吉村吉村昭の6編の短編小説が収められている。

吉村は徹底した取材や記録文献の探索調査をする歴史小説家として独自の世界を持っている。そうやって生み出された長編小説とこれらの短編は対をなしていて、その取材の過程でもたらされた副産物でもあり、あるいは、合わせ鏡のような存在となっている。

例えば、この短編集の表題ともなっている『帰艦セズ』は『逃亡』と対をなし、『飛行機雲』は、開戦を指令した極秘命令書の敵中紛失といういわゆる「上海号」事件に取材した『大本営が震えた日』と対をなす。

著者はその「あとがき」で、短編を書くことは『まことに苦しい』『滝に身を打たれるような』と表白しているが、これらの短編にはそういう引き締まった凝縮感とともに、あえて俯瞰する第三人称の視角を換えたり、主観と客観の入れ替えをしていて、そのことが独特の緊張感を生んでいる。

『飛行機雲』では、取材の連絡を受けた未亡人が第一声で「生きていたんですね」という言葉を発したことへの衝撃が鮮やかに描かれる。『果物篭』だけは著者の体験がもとになっているようだが、ここでは戦中の教練将校への憎悪が戦後の月日を経て、その感情的記憶がすっかり白化してしまっていることへの驚きが淡々と語られる。いずれも、生死の極限にあった戦争という過去が、現在に至ってもどこまでも残存し、あるいは逆に忘却と風化の危機に瀕してもいて、その整理をつけるという心の重荷がどっしりと伝わってくる。

そういう生死の厳しい景観を見つめる目は、戦争とは無関係の前半の3編にも共通する。無期刑囚の仮出所をめぐる『鋏』も、能登の漁村で起こった岩海苔獲りの女たちの遭難を描いた『霰ふる』、伯父の延命に潜む家族の生と死の葛藤の日常が描かれる『白足袋』も、そういう生死を分けて、生き残ったものの心の残務整理のようなものが共通テーマだ。

終戦の日の夜に一気読みしました。






帰艦セズ
吉村 昭 著
文春文庫