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モダンとピリオドの美麗な出会い (吉井瑞穂&川口成彦) [コンサート]

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何とモダンのオーボエと、ピリオドのフォルテピアノの組み合わせというエープリルフールのような話し。

吉井さんのオーボエはたぶんYAMAHA。川口さんのフォルテピアノは18世紀末のレプリカだけれど、A=442Hzにも調弦できるということで、このデュオリサイタルが実現できたとのこと。

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吉井さんが、古楽器と共演するというのを聴いたのはこれが初めてではないですし、フルートやオーボエのモダンと古楽器の合奏ということは、チェンバロなどの古楽器が珍しくなくなった今日、決して希ではありません。でもフォルテピアノとのデュオ・リサイタルというのは聴いたことがありません。

最初の、バッハ親子こそチェンバロでの演奏でしたが、通奏低音を欠いたチェンバロとのアンサンブルは、ある意味ではちょっとエキゾチックな響きに感じました。

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その後は、すべてフォルテピアノ。これが素晴らしかった。

吉井さんのオーボエの音色が冴え渡る。コンクリート打ちっぱなしの小ホールは、やや冷たいドライな響き。それが、いざオーボエになるとかえって音が曇らず実に艶やかで延びのある艶やかな歌を聴かせてくれます。フォルテピアノとの音量バランスはどうなのかまったく未知でしたが、実にしっくりとくる。川口さんのタッチは思い切り繊細で、そのかそけきピアニッシモは本当に幻想の精霊のささやき。思い切って堂々と響かせると、そのダイナミックスの広さに驚きます。その音量の幅が、すべてオーボエとマッチするのが驚き。

吉井さんは、フォルテピアノは「オーガニック」、だから聴いていても疲れない、自然と耳が聴きに行くからアンサンブルが楽しい…というような主旨を言っていますが、それは聴き手も同じ。

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プログラムの大半は、すべてが初聴きの作曲家ばかり。モーツァルトやベートーヴェンと同時代の曲は、やっぱりフォルテピアノが似合う。ドヴィエンヌもヴィダーケアもパリの作曲家。やっぱり木管楽器はフランス。その伸びやかで小粋な歌にフランスの古典時代の典雅さも加わる。ふたりとも管楽器奏者でもあったとのことで、吉井さんのうれしそうなこと。もちろんもっとうれしいのは聴いているほうです。

ブラスコ・デ・ネブラはカタルーニャ生まれ。スペインで初めて初めて出版譜に「ピアノのために= para fuerte-piano」と明記したそうで、スペイン音楽オタクの川口さんはちゃっかりここでフォルテピアノの独奏。その前後に、ちゃんと吉井さんにご馳走しています。プラというリスボンで活躍したオーボエ奏者でもあった作曲家のオーボエ・ソナタ。最後は、パリで活躍したヴィダーケア。その代表作がこのヴァイオリンまたはオーボエとピアノのための二重奏曲集ということなんだそうです。とにかく、相手がいないことには実現できないレパートリー。吉井さんも川口さんも実に嬉しそう。聴いているこちらも、初めて聴くこの曲には何とも言えない幸福感でいっぱい。アンコールもヴィダーケアで、吉井さんの「もし会場に同業者の方がいたらぜひレパートリーに」というトークに会場は爆笑でした。

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二人の朗らかな笑顔が素敵。こんなハッピーなデュオ・リサイタルは前代未聞。


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東京・春・音楽祭2024
吉井瑞穂(オーボエ)&川口成彦(フォルテピアノ/チェンバロ)
2024年4月1日(月)19:00
東京・上野 東京文化会館小ホール
(H列33番)

オーボエ:モダン(A=442Hz)
フォルテピアノ:ルイ・デュルケン(1790年頃)のレプリカ


J.S.バッハ:フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタ 変ホ長調 BWV1031
C.P.E.バッハ:オーボエ・ソナタ ト短調 Wq.135
F.ドヴィエンヌ:オーボエと通奏低音のためのソナタ ニ短調 op.71 No.2
J.B.プラ:オーボエ・ソナタ 変ロ長調
M.ブラスコ・デ・ネブラ:ソナタ ホ短調 op.1-6
J.ヴィダーケア:ソナタ 第1番 ホ短調

(アンコール曲)
ヴィダーケア:デュオ・ソナタ 第3番 第2楽章
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ブゾーニ没後100年に寄せて(東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ) [コンサート]

東京・春・音楽祭は、毎年、サクラの季節の楽しみ。でもポスト・コロナ時代になって、私の気持ちは、この音楽祭の別の側面であるミニマルな世界のほうに今やすっかり切り替わってしまっています。

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そうした私のお目当てのひとつが〈ディスカヴァリー・シリーズ〉。

今回、取り上げられたのはブゾーニ。今年が没後100年にあたるのだそうです。

ブゾーニは、どこかつかみどころのない作曲家です。

ブゾーニと言えば、バッハのシャコンヌを始めとするピアノ編曲版が有名。ピアニストとしては、最後のロマン主義ピアニストと呼ばれてもいて、バッハ編曲はピアニストとして盛んに活動していた頃のこと。イタリア生まれでありながら、ウィーンやベルリンなどドイツ圏で活動し、とても保守的なイメージを持ちます。

