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ザクセンスイス (ドイツ音楽三昧 その6) [海外音楽旅行]

ドイツ音楽三昧の旅。今日はベルリンからドレスデンへ移動です。

ベルリンからドレスデンまでは、列車で2時間足らず。ドレスデンはドイツの最東部にありドイツ連邦共和国ザクセン州の州都です。都市間の移動は、ICE(Intercity-Express)と呼ばれるヨーロッパ域内の国境と越えて走る高速列車に乗ります。私たちの乗った列車もはるかチェコのプラハを経てスロバキアのブラチスラヴァまで行く列車。

ICEは、特に指定席・自由席の区別はありませんが、どの車両にも指定予約があってうっかり空いているからと座るとあとで予約した客がやってきて立ちん坊という憂き目に遭ってしまいます。よく見ると席の上方にカードや電光掲示で予約が表示されているので、これが点灯していない席を見つけて座るのが要領です。列車はあっという間に満席になりましたが、私たちは、予約していませんでしたが、首尾良く座ることができました。何事も経験というわけです。

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ドレスデンの駅に到着すると、ホテルのチェックインにはまだまだ時間が早いので、駅のコインロッカーに荷物を預け、切符を買い直してローカル列車に乗り換えてザクセンスイスのクーアオルト・ラーテンを目指します。

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ザクセンスイスは、ドレスデンからさらに東へとエルベ川をさかのぼりチェコとの国境地帯に広がる山岳地域のこと。古い地層をエルベ川が鋭く削った河岸地帯には断崖絶壁の奇岩が林立し、そうした奇観を活用した城塞や古城もある観光地。断崖絶壁の奇岩の中を歩くハイキングはトレッカーたちの人気のコースになっています。

前日に見たカスパー・ダーヴィット・フリードリヒなどが代表的ですが、19世紀ドイツには産業革命の工業化進展と急激な近代化に対して自然主義の高揚があり、それがロマン主義と密接に結びついています。自然や田園地帯などを逍遥し漂泊の孤独を追求するなどの自然への愛着がこの時代の文学や音楽に大きな影響を与えています。

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ワンダーフォーゲルは20世紀初頭にドイツで起こった野外活動運動で、ドイツと密接な関係を結んでいた日本にも伝播し文部省の後押しもあって普及し戦後も大学のサークル活動で盛んでした。戦前の旧制高校の、制服制帽にマント、いわゆる弊衣破帽、あるいは「バンカラ」スタイルとともにエリート意識丸出しの教養主義が引き継がれ、こうしたドイツ民族の自然称揚礼賛が、ベートーヴェンのみならずシュトラウスなどにもあって、おりからのクラシック音楽の普及とも結びついたという気がします。特にブルックナーは、聴衆が異様に中高年の男性に偏っているという日本の特異現象には、こうした歴史的背景があるのではないかと、個人的に勝手に想像しています。

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いずれにせよ汗だく、息も絶え絶えに登ったバスタイ橋からの絶景にはちょっと驚きました。

午後からは天候が急変。風が強くなりドレスデンに戻る列車に乗り込む頃からは気温が空隙に低下し雨模様。ホテルにチェックイン。

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この日は特にコンサートの予定はありません。

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ホテルから念のためゼンパーオーパーへの道筋を確かめただけで、ノイマルクト広場近くのケラーで豚肉の塊のローストを丸かじりしながらビールをたんまりいただきました。

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翌日は、いよいよドレスデンの音楽シーンを堪能です。

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(続く)

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ラトル最後の定期公演 (ドイツ音楽三昧 その5) [海外音楽旅行]

この夜は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演。

2002年、クラウディオ・アバドの後を受けて首席指揮者/芸術監督の座についてサイモン・ラトルは、この2017/2018年のシーズン末をもって退任する。この日は、その任期最後の定期公演。二日にわたる公演の最終日であり、文字通りラトルのラストコンサートというわけです。

さすがにそういう特別なコンサートということで人気が集中。ベルリン・フィルの公演チケットは、前もってネット経由で比較的入手しやすいのですが、今回はネットでの発売日当日に満席。その後の再発売でも早々に完売でネットがつながりません。最後の最後に、電話受け付けがあるということでしたが、奇跡的に国際電話がつながりチケットを入手できることができました。電話での会話に半信半疑であったのですが、確かにチケットが郵送されて手元に届いた時は思わず快哉を叫んでしまいました。

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前回は、12月でしたので8時の開演時間ですでに真っ暗でしたが、今回はようやく日が傾いたという程度で周囲はまだまだ明るい。DST(夏時間)ということもあって、日本の感覚からするとあまりコンサートの始まりという気がしません。すっかり馴れ親しんだ道筋をたどってフィルハーモニーに向かいました。

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ところが席を確認してびっくり。

入手できただけで天にも昇る心地だったのでろくに確認しておらず、左手ブロックの前のほう…程度にしか思っていなかったのですが、行ってみると2列目のど真ん中。番号は3列目(Reihe 3)となっていますが、センターブロックは2列目から始まっているので実際は2列目になります。しかも、、このホールはステージが低く1階客席であっても最前列からかなりの傾斜がついているので、私たちの席はほんとうに指揮台間近でまさにかぶりつきの席。

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あまり前過ぎると、音は頭上を抜けていってしまい、管楽器は視覚的にも聴感的にも弦楽器群の陰になってしまうので、音響のバランスがかえって悪くなります。小編成など、曲によっては前の方も面白いのですが、当日は、とびきりの大編成のマーラー。ステージ上は横幅いっぱいにぎっしりと椅子と譜面台が並んでいます。これはかなりかぶりつきの音響バランスになってしまうなぁと危惧が頭をよぎりました。

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しかし…

案に相違して、素晴らしい音響でした。繊細・精妙かつすさまじいダイナミックスのマーラーが展開する未体験のゾーンに達するような凄みのある演奏を体験しました。

プログラムは、マーラーの交響曲第6番。実は、ラトルはベルリン・フィルのシェフ就任の初めての演奏会でこの曲を取り上げていて、ベルリンでのキャリアを同じ曲で始め、そして同じ曲で閉じるということになります。約1時間半、休憩なしの1曲のみ。

実は、私は3年前にこの同じ6番をアムステルダム・コンセルトヘボウで聴いています。

この曲を世界の頂点にあるオーケストラを現地で聴くというのは格別な体験でした。その同じ曲をまたまた世界最高峰のオーケストラを同じようにその本拠地で聴くという体験を重ねることになってしまいました。

あの時には、柴田南雄氏の「マーラーはレコードで聴くのとナマを聴くのでは、どうしても大差がある」「どんな機械装置でも再現できるはずがない」(岩波新書「グスタフ・マーラー」)という言葉を引いて、まさにその通りだったと言い、さらには不遜にも『マーラーは、欧米の超一流オーケストラで聴かないと聴いたことにはならない』とまで付け加えてその音楽は強烈だったと言い放っています。

字句通りには、今回も同じように強烈なマーラーです。しかし、響きの豊かなコンセルトヘボウでのガッティの多弁で豊穣なマーラーと、音の明晰なベルリン・フィルハーモニーでのラトルの精緻で強靱なマーラーとは、どこまでも対照的でした。

