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「雪渡の黒つぐみ」(桜井真城 著)読了 [読書]

東北の歴史舞台上に繰り広げられる、キリシタン+忍者の活劇時代小説。

キリシタンといえば天草や長崎。忍者といえば伊賀・甲賀。…というのが、ひと頃までのお決まり。それが、近年では東北のキリシタン、忍者という広がりを見せてきた。

東北のキリシタンといえば、西欧交易に熱心だった伊達政宗が派遣した遣欧使節。率いたのは支倉常長。メキシコを経てローマに至り、時の教皇パウルス5世に謁見した。しかし、日本へ帰国した時には、すでに禁教令が出されキリシタン弾圧が始まっていた。

支倉は失意のうちに没するが、同じ伊達政宗の家臣に後藤寿庵がいた。

見分村(現在の岩手県奥州市水沢福原)の領主。熱心なキリシタン領主で天主堂などを建設し、全国から宣教師や信徒を集めた。寿庵の人望、キリシタン伝授の鉱山開発、土木工学技術を惜しんだ政宗は、布教をしないことを条件に信仰を許そうとしたが、寿庵は拒否。陸奥南部藩に逃亡したとも、出羽秋田藩に渡ったとも伝えられるが、その生死は定かではない。

一方の忍者集団。戦国大名はそれぞれにこうした集団を抱えていた。織田信長は「饗談(きょうだん)」、武田信玄は「乱波(らっぱ)」、上杉謙信は「軒猿(のきざる)」といった具合。

東北の忍者といえば、伊達家に仕えた「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」。これに対抗する南部藩の忍者は「間盗役(かんとうやく)」と呼ばれた。

東北のキリシタンも、忍者も、一般にはまだまだ馴染みがないが、近年の郷土史研究で、なかなかの史実的存在感を発揮しているというわけだ。

会話文が、すべて「東北弁」。

方言だから、かなり読みづらい。

しかし、そこには意味がある。――スパイ小説には、他国に潜入しなりすましたスパイがちょっとし仕草や言葉遣いで身元がばれるという仕掛けがよく使われる。ここでも東北弁の独特の語法が仕掛けとして隠されている。東北弁の面倒くささの果てにどんでん返しがあるから、読みづらさは我慢のしどころというべきか。

伊達藩と南部藩との確執、岩手・秋田に豊富な金鉱資源を、隠れキリシタン+忍者活劇に結びつけたアイデアは秀逸。

なかなかの力作。


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雪渡の黒つぐみ
桜井 真城 (著)

講談社
2024年6月17日 第一刷

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「第七師団と戦争の時代」(渡辺 浩平 著)読了 [読書]

第七師団とは、北海道に置かれた常備師団のこと。

その歴史は、そのまま近現代日本の北方の守り、日露の確執の歴史そのもの。

そもそも第七師団は、内地のそれとは成り立ちが違う。

内地の軍隊は、各地で徴兵されて編成された国民軍。一方、人口寡少の北海道にはそのような兵力は存在しなかった。だから、治安警備と開拓とを兼ねて屯田兵制度が出来た。その多くは、奥羽越列藩を中心に各地から入植してきた食い詰め士族だった。いわば開拓民自警の軍隊であり、寡兵とはいえ士族としての誇りも高かった。それが第七師団の母体となる。

北辺は、新開地であると同時に、ロシアと国境を接していた。「ロシアの南進という夢魔」に苛まれてきた明治以来の日本防衛を担うということでも、常に日本国土の守備の最前線にいた北鎮の軍隊であった。

その戦歴は、屯田兵としての西南戦争から始まり、日露戦争の旅順攻略戦、奉天会戦、シベリア出兵、ノモンハン事件…と、戦争の時代のほとんどの戦役に参加しているが、他の軍隊が中国本土や南方への侵略に駆り出されていた間は静謐を保ち続けている。8月15日で日本軍が武装解除し復員が始まってからが、北方方面軍の死闘の始まりとなる。9月2日の降伏文書調印後にようやくロシアの軍事侵攻が止まる。それが第七師団の歴史の終焉――まさに最後の帝国陸軍。