一方で作曲家としては、クルト・ヴァイルやエドガー・ヴァレーズらを育て、さらには、米国における電子音楽の先駆者の一人となるオットー・ルーニンも弟子のひとり。伊福部昭も、晩年にはピアノ編曲の参考にと、リストとともにブゾーニの楽譜ばかり眺めていたそうです。現代音楽の作曲家に大きな影響を与えた人でもあるわけです。

そういうブゾーニの多面性から何かその魅力を深掘りできないかと期待したコンサートですが、どちらかといえばブゾーニの保守的なイメージばかりが印象に残るレクチャー・コンサートでした。

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最初は、やっぱり、バッハ。

加藤洋之さんのピアノは、ずっしりと重い。構えもがっちりとしていていかにも中央ヨーロッパの本流派とも言うべきピアノ。これはちょっとバッハ編曲家としてのブゾーニのドツボにはまったという感じ。

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二曲目は、ピアノ2台の連弾。山縣美季さんが第一ピアノを担当。対面型ではなく、横に同じ向きに並べての連弾はちょっと珍しい。ブゾーニの代表作と言われていて、この2台ピアノ版の他に独奏版も2種類あるそうです。バッハの「フーガの技法」からの引用や「B・A・C・H」の音型が現れるなど、やはりバッハ編曲のブゾーニらしい曲。この日は抜粋での演奏ですが、構造的でがっしりとした建築のようなイメージがあり、ブゾーニ自身、全体を建造物を図式化したもので説明しているというお話しでした。

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休憩後は、ヴァイオリン・ソナタ。

フェデリコ・アゴスティーニの音色は魅力的。もともとブゾーニの理解者とも言うべきシゲティの演奏でも知られていて、いかにも新古典主義というスタイル。おそらくピアノ曲以外で最もよく取り上げられる曲ですが、第三楽章の変奏の主題は、やっぱりバッハの引用となっています。

ブゾーニというとやっぱり、バッハ… しかも、重厚長大な保守的な構造物的バッハということになってしまうのでしょうか。解説も、そういう路線に沿ったお話しに終始して意外性はなく、いささか退屈。

ブゾーニは、やはりバッハなのかな。せっかくブゾーニを取り上げられながら、ちょっと通り一遍に終始するコンサートでした。テーマが地味過ぎるのか、客席は空きが多くて残念でした。


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東京春祭ディスカヴァリー・シリーズvol.10
フェルッチョ・ブゾーニ
没後100年に寄せて

2024年3月30日(土)16:00
東京・上野 東京文化会館小ホール
(G列22番)

ヴァイオリン:フェデリコ・アゴスティーニ
ピアノ:加藤洋之、山縣美季
お話:畑野小百合(音楽学)

J.S.バッハ(ブゾーニ編):
 コラール前奏曲「来たれ、異教徒の救い主よ」BWV659
 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より
 シャコンヌ
ブゾーニ:
 対位法的幻想曲 より
 ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ホ短調 op.36a

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チェンバロ協奏曲とトラークルの詩 (読響アンサンブル・シリーズ) [コンサート]

読響アンサンブルシリーズ。今回は、《2つのチェンバロ協奏曲とG.トラークルの詩による3つの作品》という長い表題がついていますが、つまるところは、中味はそのまんま。

劈頭と掉尾は、チェンバロ協奏曲。バッハの1曲と、そこから270年の時を隔てて現代によみがえった現代のフィリップ・グラスによるチェンバロ協奏曲。

その間に置かれるのは、ウェーベルン、ヘンツェという二十世紀を代表する作曲家によるアンサンブル作品。さらに鈴木自身の作品と、現代音楽が並ぶ。その3曲に共通して刺し貫いているのが、ドイツ表現主義最大とも評される夭折の天才詩人ゲオルグ・トラークルの詩歌。

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何やら、支離滅裂のようでいて、不思議なほどの共通感覚と一貫性を感じます。いつもながら、鈴木優人の現代音楽に対する鋭い感受性と、平易な再現力、豊かな表現力に感服します。

最初のバッハのチェンバロ協奏曲は、原曲がオーボエやヴァイオリンのための協奏曲で旋律的。特に中間楽章のカンティナーレの旋律美と叙情味は格別だけど、あえてテクスチャの起伏を抑制してモノクロームに徹する。白黒の世界から、かえってほの暗く色彩感覚と叙情が浮かび上がる。あえてそういう演出だったのかと気づくのは後になってからのこと。

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ウェーベルンは、飛びきりの熱演。特にソプラノの松井の会場の空気を貫くような集中力と濃厚な声色には感服。松井もバッハ・コレギウム・ジャパンの常連というから、こういうレパートリーの広いひとは今や鈴木優人だけではないことに小さな驚きを覚えるほど。

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その意味では、次のヘンツェでの藤木太地も周知のことかもしれませんが、改めて再認識。ヘンツェにはウェーベルンに輪をかけた終末の耽溺美があって、さらにはそこには追い詰められ逃げ場を失ったようなエロチシズムが、白黒の世界にただの1点だけに浮かび上がる原色の彩色視覚があって、ぞくぞくっとします。

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後半最初に演奏された鈴木の作品は、ちょっと場面が変わった感じがしました。自身の活動母体アンサンブル・ジェネシスの委嘱作品として「四季」の一章として作曲されたのだとか。「黄金」と「果実」という、新たな色彩が《終末》ということに新たな感覚をもたらす。弦楽器のトーンクラスターが豊穣の稔りの感覚と、そういう麦畑の上を風が吹き抜ける秋空を思わせる。トラークルの詩が昇華を遂げるような不思議な爽やかさを感じて意外でした。