ザッザッザッザッと刻むように行進曲風の音楽が始まり最初のffが鳴り響いたとたんに、これはただならぬマーラーが始まったと感じました。とても明るい色彩で、一切の感傷も思わせぶりもない明晰なマーラー。コンセルトヘボウでこの曲を聴いたときは、ちょうどアンネ・フランクの隠れ家を見学した直後で、ここにただならぬファシズムの残虐な歩みやユダヤ民族の運命を感じ取って背筋が凍りつくような感覚を持ったのですが、いまこのベルリン・フィルハーモニーではそういう文学的なものが一切排除された透徹した合理と天空の高みにまで突き抜けるような高揚があるのです。

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マーラーの精緻なスコアがどこまでも見通せるようにハープやチェレスタまでありとあらゆる楽器の音がクリアに聞こえ、かぶりつきにもかかわらず後方の管楽器や打楽器群の演奏者の表情がつぶさに見通せるのです。目の前の弦楽器も後方の管楽器と見事なまでのバランスで聞こえます。そして何よりもそのアンサンブルの見事なこと。目前のコンマスの音は一切聞こえません。それどころか誰一人の音も聞こえない。全員の一本だけの音しか聞こえない。完璧なユニゾン。

それが横幅いっぱいに長い音像としてクリアに定位する。右には同じように第二ヴァイオリンが幅いっぱいに定位する。とにかくありとあらゆる楽器の定位がものの見事にクリアでしかも視覚と一致します。唯一の例外は、カウベル。演奏者の姿が見えないのでどこから音が出ているのか確認のしようがありません。私の席からは右手上方のオルガンあたりから聞こえます。見上げるとオルガン横の入り口のドアが開いていますが、よくわかりません。コンセルトヘボウでのカウベルの音は、アルプスの山々にこだまするように広がっていましたが、このベルリン・フィルハーモニーではステージ上方に浮遊するように鳴ります。

反射がほとんど無くて、間接音が抑制されたこのホールならではのサウンドですが、この空間をここまで鳴らしきるのはベルリン・フィルだからこそなのだと改めて思いました。ラトルのマーラーは極限までにドライで、ベルリン・フィルの機能と動的性能をフルに引き出していてマーラーのシンフォニックな高揚が天空にまで伸びていく。「悲劇的」という下降沈潜するような重力は一切感じません。むしろ、マーラーの壮大な想像と瞑想に誘引されて自分まで舞い上がってしまうような上昇感覚や飛翔感覚があります。悲劇や運命だとかいった絶望とか挫折というものは皆無。むしろ壮絶なまでに一途な愛の宣告といったほうがふさわしい音楽。演奏された楽章の順番のせいもあるのか、今までのこの曲への私の固定観念を塗り替えるような極限的な演奏。

柴田南雄氏の「どんな機械装置でも再現できるはずがない」というのは間違っていた。いま目の前で鳴っているベルリン・フィルハーモニー管弦楽団こそ、マーラーを完璧に演奏できるマシンそのもの。しかも、この世に存在する唯一の完璧な機械なのだ…。終末の悲愴な和音の余韻のなかで噴き上がるような感動とともに、なんとも言えない虚脱感が襲ってきます。それはまるで完膚なきまでに打ちひしがれた敗北感だったと言ってもよいかもしれません。

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終演後の聴衆の興奮にはすさまじいものがありました。何度も何度も呼び返され、楽員からも花束を受け取るラトルの表情にも会心の笑みがあふれています。前任のアバドは、ベルリン・フィルの歴史上初の生前に退任した指揮者だったとのことですが、ラトルは、初めて“alive and well”の退任だとのこと。団員がステージから去ってからも空っぽのステージに現れて何度も聴衆の歓呼に応えていました。「ラトル、ありがとう」との横断幕も掲げられていました。

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早くもピークに達した感のある今回の音楽三昧旅行ですが、翌日はいったんベルリンを離れドレスデンに向かいます。

(続く)



ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会
2018年6月20日(水) 20:00
ベルリン ベルリン・フィルハーモニー
(ブロックA左 3列 17番)

サイモン・ラトル(指揮)

マーラー:交響曲第6番
 1. アレグロ・エネルジコ・マ・ノン・トロッポ
 2. アンダンテ・モデラート
 3. スケルツォ
 4. 終曲 アレグロ・モデラート

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ベルリンの壁 (ドイツ音楽三昧 その4) [海外音楽旅行]

ベルリン二日目は、朝一番で議事堂を見学しました。

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正式にはドイツ連邦議会議事堂で、通称は昔のままReichstag(国会議事堂)と呼ばれています。1894年に完成した帝国議会議事堂は、1933年、火災によって中央部分が焼失。この火災は、権力奪取直後のヒトラー政権によって共産党の放火と決めつけられ、共産党弾圧のきっかけになります。この後、ドイツはヒトラーの全権委任、独裁、戦争へとまっしぐらに突き進んでいくわけですが、戦後、西ドイツは首都をボンに移してしまうのでこの建物はなかばほったらかしになっていました。

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ドイツ統一後に修復が始まり、1999年にガラスのドーム状の円屋根が付け加えられて連邦議会議事堂が完成します。このドーム屋根には、らせん状の見学通路がついていて、新たな観光名所になっています。入り口は、外国人観光客、EU各国の修学旅行生で長蛇の列。朝早くだったので時間ぎりぎりに慌てて駆けつけた私たちは、おまけにID(パスポート)を置いてきてしまいましたが、事前にネットで登録予約していたので特別の計らいで入場することができました。

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ガラス張りのドームは、真下の議会場の明かり取りにもなっています。内部中心の支柱には可変ミラーがびっしりとはめ込まれて採光の効率を上げるようになっています。

建物は、東西ベルリンの境界だったシュプレー川のほとりにたっていて、すぐそこに壁の東側にあったブランデンブルク門を見下ろすことができます。前日の大聖堂とは対照的に、旧西ベルリン市街がよく一望される素晴らしい眺望が確保されています。西側には、ティーアガルテン(Tiergarten)の広大な緑が広がっています。総面積210haの公園は、ロンドンのハイド・パーク(125ha)やニューヨークのセントラルパーク(335ha)と並ぶ都市中央公園ですが、それが東西分断の境界となりました。

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緑のすぐそこにベルリン・フィルハーモニーの黄色い建物が見えます。そのすぐそばにポツダム広場(Potsdamer Platz)やソニーセンターの賑わいが連なっています。20世紀前半はいわばベルリン中心部の繁華街として栄えたポツダム広場ですが、市中心部を寸断するように壁が建設されたために無人の廃墟と化してしまいます。

壁崩壊・撤去後の1990年代に、この地区は大規模な再開発が行われ様相は一変します。いま私たちが見ている風景は、まさに壁崩壊後の世界なのです。地域は大きく四つに分けて開発され、そのひとつがソニーセンターであり、あるいは関西空港を設計したレンゾ・ピアノがマスタープランを手がけたダイムラー・シティだというわけです。

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壁に沿って、街並みをたどってみると、なんとなく東西分断の残滓のようなものを感じ取ることができます。歴史的建造物は東側にあって、荘重な雰囲気がありますが、同時にいかにも社会主義国的な大げさな造りの建築やいささか画一的な集合住宅がひしめいているのも旧東側ということになります。

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一方で、西側は、そうした文化行政の中心から疎外されていたことがよくわかります。いわば中産階級の住宅地域だったというような雰囲気があって、たいした建造物もあるわけではなく、ツォーの愛称で親しまれるのベルリン動物園駅周辺の賑わいも、郊外住宅地の庶民的な雰囲気です。ベルリン・フィルハーモニーの建物は、いわばそういう壁越しに西側の文化を誇示するような旧西側最大の文化施設でもあったのでしょう。

