分でもかなり違和感があったのが、シャルランのヴィヴァルディ/四季でした。それを聴き直してみると、いやはやびっくり。本来の感動の空間の響きや広がりを取り戻しました。どうもこういうのはアナログ盤のほうが聴き取りやすいようです。ワンポイントであればなおのことなのかもしれません。音像のシャープさはやや後退しますので、原音再生の忠実性というとよくわかりませんが、聴感上の判断による良し悪しは明らかです。デジタル再生では、どうしても音像のシャープさに嗜好が偏りがちなので、そのせいもあって過剰感になかなか気付かなかったのかもしれません。

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というわけで…

肝心のお二方をお迎えしてのオフ会の方ですが…

『純度の高い音で、空間表現も素晴らしい。音の純度の高さとエネルギー感が両立している』

というご感想をいただき、まずまずの結果にほっとしました。

お二人とも部屋のあちこちに立ったり、座ったり、しゃがんだり。『ここの音が良い。でもやっぱりちゃんと聴くなら標準の中央リスポジがベスト』などのコメント。部屋の響きや定位感を平準化するというのがひとつの目標として、ここのところ調音を進めてきた自分としては、ちょっぴり複雑な境地でした。

もうひとつ、UNICORNさんと論議になったことがあります。これも、どこか部屋の響きと通底する重要な問題だと思いました。

(続く)
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娘の誕生日午餐会 [雑感]

娘の誕生日のお祝い。

建物見学を兼ねての午餐会。写真好きの娘と建築女子の家人にも大ウケでした。

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ミシュランガイドにも14年連続掲載のお洒落なスペイン料理も美味しかった。食前酒のドライシェリーは定番のティオぺぺ。ワインはすべてオリジナルのハウスワインをいただきました。スパークリングワインは、マドリード近くのルエダ。ヴェルデホ種でフレッシュでとてもバランスが好い。赤は、間違い無しのリオハ。テンプラニーリョですが、香りも深く複雑でしかもエレガント。イベリコプルマの炭焼きにもよく合いました。

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食事後は、建物見学。

ここは、旧小倉藩藩主小笠原家当主小笠原長幹伯爵の邸宅として1927年(昭和2年)に建てられたもの。建物は曽禰達蔵(曽禰中條建築事務所)の設計。曾禰は、小倉藩の分藩だった唐津藩の出身。そういう縁もあったのでしょうか、スペイン風の邸宅は細部にまで心づくしの意匠が施されていて曾禰畢竟の傑作。

戦後、米軍に接収され、変換後しばらくは東京都が使用していたがその後は放置。一時は取り壊しも検討されていたそうです。2000年に民間貸出となり、現在のスペイン料理のレストランが開店。専門家ばかりでなくボランティアも動員して、立派に修復されました。よくぞここまでというほど立派に修復されています。まさに民間活用のお手本。


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重厚な造りの玄関

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ブドウだなをデザインしたキャノピー(外ひさし)

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エントランス扉上部にある小鳥のモチーフの鉄製ファンライト(明かり取り)小笠原邸は別名「小鳥の館」と呼ばれていて随所に鳥のモチーフがある

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日本初期のステンドグラス作家・小川三知の作品

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廊下への出口上部にある唐草模様の鉄細工

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女人禁制のシガールームは、ビクトリア朝で好まれたイスラム風デザイン

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シガールームの天井

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二階居室

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二階屋上のパーゴラ(藤棚)

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屋上の床・壁面のタイル

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中庭のオリーブの木

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シガールーム外観は、古陶磁の色使いでは第一人者の小森忍の作品

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シガールーム外壁の定礎銘板
  曾禰達蔵はコンドルの4人の弟子の一人。明治育ちの建築家としては珍しく、政府や国家を建築で飾ることに一切興味を示さず、民間に下りました。曾禰が自分の名を誇示することは滅多になく、この銘板にはこの邸宅にこめられた曾禰の思いが表れています

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中庭の糸杉の木

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水場の鳩

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庭の片隅にある焼却炉がニワトリの形をしていて可愛い

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正面玄関脇、東北の角にある鬼門除けの御幣を担いだ猿の銘板

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郷愁のポルトガル音楽・ファド (カルミーニョ) [コンサート]