最後の、フィリップ・グラスが楽しかった。

配置にも、鈴木の新風を感じさせる工夫があって、左右中央のくっきりとした区分けがとても新鮮。右に前列の弦楽器と後列の管楽器が横長に並び、左には、チェロとコントラバス、ファゴットの低音楽器が並ぶ。独奏チェンバロは中央にあるのですが、左右のトゥッティとほぼ同心円上にあって、むしろ奥まった位置取り。だから、ステージ中央にはぽっかりとスペースが空いている。

その三方の音響色彩が見事。ホルンの持続音と中高音の弦と木管のちょっと甲高いようなハーモニーがとびきり印象的。ファゴットが低音側にある意味合いも感覚的にとても納得的でその低音部もとても運動性豊か。いずれも、さすがの読響メンバーの名人芸というしかありません。

常動的な、細かなリズムの刻み、音階、アルペッジョが様々に重畳され織りなされていく綾は、とても開放的で楽観的。気持ちがとてもノリにノってきます。なんだかとても新しいテクスチャの羅列がとても気分が良い。確かにチェンバロの響きには、ディズニーランドのエレクトリック・マーチのような、こういう二十世紀感覚があるような気がします。

不思議な謎めいた組み合わせなのに、流れがよくて調和的な解決がとても鮮やかな後味を引く見事なプロダクション。歌手陣が彩りを添えたアンサンブルも飛びきり豪華でした。



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読響アンサンブル・シリーズ
第41回 鈴木優人プロデュース
 《2つのチェンバロ協奏曲とG.トラークルの詩による3つの作品》
2024年3月8日(金) 19:30~
トッパンホール
(M列 14番)

プロデュース、指揮、チェンバロ、ピアノ=鈴木優人
ソプラノ=松井亜希 ★
カウンターテナー=藤木大地 ◇
ヴァイオリン=戸原直、對馬哲男、赤池瑞枝、太田博子、寺井馨
ヴィオラ=森口恭子、正田響子 チェロ=唐沢安岐奈、林一公 コントラバス=瀬泰幸
フルート=佐藤友美 オーボエ=荒木奏美、山本楓
クラリネット=金子平、芳賀史徳 ファゴット=井上俊次
ホルン=日橋辰朗、伴野涼介 ヴィブラフォン=金子泰士


J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲 ヘ短調 BWV1056
ウェーベルン:6つの歌 op.14 ★
ヘンツェ:「アポロとヒュアキントス」 ◇

鈴木優人:「浄められし秋」 ★
フィリップ・グラス:チェンバロ協奏曲

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音楽の花束 (田部京子-名曲リサイタル・サロン) [コンサート]

いつもの芸劇ブランチコンサート。今月は、八塩圭子さんがナビゲーターの「名曲リサイタル・サロン」。清水和音さんの「名曲ラウンジ」、清水さんのピアノを核とする室内楽アンサンブルなのに対して、こちらはひとりのゲストによるソロ・リサイタルが多い。

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今月は、田部京子さん。

もはや、日本のピアノ界の重鎮といってもよいほど――さすがの貫禄。八塩さんの司会は、相手によってさりげなく雰囲気を合わせる柔軟さで、華があってそれでいて出しゃばらず品が良い。今日は、田部さんがゲストだから、なおのこと華やかで、それでいてちょっと落ち着いた品格を感じさせるお二人の対話は、さすがというしかありません。

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田部さんは、昨年、CDデビュー30周年。その節目にリリースしたピアノ小品集のCDの曲を中心に、匂やかな花々が咲きこぼれる色とりどりのピアノ曲をブーケにしたというようなプログラム。田部さんは、シューベルトとブラームスの大作に正面から取り組むリサイタルプログラムが多いけれど、こうした小品集のプログラムも得意。

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この日は、前から2列目で、鍵盤もペダルを目の当たりで、ピアノの音も超フレッシュという最高の位置取り。美女お二人も間近にできてとてもラッキーでした。何と言っても田部さんの暖かみと透明感を併せ持つ美しいタッチを全身で楽しめました。特に、あの繊細で細やかなピアニッシモ!

田部さんは、現在は、桐朋学園大学院大学教授として後進の育成にも当たっているとのこと。この日のお話しで、キャンパスが富山市にあることを初めて知りました。調布市仙川の桐朋学園大学の姉妹校として設置された、修士課程のみの大学院大学だということに初めて気づいたのです。

富山市は、住みたい町ランキングで常にトップ。環境として最高だし、存分に音楽に集中できるとのこと。もちろん美味しい食材にも恵まれた土地柄。八塩さんのいつもの質問の「食べ物にまつわるエピソード」もいささか空振り気味でした。




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芸劇ブランチコンサート
名曲リサイタル・サロン
第29回 「田部 京子」
2024年3月6日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階B列16番)

田部京子(ピアノ)

八塩圭子(ナビゲーター)


吉松隆:プレイアデス舞曲集より
      前奏曲の映像
      線形のロマンス
      鳥のいる間奏曲
      真夜中のノエル
メンデルスゾーン:ないしょ話
      ベニスのゴンドラの歌 第2番
      紡ぎ歌
シューベルト:即興曲 op.90-3
グリーグ:ペール・ギュント第1組曲より
      朝
      アニトラの踊り
      山の魔王の宮殿にて
グリンカ=バラキレフ:ひばり
ドビュッシー:月の光
シューマン=リスト:献呈