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そういうことが、ようやく2回目のベルリンでわかってきます。議事堂からの眺めはそういうことが頭の中で咀嚼されるよい助けになりました。

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さて、当夜は、そのベルリン・フィルハーモニーでのシンフォニーということになります。


(続く)
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アンドラーシュ・シフのバッハ (ドイツ音楽三昧 その3) [海外音楽旅行]

今回の音楽三昧の旅の最初のコンサートは、アンドラーシュ・シフのバッハ/パルティータ全曲演奏会。

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そもそもは、新設されたばかりのピエール・ブーレーズ・ザールを体験したいといういささかよこしまな動機でしたが、大好きなシフのバッハが聴けるとあって願ったり叶ったりのコンサート体験です。シフのバッハは、4年前に紀尾井ホールで聴いて以来。そしてバッハのパルティータ全曲演奏は、今春、所沢のリフシッツを体験したばかり。

ピエール・ブーレーズ・ザールは、演奏者をぐるりと取り囲む楕円形のホール。ピアノ・リサイタルの席を予約することには戸惑いがありました。予約用のホームページに示された座席表にはピアノがどう配置されるかは一切表示がありませんでした。どんな配置になるかは実際にその場になってみなければわかりません。

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NHKBSプレミアムで放送されたこけら落としコンサートの映像などで確認した楽屋口の位置からピアノ配置を類推しましたが(結果的にはこれは正解だったのですが)、それでも理想的な正面は、もし、逆だったらあの大きな音響板の背面という最悪の位置にもなるわけでイチかバチかの賭けになってしまいます。その90度ずらした方向であれば、もし当てが違っても、背中側であっても鍵盤が見える位置か、演奏者の顔が見えて音響的にもそこそこの正面側、いずれもそれなりのよさがあります。そこで、その位置で席を確保したのですが、結果的には演奏者背中側の位置。ステージフロアの臨時席が3列ありましたので、5列目の席ですが、手を伸ばせば演奏者に届いてしまうかと思えるほどの近い席です。

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新しいホールに集まった聴衆は、若い人も少なくなくて老若男女がまんべんなく集う音楽会。服装もカジュアルですが知的で上品なもので、会場の雰囲気はどこかの音楽大学の講堂でのリサイタルのような感じでした。実際にここは音楽アカデミーと隣接し接続しているホールなのです。

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カメラが何台も入っていましたので、英語・ドイツ語それぞれの講演と2夜にわたって行われたこの演奏会は、いずれTVで放映されるかビデオにもなるのでしょう。私たちが聴いたこの日は、その最終日でした。

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マイクセッティングは、通常のホールと特に変わらずオーソドックスなもの。

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シフは黒ずくめの立て襟のスーツというシックな装いで現れました。その表情は柔和で穏やか。とてもパルティータ全6曲に挑むというような表情には見えません。四方それぞれに向き直って軽く会釈をすると、椅子に座りさりげなく演奏が始まりました。

シフのパルティータは、若い頃のほうのCDをよく聴いてきました。繰り返しや装飾がよく探求されていてその繊細な情感の起伏や移ろいがとても穏やかで美しい。この日の演奏は、それがさらに簡素化され装飾はもっと控えめで繰り返しの強弱の差もとても微小。淡々と弾き進む端正なたたずまいは変わらず、音楽はよどみなく呼吸し、歌舞というよりも自然なアクセントで語られる詠唱のよう。それでも気持ちを揺り動かすような律動を感じるところも一切変わりません。装飾が控えめになったことでピアノの本来のソノリティがきれいに浮き立ちます。ペダルを一切使わないのはシフのバッハへのこだわりです。

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左手と右手がとても均質で、旋律線が右手や左手へと次々と分割され受け渡されるところは、鍵盤上を駆け巡る両手をつぶさに眺めることができる席ならではのことですが、そのことでバッハの観念的で視覚的な対位法の秘術とその遊び心がより立体感をもって浮かび上がってきます。内声ともいうべき副声部がそのまま音感に深みを与えてくれるのはまるで魔法でも見るような気さえします。

プログラムは、5番、3番と穏やかに開始され、1番、2番と長調、短調を交互に連ねて弾かれます。いささか劇場型だったリフシッツとは対照的に、シフのバッハは書斎で弾かれるようなバッハ。聴衆と同じ地平で同じ空気を呼吸するような音楽で、バッハが作品1の練習曲集と題して初めて公に出版した原点ともいうべき曲集。自分の書斎で息子の手ほどきをする姿をほうふつとさせるような演奏。一曲の区切りを確認するかのような拍手にほんの少しだけ座を外して一礼するとすぐに次の組曲に入ります。楽屋に下がることもなく、休憩はただの一度だけ。少しの気負いもありません。

客席も次第に集中力を高め、バッハの世界に深く沈潜していきます。休憩後の後半は、4番と6番という組曲集のなかでもひときわ大がかりな大曲を2曲。それを拍手に軽く応じながらも休みなく演奏します。この後半は、まさにシフと聴衆が一体となったかのように宇宙空間にぽっかりと浮かぶ太陽と惑星のような格別のバッハの精神世界でした。

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閉演後にはサイン会。列のほとんど最後尾に並んでシフのサインをもらいました。その姿を現すまでにずいぶんと待たされましたが、やはり黒のシックな普段着に着替えて薄い鞄を提げて現れた姿は、どこかのおじさんの通勤姿のようでいささか拍子抜け。

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最後の最後まで、どこにも力の入らない自然体の、それでいて静かで穏やかな感動が広がるリサイタルでした。


(続く)


サー・アンドラーシュ・シフ バッハ/パルティータ全6曲演奏会
2018年6月19日(火) 19:30
ベルリン ピエール・ブーレーズ・ザール
(1階ブロックC 2列目 7番)

J.S.バッハ:パルティータ全6曲
 パルティータ第5番 ト長調 BWV 829
       第3番 イ短調 BWV 827
       第1番 変ロ長調 BWV 825
       第2番 ハ短調 BWV 826
       
       第4番 ニ長調 BWV 828
       第6番 ホ短調 BWV 830
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ピエール・ブーレーズ・ザール (ドイツ音楽三昧 その2) [海外音楽旅行]

ベルリン到着の当日、私たちはホテルに荷物を預けると、さっそく市内視察に出かけました。ベルリン大聖堂の大オルガンの音を体験し、博物館巡りをそそくさと済ませてから私たちが向かったのはウンター・デン・リンデンに面したベルリン国立歌劇場付近のベーベル広場です。

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その夜のコンサート会場を確認のために向かった私たちのお目当ては、国立歌劇場ではなくて、昨年の3月に新しくオープンした《ピエール・ブーレーズ・ザール》です。

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このホールは、指揮者のダニエル・バレンボイムが尽力して創設したバレンボイム・ザイードアカデミーと併設されたもの。アカデミーはパレスチナ系アメリカ人の文学研究者のエドワード・サイード (故人) とバレンボイムが、アラブ諸国とイスラエルの双方の若い音楽学生を集めて創設したウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラが基盤となっています。その建物はベルリン国立歌劇場の舞台装置収納庫だった建物を改築したものです。

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コンサート会場は、楕円形の客席が中央のステージフロアを取り囲むとても斬新なもの。

