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開花宣言 (小林沙羅。三浦友理枝-名曲リサイタル・サロン)
前日の14日には、東京は全国に先駆けて開花宣言。

この日も、まだ空気に冷たさを感じましたが陽光あふれる春の陽気。池袋グローバルリンクの噴水では、卒業式の帰りなのでしょうか子供たちがびしょ濡れになってはしゃいでいました。

その陽気にふさわしい小林沙羅さんのソプラノの今日のテーマは、まさに「春」づくし。ピアノの三浦友理枝さんとはずっとコンビを組んでいる大の仲良しなのに、コロナ禍で公演が中止となって以来の久しぶりの共演なのだとか。まさに春が来たという気分がステージ上から薫りたつようです。
ステージににこやかに登場した小林さんのドレスは爽やかな桜色。さっそく滝廉太郎の「花」。そして、同じ加藤周一の詩に中田喜直、別宮貞雄の二人が曲をつけたそれぞれの「さくら横町」。
日本の《春》は、やっぱり桜。それも、うららかな陽光あふれるの中で爛漫と咲き乱れる桜。日本の四季が一番輝くひととき。

ステージには司会役の八塩圭子さんも加わって、とてもにぎやか。インタビューに答える小林さんは、すっかりおきゃんぶりを発揮。おしゃべりにはいささかの屈託もなく、八塩さんもひと言ふたことフリをつけるだけで、後は小林さんのほとばしるようなお話しにニコニコとうなずくばかり。
日本のしっとりとした春と違って、ヨーロッパの春は、長く冷たい冬のあとに一瞬にして訪れる。そういう小林さんのお話はまったくその通り。イタリア人のティリンディッリは、その春を崇め奉るように歌い上げる。パリのサロンで活躍したハーンは一瞬の春の輝きを歌い上げ、ドイツのシューマンは長い冬に閉ざされた子供たちの屈託を思いやることで春を歌う。ロシア人のラフマニノフは雪解けの微かな水音から感情を抑えきれないという風な爆発的な春。そういうお国柄豊かな「春」の歌がとってもチャーミング。
三浦さんが、北欧の春ということで澄んだ響きのグリークをソロでご披露すると、その数分の間に衣装替えをした小林さんが、こんどは淡い明るい緑青色のドレスで再登場。そう、欧米の春は、むしろ、新緑の緑がイメージでしたね。
八塩さんの恒例の質問――「コンサート前の食べ物は?」に対して、小林さんの答えはなんと「納豆ご飯」。ヨーロッパ公演でも炊飯器を持ち歩き、イタリアのお米もけっこう美味しいとかで、納豆は冷凍も入手できるし、最近は現地産もあるのだとか。これに卵があればサイコーで、生の卵がご法度の海外から帰国するとさっそくTKGということになるのだとか。
そういう話題の後は、小林さんの歌唱はいっそうパワーをつけててきます。ドビュッシーに続いてグノーの「ファウスト」からの有名なアリアで最後を盛り上げてくれました。やっぱり、歌というのにはオペラのアリアを聴いてほしい…とは小林さんの気持ちなんだそうです。

芸劇ブランチコンサート
名曲リサイタル・サロン
第23回 小林沙羅(ソプラノ)
2023年3月15日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階M列18番)
小林沙羅(ソプラノ)
三浦友理枝(ピアノ)
八塩圭子(ナビゲーター)
滝廉太郎:花
中田喜直:さくら横ちょう
別宮貞雄:さくら横ちょう
ティリンディッリ:おお、春よ!
R.アーン:春
シューマン:春が来た!
ラフマニノフ:春の流れ
ドビュッシー:リラ グリーン 美しい夕暮れ 星の夜
グノー :「ファウスト」より 宝石の歌
(アンコール)
R.アーン:「クローリスへ」
フォーレ:「夢のあとに」
この日も、まだ空気に冷たさを感じましたが陽光あふれる春の陽気。池袋グローバルリンクの噴水では、卒業式の帰りなのでしょうか子供たちがびしょ濡れになってはしゃいでいました。

その陽気にふさわしい小林沙羅さんのソプラノの今日のテーマは、まさに「春」づくし。ピアノの三浦友理枝さんとはずっとコンビを組んでいる大の仲良しなのに、コロナ禍で公演が中止となって以来の久しぶりの共演なのだとか。まさに春が来たという気分がステージ上から薫りたつようです。
ステージににこやかに登場した小林さんのドレスは爽やかな桜色。さっそく滝廉太郎の「花」。そして、同じ加藤周一の詩に中田喜直、別宮貞雄の二人が曲をつけたそれぞれの「さくら横町」。
日本の《春》は、やっぱり桜。それも、うららかな陽光あふれるの中で爛漫と咲き乱れる桜。日本の四季が一番輝くひととき。