カルミーニョ(Carminho, Fado)は、1984年生まれ。幼少から著名なファド歌手である母テレサ・シケイラの歌声を聞いて育ち、自身も自然と歌うようになったそうだ。それでも、初めからファド歌手を目指していたわけではなく、大学へ進学し、世界中をバックパッカーとして旅行した。そんな経験を経て、初めてファドこそ自分の魂だと気づいたそうです。

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いまやポルトガルでも若手ファド歌手として絶大な人気。アカデミー賞映画にも出演し、世界をまたにかけ精力的に活躍する注目のファドシンガー。初来日。

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「北とぴあ」は、いつもは大ホール(さくらホール)ばかりなので、この400席ほどの「つつじホール」は初めて。親しみのもてる中規模の多目的ホールで、アコースティックはやっぱりややデッド。会場にはPAがセットされていました。

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ファドそのものは、とても素朴な編成。若いカルミーニョもそこはきっちりと伝統を守っています。

ポルトガルギター(ギターラ)と呼ばれる丸いリュートのような形をした12弦6コースのギターと、現地ではヴィオラと呼ばれる一般的なアコースティックギター。それとアコースティックベース(ヴィオラ・バイショ)という3台のアコースティックギターだけのバンド。このバンドの妙技もファドを聴く楽しみです。

大衆歌謡として、哀感や郷愁を思い入れたっぷりに歌い上げる。かならずしも暗い曲調ばかりでなく、婚姻や求愛をテーマにした行進曲風の陽気な曲もあります。大航海時代を牽引したポルトガル人は、海や船乗りへの思いも強くてそうした歌が一番盛り上がります。

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初来日というのに、日本語をちゃんと頭に入れているのには感心しました。片言の日本語混じりの英語のトークも楽しく、ちょっとしみじみと胸に響くものがあります。途中、ポルトガル語で話しかけたのは日本在住のポルトガルやブラジルの人々も会場にかけつけていたからでしょか。英語のスピーチには完璧に反応していた会場も、さすがにポルトガル語の時はほんの一角だけが反応していました。

最後のアンコールでは、「川の流れのように」というサプライズ。

ちょっとだけ歌詞が飛びましたが日本語も完璧。確かにファドの名唱は、日本の美空ひばりのようなもの。どこかで深くつながっているのか、何だかわからないままちょっとウルウルしてしまいました。

アンコールの最後の最後は、PAを外してアコースティックでの絶唱。これがファドの心意気というものなのでしょうね。




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カルミーニョ
郷愁のポルトガル音楽・ファド
2024年10月19日
東京・北区 北とぴあ つつじホール
(K列22番)

カルミーニョ(ファド)
アンドレ・ディアス(ポルトガルギター)
ティアゴ・マイア(アコースティックベース)
フラーヴィオ・セザール・カルドーソ(ギター)

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「オーディオクリニック」シリーズを聴く [オーディオ]

秋葉原アムトランスでの新忠篤氏ミニコンサート。

今回のテーマは、「オーディオクリニック」シリーズ。

1970年代末、LPレコード後期に日本フォノグラムが発売した高音質LPレコード。ちょっとマニアックな演奏家の顔ぶれで、実のところあまり売れなかったレコードを、新しいテーマでシリーズ化し廉価盤として再発するという販売戦略。これが知る人ぞ知るという高音質盤。

使用機材は、文末の一覧の通り。カートリッジは先だってこの会で紹介された、クラング・クンスト10A。――ラッカーマスターのカッティング状態チェック用に開発されたもの。コイルが、カンチレバーを介さずスタイラス真上に直接ついているというシロモノ。

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先ずは、リストアップされた10枚の中から、新さんの選んだ3枚。それから会場のリクエストに応えるかたちで4枚。かけたレコードは以下の通りです。



①FH-5 サラサーテ
 ツィゴイネルワイゼン
 グレール・ベルナール(ヴァイオリン)クレール・ジポー(指揮)
 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団

②FH-4 クープラン
 Les Lis Naissans=開きはじめた百合
 Le Dodo, Ou L'amour Au Bercear=子守歌(ゆりかごの愛)

 ファラエル・プヤーナ(クラブサン)

③FH-10 ストラヴィンスキー
 春の祭典 「生贄の踊り(選ばれし生贄の乙女)」
 ベルナルト・ハイティンク(指揮)
 ロンドン・フィルハーモニー

④FH-5 バッハ
 無伴奏チェロ組曲第3番 プレリュード
 ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)

⑤FH-30
 ルクー ヴァイオリン・ソナタト長調 第1楽章
 アルトゥーロ・グリューミオ(ヴァイオリン)ディノラ・ヴァルン(ピアノ)