占守島の守備隊の抗戦は、北海道占領の危機を救ったとも言われるが、ソ連軍の攻勢が遅れたのは侵攻開始時に兵力の大部分が満州に注力されていたため。逆に、もし、関東軍・満州国軍があのようにあっけなく壊滅・潰走しなければ、あるいは米軍がアリューシャンから進駐しさえすれば、今日の北方領土問題は存在せず日露の国境はもっとずっと違った様相となっていたかもしれない。南樺太も千島列島も、カイロ宣言が言うような『第一次世界大戦後に武力で奪った土地』ではないからだ。

著者は、立命館大・都立大で学んだ中国の専門家。企業で北京・上海駐在という現地経験を経て、現在は北海道大学教授。そういう中国現代史の知見と北海道在住という地の利が本書に活かされている。

東京中心の正規資料ではなく、そのほとんどが、北海道現地で収拾された資料、証言、遺構であり、それは、まさに地を這う道民の視点から見た日露の歴史。忘れかけている北方領土問題など北辺の現代史の深層について認識を改めることも多い。

しかも、まるで大河ドラマを観るように面白い。



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第七師団と戦争の時代
帝国日本の北の記憶
渡辺 浩平 (著)

白水社
2021年8月25日 新刊
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「正義の行方」(木寺一孝 著)読了 [読書]

NHKBS1スペシャル『正義の行方』-飯塚事件30年後の迷宮-』を書籍化したもの。映画版『正義の行方』もこの4月に公開されている。

「飯塚事件」――

それは、1992年に福岡県飯塚市で小学生の女児2人が殺害され無残な姿で山中に遺棄された事件。容疑者が否認のまま、最高裁まで争われ死刑が確定した。死刑執行は、死刑確定後、その2年後の2008年に異例の早さで執行され、元死刑囚(当時70)は、その死の最後まで無罪を訴えていたという。その死後に再審請求が行われるという異例の展開をたどっている。

拉致現場や遺棄現場にいたとされる容疑者の姿やその自家用車などの目撃など、すべてが状況証拠に過ぎず、何一つ犯行が容疑者によって行われたという直接証拠はない。そうした状況証拠のつなぎ合わせのみで起訴され、裁かれて死刑が確定している。

状況証拠のひとつとして決定的だったのがDNA鑑定。

当時、DNA鑑定はまだまだ未成熟な技術だった。証拠として使えるかどうかが、大きな焦点となった。容疑者のものと一致するという鑑定結果とは真逆の主張をする法医学者の鑑定証言もあった。

この事件の直前に発生していたのが、歴史的えん罪となった足利事件。

ここでもDNA鑑定が焦点となった。結局、再審が認められDNA鑑定結果はくつがえることになった。実は、当時、警察庁は、新たな技術であるDNA鑑定の本格導入と予算獲得に向けて、その成果を急いでいたという事情もあった。

しかし、このふたつの事件の結末は大きく違う。

この事件では、えん罪被害者となった菅家利和は、当初は強要されて犯行を認める自白をしている。一方で、「飯塚事件」の容疑者は一貫して否認している。足利事件は、無期懲役。しかし、「飯塚事件」は死刑。死刑執行により口が閉ざされた以上、もはやえん罪であることが証明されても誰も救われない。死刑執行後の再審は、そのまま、それは死刑廃止につながる。

このノンフィクションは、この殺人事件に巻き込まれていった当事者たちの「正義」をめぐる物語。

DNA鑑定結果をいち早く察知し、特ダネを打った新聞記者たちの悔恨にまみれた執念の再取材が心を打つ。捜査を担った警察官たち、被告人の妻と弁護士たち、それぞれに信じる「真実」があり、その依って立つ「正義」がある。そのことを公正に取材し、一切の色づけをしない。そこに報道記者としての「正義」がある。

それにしても、こうした「正義」の裏に隠れている司法の真実はどこにあるのだろうか。

状況証拠だけで、しかも一貫して無罪を訴え続けていた被告に死刑の判決を下した判事たち。この事件に限って、異例の早さで死刑執行を急いだ司法当局。再審請求に悶々ともがいていた弁護団の動きを知らなかったはずがない。

残念ながら、その「正義」は、本書では問われていない。

何かにせき立てられるように一気に読み進んだが、その「行方」には慄然とせざるを得ない。


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正義の行方
木寺一孝 著
講談社
2024年3月31日 第一刷

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ザ・ダークパターン(仲野 佑希 著)読了 [読書]

