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「ショパン・コンクール(青柳いづみこ 著)」読了 [読書]

いきなり、サッカーのワールドカップと対比させるのは、いかにもフィジカルな視点が得意な著者らしい。
 
けれども、「ショパン・コンクール」の草創のきっかけは、まさにサッカーだったそうだ。創設したイェジ・ジュラヴレフは、日頃から若い音楽学生たちの無目的・無気力・無感動を嘆いていたが、その若者たちがサッカーの試合に熱狂しているのを見て、スポーツと同じようなコンペティション形式のコンクールを思いついたのだという。
 
ショパン・コンクールは、今やあまたある音楽コンクールのなかでも独自の位置づけを保っている。他にも作曲家の名を冠にしたコンクールはあるが、徹頭徹尾ショパンの音楽で競うコンクールという点では、ピアニストたちにとっては唯一無二のステージなのだからだ。
 
しかも、ショパンの音楽というのは、公正公平な採点、普遍的な音楽の価値観ということでもなかなかに手強い。コンクールに限らず「ロマンティック派」対「楽譜に忠実派」という価値対立はあるのだけれど、ショパンの正統性そのものがそういう二項対立には収まらないところがあるからだという。
 
というのもショパンは、19世紀のロマン主義にあって、なおかつ18世紀の音楽を見据えていた。だからベートーヴェンのような「ザッハリヒカイト(即物主義)」解釈が成り立ちがたい。ショパン自身、演奏のたびに、あるいは弟子に教授するたびに、フレージングを変え装飾音にも変化をつけた。遺されたテキストだけでも相違は何通りかあるし、行間にショパンの意図を読むというようなこともある。ショパン・コンクールといえば繰り返しその名が登場するポゴレリチも、実は意外なことに「絶対に楽譜を尊重すべき」と言っているそうだ。
 
ポゴレリチが「こんなのショパンじゃない」と拒絶されたのは、ポーランド伝統舞曲であるワルツやポロネーズのリズムだったという。けれどもショパンの音楽は必ずしも踊るために演奏されたわけではない。ステップの独特のアクセントとは違った純器楽的なリズムも当然にショパンの精神でもあったはずだが、伝統舞曲へのこだわりはしばしば強烈であると同時に個別の審査員にはかなりの濃淡があるという。
 
ルバート(テンポの揺らぎ)のかけ方も、ショパンが規範としたはずの18世紀型では、左手の和声リズムは正確に刻まれて右手のベルカントのみを揺らす。しかし、20世紀前半のショパン演奏の主流は、(ショパンが拒否したはずの)伴奏と歌唱を一緒にずらす奏法で、この流派はいまだに一定のショパン正統派をなしているというから、やっかいだ。
 
本書の核心は、2015年のレポート。
 
その内容は、いかにも著者らしい徹底ぶりで、それは批評とか所感ということをはるかに超えてとてもジャーナリスティック。
 
それはDVDによる予備審査から、オープニングセレモニー、一次から三次までの予選、本選まで詳細にわたる。実際に著者は、プレスのバッジ(公式ジャーナリスト認定)で観戦していて、都度、コンテスタント、審査員、批評家や演奏家仲間に取材している。
 
裏の事情も詳しくレポートしているのは、著者がこのコンクールに興味を持ったのが2010年大会のDVD予備審査をめぐる驚きの事実だったという。それはユリアンナ・アヴデーエワが、この予備審査で落とされていたという。それを強引に追加させたのが、彼女の指導にもあたったフー・ツォンだという。最終的に優勝となったアヴデーエワが予選どころか予備審査を特定の審査員の後ろ盾でひっくり返していたのだから、これはポゴレリチのスキャンダルどころではない。
 
もちろん個々のコンテスタントの演奏も簡潔簡明ながらもらさず追っている。予選を進めるうえでの好不調の波や、曲のジャンルへの相性、裏側にある審査員や指導者たちの動向、あるいはNHKの「もうひとつのショパン・コンクール」でも紹介されたピアノ・メーカーの闘いもつぶさにレポートする。ニュアンスで勝負するソロで多くのコンテスタントがヤマハを選択したが、本選のコンチェルトではよりブリリアントなスタインウェイを選択したというのは、TVドキュメンタリーの通りだが、スタインウェイはいざとなると弾きにくくほとんどのコンテスタントがその選択を後悔していたそうだ。ファツィオリは短時間で適応するのが難しく不人気だったが、それは時間に追われるコンテスト特有の事情だという。
 
コンテスタントの実力は拮抗していて、チャイコフスキー・コンクールなど他のコンクールとの《ねじれ》もあるし、個性がぶつかり合う審査員の見解の相違もある。前述のようなちょっとしたピアノの選択調整の行き違いもある。いずれにせよ、細かい聴きどころは、そのまま曲目の解説でもあり、幾多の有望な若手実力者たちの持ち味ともなる。言ってみれば、これはショパンの鑑賞の手引きともなる。
 
実際に、コンクールの最大の山場とも言うべき、練習曲や前奏曲、マズルカなどの舞曲系は、曲数が多くショパン独特の多様性に富んでいるだけに、本書片手に聴き直してみたくなった。もちろん、コンクールに名を連ねた有望な若手実力者の演奏もできるだけ接してみたいという刺激も受けた。
 
今年に予定されていた第18回はすでに来年に延期されている。
 
本書を読むと、観光イベントとしてのコンクールの存在感にも目覚めてくる。
 
演奏者(とその背景にいる指導者)がショパンをめぐって様々な主張や技法を、制約のある環境のなかでその場で披瀝し、審査員を中心に評価する側の感性、主張や知見、識見をぶつけあうところを観戦するという、アレーナ的な面白さだ。
 
もしかしたら、日本が生んだ画期的なTV番組「料理の鉄人(キッチン・スタジアム)」と同じような創造的なショーに最も近いコンクールがショパン・コンクールなのだという気もしてくる。
 
 
ショパン・コンクール_1.jpg 
 
ショパン・コンクール - 最高峰の舞台を読み解く
青柳 いづみこ (著)
中公新書
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