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「チャイコフスキーがなぜか好き」(亀山郁夫 著)読了 [音楽]

亀山郁夫氏は、元東京外大学長にしてロシア文学の泰斗。CDのライナーノート執筆でも知られ、その独特の文学的視点でいわゆる音楽学者や評論家とは違った立ち位置での音楽評論に健筆を振るう。

本書は、そのロシア音楽の魅力の源泉をたどり、そこから、アヴァンギャルドとソヴィエト社会主義とのふたつの河川にはさまれた20世紀音楽の沃野までの系譜を大きく俯瞰する。ロシア専門ならではの深掘りと、ファンとしての遠慮のない熱狂が同居する、かっこうのロシア音楽入門書。

ロシア音楽に興味を持たれたクラシックファンなら、どなたにもおすすめできる。


さて…

何とも言いがたいのが、見当外れの標題のこと。

以下は、全て個人的なお話し。

チャイコフスキーは、子供の頃から大好き。高校生になって、クラシック音楽が何よりも好きというサークルの仲間うちでようやくコクってみれば、みんなチャコフスキーが実は大好きというヤツらばかり。それでも、それは恥ずかしい心の秘め事みたいなことであって、チャイコフスキーを大真面目に論じ合うなんてことはあり得ない。

表だって好きというのは気恥ずかしい… 硬派のクラシックファンとしての自意識からすれば、好きだと告白すればそういうプライドも折れてしまう… そういう作曲家。

だから、標題にすっかり欺された。

きっとこの本には、好きと言えない気恥ずかしく感じさせるチャイコフスキーの魅力について、グサリと来るようなことが書かれているに違いない。「なぜか」というひと言がその心の動揺をみごとに言い当てている。なぜ人々は「恥ずかしい」と思うのか?…なぜ、それでもそういう強がりの人々の心をも捉えて放さない魅力があるのか?そのチャイコフスキーを徹底的に深掘りする本に違いないと思ってつい手が伸びた。だから、欺されたという屈辱感がまず先に立つ。


…というわけで、

あえて、なぜ、チャイコフスキーは恥ずかしくも魅力があるのだろうか?

を、自分勝手に自問自答してみた。

著者は、ところどころにその断片を書いている。

『ヨーロッパとロシアの間には確実に深い溝がある』
『ノスタルジー(感傷)』
『ロジックではなく、ロジックを超えたメロディ』
『熱狂と狂騒』

「エフゲニー・オネーギン」についてはこんなことを書いている。

『なぜこのオペラが同時代人の耳からさほど高い評価を受けることができなかったのか、(中略)チャイコフスキーの音楽が、ことによると通俗的として響くほどに同時代人の耳が進化していた可能性もある』
『…このオペラを「新しい」と感じることができる。どれほどに進化した音楽を聴き込んだあとにでも。』

あるいはヴァイオリン協奏曲についてはこんな風に。

『…「独創性と粗野と、アイディアと繊細さのめずらしいまぜもの」という批評(酷評)を読むと、当時、ヨーロッパの楽壇でロシアの音楽が占めていた位置が見えてくる』
『音楽の都ウィーンでのチャイコフスキーは、おそらくもっとも不運な時代にめぐり会ったともいえるのである。要するに、(中略)ブラームスとの比較に慣れた批評家の耳からすれば、まさにこの音楽の本質を突いていた』

つまり、ブラームスを代表とするドイツ正統音楽のロマン主義音楽の教養主義的雰囲気のただ中で、そうした主流と比較判別されてしまうには、チャイコフスキーの音楽はあまりに突き抜けた新奇性があったということ。

ちょうどそのことは、私たちの世代のような戦前から戦後にかけての日本のクラシック音楽受容の心理と合致する。

クラシック音楽といえば、まだまだドイツロマン主義音楽が王道であり、ひと言も発することなく眉根を寄せてじっと頭を垂れて聴くのがクラシック音楽だった。そのただ中で、メロディーに耽溺し、感傷的になったり、大勝利の祝砲に狂乱するなどは、少女趣味か安酒場での高歌放吟そのもので、それが好きだなんて到底言える雰囲気ではなかった。

そんなことは、今や昔のお話しとなってしまいました。

むしろ…

この本が書かれた10年前とは、ロシアの音楽や演奏家を語ることについて、環境ががらりと変わってしまったことの方が大きい。

ゲルギエフに対する手放しの礼賛も、そのままでは読み通せない。ロシア音楽の系譜にしても、旧ソ連の音楽体制下にあったからとひとくくりにはできない。当然にウクライナはある程度峻別せざるを得ないだろうし、それ以前に、バルト三国や、黒海周辺の国々も、ロシアのひとくくりからは分けて論じる必要もあると思う。テオドール・クルレンツィスについても語ってほしい。

ぜひ、著者の新著を期待したい。




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チャイコフスキーがなぜか好き
  熱狂とノスタルジーのロシア音楽
亀山郁夫 (著)
PHP新書
2012年2月29日 第一版第一刷
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彩の国さいたま芸術劇場リニューアル内覧会 [音楽]