「ダークパターン」とは、ユーザーを意図的にだますウェブサイト設計のこと。

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2021年の大統領選でトランプ陣営のキャンペーンサイトで巨額の寄付金を集めることに成功した。ところが、これはすぐに大クレームに発展する。

「定期的な寄付」のチェックボックスがデフォルトで選択されていたため、それに気付かなかった支援者の口座から、毎週自動で金が引き落とされていったのです。

中には、月に1,000ドル以下で生活している高齢のガン患者がいて、彼がなけなし500ドルを寄付すると、翌週から毎週500ドルが引き落とされ、たちまちにして彼の口座は空っぽになり、口座は凍結、家賃や光熱費の支払いまでできなくなってしまった。

トランプ陣営によるこの欺瞞的行為は、熱狂的な支持者をも落胆させる。結局、トランプと共和党は、2020年だけで約1億2,270万ドル(約140億円)以上を返金したという。

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無料お試しといいながら「いつの間にか定期購入になっている」
「退会方法がわかりにくい」
「勝手にメルマガに登録されている」
「時間切れが迫るなどと消費者を煽るカウントダウンタイマー」
「期限のない在庫一掃セール」……

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いずれも、あるあるのパターン。これが広く横行しているという。欧米ではこれば「ダークパターン」として規制が強まっている。

本書はあくまでもビジネス書。その目的は、セールスマーケティングの観点からダークパターンに焦点を絞り、Webサイトのフォーム設計に携わる人々やマネジメントに、近視眼的な売り上げ増や収益拡大のワナに陥らず、中長期的なビジネス視点での事業とユーザー双方の利益拡大に導こうというもの。

正義を振りかざすような企業批判とは違う。マーケティングや組織行動論的な観点から、合理的に陥りがちな「ダークパターン」を分類例示して、企業側のブランドイメージを損なわずに消費者の利便性と信頼を高めるパターンへと誘導する。

直接には、こうしたサイト設計に携わる人々に向けたものだけれども、ほとんどがユーザーとしてこうしたサイトに接する私のような一般人にも実に参考になる。心の底であるあるのパターンだとちょっと憤りながら、読み進み、うんうんとうなずく楽しさもある。

並みのビジネス書とは段違いのわかりやすい文章表現、ケース紹介、図表の活用があって、その点でもとても勉強になる。

「ダークパターン」には気をつけよう。それには、そのパターンを知ることが大事。そういう範囲では、実用書。でも、こういう悪さは読んでいて時に笑いを誘うほど面白い。その点で、社会批評の本でもあるという異色の書。

オススメです。


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ザ・ダークパターン
ユーザーの心や行動をあざむくデザイン
仲野 佑希 (著)
翔泳社
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「日本の財政」(佐藤主光 著)読了 [読書]

日本の財政赤字が、いつ破綻してもおかしくない古今未曾有の危機的状況にあることは、誰だって薄々わかっている。それでいて、東日本大震災にせよコロナ禍にせよ、あるいはたびたび襲う地震や台風、大雨災害の有事にはいくらでも緊急対策があって、カネはざくざく湧いて出てくる。論点は、財源というよりはどうカネが行き渡るかの政治的な手続き論に終始する。

このままでは必ず「天は落ちてくる」と経済学者は言う。そのこと自体は間違いなさそうだ。他国では、今の日本より赤字の比率が小さいのに破綻している。歴史的にも、論理的にも、間違いない。

――それでも、天は一向に落ちてくることがない。

実際のところは、誰もがそんなことは、どこ吹く風とでも言うような風情だ。破綻回避策を訴えても、政治は知らぬ顔でバラまき政策に専心する。増税などと言おうものなら国民はこぞって反対し、「増税政治家」のレッテルを貼る。自治体行政は、DXなどとは無縁で旧態依然の手仕事を続けている。徴税は、源泉徴収という体のいい給与天引きで、企業と自治体に丸投げの社会――世界に冠たる徴税効率を誇る国だからそれを変えようというのは愚の骨頂。

著者の言う5つの提言とは……

1.賢く効果的な支出「ワイズスペンディング」
2.産業経済の新陳代謝「ゾンビ企業の退出とスタートアップ支援」
3.税制改革(マイナンバーによる所得補足)
4.セーフティネット(社会保険の租税化)
5.財政規律の回復(ペイアズユーゴー)