⑥FH-6 リスト
 死の舞踏
 ミケーレ・カンパネッラ(ピアノ アルド・チェッカート(指揮)
 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団

⑦FH-25 ショパン
 プレリュード
 クラウディオ・アラウ(ピアノ)



①のツィゴイネルワイゼンは、10AではなくてオルトフォンのSPU-GTEでかけました。新さんとしては、まだちょっと10Aの高域の不安定さを気にされているご様子。

シリーズのジャケットは奇抜なデザインで、左側には両盤面の波形がタテに描かれていて経過時間毎に聴きどころが小さな文字でコメントされています。このコメントは、オーディオ評論家・和田則彦によるものだそうです。

そのコメントには、中間部のハンガリー民謡風のところで弱音器による音色変化に注目ということが書いてあるのですが、どうも聴いていると弱音器をつけているように聞こえない。楽譜には確かに弱音器("avec sourdine")と表記されているのですが、つけないまま演奏するひとも少なくない。コメントが的外れなのか、私の耳が駄耳なのか、あるいは、これがSPU-GTEの限界なのか??よくわかりません。

②のクラブサンでは、本来の10Aに戻します。たちまちにしてその本領発揮。恐ろしいほどの鋭い切れ込みです。アナログ時代にこれほどチェンバロの音を見事に録音していたのかと改めて驚きました。

③のハイティンクの「ハルサイ」。フィリップスでは、コリン・デイヴィスとコンセルトヘボウの録音がマニアにはもてはやされていますが、個人的にはこのハイティンクの方が演奏も録音も格上だと思っています。「ハルサイ」は人気曲でレーベルにさえ冷遇されていた若きハイティンクの悲哀を感じさせますが、その分、わかるひとにはわかるという隠れた名演・名録音になっています。

④のシュタルケルは、超有名盤。もともとはマーキュリーの録音ですが日本フォノグラムがたびたびフィリップスレーベルで発売していました。これは、幾多のオーディオファイル向けのカッティング、デジタルマスター化がされていて比較が可能でしょう。ちょっとメタリックで神経質な高域倍音がのっているのが気になるところ。これが10Aの神経質で針圧調整が難しいところなのでしょうか。

⑤のグリューミオは、いささかも人工的な甘味が添加されていない厳しい美音が見事。ルクーのほか、イザイ、ヴュータンとベルギー派の作曲家ばかりを弾いたアルバムで音楽的価値もとても高い。

⑥は、さすがの優秀録音。ピアノの音がピアノらしいリアリティでオーケストラの演奏も素晴らしい。モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団というのは、昔、よくFM放送のクラシック番組で取り上げられていましたが、こうやって聴いてみると素晴らしい技量のオーケストラ。感心させられました。

最後の最後にかかった⑦のアラウのピアノが素晴らしかった。

"凄い!"のひと言。

かけたのは、作品28の24曲最後の6曲ほど。19番目の変ホ長調の途中あたりから。B面の最内周ということになります。終曲となる24番の最後の最後、最低音のD音(36.7Hz)が鐘のように3度鳴り響くと、会場はしばらく言葉も出ないほど。

「いやあ、こんなによく鳴ったのは初めて。ようやくこなれてきたということでしょうけど、我が家でもこれほどには鳴らせなかった」と、新さんもため息まじりに苦笑い。

最後の最後に、すっかりクラング・クンスト10Aに話題を持って行かれてしまいました。凄いカートリッジです。

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(参考:使用機材)
カートリッジ :クラング・クンスト10A (Ortofon SPU-GTE)
フォノイコライザー :Phasemation
アンプ :ELEKIT TU-8900(300Bシングル)
スピーカー :GIP Laboratory Monitor 1(励磁型2ウェイ)

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音の魔術師 モーリス・ラヴェル(酒井有彩&東京フィルハーモニー) [コンサート]

来年は、モーリス・ラヴェルの生誕150年だそうだ。

ラヴェルのピアノ作品を深く愛するという酒井有彩が、東フィルと組んで一夜で彼の2つのピアノ協奏曲を弾く。しかも、「ソナチネ」「水の戯れ」という独奏作品も織り込んだオール・ラヴェルという意欲的なプログラム。