彩の国さいたま芸術劇場の改修工事が終了しました。3月1日にリニューアルオープン。その内覧会に行って来ました。

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改修工事のテーマは、「安心」「快適」「充実」の3つ。

ますは、天井を準構造化し耐震性を高めたこと。3Dスキャン技術で工事前と後で形状はまったく同じで音響への影響は皆無。空調を更新し感染対策としての換気量も見直したそうです。また、排煙・消火設備も充実させたとのこと。

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快適さという点では、客席椅子をリフレッシュ。確かに座り心地もよくなりました。音楽ホールは、圧倒的に静粛性が向上したそうです。もともと静かな環境立地なのですが、音楽ホールとしての静寂性は確かに感じ取れます。

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デモンストレーションでは、スクリャービンの幻想曲が披露されました。このホールの音響はとても気に入っています。静音の美しさがさらにアップした気がします。

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舞台装置の充実ということは、ほとんどが劇場用の大ホールのお話し。デモンストレーションでは、吊り物機構の華々しいショーがあって面白かった。緞帳やオペラカーテンの上げ下げが音一つせず、スムーズで実に見事。

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こういう内覧会は楽しい。多くの人々が詰めかけてきて、びっくり。大ホールも音楽ホールも満席でした。

このホールは、我が家からは電車1本で便利だし、音響も気に入っていたのでリオープンはうれしい。
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「シューベルトの歌曲とピアノ・トリオ」 (芸劇ブランチコンサート) [音楽]

オール・シューベルト・プログラム。
しかも、前半は、この芸劇ブランチコンサートに通うようになってからたぶん初めての歌曲。
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バリトンの加耒徹さんは、スリムなイケメン。この日、ほぼ満席となったのはどうも加耒さんの人気のせいらしい。一見、小柄なのにどこにこんなパワーが秘められているのだろうと思うくらい、大ホールに響き渡る声量。しかも、情感みなぎる声質が心地よい。
バッハ・コレギウム・ジャパンの公演では常連メンバーのようで、実際に私も2年程前にベートーヴェン「ハ短調ミサ」のソリストのひとりとしてお目にかかっています。今日はシューベルトのなかでもひときわ知られている名曲ばかり4曲。ちょっと涙がうるうるするくらい感激しました。
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「鱒」の清流にうろこを輝かせながら跳躍するような音型、葉陰を揺らすような一陣の風…といったピアノの音型もとても素敵で、清水さんとのコンビネーションも素晴らしい。加耒さんのリクエストは「魔王」だったそうですが、清水さんがとても難しいからイヤだと断ったんだとか。半分ジョークでしょうが、実際、あのピアノは相当にタフだとは思います。実は清水さんも意気投合、これからリサイタルを重ねる予定だそうです。楽しみです。
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後半は、藤江扶紀(ヴァイオリン)、岡本侑也(チェロ)のお二人とのピアノ・トリオ。この組み合わせでは、すでに2年前に素晴らしいラヴェルを聴かせてもらっています。藤江さんと岡本さんは、日本音楽コンクール第一位同志の同期生ということで、なじみの仲なのだとか。とはいえ、方や南フランスのトゥールーズ、一方はバイエルンのドイツということでコロナ渦のなか夏休みの帰国時が貴重なアンサンブルの機会なのだそうです。
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ピアノ三重奏曲も、晩年のシューベルトの傑作。飾らずわかりやすく、いかにもシューベルトらしい親しみやすい活き活きとした演奏はさすが。岡本さんは相変わらず流麗な美音としっかりとした揺るぎない音程。藤江さんのヴァイオリンも、芯がしっかりした線が明晰な美音なのですが、シューベルトらしい歌や調性の綾に富んだ響きの調和がちょっと不足していたかもしれません。そこが、中欧とフランスの調性感覚の距離感なのかなというちょっと贅沢な感想を持ちました。
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2022年8月24日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階F列22番)
――オール・シューベルト・プログラム――
菩提樹
セレナーデ
御者クロノスへ
 バリトン:加耒徹 ピアノ:清水和音
ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 D898
 ヴァイオリン:藤江扶紀
 チェロ:岡本侑也
 ピアノ:清水和音


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人生の嵐 (デュオ・クロムランク) [音楽]

「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」を読んで、すっかり芽生えてしまったのがピアノ・デュオへの愛。

正直言って、これまではこの分野を軽く見ていたし、いつの頃からかアルゲリッチの新譜は、相手をとっかえひっかえしての連弾ものばかりであまり興味が持てないでいたのです。ところがこの本を読んでから気持ちが変わって、いろいろ手持ちのCDを引っ張り出したり、新たに買い求めたりして聴き直しています。

本書で知ったこの分野のスペシャリストに、「デュオ・クロムランク」があります。

アルゲリッチは、母ファニータの死後、アルゼンチンの古い友人の縁でブリュッセルに新居を構えることになります。ジュネーヴの家は、音楽家たちのたまり場のようになっていましたが、ブリュッセルの家での暮らしはもっと落ち着いたものになったのです。アルゲリッチも年齢とともに、気ままな暮らしや大勢の人の行き来に少し疲れてきたのだといいます。