どれもため息が出るような虚しい提言だ。いったい誰に対して何をしろと言っているのだろうか。

著者は、政府の諮問委員会などに多く関わっているし、紫綬褒章までもらっている御用学者。それだけに確かに内容は緻密で網羅的だけれど、実現性ということには著者自身も半信半疑であることが見え透いている。実行は、あくまでも政治の問題だという他人事。

学者というのは、そういうものなのだろうか。それでも経済学者はまだマシなほうだ。政治学者などは、特定の保守政治家に擦り寄るばかりで、政治改革への具体的な方策すら提言しない。本書を読むと、破綻の責任は民主主義政治体制にあるとしか思えなくなってくる。それなら、いよいよ政治学者の出番なのだろうか。

新書というのは啓蒙の書。一般国民に訴えるのなら、もっと端的であってほしい。知恵はついても、気持ちが萎えて虚しいだけだ。



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日本の財政
――破綻回避への5つの提言

佐藤主光 著
中公新書
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「緑十字機 決死の飛行」(岡部英一 著)読了 [読書]

言ってみれば、これは終戦秘話。

日本人の目に焼き付いている敗戦の映像というと、8月15日の玉音放送、8月30日連合軍最高司令官マッカーサーの厚木到着、それに9月2日の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印という3つぐらいしか語られない。

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特に8月15日は、「日本のいちばん長い日」として終戦記念日となっている。

事実、正午の玉音放送以後、軍部中央は「聖断ニ従テ行動ス」と降伏への抵抗を止め、最後の陸軍大将阿南惟幾ほか何人もの軍人がその数日以内に次々と自死を遂げている。

しかし、これで徹底抗戦派が一掃されたわけではなかった。

全国各地の軍事基地では、終戦の翌日から復員が始まり、すでに閑散とし始めていた一方で、あくまでも本土決戦を期する将校士官と残留要員が多く残存していて、一触即発の空気で張り詰めていた。

そうしたなかで、マニラのマッカーサー司令部から、「降伏軍使」の派遣を求めてくる。

降伏文書、降伏の天皇詔書の英文原案を受領し、調印式やGHQの設置の日程調整の協議が、軍使派遣の目的となる。それは軍人にとっては有無を云わせぬ屈辱の敗戦処理そのもの。誰もが引き受けたがらないのは、それだけではない。軍使派遣で敗戦を決定づけることを阻止しようという気配もあったし、協議の結果によって天皇の戦争責任が問われようなことになれば、生きて日本に帰れない。

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「緑十字機」とは、その軍使を運ぶ機体のこと。

連合軍の指示により、機体が白く塗られ、緑十字が描かれていた。連合軍からの攻撃を防ぐためだが、目立つ機体はむしろ徹底抗戦派の友軍機から捕捉され迎撃される恐れがあった。機体は、航続距離が十分にある一式陸攻が選ばれた。徹夜で機体の塗装と整備が進められた。

搭乗員もにわか編成。主操縦士こそベテラン中のベテランが指名されたが、万全を期して整備員を優先して編成され、二番機には副操縦士はいない。出発ぎりぎりまで目的は秘匿され、顔なじみのいない隊員同士、誰もが互いに相手の本心はわからない。

全権軍使は、最後の参謀部次長・河辺虎史郎が。参謀総長の梅津美治郎(A級戦犯、終身刑で獄中死)が固辞したからだ。河辺はもともと戦争不拡大を唱え陸軍主流を外されていた。戦争末期になって呼び戻されて、屈辱の降伏軍使を拝命した。生きて帰れぬ覚悟もあったが、何かあれば戦闘再開も軍政も辞さぬ構えでいた米軍の不信を呼ぶ。正式な降伏まで長引けばソ連が北海道になだれ込み、日本の分割統治もあり得た。

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その一行が協議を終え、降伏文書や詔書などの書類を携え帰路につくなかで予想もつかぬ困難に直面する。

中継地/沖縄伊江島で緑十字機に乗り換える際に二番機が事故で損傷する。やむなく一番機のみで夜間飛行を強行、帰路につく。その一番機は、原因不明の燃料切れを起こして、エンジン停止。

静岡県磐田の海岸に深夜の月明かりだけで不時着できたのは奇跡としか云いようがなかった。住民の協力や、浜松海軍基地などの機転で、予定よりわずか8時間の遅延だけで東京・調布飛行場の到着し、復命する。