(アンコール)
シューベルト:アヴェ・マリア(吉松隆 編)

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マーラーの最後の言葉 (インバル/都響 マーラー・シリーズ) [コンサート]

またしてもインバルが都響でマーラーを振る。しかも第10番。いくらかくしゃくとした指揮振りといえども88歳のインバル。そのマーラーを聞き逃すのは悔いが残るかも知れない。そう思うと矢も楯もたまらず足を運びました。

10番は、しばらく前までは、どちらかと言えばまがいものという印象。まさか、メジャーの実演で聴けるとは思ってもいませんでした。未完の遺稿は、作曲者自身が破棄するように言い遺していたそうですが、妻アルマが遺品として所有していたものから様々な補筆の試みがされてきました。その中で、近年、クック補筆版が定稿として定着してきているようです。

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プログラムに寄せたインバル自身の寄稿によると、BBC響で演奏する際にクックがリハーサルにも立ち会い、意見も交わしたとのこと。クックはそれをふまえて改訂版(第3稿第1版)を出版したとのこと。いわばインバルは、このクック版の権威者というわけです。そのことを初めて知りました。

演奏は、マーラーにしては淡々としたもの。

とはいえオーケストラの緊張はこちらにも伝わってきます。最初の開始のヴィオラは、思いのほか冷静な運びでマーラーの終末的な感情からは距離をとったもの。そういう清澄な底流に次第に音を積み重ねていく。ふたつのスケルツォの大きな回想的感情の動揺や起伏も、それに挟まれて突如として覚醒し感情を爆発させる中間楽章も、音楽としては自制と抑制の効いたもののように感じました。

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感動的だったのは終楽章。

インバルは、最後の最後にクライマックスを持ってくるというストーリーを描いていたのでしょうか。曲の終末は、まさにマーラーの遺された言葉。現世の感情をすべて呑み込むようなの大海のようであらゆる情感を湛えていて、万感の思いを超越していて、とても美しいものでした。

特に、バスドラムの打撃音が一段落した後のフルートの旋律には陶然。都響のフルートってこんなに凄かったかしらと思ったほど。そう思ったとたんに、それまでの演奏が急に回帰してきて、この場面まで何となく聞き流していた都響のソロイストのレベルの高さに思いを噛み締めるような心地がしました。

久しぶりに芸劇でオーケストラを聴きましたが、可もなく不可もなくというホール音響は相変わらず。リニューアル後は何となく名ホールらしい風格も感じるようになりましたが、音響のキャラクターはとても地味。1階席の前方は、ステージの奥が狭まっていて壁面や反響板で上下左右を囲むという古臭さのせいなのかステージ後方の楽器の音色や響きが不安定。それでも後半になってアンサンブルの密度が上がってくると音の芯がしっかりして、弦楽器の色彩にも強さが増してきます。その点でも、終楽章の音楽的集中度が素晴らしかった。

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この日は、ヴィオラ首席の店村眞積さんの最後の演奏でした。店村さんは、長くN響の顔だった名ヴィオリスト。都響に移籍したときは驚きました。いってみればオーケストラ奏者のキャリアは、N響が上がりという時代。そういうキャリアのすごろくみたいなものをひっくり返したひと。サイトウ・キネンや水戸室内管の常連でもあったから、そういう逆転によって、それまで不安定だった都響の格付けが上位定着するきっかけだったような気さえします。それだけに、退団と聞いて感無量のものがあります。インバルのマーラー第10番は、その引き際をいっそう引き立てるものでした。

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感動とか印象という点では多少とも薄いものがありましたが、長く記憶に残るコンサートでした。



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東京都交響楽団
第995回定期演奏会Cシリーズ
【インバル/都響 第3次マーラー・シリーズ①】
2024年2月23日(金・祝)14:00
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階G列 10番)

指揮:エリアフ・インバル
コンサートマスター:矢部達哉

マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(デリック・クック補筆版)

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少年のような哲学者 (本堂竣哉-ピアノ) [コンサート]

久々に「明日への扉」シリーズにふさわしい新人の登場でした。

紀尾井ホールの会報「紀尾井だより」に片桐卓也氏がこんなことを書いています。

『明日への扉シリーズを聴く楽しさは、才能の発見だけではなく、その才能が次にどんな扉を開けようとしているか、扉への彼ら彼女らのノックの音を聴き取る点にもある』

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本堂俊哉のノックの音はさして大きくない。

とても真っ直ぐで折り目正しい。むしろ、真っ当過ぎると言ってよいほど。ところが、不思議と鼓動が高まる。いったいこの人はどんなピアニストになるのか?将来が楽しみなどという美辞麗句ではない。どうしても解答を見てみたい謎がけ…のようなものを見た興奮でいっぱいでした。

イギリス組曲のなんと鮮度の高いこと。叙情味にあふれた演奏。

もともとチェンバロの曲ですが、特に第3番は、よくピアニストが取り上げる曲。本堂は、ピュアで透明度の高い音色で叙情豊かに歌い上げます。丁寧でよく考えられているペダルワークがとても印象的。ピアノによるこの曲の演奏としては、均整がとてもよく整えられていて、繰り返しの装飾も工夫と節度がよくバランスが取れています。サラバンドでの繰り返しでは、バッハ自筆の装飾譜を弾いていて、これもピアノ演奏として綺麗な息づかい。ちょっぴり残念だったのは、ガヴォットⅡのドローン(バグパイプのような持続音)がよく聞こえなかったこと。