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ラヴェルの管弦楽作品は人気で親しみやすい名曲ばかり。しかも、音の魔術師と呼ばれるようにその絢爛たる色彩感はまさに管弦楽の華。そういうこともあってか、会場は満席に近く雰囲気もどこか親しみやすさとうきうきとした雰囲気でいっぱいです。オーケストラにとっても、個人技も披瀝する場面もいっぱいだからやりがいのあるプログラムなのでしょう。そういう楽しげな気持ちも伝わってきます。

日本のオーケストラのレベルアップは、ほんとうに隔世の感があります。こんなプログラムをさほどの緊張もなく楽しめる時代になったと実感します。もちろん世界の一流オケに較べれば、音の色彩感、響きのバランスや深み、音響そのもものスケール感、音やリズムのキレ、アンニュイな陰鬱の表現など大きな差は感じますが、「亡き王女…」の冒頭のホルンなど実に安定していますし、どの曲もラヴェルを満喫するに十分。

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できばえとしては、後半の「左手のための…」のほうが断然面白かった。

個人的には、実演はもちろん、CDなどで聴くのも久しぶり。近年は、ト長調の協奏曲のほうが断然人気のような気がしますが、かつては「左手」のほうがよく耳にする機会が多かったと思うのは私だけでしょうか。40年も前のことですが、ちょうど、レオン・フライシャーが左手のピアニストとして各地でこの曲を盛んに演奏していて、シカゴで実演を聴く機会もあって、たまたま印象が強かったということかもしれません。フライシャーは、2000年代になって新療法により回復し両手のピアニストに復帰しました。

もうひとり記憶に残るのはミッシェル・ベロフ。天才的なピアニストでしたが、マルタ・アルゲリッチへの熱愛のあまりか精神的な大スランプに陥り右手も故障してその自由を失いました。落ち込んでいたベロフを救ったのが愛人のアルゲリッチ。彼女のはからいでアバド/ロンドン響との録音でアルゲリッチと分担する形で「左手」のほうを担当したのです。これが復帰のきっかけとなりました。

もっぱら聴いていたのは、デュトワ/モントリオール響と録れたパスカル・ロジェのCD。彼は、その後、ト長調の協奏曲をド・ビリー/ウィーン放送響と再録していますが、これもガーシュインのヘ調協奏曲とともに飛び切り冴え渡った演奏。

オーケストラの色彩と微妙に重ね合わせるト長調に較べると、「左手」の方は交互にやり合う対話性が主体なので思う存分に強い打鍵ができるのか、ピアノがよく鳴っていました。見かけによらず酒井さんはマッチョなところがあるのかもしれません。

ラヴェルは、好きなだけについつい耳をそばだてて聴いてしまうところもありましたが、それはとにかく、ちょっとローカルな雰囲気も楽しんで、大いにくつろげるコンサートでした。




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酒井有彩&東京フィルハーモニー交響楽団
――音の魔術師 モーリス・ラヴェル――

2024年10月16日(水)19:00
東京・初台 東京オペラシティコンサートホール

酒井有彩(ピアノ)
渡邊一正(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団

オール・ラヴェル プログラム

亡き王女のためのパヴァーヌ(管弦楽版)
「ソナチネ」(ピアノ独奏)
ピアノ協奏曲ト長調

「水の戯れ」(ピアノ独奏)
左手のためのピアノ協奏曲ニ長調
(アンコール)
サン・サーンス 「白鳥」(ゴドフスキー編曲)

「ボレロ」(管弦楽版)
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「激動の韓国政治史」(永野 慎一郎 著)読了 [読書]

盧武鉉政権時代の2004年に設置され、軍事独裁政権下の事件を調査した「国家情報院過去事件真実糾明発展委員会(真実委)」の資料を中心に、ベールに包まれ謎の多かった事件の実情を暴露している。

扱われている事件は、金大中拉致事件、朴正煕狙撃事件(文世光事件)、朴正煕大統領暗殺事件、光州民主化運動、ラングーン事件、大韓航空機爆破事件、ソウルオリンピック招致など。

こうした激烈な事件の数々を通じて、軍政から民政への政権交代へと韓国現代政治史の流れを俯瞰していく。苛烈な政策をそれをもたらした凄まじい独断専制の圧政と、それに命がけで抵抗した民主化運動の実態を生々しく描いている。それは同時に、韓国社会に巣くう社会身分階層や地域差別、新興財閥と結びついた金権政治など分断社会の実態をも露わにする。