実は、連合軍進駐に指定された厚木基地は、最大最強の徹底抗戦派が占拠していた。皇族を先頭に立てて必死の説得を行いようやく鎮圧退去させたが、飛行場の建造物は荒廃し、滑走路には嫌がらせの障害物が並べられていた。台風襲来が幸いし48時間の順延という譲歩があったものの、要求通り先遣隊を受け入れることができたのも奇跡的だった。

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著者の岡部英一は、不時着地の地元静岡の郷土史家。

緑十字機に携わった人たちが真の戦争終結に向けて、気力と最後の力を尽くしたという事実と歴史的意義を後世に伝えていきたいとの一念、執念の調査や証言の発掘に尽力してきた。

本書の前半は、客観的な事実だけを時系列的に記述したもの。それがはからずも緊迫に包まれたこのミッションの息詰まるドラマになっている。

後半は、不時着に至った燃料切れの謎解きに挑む。搭乗者の誰かがトリックを仕掛けたものという疑いがどうしても残るからだ。搭乗員のなかに一人だけ氏名が明らかになっていない整備士がいる。副機長は「それは言えません。墓まで持っていく約束です」と証言を拒んだという。

二番機の故障にも謎が残る。著者は、陸軍と海軍との相互不信のなかで、軍使のなかの中堅士官を排除するためだったことが疑われるという。河辺中将らがマニラから伊江島に帰還し、「国体護持」要求がまったく相手にされなかったと知った彼らが一瞬気色ばんだ表情を見せたという。

敗戦国日本が粛々と停戦し、整然と保たれた社会的・政治的秩序を示し得たことが、どれだけマッカーサー以下GHQの好意的心象を引き出したかは想像に難くない。

緑十字機の奇跡の飛行には、軍使、搭乗員以下、不時着に偶然居合わせることになる磐田の市民に至るまで多くの人々が携わっている。本書からは、そうした人々ひとりひとりの顔が見えてくる。

感謝と感動の気持ちが抑えられない。



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緑十字機 決死の飛行
岡部英一 (著)
静岡新聞社

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「暗い夜、星を数えて」(彩瀬 まる 著)読了 [読書]

前年に公募新人文学賞を受賞したばかりだった著者は、二泊三日の東北旅行に出かけた。松島に一泊後、友人を訪ねて仙台駅から福島いわき市を目指して常磐線の列車に乗る。

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その電車が、相馬市手前の新地駅で停車していたときに東日本大震災に遭う。

その時の体験と後日の福島再訪を描いている。地震の被災そのものも希有の体験だが、そのあとに津波が押し寄せる。かろうじて避難したあと、居合わせた見知らぬ人の縁で相馬市から南相馬へと南へ南へと引き寄せられるように移動していき、そこで原発事故の報に遭う。

未曾有の被災体験の記憶だけれども、文章は簡明で短い。しかし、この人は文章の達人だ。その証拠に、この体験の記録は、災害後すでに十余年経ってなお生々しいほどに鮮度を保っている。

記述には、そこで出会った人々の何気ないひと言が捕獲されてピンで刺した昆虫の標本のように不思議な生命の煌めきとともに残されていて、胸を打つ。その証言の内容には、当時の混乱とどうしようもない切羽詰まった状況とともに、原発事故という現実に対する人々の悲しいまでの憤りがあって、なおかつ暖かい厚情が込められている。著者の「胸の泡立ち」にも様々な濁りと暗い色彩があって次から次へと新しいものが沸き上がる。

ここに描かれている人々には、非情なまでの状況にあっても優しい心遣いを失わない日本人の原点のようなものがある。当時の海外メディアに登場する、彼らにとって不思議な日本人の秩序だった社会への驚きも記憶としてよみがえってくる。

行政や事業者の原子力事業へのいまだに無反省な執心にも、これを読むと今さらのように静かな憤りが沸き上がる。

伝えるべきことを伝え、言うべきことを言う、という、ささやかで、なおかつ、凜とした文学の原点がここにはあるという気がする。ひとつひとつの文字を追いながら、思わず目が冴え渡る。

震災直後に書き起こし、書き継がれ、すっかり年月が経った著書だけれど、文庫、Kindleと、アクセシビリティは容易で高い。ぜひ、一度は目を通して欲しい一書だと思う。


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暗い夜、星を数えて
 3・11被災鉄道からの脱出
彩瀬 まる (著)

新潮社
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「指先から旅をする」(藤田真央 著)読了 [読書]