後半の《ハンマークラヴィーア》は、新人離れした快演でした。

この曲はいわばベートーヴェン晩年の金字塔とも言うべき大曲――そういう刷り込みがあるから、第一楽章の冒頭の第一主題に思わず触れ伏して畏怖の念が先立ってしまい長い曲だけになかなか気持ちが入っていかない。スケルツォの異形ぶりは度を越しているし、アダージョはあまりに長い。最後の韜晦なフーガにはただただ畏れいるばかり。

本堂は、第一楽章こそやや重たかったけれど、スケルツォはずっと軽く、聴き手を翻弄するような諧謔味と自由奔放な解放感あふれるもので、アダージョの瞑想もずっと清新で若々しい。最後のフーガも、今話題のアニメ「君たちはどう生きるか」を想起させるような清々しい感性あふれるもの。前半のバッハからしてそうですが、とにかくこの青年の対位法、多声部奏法の技巧の高さには舌を巻くほど。

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最初の「前奏曲とフーガ」は、あまりピンと来ませんでした。

長大な曲ですが、もともとバッハのなかではあまり馴染みのない曲かもしれません。もともとは「クラヴィーア練習曲集」第3巻にある曲。オルガン用の曲集と言われていて、その巻頭の《前奏曲》と巻末に置かれた《フーガ》をひとつにして、ブゾーニがピアノ用に編曲したもの。

コンサートの後で、プログラムを読んでみると本堂は、最後のロマン主義ピアニストと言われるフェルッチョ・ブゾーニらしさをそのままに表出するという決意をもって取り組んだとのこと。なるほど、新古典主義への過渡期でもあったブゾーニのバッハ偏愛には、どうしてもつきまとったロマンチシズムの色彩がそのまま感じられる編曲。白黒時代の名作映画にデジタル技術で彩色を施すような違和感がどうしてもつきまといます。それが実は、確信犯だったとわかって納得でした。

このプログラムの解説文も本堂俊哉自身によるもの。

その解説がちょっと図抜けたもので教えられることが多くありました。しかも、ブゾーニ編のバッハへの意識など演奏者としてのねらいや思いも抜け目なく忍ばせていて、しかも、よくまとまっています。これもちょっと新人離れした、プロデュース力だと感心しきり。

最後のあいさつトークもちょっとぶっ飛びでした。

いささか硬直的なステージマナーにずっと見えていて、マイク片手にちょっと固まった姿勢から、型どおりの感謝の台詞が出てくるものと思っていたら、いきなり…

「なぜ私は音楽を演奏するのか?それは…」

と来て、会場はどっとどよめきました。

本堂によれば、それはふたつあって、ひとつは「真実の追究」、もうひとつは「魂の救済」なんだとか。おまけに、タルコフスキーの映画の哲学めいた話しもひとくさり。渋谷のBunkamuraで上映中だからぜひ観るべしと勧められて、これには聴衆もちょっと苦笑。こんなあいさつトークも、「明日への扉」始まって以来のことで前代未聞のことに違いありません。

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ちょっと小柄で、その童顔に似合わぬ老成したもの言いのギャップ感は、警視庁の老練な刑事たちをもタジタジとさせる、高校生名探偵を想起させます。

いったい、将来、どんなピアニストに成長し、私たちにどんな新しい扉を開けてくれるのか、ちょっと計り知れないところのある新人ピアニストの登場です。





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紀尾井 明日への扉38
本堂竣哉(ピアノ)
2024年2月22日(木) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階 17列3番)

本堂 竣哉(ピアノ)

バッハ/ブゾーニ:前奏曲とフーガ 変ホ長調《聖アン》BWV552
バッハ:イギリス組曲第3番ト短調 BWV808

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 op.106《ハンマークラヴィーア》

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バッハの楽器博物館 (大塚直哉レクチャー・コンサート) [コンサート]

大塚直哉さんのレクチャー・コンサートは、もともと与野本町の彩の国さいたま芸術劇場で開催されていましたが、改修工事で休館中は浦和の埼玉会館小ホールで行われています。

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この埼玉会館はとても歴史のある施設で、初代の建物は昭和天皇のご成婚を記念して計画されましたが、関東大震災による一時中断を乗り越え大正末年に竣工します。日比谷公会堂に先んじての開館でした。現在の建物は二代目で、上野の東京文化会館や神奈川県民音楽堂、京都のロームシアターと同じ、昭和のモダニズム建築の旗手・前川國男の設計。大ホールは音響の良いことで知られています。

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小ホールは初めてですが、さすがに設計の古さは否めず、残響が短くステージはドライで座席側がライブなアコースティック。講演会などには向いていますが、クラシック音楽の小ホールには向いていないようです。ましてや、音量の小さな古楽器には不向き。それでも満席の皆さんは、実に静かに耳を澄ませておられます。

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今回は、バッハの楽器博物館と題して、バッハの名曲をバロック時代の様々な古楽器で弾き分けて聴いてみようというもの。