設計には、ロサンゼルスのディズニー・コンサートホールを設計したフランク・O・ゲーリーが無償で参画し、そのホール部分の音響設計は、ゲーリーからの依頼により日本の永田音響設計が担当しています。

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楕円形というアイデアは、初めてバレンボイムと会ったときにゲーリーが提案したもの。ナプキンに描いたスケッチを見たバレンボイムはすぐに「フランク、楕円形は面白い!是非、是非!」と賛同したそうです。でも、最初のアイデアでは、ステージをホールの一端に配置した従来型のレイアウト。客席だけが楕円形状でステージとは向き合うように配置されていました。楕円形状にレイアウトした客席の中央にステージを配置し、ステージ周辺の客席を可動可変型にして自由度を持たせたのは、故ブーレーズが提唱していた "モジュール可変ホール”(Salle modulable)を実現したいという意図があったそうです。

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この630席の室内楽用ホールは、さらには隣接するアカデミーのオーケストラのリハーサル会場も兼ねています。フルオーケストラのリハーサルを行っても音が飽和しないように天井高を最大限とりたいということも、建物の最下層中央にステージを設けるという発想のきっかけだったようです。客席のうち100席はステージと同じフロアにありますが、これを撤去すれば大編成のオーケストラの演奏も可能となるわけです。

懸念されるのは、客席にとっての楽器の方向性、音響の指向性です。席によっては演奏者や楽器の背面に位置することになります。

ところが、意外なことに、実際、聴いてみるとそのような懸念は全くありませんでした。

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このホールは既存の歴史的な建造物の中にコンサート用のスペースを新しく設置するという珍しいケースです。歌劇場の収納庫だったこの建物は外観は味も素っ気もない四角四面の建物。実は、ホールの音響スペースもよく見てみると四角四面の壁に取り囲まれています。視覚的には楕円ですが、音響的にはシューボックス型の平行壁で囲まれた空間となっています。ウィーンのムジークフェラインなど素晴らしい音響を誇る幾多の名ホールがこのシューボックス型であることはよく知られています。

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ムジークフェラインは、音が空間全体を満たし、場所の違いによってその音響バランスが少しずつ違いがあるものの、どの席でも同じように素晴らしい音響が楽しめる素晴らしいホールです。そういう特長はアムステルダムのコンセルトヘボウのP席でも体験しました。人間が感知する音響のほとんどは間接音だと言われています。その間接音効果でまんべんなく音が回るのはむしろ平面壁に取り囲まれたシューボックス型のホールなのです。

しかも、このホールでは、音源が中央に配置されることで、そういうシューボックス型空間での音の響きが理想的になっているのだと想像されます。逆に、シューボックス型の大きな欠点は、視覚面で公平さを欠くこと。ここのフィルハーモニー・ザールは、そういう客席のパースペクティブを改善するためにアリーナ型が実現し画期的なホールとなりました。このブーレーズ・ザールは、音響的にはシューボックス、視覚的にはアリーナ型のそれぞれの利点をいいとこ取りしたようなもの。聴衆と演奏者との親密度がとても高く、その間に隔てる距離をほとんど感じません。逆に上層のバルコニー席に演奏者を配置させることも可能。いわゆるバンダのようなものですが、こうすれば逆に聴く側が演奏者に囲まれるようになります。

20世紀音楽では、聴き手と演奏者との立体的な相対的な関係が強く意識された楽曲が多く生まれています。個人的には、武満徹の『フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム』を聴いたときに、これじゃあ面白さ半減だとオペラシティ大ホールのバルコニー席で恨めしく思ったことがあります。逆に、バッハの教会音楽などを実際に教会で聴いてみると同じように聴き手と演奏者との位置は様々で、聴衆が演奏者に取り囲まれるような配置こそ本来のものであったことに気づかされます。BSプレミアムで放送された、このブーレーズ・ザールのこけら落としコンサートの映像を思い出しながら、ここでいろいろな曲を聴いてみたいと思いました。

さその夜のリサイタルコンサートでは、まさに、このホールならではのそういう演奏者との親密な関係を体験することになったのです。


(続く)
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ベルリン大聖堂のオルガン (ドイツ音楽三昧 その1) [海外音楽旅行]

ヨーロッパ音楽三昧の旅、春先のミラノに続いて今回は再びベルリンとドレスデンを訪ねました。この二つの音楽都市をしゃぶり尽くそうという旅。

羽田を深夜に出発するパリ経由のフライトは順調で、ベルリンには翌日の日付の朝9時に到着です。テーゲル空港からは市内まではTXLという空港バスが便利でブランデンブルク門の外れのウンター・デン・リンデンで下りてフリードリヒシュトラーセ駅近くのホテルまで徒歩。この駅は、冷戦時代の東西国境の駅となっていたので独特の雰囲気があります。ベルリン分割に際して市内交通は、近郊鉄道のSバーンは東、市内交通のUバーンは西側が管轄するという了解があって、壁間近にあってSとUが交差するこの駅がいわば西側の玄関であり市内への乗換駅となっていたのです。

ホテルに荷物を預けると、さっそく、市内視察。音楽会の会場場所の確認を兼ねて前回積み残しになっていた博物館島に足を伸ばしてみました。

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旧博物館(Altes Museum)の前、シュプレー川のたもとにベルリンの象徴ともいうべき大聖堂(Berliner Dom)があります。

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1944年に空襲で破壊された大破して、戦後、暫定的に修復されるのみでした。本格的な聖堂再建が始まったのは1975年のこと。最終的に改築・修復が完結したのは2002年。中に入ると高さ114mというドームが圧倒します。このドームは登れるようになっていて、てっぺんの回廊からは旧東ベルリンの街並が一望できます。

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ちょうど礼拝の時間で、その大オルガンの音をじかに聴くことができました。式は、まずオルガンの前奏があり司式者の始めの宣言があって再びオルガンの短い即興が響く。祈りの後に再度オルガンによる後奏があり全員が立って賛美歌合唱が続きます。

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聖壇に向かって左側に設置されている巨大なパイプオルガンは、バッハゆかりのライプツィヒ聖トーマス教会のオルガンと同じ名工ヴィルヘルム・ザウアーによるオルガン。聖トーマス教会よりも空間容量がはるかに大きいので音響の渦に巻き込まれるような迫力ではないのですが、包み込むような包容力と敬虔で暖かみのある音。低音は空気を揺るがすというオーディオ愛好家が妄想するようなものではなく、静かに足元から満たされてくるような低音です。

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配られた式次第のリーフレットには歌われる賛美歌が、そのメロディ譜とともに歌詞が掲載されています。その譜面を見るとなるほどと思いました。ドイツ人の身体に染み渡っている弱起(アウフタクト)。譜の始まりは小節の最初ではなくて、前小節の最後の拍から始まるように表記されているのです。

バッハの自筆譜にもしばしばそういう区切りがしばしば現れるといいます。日本人にはなかなか身体が反応しにくい拍節感覚ですが、行進するときには左足を出だしに指導されることに西欧から倣い学んだこの弱起原則があります。ベルリンの街を歩いていると、信号が青に変わる前に必ず黄の点滅の瞬間があることに気づきます。何かの行動開始の前に必ず準備のような一呼吸のような弱拍を置く。あるいは裏拍のリズム感覚。これは賛美歌(コラール)には徹底しています。

全体で40分ほどでしたでしょうか。本来の参拝者もいれば、私たちのようにたまたま訪れただけの観光客もたくさんいますが、分け隔てなく参列できます。あのオルガンを聴けただけでも幸せでしたので、散会後の出口でのドーネーション(寄付)にわずかならの浄財に応じました。