個々には、すでに、本書でも紹介されている映画「KCIA 南山の部長たち」やその原著などで紹介されているものばかりで新味には乏しい。また、そうした秘密資料の開示や暴露のほとんどが、軍事政権への批判という民主化運動の立場・視点からのもので、韓国政治史の見方としてはやや一方的と言わざるを得ない。あるいは日本の保守政権、財界が韓国とどのように関わってきたかについてはほとんど触れられていない。

歴代大統領のなかでは金大中が抜きん出た人物だったと思う。単に波瀾万丈の生涯というだけでなく、最後に軍政や北との和解を説いたその度量の大きさに圧倒される思いがする。

そういう金大中の遺志を継いだはずの人々が、盧武鉉のように悲劇的結末を迎え、あるいは文在寅が政治腐敗と憎悪と分断の政治手法に陥ったのはなぜなのか?韓国にはなお理解しがたい社会の深淵が潜んでいると思う。本書はそのことに何も応えてはくれない。

そうした限界はあるものの、韓国政治の流れを知るにはコンサイスにまとまっているし、濃厚で刺激に満ちた内容で、政治史として読ませてくれる一書だと思う。



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秘密資料で読み解く 激動の韓国政治史
永野 慎一郎 (著)
集英社新書
2024年7月22日 第一刷

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荒川放水路 通水100周年 [自転車散策・紀行]

ここのところ、今月末の仲間との自転車ツアーに備えて、朝練と称して早朝の散策をしています。今朝は久しぶりに荒川下流に向けて往復20㎞・1時間のコース。

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今の荒川が、人工のものだと知っているひとは少ないと思います。

私が子供の頃は、「荒川放水路」と呼ばれていました。

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今年は、その今の荒川、すなわち「荒川放水路」に注水されて100年。荒川と隅田川の分岐点にある岩淵水門が、ちょうど100年前の大正13年(1924年)に竣工した。この10月がその100周年になるというわけです。

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荒川は、秩父山系を源とする荒川水系の本流。その下流が隅田川。関東平野は、この荒川と群馬県三国山脈を水源とする利根川とのふたつの大水系が形成した広大な平野で、この暴れ川がともに東京湾に注いでいた。江戸時代から、その川を付け替える工事が進められてきて、現代のような姿になりました。

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その最後の大工事が、荒川放水路という人工河川の開削工事でした。

そのきっかけとなったのは、明治43年(1910年)の大水害。その年8月5日から続いた長雨に、11日の房総半島をかすめた台風と14日に山梨・群馬を抜けた台風に襲われ、荒川(隅田川)、利根川、多摩川などが軒並み氾濫。死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生した。

政府は根本的な首都の水害対策に迫られ、荒川放水路の建設を決定する。以来、17年を要する難工事となりました。

「荒川放水路」が正式に荒川の本流とされたのが、昭和40年(1965年)。それにともない、岩淵水門から分かれた旧荒川全体が「隅田川」となったというわけです。

以来、「荒川放水路」という言葉は死語となりました。

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タグ:荒川散策
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自宅オフ会 [オーディオ]

大阪と川崎からお二人のお客さまをお迎えしました。テーマは、やはり立体音場再生です。

正味1時間半というタイトなスケジュールもあってちょっと一方的にお聴かせすることになってしまいましたが、ご納得いただけたようでほっとしました。つい欲が出て音量が大きかったようですが、これは反省点。

加工や編集のない音源や、ライブ録音などが中心ですが、なかにはスタジオ録音のジャズ系も入っているのは、現代のミキシング・マスタリングは、かつての多マイクの多重録音とは違って、個々の楽器やパートの立体感を活かしてコラージュしているものが多いということが言いたかったから。

立体音場再生が出来てくると、そういうことも気付くようになります。

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タグ:自宅オフ会
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ウィーンの濃厚な夜 (葵トリオ@ピアノ・トリオ・フェスティバル) [コンサート]

すごいプログラム、すごい演奏、すごい音楽でした。

世紀末から20世紀初頭にかけての成熟しきったウィーンの伝統音楽が産み落とした天才と鬼才たちの音楽。ピアノ三重奏曲という濃密に凝縮された音楽の原子核のような編成だからこそ表現できた《濃密な夜》の音楽。

ツェムリンスキーは、マーラーとシェーンベルクの分岐にいた人。その音楽は、マーラー的な最後期ロマン派の極致のような濃密で官能の音楽。このピアノ三重奏曲は、そういう彼の出発点のような曲だそうだ。本来はクラリネット三重奏曲で、作曲コンクールで入賞した曲をブラームスの推薦で出版された。その際に、ピアノ三重奏曲に変更された。息の長い旋律線はそういうことなのかと納得する。