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いろいろな楽器を演奏するのですが、ヴァージナルなどは極小の音量。いわば小型チェンバロと言うべきものですが、バッハは家庭での練習用に使用したとのこと。何しろ家族が寝静まっていても練習できるようにと家庭に置いていた楽器。弦は縦ではなく横に張っていてコンパクト。蓋は自分だけに聞こえるように立てられる。だから、大塚さんが演奏するのは後向き。それでもやっと聞こえるかどうかの音量です。まさに耳を澄ませて聴き入ったわけです。なお、この楽器は、埼玉県在住の久保田工房で製作されたものだそうです。

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リュートも小さな音量の楽器。二本ずつ13対の弦が張られている。つまり13弦とはいわず13コースなどと呼ぶ云われです。その繊細なこと。バッハは、リュート向けと指定しての作曲はしていませんし、よくリュートで演奏される曲であっても運指面ではほぼ不可能とも思えるほどの無理難題の曲ばかり。初めて演奏を目の当たりにしましたが、佐藤亜紀子さんの演奏は、とても優雅で繊細極まりない音色ですが、フーガなどはもうパズルを解いているかのような感じで唖然とさせられます。

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一方で、とても音量が大きいのがオーボエ属。尾崎温子さんは、何台もの楽器を持ち替えてその音色を披露。特に、オーボエ・ダカッチャはカンタータや受難曲など声楽作品でしかお目にかかれないので、目の前で演奏されるのは希少な経験。実は、マタイ受難曲などでもわずかな休符の間に持ち替えるところがあって、演奏者にとってはまさに受難の曲なのだそうです。

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バッハの音楽としては、これまた滅多に聴くことがないのがヴィオラ・ダ・ガンバ(英:ヴィオール)です。16世紀から17世紀にかけてのイギリスでは、コンソートといって弦楽四重奏のように盛んに演奏されました。けれども、たいがいは通奏低音のひとつとして参加する地味な存在で、バッハの室内楽で演奏されることは希少だと思います。最後のアンサンブルでは、トレブルという高域楽器を演奏されました。ヴァイオリンほどの小さサイズなのに、ガンバの名の通り両足に挟んでの演奏です。

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演奏された森川麻子さんは、生で接するのは初めてですが大変な名人で驚きました。長年、イギリスに在住し、“FRETWORK”という世界的なコンソートグループの一員として活動されてきたそうで、日本ではその名を知ることができなかったわけだと納得しました。

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森川さんが参加した演奏のCDで比較的入手が容易なのは、浜松市楽器博物館のコレクションシリーズのひとつである「ヴィオラ・ダ・ガンバ・コンソート」だと思います。ここで演奏しているザ・ロイヤル・コンソートは、森川さんら巨匠ヴィーラント・クイケン氏に学んだ3人が中心となって結成されたグループ。単なる博物館土産ではない、大変な名演・名盤です。

一昨年に帰国、現在は東京芸大の講師もされているとのこと、今後はその演奏に触れられる機会も多くなると期待が膨らみました。



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大塚直哉レクチャー・コンサート in 埼玉会館
Vol.2 J.S.バッハの楽器博物館
2024年2月11日(日祝)14:00~
浦和市 埼玉会館 小ホール
(1階 3列13番)

大塚直哉(ポジティフ・オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、お話)

ゲスト:
尾﨑温子(バロック・オーボエ、オーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダ・カッチャ)
佐藤亜紀子(バロック・リュート、テオルボ)
森川麻子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

J. S. バッハ:
【鍵盤楽器】
「平均律クラヴィーア曲集第2巻」より〈第3番 前奏曲とフーガ 嬰ハ長調〉
コラール“ただ愛する神の力に委ねる物は”
小プレリュード ハ長調

【リュート】
前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調

【オーボエ】
カンタータ第156番“わが片足は墓にありて”
オーボエとチェンバロのためのソナタ ト短調


【ヴィオラ・ダ・ガンバ】
ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番 ト長調

【声楽作品の中で活躍する楽器たち】
★カンタータ第1番“暁の星はいと麗しきかな”
 3.アリア ‘満たせ、天なる神の炎よ’より
★ミサ曲 ロ短調
 10.アリア‘父の右に座したもう者よ’より
★マタイ受難曲
 20.アリア‘私はイエスのそばで目覚めていよう’より
 57.アリア‘来たれ、甘い十字架よ’より
★ヨハネ受難曲
 19.アリオーソ‘思い見よ、わが魂’

【バッハ家の音楽会】
カンタータ第76番“天は神の栄光を語り”
ヨハネ受難曲
 30.アリア‘事は成就された’
カンタータ第187番“ものみな汝をまてり”
 5.アリア‘神はすべての命を与えたもう’

(アンコール)
カンタータ第106番“主よ、汝のしもべを裁くことなかれ”
 3.アリア‘何と震えて揺らぐことか’

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若いクァルテット、シューベルトに挑戦する(プロジェクトQトライアルコンサート) [コンサート]

プロジェクトQというのは、若いクァルテットの発掘と育成を目的としたクァルテット振興運動。

トップオーケストラのメンバーも、どんどんと積極的に室内楽アンサンブルに参画するようになりました。副業奨励の働き方改革の先鞭をつけるような音楽界の動きでしたが、ウィーン・フィルなどは古くからそういう仕組みがあって、室内楽でアンサンブルを磨き音楽性を高められると、むしろ奨励されてきたこと。ついにその潮流は若いひとたちの育成現場にも及んできたというわけです。