時間も限られていたので足早に博物館巡り。

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旧ナショナルギャラリー(Alte Ntionalgalerie)では、クラシック音楽のジャケットなどによく登場するカスパー・ダーヴィット・フリードリヒの特集もあって、なじみの図柄をホンモノで確かめることができました。

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やはり印象深かったのはペルガモン博物館の、古代バビロニアの『イシュタール門』と、新博物館(Neues Museum)の古代エジプト美術『王妃ネフェルティティの胸像』(写真撮影禁止)でした。

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そして、私たちが向かったのは今夜のコンサート会場の場所を確認するために、ウンター・デン・リンデンに面したベルリン国立歌劇場付近のベーベル広場です。





(続く)
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パリ・ロンドン・ミラノ「オルフェオとエウリディーチェ」 (ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす その5) [海外音楽旅行]

さて、ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす旅の第3夜。ヴァイオリンの街クレモナに遊び思わぬローカル料理との出会いがあったその夜、スカラ座はまた別の立ち位置を見せてくれました。

それは、ファッションの街、デザインの街、そういう国際都市ミラノの華やかな顔立ち。

実は、私たちの滞在した週は、ミラノ・ファッションウィークそのもの。いわゆるミラノ・コレクションの真っ最中。寒波に襲われていたことと私のファッション音痴のせいでそれほどには感じていませんでしたが、妻に言われてみると確かに街を歩く人々には地元感からはるかに浮上した色香が漂っていました。

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それは、この夜のスカラ座で炸裂。

「オルフェオとエウリディーチェ」の新プロダクションが初日(プレミエ)を迎えた日だったせいか、この日の入口を入ったホワイエや上階のトスカニーニ・ホワイエには前2夜から一段とファッション・センスにあふれた男女でにぎやか。プレミエというのは、なかなか日本人にはその特別さの実感がありませんが、オペラ文化の国、そのオペラの殿堂でのその特別な夜の華やかさにちょっと圧倒される思いもあります。おそらくファッションウィークからの流れもあったのではないでしょうか。

「オルフェオとエウリディーチェ」は、とても特異なオペラです。

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作曲者のグルックはオーストリア人。現在のドイツのバイエルン州に生まれ父親はボヘミア貴族に仕える林務官でプラハに育ちます。宮廷楽長の地位を得てウィーンで活躍し、そこで作曲された「オルフェオとエウリディーチェ」はイタリア語で歌われました。グルックは、従来のスター歌手中心のオペラを、作品そのものへと重心を移し、より劇的で流麗な運びの様式へと変革していきます。いわゆるオペラ改革。それは当時の議論を二分します。そのグルックは皇女マリー・アントワネットに付き従ってパリに移動。「オルフェオ」はそこでフランス語に改編され大幅に改訂され、グルックのオペラ改革は後のベルリオーズに大きな影響を与え、ワーグナーの楽劇へとつながっていったのです。

スカラ座では、このパリ版が使われていて、歌詞もセリフもフランス語。

各席の目の前の前席背もたれに字幕ディスプレイがあって、イタリア語と英語が選択できるようになっています。「シモン・ボッカネグラ」でも英語字幕が大いに助けになって、スカラ座の設備の新しさは私たち夫婦を驚喜させました。

そしてこのプロダクションは、ロンドン・王立歌劇場(コベントガーデン)との提携によるもので、数年前にエリオット・ガードナーの指揮と手兵イングリッシュ・バロック・ソロイスツにより上演されたプロダクションをそっくりそのまま持ってきたもの。それはいわゆる古楽スタイルの演劇のリニューアルを超えた最新のファッションセンスにあふれている素晴らしく活き活きしたグルック。

ステージは、とても立体的。

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オーケストラはピット内ではなくステージ奥に配置。このオーケストラ全体がセリで上下し、歌手のステージの一部にも使われます。ストーリーはいたってシンプルで、日本神話のイザナミ、イザナギのように亡き妻を黄泉の国まで呼び戻しに行くお話し。地下洞内の黄泉の迷宮と天上の愛の神アモーレ、地上の精霊たちの踊りと、3次元的に展開していきます。こうした舞台装置の装備はおそらく2002年から04年にかけての大改修のたまものなのでしょう。座席の字幕ディスプレイもたぶんその恩恵のひとつ。30年前に訪れた時のいささか時代遅れのホコリ臭さは一掃されていて、それでもオペラの殿堂の輝きが一層増している。

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指揮はミケーレ・マリオッティ。オーケストラはもちろんスカラ座管弦楽団ですが、完璧なピリオド奏法で、その華麗な変身ぶりには驚かされました。ステージ上のオーケストラは、小編成ですがとても明るく開放的な響き。パリ版で追加されたあの有名な「精霊の踊り」ではソロのフルーティストがさっそうと立ち上がり、オーケストラにもオーディオ・ヴィジュアル的な精彩の光がはっきりとあてられています。オーケストラがせり上がって頭上にあるシーンでは、響きがややくぐもってしまうのは致し方ないところですが、その部分は歌手たちにスポットがあたっているということなのです。

素晴らしいのはバレエとその振り付け。

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バレエもパリ版で大幅に拡充されました。そういうバレエ曲の充実はニンフたちが天国の野原で踊る「精霊の踊り」に象徴されますが、それだけではなくこのオペラのそこかしこにストーリーの流れと起伏を与えています。イギリス(ブライトン)を根拠地とする新進の振付家ホフェッシュ・シェクターと彼が率いるバレエカンパニー。このプロダクション全体にみなぎるモダンセンスをリードしています。その肉体表現は身体全体の可動領域を最大限に駆使して感情を目一杯に発信するような激しくも情感にあふれるダンス。古楽の復活という学究的な味は皆無で、オーケストラのピリオド奏法そのものがとてもコンテンポラリーなサウンドとした斬新な響きとなって、そういうモダンバレエに同調してくるのは不思議な感覚。

歌手はたったの3人。

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アモーレ役のファトマ・サイードはエジプト生まれ。

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そのちょっとエキゾチックな風貌と金ピカの衣装で、舞台の上下左右と縦横無尽、最も活動的に活躍します。透き通った純な歌声が妙にサディスティックで愛の神というよりも小悪魔的な愛嬌を振りまきます。

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一方、エウリディーチェ役のクリスティアーネ・カルクは可憐だけれどどこか存在に透明感があるお嬢様役を見事に演じ切っています。フランクフルトで《アラベラ》のズデンカ役や《ペレアスとメリザンド》のメリザンドで大当たりをとったというのも頷けます。エウリディーチェ役はザルツブルクでムーティの下で歌っていて掌中の役柄なのでしょう。

けれども何と言ってもこのプロダクションの核心にいるのは、オルフェオ役のフローレス。

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テノールのコロラトゥーラ…といってもピンと来ないかもしれませんが、もともとウィーン版でのオルフェオはカストラート(去勢された男性歌手)にあてられていました。パリではカストラートは嫌われていたことからパリ版ではオート・コントルに変更されました。ファン・ディエゴ・フローレスは、ペルー出身の異色のテノールですが、今や世界で最も聴きたい現代最高のテノールと言ってもよいでしょう。その魅力は何と言ってもそのアジリタ/コロラトゥーラ。そのイケメンぶりと超高域で聴く者の脳髄の芯まで痺れさせてしまいます。私たちの日程は、実はこのフローレスをターゲットに組まれていたのです。