葵トリオは、濃密な融合と混淆の音楽を創り出す。従来は、三人の個性がぶつかり合う丁々発止の演奏といった印象だったのですが、この夜はそういう上昇感覚とは真逆で、溶融して滴り落ちるような響きの濃厚な味わいが素晴らしい。秋元のピアノは、力強い剛直なピアノでありながら同時に二人の弦楽器に不思議なほど染み込んでしまう。擦弦楽器という自分とは体質の違う音色の陰となり華となり、その響きの矛盾のない一体感が凄い。

だから、のっけからウィーンの闇と光のような音楽にノックアウト。

二曲目のコルンゴルドは、このピアノ三重奏曲を13歳の時に作曲したのだという。信じられないような神童ぶり。天才というのは、前後の脈絡もなく登場するわけではないと思う。やはりそれだけの文化・文明の成熟があってこそ産み落とされるのが天才。この早熟の音楽も、時間軸や空間の座標軸を喪っているかのような音楽。強烈なまでの完成度の部分部分が際限もなく次から次へと繰り出され、それらが見事なまでに構成されていて、…だからこそ居所がつかめないような清潔さと浮遊感がある。

眼前に神童がいるわけではないのに、やはり、何かとんでもなく珍しいものを観ているような高揚感があって、実のところこの夜、一番客席が盛り上がって大喝采となったのはこの13歳のコルンゴルドの曲でした。

さて…

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この夜の中核は、やっぱり、シェーンベルク。

「浄夜」は、シェーンベルク初期の傑作。無調音楽以前の様式だがシェ-ンベルク畢竟の傑作。彼はこの曲だけで一生糊口を凌ぐことができたそうで、それだけに様々な編成の版があり編曲版も多い。もちろんピアノ三重奏曲版というのは初めて。

客席は照明が落とされ、ステージだけは深更の月夜の晩のようにほのかに青白く照らし出されている。

ツェムリンスキー、コルンゴルドと聴かされてきた心理的効果は強烈で、ピアノ三重奏という音のカラクリにもすっかり耳が馴染んでいるという効果も抜群。やはり、そういう音響の魔術の中心にいるのが秋元のピアノ。この日の秋元は、まるで人格が変わったかのように凄味がある。弦楽器に溶け込むピアノの帯域と音量のダイナミックが、厚みのある音響となって音楽全体を支え、そこに浮き上がってくる小川のヴァイオリンの琴線が情感にあふれ美しく、伊藤のチェロの甘く艶やかな色が何とも艶めかしい。

弦楽オーケストラでは、霧や靄のかかったようなかすんだものになってしまうが、葵トリオは晩秋のくっきりと冷ややかな月明かりの下、男女の心の葛藤を直截に照らし出す。そのテンションの高さと集中力が凄まじく、それがこれだけ長い時間ずっとそのままに保たれることに凄味を感じる。客席は、終始、静まりかえりしわぶきひとつ聞こえないほど。演奏が終わってもその静寂に圧倒されたかのようで、なかなか拍手が始まりませんでした。

アンコールは、そういう空気の重たさを推し量ったような軽妙なモーツァルト。ウィーンの神童・天才といえば、やはりここに帰って行くのでしょうか。心がほぐれて解放されたような、ほっとした瞬間でした。

ベテランのトリオ・ヴァンダラー、そして気鋭の葵トリオと続いて、シリーズ最後、は金川真弓、佐藤晴真、久末航という若手のオールスタートリオ。このシリーズは目が離せません。



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ピアノ・トリオ・フェスティヴァル2024-Ⅱ
葵トリオ
紀尾井レジデント・シリーズ Ⅰ 特別回

 秋元孝介(ピアノ)
 小川響子(ヴァイオリン)
 伊東 裕(チェロ)

2024年10月3日(木)19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階9列9番)

ツェムリンスキー:ピアノ三重奏曲ニ短調 op.3
コルンゴルト:ピアノ三重奏曲ニ長調 op.1

シェーンベルク:浄夜 op.4(ピアノ三重奏版)
エドゥアルト・シュトイアーマン編曲 [シェーンベルク生誕150周年記念]

(アンコール)
モーツァルト:ピアノ三重奏曲ト長調 K.561より第三楽章アレグレット
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