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参加する若いクァルテットは、「マスタークラス」を受講し、本公演の1か月前に「トライアル・コンサート」を経験した上で「本公演」に臨むという3つのプログラムを通し、約半年間で1つの作品に向き合う。私たちは、そのひとつひとつに聴衆として、つぶさに接することができるという仕組み。

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会場は、東京音楽大学の中目黒・代官山キャンパス。池袋キャンパスは、何度かマスタークラスなどに出かけていますが、こちらは初めて。池袋と同じようにとてもモダンな建物で建築関係の賞ももらっている。

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音楽ホールも、池袋に負けず素晴らしいホール。どちらも街中の音楽ホールもたじたじといった本格的なものですが、こちらは木組みのデザインがアイキャッチの素敵な内装。見るからに音は良さそう。座ったとたんに音楽に集中できる――そういうクリーンな響きのホールです。

1組目のクァルテット・テネラメンテは、若いシューベルトの第9番。

古典美のなかにロマンチックな情感の新鮮極まりない萌芽を見せるト短調のクァルテット。とても真摯な取り組みで繊細。しっかりとした構成美はとても安定しています。古典形式にしきりに現れる、繰り返しや回帰、回顧のシーンでもたらされる心理的な効果をどう追求するかが課題なのかもしれません。

2組目のクァルテット・アンジェリカは、定番中の定番「死と乙女」に挑戦。

アンサンブルが見事。第一ヴァイオリンの遠藤望名さんがちょっとハンパない。彼女をリーダーに、他の3人は2連、3連となって寄り添い、時に対峙して絡みつく。ヴィオラの細田菜々美さんもかっこいい。大学生・高校生の混交アンサンブルとは思えないレベルの高さで、シューベルトのリリシズムを歌い上げる。

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ちょっと気になったのは、椅子の配置。

両グループとも共通の椅子で、あらかじめステージにバミってあるようで定位置なのですが、演奏前に微妙に位置取りを調整するので、少し違ってきます。

ただ、共通で気になるのは、チェロがまったく横を向いてしまうこと。

写真を撮れないので、イメージを図にしてみました。

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クァルテット・テネラメンテは、中央の第二ヴァイオリンとヴィオラは正面を向き、両脇の第一ヴァイオリンとチェロを相対する。四角四面の配置ですが、ヴァイオリンはまだしもチェロの面が完全に横を向いてしまう。

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クァルテット・アンジェリカは、さらに中央の二人がやや左の第一ヴァイオリンに寄っていて、しかもわずかにそちらを向く。右のチェロがやや取り残される格好ですが、チェロがさらにヴァイオリン側を向くので真横以上に内側向きになってしまいます。

音響面でもヴィジュアルな面でも好ましいとは思えません。特に「死と乙女」では、チェロが活躍する場面が多いので、ここは配慮してほしいところです。

こういうステージでの位置取りとか、ホール音響の確認などは、こうした演奏チャンスがなければ実感できることは少ない。マスタークラスから試演まで一貫した本格指導を受けられるのはすごいことなので、3月3日の本番までの仕上げが楽しみです。


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プロジェクトQ・第21章
若いクァルテット、シューベルトに挑戦する
トライアル・コンサート 〈第1日〉
2024年2月10日(土)15:00
東京・中目黒 東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパス TCMホール

クァルテット・テネラメンテ
[米岡結姫/佐久間基就(Vn)島 英恵(Va)金 叙賢(Vc)]

シューベルト:弦楽四重奏曲第9番ト短調 D.173


クァルテット・アンジェリカ
[遠藤望名/渡邉響子(Vn)細田菜々美(Va)森 朝美(Vc)]

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」

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「新鋭とベテラン」 (清水和音の名曲ラウンジ) [コンサート]

このシリーズの楽しみは、そのフレッシュな顔ぶれと、昼前の1時間という気楽さにもかかわらずそうそうたるメンバーによる本気の演奏。

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今回は、そういう新鋭とベテランによるコンビネーション。

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ヴァイオリンの石川未央さんは、桐朋学園の特待生4年生。実は、ヴァイオリンとピアノの両刀遣いで、ピアノの方は本科生で清水和音さんの生徒さんなんだとか。ピアノレッスンにはヴァイオリン持参で、ヒマさえあればこちょこちょとそっちを弄ってばかりだとは先生の清水さんの弁。

クライスラーの3曲は、それぞれのキャラクターを弾き分ける。小柄ながらもなかなかに力強い。

メインは、ブラームスのピアノ五重奏曲。

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第一ヴァイオリンは、大江肇さん。新鋭と言っても、昨年、神奈川フィルのコンサートマスターに就任。大人気の首席ソロ・コンサートマスターの石田泰尚さんと、堂々とタッグを組むというわけだから、こちらは厳然たるプロ。

石川さんは、重鎮のの佐々木亮さん、辻本玲さんにはさまれるようにして、ちょっと窮屈そう。それでものびのびと、ブラームスの交響的掛け合いに積極的に参加。ブラームスの労作とはいえ、吉田秀和をして「通俗的なくらいに有名な作品」と言わしめた室内合奏曲。ブラームスの重々しい重奏のなかに押し込められるので、どうしても石川さんのヴァイオリンは埋没してしまいがち。