客席はやんやの大喝采。

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「シモン・ボッカネグラ」でもマーラーでも熱い喝采はありましたが、ミラノの聴衆は立たないのかと思っていました。何でもすぐに総立ちの喝采となるアムステルダムの野暮ったい聴衆に較べてさすがミラノは…と、思っていましたがどうしてどうして、このフランス語のオペラにはスタンディングオベーション。

オーケストラを自在に上下させ、舞台天井まで目一杯に展開する舞台デザインを可能にしている舞台装置の装備はおそらく2002年から04年にかけての大改修のたまものなのでしょう。座席の字幕ディスプレイもたぶんその恩恵のひとつ。30年前に訪れた時のいささか時代遅れのホコリ臭さは一掃されていて、それでもオペラの殿堂の輝きが一層増している。

パリ、ロンドン、ミラノとたどる道筋は、そこに新大陸のニューヨークを加えれば、いわゆる世界四大ファッションウィークそのもの。あらためてミラノとスカラ座の新しい発見をした大興奮の夜となりました。



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クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」
2018年2月24日 20:00
イタリア・ミラノ市 スカラ座
(1階右土間席 A列8番)

ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
ホフェッシュ・シェクター・カンパニー(バレエ)
指揮:ミケーレ・マリオッティ

オルフェオ: フアン・ディエゴ・フローレス
エウリディーチェ: クリスティアーネ・カルク
アモーレ: ファティマ・サイード


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クレモナのヴァイオリン (ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす その4) [海外音楽旅行]

ミラノ滞在4日目は、クレモナまで日帰り旅行をしてきました。

もちろんクレモナと言えばヴァイオリンの街。豊かな中世の面影をたたえた美しい街でもあります。

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ミラノの南東、同じロンバルディア州にあって、ボローニャ行きの列車に乗って1時間ほどのところ。幸いこの日は、厳しい寒波が襲っていたこの時期にあって一番穏やかな天候で、午後には晴れ間の拡がる絶好のお散歩日和。古い中世の街並みとヴァイオリンを訪ねての散策は、ロマンチックというのか、むしろおとぎ話のなかに遊ぶような気分。

ロンバルディア州は、アルプスを源流としイタリア最長の川であるポー川の流域に肥沃な平野部が広がり農業が盛んで、なおかつ古代中世以来、交通の要衝を占めていたことから商工業も発達していてイタリアのGDPの2割以上をたたき出しています。車窓を眺めると、広い農耕地や牧場もあり工場もありということで本当にその豊かさを実感します。

クレモナは小さな街ですが、中世以来、軍事的要所として発展し中世の面影を色濃く遺す美しい街で、ミラノと同じヴィスコンティ家の支配下にあり音楽の盛んな街として繁栄しました。アマティ家に始まり、グァルネリ一族、そしてアントニオ・ストラディバリと18世紀にかけてヴァイオリン製作は隆盛を誇りますが、その後は一時衰退してしまいます。その伝統を再興したのは独裁者ムッソリーニの支援によるものだということです。

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駅から真っ直ぐに向かったのは、2013年にオープンしたというヴァイオリン博物館。

建物はモダンで、内装や展示もとても現代的。所蔵楽器も弦楽器に限定しているせいもありますが、ミラノのスフォルツァ城内の楽器博物館と較べてもさほど数が多いわけではありません。けれども、何と言ってもストラディバリウスやアマティ、アントーニオ・グァルネリ(グァルネリ・デル・ジュス)などの名器がずらりと展示されているのはまさに壮観です。展示楽器は、各地の所蔵楽器と交流交換して適宜変わるようになっているとのこと。もちろん現役の楽器も展示品には含まれているわけです。

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クレモナは、ヴァイオリンに限らず、ギター製作でも有名な産地で、ストラディバリの製作した貴重なギターも展示されています。こういう中央アジア発祥あるいは中東で発達した弦楽器がルネサンス期に一気にこの地で花開いたのは、やはり、アルプスの豊富な森林資源が背景にあったようです。響きに直接影響する表板はスプルース(マツ科の針葉樹)、側板など強度部材はカエデが使われ、指板にはインドなどからの交易品である黒檀が使われています。単に家具製作などの木工工芸というだけではなく、アルプスと交易盛んな地中海という組み合わせによる原料や経済基盤にも恵まれていたというわけです。

こうしたヴィンテージ楽器だけではなく、モダン楽器もずらりと展示されています。

それは、ヴァイオリン製作の世界最高峰を競うクレモナ国際ヴァイオリン製作コンクールが76年以来、3年おきに開催されていて、そのコンクールで最高の金メダルを獲得した作品がすべて展示されているからなのです。

博物館のガイドさんに日本人の女性の方がいらして、日本語で丁寧親切に解説していただきました。そのガイドさんにお伺いすると、いままで日本人の金メダリストはたったお一人しかいらっしゃらないのだそうです。そのヴァイオリンの前に案内していただくと銘板には確かに“ Sonoda Nobuhiro”とあります。その方は、現在、日本弦楽器製作協会会長の園田信博氏で、無量塔藏六氏に師事、その後ドイツに渡りマイスター資格を得て1982年の第3回コンクールで見事優勝されたそうです。

街のそこかしこにヴァイオリン製作工房が軒を並べています。

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クレモナは、もちろん、ヴァイオリンだけではありません。

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街の中央には、壮大華麗なドゥオーモがあって、ちょっと度肝を抜かれました。

市内の博物館としては、アラ・ポンツォーネ市立博物館が本来の博物館。ここの楽器展示もなかなかの充実ぶりです。

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クレモナ派の絵画のなかに、ここにもカラヴァッジョがあります。

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もうひとつの目玉はマルチンボルトの『野菜売り』。

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美術鑑賞の後は、ゆっくりと昼食を楽しみました。

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美術館からほど近い路地を入ったところに小さなレストランらしきお店があるので、店先で中の様子をうかがっていると、通りかかった女性が何やらイタリア語で「このお店は最高よ。オススメだわ。」というようなことを言い放って笑いながら通り過ぎていきました。その明るい声に背中を押されて中に入ってみることにしました。

オーナーシェフのおじさんも、その娘さんらしい若い女性もちょっと戸惑ったような表情を見せます。話しかけてみると全く英語が通じません。歓迎はしてくれているようで、とにかくテーブルに案内されてメニューを渡されますが、私にはチンプンカンプン。英語で質問してみても「あ~う~」状態です。

見るに見かねたらしく、隣のテーブルの4人連れのひとりである若い青年が話しかけてきて、私たちのあいだに入って通訳してくれて助かりました。

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お店のメニューはまったくのローカル料理。ミラノでの食事はとても美味しいのですが、ピザにスパゲッティ、リゾット、カツレツ、オッソブッコと、メニュー自体はありきたりのものばかりで、今や東京でも食べられるものばかり。正直言って、ここでも軽くスパゲッティでもと思っていたのですが、そういうものは全くメニューに載っていません。

注文してみてもどんなものが出て来るのか皆目見当がつかなかったのですが、どうやら地元料理で塩漬けした内臓肉を茹でたもの。タンなどの三種盛りで、素朴な料理ですがとても美味しかった。軽くと言いながら、結局、またドルチェを頼んでしまいました。

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日帰りの楽しいエクスカーションでした。中世と古楽器のおとぎの世界を満喫しました。