クラシックファンなら知らぬ人はいないだろう。あっという間に世界で活躍するトップアーティストになった藤田真央。ちょっと規格外の天才で、その天然なキャラクターが、ベストセラー小説の映画化「蜜蜂と遠雷」で演奏を担当した風間塵そのものに重なり合う。映画公開の同じ年に、チャイコフスキー・コンクールで二位入賞を果たして、ちょっとしたアイドルになった。

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もともとは、「WEB別冊文芸春秋」に連載されたもの。21年のインタビューをきっかけに連載が始まり、それから23年にかけての2年間の身の回りの出来事やつれづれの思いを綴ったもの。ベルリンに拠点を移したタイミングで、そこからヨーロッパ各地で引っ張りだこになるから、旅日記といった風もあってとてもヴィジュアル。気取らず飾らない文章の軽やかなリズムが心地よい。

アイドルに、写真たっぷりの日記風のエッセイを書かせるというのは、よくある出版パターンだけれども、そのアイドルがクラシックのピアニストだというだけでなく、その連載時にたちどころに世界的な人気ピアニストになってしまうという、その同時性がとてつもなくユニーク。

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たった2年間の記録なのに、その間の成長と変貌は著しい。

ともすれば、クラシック音楽というものはスノッブで教養主義的な権威を振りかざしかねない。この若き人気ピアニストは、高名な音楽家との交流の日常を通じて赤裸々な音楽的成長を映し出していく。ちょっと大げさに言えば、海底火山の噴火と日々刻々と姿を変えていく火山島の動画でも見ているようなもの。

若いから、協奏曲でソロをとっても熟達のマエストロたちからはけっこうきつい直言やご指導を受ける。綱渡りのようなスケジュールで、同じ曲であっても共演の相手も違うし、気候も体調も違うなかで、自分自身、出来不出来もあるし気分や相性によっては演奏のコンセプトも変わる。初日と二日目で演奏も変わる。ある街では満員の大成功であっても、所変われば知名度が浸透しておらず、半分も入っていないということも。プログラムビルディングへのこだわりや、モーツァルト、ショパンなどへの思いも、2年間の経験を通じて日々揺れ動き、ちょっとずつ変貌していく。

そんなこともさっぱりと語っている。けれどその内実はとても赤裸々。

恩師の野島稔を別格とすれば、敬愛してやまないピアニストは、一にプレトニョフ、二にミケランジェリだそうだ。特にプレトニョフは現役だし、ヴェルヴィエなどで間近に接しているだけに、スリリングで生々しいエピソードを紹介している。プレトニョフは、日本ではさほどの敬愛を受けていない気がする。個人的にはプレトニョフには絶対的な尊敬を抱いているので、この辺りの記述はとても興味深く、うれしかった。

とにかく藤田真央が大好きというファンはもちろん、ディープなクラシックファンを自任する向きも、クラシック好きには誰にでもお勧めしたい好著。


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指先から旅をする
藤田真央
文藝春秋
2023-12-10 第一刷

タグ:藤田真央
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「紅珊瑚の島に浜茄子が咲く」(山本貴之 著)読了 [読書]

第15回日経小説大賞受賞作。

江戸時代後期の奥州を舞台に繰り広げられる極上の歴史ミステリー。

選考委員3氏の全会一致での選出だったそうだ。なるほど、謎解きとほのかな男女愛の機微とを絡ませた筆致はエンタテインメントとして見事で、そこに幕末時代の幕藩体制の揺らぎとその背景を描いていて経済小説的な面白さがある。

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江戸時代後期、文化文政の世。小藩の四男、部屋住みの響四郎は、羽州新田藩の継嗣として迎えられる。外様とはいえ大藩である羽州藩支藩への末期養子。それは幕閣の出世頭である浜松藩主・水野忠邦の斡旋によるもの。新田藩が預かる幕府直轄の島では、蝦夷地の花として知られる浜茄子が咲くという。この異例の斡旋には、この島の謎めいた内情を探らせるという密命めいた使命を帯びていた。近習の中条新之助は、響四郎につき従って新田藩に赴く。

筆者は、東京大法卒、ジョージタウン大学法学修士。銀行勤務の後、コンサルティング会社を経て、現在は北海道で空港運営に携わるという元サラリーマン作家。

物語は、もう一本の筋である紙問屋の若女将千代と響四郎が、根津権現で出会うことから始まる。筆者は、学生時代の下宿から根津神社の境内の庭を日々散策し、風趣豊かな情景に接し慣れ親しんでいたという。