ステージには司会役の八塩圭子さんも加わって、とてもにぎやか。インタビューに答える小林さんは、すっかりおきゃんぶりを発揮。おしゃべりにはいささかの屈託もなく、八塩さんもひと言ふたことフリをつけるだけで、後は小林さんのほとばしるようなお話しにニコニコとうなずくばかり。
日本のしっとりとした春と違って、ヨーロッパの春は、長く冷たい冬のあとに一瞬にして訪れる。そういう小林さんのお話はまったくその通り。イタリア人のティリンディッリは、その春を崇め奉るように歌い上げる。パリのサロンで活躍したハーンは一瞬の春の輝きを歌い上げ、ドイツのシューマンは長い冬に閉ざされた子供たちの屈託を思いやることで春を歌う。ロシア人のラフマニノフは雪解けの微かな水音から感情を抑えきれないという風な爆発的な春。そういうお国柄豊かな「春」の歌がとってもチャーミング。
三浦さんが、北欧の春ということで澄んだ響きのグリークをソロでご披露すると、その数分の間に衣装替えをした小林さんが、こんどは淡い明るい緑青色のドレスで再登場。そう、欧米の春は、むしろ、新緑の緑がイメージでしたね。
八塩さんの恒例の質問――「コンサート前の食べ物は?」に対して、小林さんの答えはなんと「納豆ご飯」。ヨーロッパ公演でも炊飯器を持ち歩き、イタリアのお米もけっこう美味しいとかで、納豆は冷凍も入手できるし、最近は現地産もあるのだとか。これに卵があればサイコーで、生の卵がご法度の海外から帰国するとさっそくTKGということになるのだとか。
そういう話題の後は、小林さんの歌唱はいっそうパワーをつけててきます。ドビュッシーに続いてグノーの「ファウスト」からの有名なアリアで最後を盛り上げてくれました。やっぱり、歌というのにはオペラのアリアを聴いてほしい…とは小林さんの気持ちなんだそうです。

芸劇ブランチコンサート
名曲リサイタル・サロン
第23回 小林沙羅(ソプラノ)
2023年3月15日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階M列18番)
小林沙羅(ソプラノ)
三浦友理枝(ピアノ)
八塩圭子(ナビゲーター)
滝廉太郎:花
中田喜直:さくら横ちょう
別宮貞雄:さくら横ちょう
ティリンディッリ:おお、春よ!
R.アーン:春
シューマン:春が来た!
ラフマニノフ:春の流れ
ドビュッシー:リラ グリーン 美しい夕暮れ 星の夜
グノー :「ファウスト」より 宝石の歌
(アンコール)
R.アーン:「クローリスへ」
フォーレ:「夢のあとに」
柿の木坂シックス (東京六人組 めぐろパーシモンホール開館20周年) [コンサート]
東京六人組は、楽しい。だから、また聴きたくなる。
その東京六人組の公演が、前から一度行ってみたかった《めぐろパーシモンホール》であるという。たまらず出かけてみました。

《めぐろパーシモンホール》の存在が気になりだしたのはずいぶんと前のこと。それでも20周年とは知りませんでした。行ってみると、開館20周年記念公演の最終日とのことです。
目黒区は、自分の育った町。小学生から大学生までずっとここで育ち、大学も区内のキャンパスに通いました。クラシック音楽の生に触れたのも、課外授業で行った区主催のコンサート。どこのオケかは忘れましたが、ボレロを熱演。危なっかしいところがあったのもよく覚えています。演劇会で舞台に立ったこともあります。当時の目黒公会堂は別の場所にありましたが、でも、とても懐かしい気がします。
《パーシモン》の由来は、柿の木坂なのでしょうね。目黒駅から目黒川めがけて権之助坂の急坂を駆け下りて橋を渡り、そのまま目黒通りをずっと行くと、環七の陸橋に行き当たる。そこを過ぎてからの登り坂が《柿の木坂》。私にはとびきりの高級住宅街というイメージがありました。《パーシモンホール》はその坂を登り切ったところからすぐそば。この辺りは、目黒区の中心で、一帯は「目黒のサンマ」で有名な将軍の鷹狩り地でした。周囲は閑静な住宅街で、よくぞこんなところに公有地があったものだと思いましたが、要するにここは《都立大学》の跡地。最寄り駅は東急東横線の《都立大学駅》で徒歩7~8分程度。大学移転後も、駅名だけはそのままになっているというわけです。