ブリュッセルでは、彼女のそばで育った若手演奏家たちのグループができあがります。母ファニータが死んだときに、これからはこうした若手を自分が世話するべきだと強く感じたというのです。

尾羽を打ち枯らしてやってきた若手や、すべてを放り出してしまいたくなって、もう続けていけそうにないというピアニストもいました。アルゲリッチはそうした音楽家たちの話しを聞き安心させてやり、無名のどん底から羽ばたかせてやる。もちろん、誰もが幸運に恵まれるわけではなく、夢に破れ、花屋、学校教諭、看護師になった人もいるといいます。

そうしたドラマと苦悩の場所でもあった“ピアニストたちの通り”に、ある日、突然に何の警告もなしにとてつもない悲劇が降りかかってきます。

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「デュオ・クロムランク」は、ベルギー人のパトリック・クロムランクと日本人ピアニスト、桑田妙子とのデュオ。

パトリックをアルゲリッチはごく若い頃から知っていました。彼はウィーンのディータ―・ウェーバーのもとで学び、そこで妙子と知り合います。彼女は彼の音楽パートナーとなり妻になったのです。1974年に二人はデュオを結成し、すぐにその力にふさわしい名声を得ることになります。

アルゲリッチは二人が大好きでした。

『二人はとても幸せそうで、それを見ているとマルタは自分の結婚への偏見を忘れた。パトリックと妙子は二人が融合したようなカップルだった。どちらかが一人でいるところを見ることはなかった。』

『妙子はマルタが留守のときに娘たちの面倒を見てくれた。ファニータが息を引き取った夜もついていてくれた。彼女の個性は、控えめで伏し目がちという日本女性のイメージとは対照的だった。妙子は自分の気持ちを熱く、狂おしいほどに表現した。夫のパトリックは機知に富み、デリケートで、魅力的なユーモアのセンスも兼ね備えていた。』

ところが…

『それが高じて二人は外見的にも似てきていた。四手で弾くというのはどこか息が詰まるようで、ヴィルトゥオーソたちにしてみると欲求不満に陥りがちだった。身体は窮屈で、手が重なり合い、腕は交差する。息があわなければ長続きしない。二人のピアニストは、互いを鎖でつないだタンゴのペアを思い起こさせた。』

『1994年7月、翳りのない20年間ののち、デュオで録音したシューベルトの幻想曲ヘ短調を聴き、パトリックが言った。「これで二人のデュオの録音は最後にしよう」と。激しい口論となった。それまで一度もなかったことだった。夜が明けても、パトリックはそれ以上を言おうとしなかった。二人はマルタに会いにきた。マルタは旅から戻ったところだった。』

『口論と涙の夜を過ごしたあとで、二人のどちらの気持ちも察していたマルタの思いも虚しく、恐ろしい言葉が発せられた。だが、愛情が損なわれることはなかった。』

5日後、自宅で二人の遺体が発見されます。妙子は首を吊っていて、その足もとにはパトリックの遺体が横たわっていたのです。まるでロメオとジュリエットのように、妙子はパトリックの遺体に絶望して自らも後追い自殺をしたのです。

『妙子は喪のしるしに髪を切っていた。それは、彼女の祖国での死者を悼む伝統を奇妙なほど連想させた。』


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マ・メール・ロワ/ピアノ・デュオのためのフランス名曲集 CLAVES/KICC8737

完璧に一体化した4手が奏でる夢と幻想の宇宙。二人の録音のなかでもとびきり繊細な演奏で、録音は息を呑むような美しさ。

二人には子供がいませんでしたが、それは「デュオとして世界中のどこにも行かなければならない。そのためには子供はいないほうがよい」という音楽へのあまりにもひたむきで真摯な二人の覚悟のせいであって「でも本当は二人とも子供は大好き」なのでした。このアルバムは、子供のために書かれた曲が3曲も集められていて、幼い子供の頃に夢見た幸福に満ちた遊びの世界が細心のタッチで描き出されています。


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シューベルト:ピアノ連弾曲集(第3巻) CLAVES CD 50-9423)

シューベルト死の年に作曲された3曲の4手連弾曲を含む。デュオにとってもシューベルト連弾曲集の完結でもあり、そして「幻想曲ヘ短調」は文字通り二人の白鳥の歌となりました。

シューベルトは最晩年の3つのピアノ・ソナタのような瞑想の世界とはまた違った熟成を聴かせてくれていて、その高度な洗練のなかに異様なまでの緊張をはらんでいて聴く者の胸に迫ります。

アレグロ イ短調は、シューベルトの死後12年ほどたって出版されたもので、「人生の嵐(レーベンシュトュルメ)」との標題は作曲者自身のものではなく出版社がつけたものですが、「デュオ・クロムランク」の二人の悲劇を知ってしまってから聴くと、その悲愴な荒々しさに、その場にいたたまれないような気持ちになってしまいます。
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