羽州藩とはおそらく米沢藩をモデルにしているのだろう。新潟県沖には、粟島(あわしま)という島があって江戸時代には村上藩から天領となり庄内藩預かりとなっていて、その統治の歴史は複雑だったようだ。筆者は、そこに北海道と畿内、長崎を結ぶ北前船の物流航路の隠された要衝とその利権を想定したというわけだ。筆者が日頃暮らす雪深い北海道の風物を重ね合わせたことで、鮮やかなリアリティを生んでいる。

主流を外れて、取引先や関係会社に出向させられ、孤立無援のなかで、内々に潜んだ慣行や不正に向き合わざるを得ないというのは、サラリーマン人生にはありがちなこと。幕藩体制末期なら、藩主といえどもそういう天下り、派遣されたサラリーマン役員と変わらない。誰が敵か味方なのか、何を自分に期待されているのかもわからないというシチュエーションは、サラリーマンにとってあるあるの世界だが、それを時代小説に取り込んだところがユニーク。しかも成功している。

そんな現代人の共感を呼び込みながらの謎解きに一気に読み進み、その晴れやかな結末と、さわやかな読後感もなかなかに良い。


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紅珊瑚の島に浜茄子が咲く
山本貴之 (著)
日経新聞出版
2024-3-1 第一刷

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「戦国日本の生態系」(高木 久史 著)読了 [読書]

「生態系(エコシステム)」などという表題から、環境考古学など生物学、地質学などの自然科学的分析成果を取り込んだ、学際的な近世史研究かと思ったが、実のところは、純然たる文献史学。それは文字記録をもとに史実を復元しようという、歴史研究の王道なのだが、本書の視点は大きく異にする。

歴史というのは、いわゆる「英雄達の選択」的な支配層の足跡になりがち。本書は、地方に埋もれがちだった徴税記録や訴状や判物(はんもつ)などを丹念に読み解き、地域経済の成り立ちを再構成し、庶民の生業を浮かび上がらせようという試み。

対象は、越前の最西部、越前岬から若狭湾に接するごく狭い地域。丹生山地の山腹急斜面が直接日本海に臨む地形で、海食崖が連なる景勝地として知られる。豊かな海と森深い山が近接した狭小地であり、本街道からはずれた僻地。同時に、敦賀という近江、京につながる集散地の背後地でもあった。

ここで再現される近世の姿は、従来の米作中心の経済とはまるで違う。庶民の生業は、稲作ばかりではなく雑穀類など農作物は多様で、塩業、漁労、森林伐採、ススキなど茅材の栽培などの一次産業から陶芸、漆工芸など二次産業へと多岐にわたる。兼業、副業、分業も進んでいた。米作中心主義がともすれば決めつけがちな「農閑期」のイメージとはおよそ様相が違う。例えば陶芸といっても、当初はすり鉢など生活必需品が主だったが、燃料木材に恵まれたこの地域は、江戸初期には亙の生産も盛んになる。南加賀の赤瓦(技術的ルーツは島根の石州亙)は、この地方で盛んに作られて茅葺きを置き換えていく。

戦国武将や織豊期大名などの支配層の徴税徴用も多品目、多種多様で決して年貢米一辺倒ではない。近世の地域経済は、一定の自由経済圏を持ち、決して時給自足ではなかった。そこにはそうした多様な生業を営む庶民と支配権力との間に絶妙な駆け引きがあって、独占権などの特権の安堵とその反対給付としての貢納と労務や運輸などのサービスの提供があったという。庶民はなかなかしたたかだったというわけだ。

文献史学といえども、資料のスポットライトのあて方、地道な解読で歴史を見る目がこうも変わるとは……と目からウロコ。

難をいえば、文章がいささか冗長なこと。しかも、学術的な堅苦しさを避けようとするあまり慣れないキャッチーな言葉遣いで格好をつけたがる。表題の「生態系(エコシステム)」がそのことを象徴している。また、歴史のマクロ的なダイナミックスに欠ける印象があるのは、歴史的な時系列が整理されていないからだろう。


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戦国日本の生態系
庶民の生存戦略を復元する

高木 久史 (著)
講談社選書メチエ

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