会場は小ホールのほう。
客席は、たった200席。しかも客席間がとてもゆったりとしているし、5列目と6列目との間の通路がとても広いので、とても贅沢。中央通路がちょうど舞台と同じ高さ。おそらく前方席は可動で平土間にも出来るという設計なのだと思います。いずれにせよ、舞台と客席がほとんど同じ高さなので親近感にあふれています。音響は、長田音響設計。天井は低め、多目的ホールなので音響はデッドですが、かえって直接音がクリーンで木壁の反射音も柔らかで暖かみがあります。とにかく、木管5重奏+ピアノという編成を聴くには贅沢すぎるほど贅沢です。

まずは、ハンガリー舞曲。一曲目で思わず拍手してしまいましたが、ホルンの福川さんが笑顔で軽く会釈して拍手を受け流し、三曲続けての演奏。プログラム二曲目は、この編成オリジナルの曲で、フランセの《恋人たちのたそがれ》。いかにもフランスらしい、おしゃれで洒脱、ユーモアのセンスあふれる曲。前半最後の曲は、ガーシュイン。これが六人組の新しいレパートリーのご披露とのこと。現在、制作中のCDに入れようと張り切っているのだそうです。
曲の合間に、2人ずつのトークがあるのも楽しい。トーク上手なのは、福川さん、上野さん、三浦さんあたり。クラシックのコンサートもこういうおしゃべりが増えて楽しい親しみのある雰囲気になりましたね。

後半では、お得意のレパートリーが続きますが、六人それぞれに主役が割り振られるようにバランスされているのがよくわかります。《魔法使いの弟子》では福士さんのファゴットも大奮闘。《亡き王女のためのパヴァーヌ》では福川さんの見事なホルンのソロを披瀝。最後の《ラ・ヴァルス》では、最後列のピアノの三浦さんもド派手に立ち回り、まさに全員プレイの大饗宴。この日は、小さなホールならではの熱気に煽られるのか、プログラム一曲目からテンポが走りがちでしたが、《ラ・ヴァルス》は聴いていてもハラハラするぐらいのスリリングな展開で爆発。
小さなホールならではの、客席とのコミュニケーションを感じさせる楽しいコンサートでした。次回も楽しみです。

東京六人組
めぐろパーシモンホール開館20周年記念
2023年3月9日(木) 19:00~
東京・目黒 パーシモンホール・小ホール
(7列9番)
東京六人組(Tokyo Sextet)
上野由恵(フルート)
荒 絵理子(オーボエ)
金子 平 (クラリネット)
福士マリ子(ファゴット)
福川伸陽(ホルン)
三浦友理枝(ピアノ)
ブラームス(岩岡一志 編曲):ハンガリー舞曲 第1番/第5番/第6番
フランセ:恋人たちのたそがれ
ガーシュウィン(Lisa Portus 編曲):パリのアメリカ人
デュカス(浦壁信二 編曲):魔法使いの弟子
ラヴェル(磯部周平 編曲):亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル(浦壁信二 編曲):ラ・ヴァルス
(アンコール)
ハチャトゥリアン(竹島悟史 編):レズギンカ(バレエ音楽「ガイーヌ」より)
その東京六人組の公演が、前から一度行ってみたかった《めぐろパーシモンホール》であるという。たまらず出かけてみました。
《めぐろパーシモンホール》の存在が気になりだしたのはずいぶんと前のこと。それでも20周年とは知りませんでした。行ってみると、開館20周年記念公演の最終日とのことです。
目黒区は、自分の育った町。小学生から大学生までずっとここで育ち、大学も区内のキャンパスに通いました。クラシック音楽の生に触れたのも、課外授業で行った区主催のコンサート。どこのオケかは忘れましたが、ボレロを熱演。危なっかしいところがあったのもよく覚えています。演劇会で舞台に立ったこともあります。当時の目黒公会堂は別の場所にありましたが、でも、とても懐かしい気がします。
《パーシモン》の由来は、柿の木坂なのでしょうね。目黒駅から目黒川めがけて権之助坂の急坂を駆け下りて橋を渡り、そのまま目黒通りをずっと行くと、環七の陸橋に行き当たる。そこを過ぎてからの登り坂が《柿の木坂》。私にはとびきりの高級住宅街というイメージがありました。《パーシモンホール》はその坂を登り切ったところからすぐそば。この辺りは、目黒区の中心で、一帯は「目黒のサンマ」で有名な将軍の鷹狩り地でした。周囲は閑静な住宅街で、よくぞこんなところに公有地があったものだと思いましたが、要するにここは《都立大学》の跡地。最寄り駅は東急東横線の《都立大学駅》で徒歩7~8分程度。大学移転後も、駅名だけはそのままになっているというわけです。
会場は小ホールのほう。
客席は、たった200席。しかも客席間がとてもゆったりとしているし、5列目と6列目との間の通路がとても広いので、とても贅沢。中央通路がちょうど舞台と同じ高さ。おそらく前方席は可動で平土間にも出来るという設計なのだと思います。いずれにせよ、舞台と客席がほとんど同じ高さなので親近感にあふれています。音響は、長田音響設計。天井は低め、多目的ホールなので音響はデッドですが、かえって直接音がクリーンで木壁の反射音も柔らかで暖かみがあります。とにかく、木管5重奏+ピアノという編成を聴くには贅沢すぎるほど贅沢です。
まずは、ハンガリー舞曲。一曲目で思わず拍手してしまいましたが、ホルンの福川さんが笑顔で軽く会釈して拍手を受け流し、三曲続けての演奏。プログラム二曲目は、この編成オリジナルの曲で、フランセの《恋人たちのたそがれ》。いかにもフランスらしい、おしゃれで洒脱、ユーモアのセンスあふれる曲。前半最後の曲は、ガーシュイン。これが六人組の新しいレパートリーのご披露とのこと。現在、制作中のCDに入れようと張り切っているのだそうです。
曲の合間に、2人ずつのトークがあるのも楽しい。トーク上手なのは、福川さん、上野さん、三浦さんあたり。クラシックのコンサートもこういうおしゃべりが増えて楽しい親しみのある雰囲気になりましたね。