…さて、実はこの日のスカラ座もやはり神話や妖精たちのフェアリーテールの世界だったのです。

(続く)

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イタリアのマーラー (ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす その3) [海外音楽旅行]

ミラノ滞在の3日目となるこの日は、昼食の時間をたっぷりと取ってミラノの食を楽しみました。

実は、それはまた、30年前の家族旅行のセンチメンタルジャーニーも兼ねていました。ミラノには30年前に家族で来たことがあることは『最後の晩餐』鑑賞でも触れましたが、ミラノに到着した30年前のその夜はとてもひどい雨が降っていました。ようやくの思いで到着したホテルのフロントで一番近くで子供もOKというお店を教えてもらいました。お腹を空かした子供に早く食事をさせたい思いと、降りしきる雨の中を遠くまで歩かせるわけにもいかないという思いでした。

教えてもらったそのお店は確かにホテルからすぐのところにあって、見かけはとても小さな間口。入口にいたおばあちゃんはとても気さくで私たちから濡れた傘を受け取りながら、子供たちを見て「オー、バンビーノ!」と満面に笑みを浮かべ、優しく子供たちの頭をなでていろいろ話しかけながらテーブルへと案内してくれました。

てっきり小さな庶民的なレストランと思い込んだ私たちは、店の奥のテーブルへと案内されて、あっと驚いたのです。奥はとても広くて豪華な内装です。料理は本格的で、前菜としてトレイで運ばれてくる海鮮料理やパスタは豪華絢爛で、それを見ながらあれこれ選べるようになっています。子供たちにも声をかけて勧めてくれる店員たちもとても親切。最初は気後れさえしていたのに、だんだんと気持ちがくつろいできて本格的なイタリア料理を満喫したのです。

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その店を再び訪ねてみると、その30年前そのままの店構えで、とてもうれしくなってしまいました。

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イタリアの常識からすれば早い時間でしたので、テーブルは入口近くのひとつめの部屋に案内されました。

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次第に店内も混んできて、思い出の奥の大部屋もほぼ満席になりました。

ワインはちょっと奮発してブルネッロ・ディ・モンタルチーノ。この後、食品店で確認したらほぼ小売値と同じでした。イタリアのレストランはワインにはとても律儀です。このワインがとても美味しかった。

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初めてイタリアに来たときはイタリア人の大食と、メニューの組み立ての大きさに驚きました。当時に比べるとこちらも体重と胃袋の容量は成長しましたが、この日はランチということでアンティパストにミラノ風のリゾット、プリモにはオッソブッコだけ。

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付け合わせで焼き野菜を連れ合いとシェア。

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というわけでミラノの名物料理ばかり。

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連れ合いはミュール貝を頼んでいましたが、そういえば以前に出張でミラノに来たときに大きなバケツでご馳走になったことがあって、これもミラノっ子の好物のひとつなのでしょう。

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大きなソーセージを切り分けるのが面白くてじっと見ていたら、お前も喰うかとの仕草。思わず「シ!」とうなずいてしまいました。

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もちろんドルチェもいただきました。

さて…

この夜は、スカラ座管弦楽団のシンフォニーコンサート。総監督のリッカルド・シャイーが指揮するマーラーの交響曲第3番。

イタリア最高峰の歌劇場スカラ座のオーケストラは、すなわちイタリア最高峰の管弦楽団ということになります。シンフォニーは、古くから行われてきて近年ではこうしてオペラシーズンであっても開演するし、最近の日本ツアーでも必ず一夜はシンフォニーが演じられています。

ライプツィヒやチューリヒなどとの違いは、その会場が歌劇場そのものであること。

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オーケストラピットにまでステージが拡張され、奥には巨大な木製の反射板が取り付けられています。プログラムはマーラーの最長の交響曲である第3番の1曲のみ。巨大な編成のオーケストラがステージにぎっしり並び、奥には合唱の階段席が設けられていて、歌劇場の様相は一変します。アコースティックは、歌劇場なのでさすがに残響時間も短いドライな響きですが、ステージがプロセウムから大きくせり出しているのでピット内からの音響とは違って壮大な広がりがあったことは期待以上のサウンドアコースティックでした。

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第3番は、作曲者によって第一部と第二部というふうに2分されていますが、合唱は始めから入れられていて休みなく一気に演奏されます。

第一楽章は、30分を超える長大なもの。私は、ハイティンク/シカゴ響のライブ盤を愛聴していますが、そこで展開するマーラーの狂気や偏執的な回顧と強迫観念の無秩序とさえ思えるような混乱狂乱ぶりにいつも圧倒されてしまいます。シカゴ響ほどの強烈強大な音量はありませんがスカラ座管も大変な技量の高さです。冒頭の8本のホルンのユニゾンと続くティンパニとグランカッサの打撃は、さすがにハイティンク盤のような音量強調はありませんが音楽的にとても緻密。さらに続いての聴きどころであるグランカッサのロールは、マレットを硬いものに持ち替えているので少し甲高い音でピアニッシモであってもとても明瞭に聞こえます。こういうところがオーディオの虚構と生音との違いなのです。

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それにしても、イタリアでマーラーを聴くことになるとは数年前までは想像したこともありませんでした。

マーラーはイタリアでもかなりの人気のようです。それは、やはり、歌曲好きのイタリア人だからでしょうか。特にミラノは半島地域とは明らかに人種文化が違っていいて、かつてハプスブルク家が支配した大陸部アルプス山脈の南側ふもとの平野部なだと実感します。現に晩年のマーラーが滞在し『大地の歌』を作曲したドロミテのトープラッハは現在のイタリア領になっています。

それでも第一楽章の演奏はしっくりときませんでした。

その演奏には、マーラーの幼児体験への偏執と分裂症気味な自己愛と自己嫌悪、運命に取り憑かれたような被害妄想がどうも希薄なのです。冒頭のホルンの旋律や『夏の行進』にあるはずの抑圧的な軍隊の野卑な横暴さが感じられない。マーラーが多用する旋律を分断していくつかの楽器で受け渡していく技法も浮かび上がって来ない。だからファシズムの恐怖もポピュリズムの怯懦も見えてこない。ただひたすらに分断されたパーツとパーツがそれぞれ勝手に歌っている感じがします。

第一楽章すなわち第一部がが終わって、ソリストのゲルヒルト・ロンベルガーが登場します。休憩らしい長めの間合いが取られたのはここだけ。第二部はほとんど一気にと言ってよいほどに続けて演奏されます。

この第二部で、それまでの不満が一気に反転してしまいます。素晴らしいマーラー。

それはひとつにはソリストのロンベルガーが素晴らしかったから。実にオーソドックスですが声に深みがあってよどみがない。実は、ロンベルガーはハイティンクがバイエルン放送響を指揮したライブ盤で起用されたアルトです。

合唱が、これまた、素晴らしい。天性の無垢な美しさと強い純粋さや健気さがあって、とても明るい色彩と響きがあります。少年合唱隊の「ビムバム」も天真爛漫というわけではないのですが子供の声の持つ浄化作用に心が洗われ躍ります。

そういう歌手や合唱に導かれるというところもあるのでしょうが、オーケストラも実に伸び伸びとした技量や技巧を発揮して華麗なまでの極色彩でよく歌います。第二部にはマーラーのもうひとつの側面である歌唱性とハイテンションな多幸感が漲っている。そういうところにイタリアのマーラーの真骨頂があるように思えてきます。不満に感じた第一部も第二部を聴いてみると地味だけれども郷愁のようなものがあってあれはあれでよかったのだとも思えてきます。食通でもあるイタリア人の宗教観、信仰心はとても現世肯定的であるような気がします。