才能に恵まれて、場慣れしているようでも、クライスラーやトークでもちょっと緊張している様子。子供の頃から並外れた才能を発揮し、ヴァイオリンもピアノも弾けるマルチタレントというのは、若いうちだからこそのちょっと出来過ぎの部分もあって、それだけに慣れた振る舞いを装えば装うほど印象が薄まりがち。クライスラーのポピュラー名曲というありきたりのお披露目もちょっと何だかなぁ…という感じ。

フレッシュな若手をどんどんと押し出したいという清水さんの趣意には大いに賛同するけれど、リラックスした雰囲気作りも大事だし、もう少しご本人のキャラを引き出すようなステージやプログラムの工夫があってもよいかなと思いました。

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芸劇ブランチコンサート
清水和音の名曲ラウンジ
第46回「新鋭とベテラン」
2024年2月7日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階M列18番)

クライスラー:「美しきロスマリン」「愛の悲しみ」「愛の喜び」
石川未央(Vn) 清水和音(Pf)

ブラームス:ピアノ五重奏曲 ヘ短調作品34
大江馨(Vn) 石川未央(Vn)佐々木亮(Va) 辻本玲(Vc) 清水和音(Pf)

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誠実と清新 (札幌交響楽団東京公演) [コンサート]

札幌交響楽団を聴くのは初めて。ほんとうなら本拠地のあのKitaraで聴いてみたかったけれど、せっかくの機会を逃すことはありません。しかも、ポストリッジのブリテンも聴ける!

ブリテンの「セレナード」は、ブリテンのパートナーのピアーズと天才ブレインの存在無くしては成立しなかったでしょう。だから武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」のようにソリストを限定してしまうようなところがあります。現役となると、ポストリッジということにほぼ固定してしまいます。

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私は2006年の水戸で聴いたきり。ずいぶんと前のことになりますが、もちろんその時もポストリッジ。ホルンはラデグ・バボラーク、指揮者は準・メルクル。同じ頃にリリースされたラトル/ベルリン・フィルのCDを上回る感動を受けました。

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そのポストリッジによる再体験というわけですが、前回をさらに上回る感動でした。大ホールにもかかわらず声量は透徹するように響き、発音も明瞭そのもの。アレグリーニはもちろん初体験ですが、バボラークとはまた違ったコントロー力ルの高さで、その音色や質感の生々しさ、音楽的な心象描写の深みという点ではバボラークの名人芸を上回るような気さえします。

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8-6-6-4-2と編成を絞った弦楽オーケストラの響きは、二人のソロと十分に対等に渡りあうもので、その清透な響きは冴え冴えとしていて、ブリテンの曲調をよく表現しています。

曲の絶頂は、第4曲の《エレジー》でしょう。何ともまがまがしい詩の投げつけるような語感が見事で、ホルンのゲシュトップやグリッサンドなどの特殊奏法に息を呑む思いがします。続く《哀悼歌》の古風な英語や素朴な曲調はどこか時空の圏外に出てしまったような魂の孤独を感じさせ、徐々に深暁の果てへと漂っていきます。最後のエピローグでの舞台裏からのホルンは、ホールのアコースティックが悪くて少し残念でしたが、余韻は見事でした。

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後半はブルックナー。

なかなか演奏される機会は少ない第6番ですが、その理由はやはり曲想がぎこちなく、オーケストレーションにもどこか和声的な洗練が不足するところがあるからでしょうか。その分、最もブルックナー的な深遠さがあるとも言えます。

第一楽章の羽毛が跳ね散るような音型の開始と、それに続く猛々しい金管のユニゾンからして、どこか分裂気味に感じます。ブルックナーは教会のような長く尾を引く残響まみれのアコースティックを前提に作曲しているようなところがあって、あの《ブルックナー休止》もそうでなければ納まりがつかないという気がします。この6番は、その休止も封印していて訥々と音が連なっていく。そういうブルックナーにとても誠実に寄り添い、ありのままに音を積み上げていく。そういう気質は、このオーケストラの本来の美質なのか、あるいは、指揮者のバーメルトの本性なのか、いずれにしても使い古された外連味とか骨董趣味とは無縁の、丁寧に手間をかけて磨き上げられた清新なブルックナーです。

その美質は、特に第2楽章のアダージョに現れます。ブリテンで聴いたことと同じような透明感、分離の良さ、――そこには、虚飾のない無垢の真情を感じさせます。続くスケルツォ楽章の何と潔いこと。そして、終楽章の大団円なのですが、そこには短い簡素な章句を次々に接合していく、ミニマルなものを組み上げた壮大な仏塔のよう。音響の融合、和声のピラミッド…といったブルックナーのステレオタイプとはまったく違った装飾的な建築意匠を思わせる構造の新鮮さを覚えるほど。それもこれも、楽曲に対してどこまでも誠実さを貫き通す演奏姿勢がもたらしてくれたものだと思うのです。

指揮者のバーメルトは、6年の長き首席指揮者の任を退くことになっていてこの公演が最後とのこと。初めて聴いたのに、その退任を惜しむ気持ちで胸が一杯になるのが不思議な気がしました。




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札幌交響楽団
東京公演2024
2024年1月31日 19:00
東京・赤坂 サントリーホール
(1階5列30番)

指揮:マティアス・バーメルト
テノール:イアン・ポストリッジ
ホルン:アレッシオ・アレグリーニ
コンサートマスター:田島高宏

ブリテン:セレナード~テノール、ホルンと弦楽のための

ブルックナー:交響曲第6番イ長調 WAB106

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