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終演後の喝采もひときわ盛り上がりました。

前夜の本来のオハコともいうべきヴェルディではずいぶんと冷静な拍手だったのに、マーラーにこれほど共感し興奮するイタリアの聴衆と同席して、これにもまた感激してしまいました。


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スカラ座管弦楽団演奏会
2018年2月23日(金) 20:00
イタリア・ミラノ市 スカラ座

ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団・児童合唱団
指揮:リッカルド・シャイー
合唱指揮:ブルーノ・カソーニ
ゲルヒルト・ロンベルガー(アルト)








iccardo Chailly

Teatro alla Scala Chorus and Orchestra
Treble Voices Chorus of the Teatro alla Scala Academy
Chorus Master
Bruno Casoni
Soloist
Gerhild Romberger
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Gustav Mahler
Symphony No 3 in D min.
for contralto, women chorus, treble voices chorus and orchestra

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「シモン・ボッカネグラ」 (ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす その2) [海外音楽旅行]

ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす旅。その初日です。

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実はスカラ座を30年ほど前に訪ねたことがあります。ボックスオフィスで当日券があるかと聞くと「ある」とのひと言に狂喜…ところが「でも、公演が開催されるかどうかわからない」との話しに愕然。演目まではっきりと覚えています。モーツァルトの『魔笛』。指揮者はサバリッシュでした。スカラ座ならイタリアオペラとの気持ちからは多少は期待外れでしたがサバリッシュの『魔笛』ならと思い直す頭に冷や水を浴びせられたようなひと言。理由は、「組合ともめていて、ストライキがあるかもしれない」から。当時のイタリアは、労働争議の真っ盛り。あちらこちらでストが行われていました。

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オペラハウスのツアーに参加してみると、ちゃんとオーケストラがリハーサル中。何でも争いは舞台装置関連の組合だそうで、そのために全体が休演に追い込まれてしまうのです。やはりあえなくキャンセルでした。

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さて、この夜の演目はヴェルディ中期の傑作『シモン・ボッカネグラ』。30年を超える積年のリベンジにはふさわしい演目です。

このオペラは、ヴェルディ中期の作品でヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されましたが不評に終わります。この作品に愛着を持ち続け改訂の機会を伺っていたヴェルディは、晩年になってようやくそれを果たします。その改訂版の初演がこのスカラ座ということになります。いまはもっぱらその改訂版が上演されています。フェニーチェ版に較べて、もともとの劇性と格調の高さはそのままに、ストーリーが整理され、パオロの悪役ぶりを引き立たせるなどより人間性を鮮明にしたのです。

前回観たのはプラハの国民劇場で、その時はグランドオペラとしてはややこぢんまりとしているかなと思いましたが、さすがにスカラ座は舞台デザインもグランドオペラにふさわしい豪華なもので、安易な簡略化や現代意匠に傾くことなく堂々たる時代意匠でのステージです。しかもスカラ座は、ウィーンやミュンヘンと較べて決して大きい劇場ではないのですが、プロセニウムがとても高いのでスケール感がとても大きく感じます。

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その高さを活かして、適度な抽象化が図られ、少々込み入っているこの歴史劇がわかりやすく感じます。例えば、プロローグでの政敵であり恋人の父親であるフィエスコの館は上手高い階段の上に象徴的に存在していて、その対極の下手に軍船のロープが掛かり、シモンの立場を鮮明に現しています。

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最終幕、シモンの死と和解の場面で、ステージ頭上に掲げられていたカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵『氷の海』が反転していき裏側に巨大な鏡となって、ステージ後方からオーケストラピットを俯瞰する虚像が投射され、それが何を表徴するのかは謎めいていますが、とても印象的でした。

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パオロ役のダリボール・イェニスは、その明るめの豊かな声量存在感十分。日本とは東北大震災当時予定されていた新国立デビューがキャンセルとなった因縁があるがヴェルディオペラには欠かせない歌手で、単なる悪人というのではなく、奸計に富んだ策士でありながらアメーリヤに横恋慕するなど常にオペラの中心で存在感を示していました。

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アメーリア役のクラッシミラ・ストヤノヴァは、華のある娘役としては少々塔が立っている感じがしないわけではないが、その気高い気品と気持ちの強さが滲み出てくるところは、さすがの貫禄。

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アドルノ役のファビオ・サルトリは、恋人役にぴったりの明るい情熱的なテノール。それでも格調の高さが保たれているのがさすがです。

フィエスコ役のドミトリー・ベロセルスキーも貫禄十分。敵役だが悪役ではないという難しい役どころを堅実にこなしていて、このシモンの誠実な献身と若いにかけた自己犠牲の対極にあってドラマ全体をしっかりと支えていました。

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タイトルロールのレオ・ヌッチは、1942年生まれ。1年年長のプラシッド・ドミンゴに次いで恐らく現役のバリトンとしては最年長の大老優ではないでしょうか。さすがに声量に衰えがあるのでしょうか、プロローグではステージの奥からでは声が届いてきにくいところがありましたが、その本領は熟練の演技にあって最終幕の和解の場面は感動的でした。このオペラが、毒殺されるシモンの悲劇そのものが登場人物全ての和解と平和をもたらすという喜劇の二面性を持つことに初めて気がついたのでした。

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それにしても、最大の立役者は指揮のチョン・ミュンフンだという気がします。実際、スカラ座の聴衆も、重鎮のレオ・ヌッチ以上の盛大な拍手をこの韓国人指揮者に送り劇場全体が湧き上がるような熱気に包まれました。ヴェルディのオーケストレーションの魅力をダイナミックに引き出し、しかも、ステージ上の劇的な歌唱が明快に浮かび上がってくる。ドラマの流れや起伏がとても豊かで円滑でした。私自身も、もともとは、スカラ座のミュンフンが聴きたいという一心でここまで来たのです。その期待は大いに満たされた思いがして、最大限の拍手を送りました。

こうしてミラノ・スカラ座の第一夜は、イタリア歌劇の神髄、ヴェルディで大いに盛り上がります。そして第二夜では、スカラ座のもうひとつの顔を目の当たりすることになります。

(続く)




ヴェルディ作曲「シモン・ボッカネグラ」
2018年2月22日 20:00
イタリア・ミラノ市 スカラ座
(1階左土間席 I列14番)

ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
指揮:チョン・ミョンフン

シモン・ボッカネグラ: レオ・ヌッチ
ヤコポ・フェイスコ: ドミトリー・ベロセルスキー
アメーリア: クラッシミラ・ストヤノヴァ
ガブリエレ: ファビオ・サルトリ
パオロ: ダリボール・イェニス
ピエトロ: エルネスト・パナリエッロ



Simon Boccanegra
Giuseppe Verdi
Teatro alla Scala Chorus and Orchestra
Teatro alla Scala and Staatsoper Unter den Linden, Berlin Production

Conductor Myung-Whun Chung
Staging Federico Tiezzi
Sets Pier Paolo Bisleri
Costumes Giovanna Buzzi
Lights Marco Filibeck

CAST
Simone Leo Nucci
Amelia Krassimira Stoyanova
Jacopo Fiesco Dmitri Belosselskiy
Gabriele Adorno Fabio Sartori
Paolo Albiani Dalibor Jenis

Pietro Ernesto Panariello

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