後半では、お得意のレパートリーが続きますが、六人それぞれに主役が割り振られるようにバランスされているのがよくわかります。《魔法使いの弟子》では福士さんのファゴットも大奮闘。《亡き王女のためのパヴァーヌ》では福川さんの見事なホルンのソロを披瀝。最後の《ラ・ヴァルス》では、最後列のピアノの三浦さんもド派手に立ち回り、まさに全員プレイの大饗宴。この日は、小さなホールならではの熱気に煽られるのか、プログラム一曲目からテンポが走りがちでしたが、《ラ・ヴァルス》は聴いていてもハラハラするぐらいのスリリングな展開で爆発。
小さなホールならではの、客席とのコミュニケーションを感じさせる楽しいコンサートでした。次回も楽しみです。

東京六人組
めぐろパーシモンホール開館20周年記念
2023年3月9日(木) 19:00~
東京・目黒 パーシモンホール・小ホール
(7列9番)
東京六人組(Tokyo Sextet)
上野由恵(フルート)
荒 絵理子(オーボエ)
金子 平 (クラリネット)
福士マリ子(ファゴット)
福川伸陽(ホルン)
三浦友理枝(ピアノ)
ブラームス(岩岡一志 編曲):ハンガリー舞曲 第1番/第5番/第6番
フランセ:恋人たちのたそがれ
ガーシュウィン(Lisa Portus 編曲):パリのアメリカ人
デュカス(浦壁信二 編曲):魔法使いの弟子
ラヴェル(磯部周平 編曲):亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル(浦壁信二 編曲):ラ・ヴァルス
(アンコール)
ハチャトゥリアン(竹島悟史 編):レズギンカ(バレエ音楽「ガイーヌ」より)
タグ:東京六人組 めぐろパーシモンホール
赤と黒 (キヴェリ・デュルケン&實川 風 ピアノ・デュオ 日経ミューズサロン) [コンサート]
ピアノ・デュオが続いたのは、たまたまのこと。
それにしても、一見、同じ楽器であるピアノ2台の連弾という没個性のデュオであっても、演奏者たちの取り合わせといい、取り上げられる演奏される曲といい、こんなにもヴァラエティがあるとは…!というのが率直な感想でした。
ピアノ・デュオといえば、例えば、バレンボイムとアルゲリッチみたいな両巨匠のようなタイプや、デュオ・クロムランクを頂点とする、夫婦、姉妹兄弟による融合一体タイプもあって、多士済々。
曲の方も、ブラームスやドヴォルザークの「ハンガリー舞曲」のようにもともと4手連弾として出版されて大ヒットして管弦楽曲に編曲したものもあるし、逆に管弦楽曲を4手や2台ピアノに編曲したものもあります。もともと、作曲家による試演とか、オペラやバレエのリハーサル、小規模な公演のためにしばしばピアノ版が伴奏に使われ、連弾かどうかはともかくピアノと管弦楽とは密接な関係になっているわけです。
今回は、特に大規模な管弦楽をピアノ・デュオに編曲したもの。ともにとびきりド派手なヴィルティオーソ性を発揮するような曲が2曲。

キヴェリ・デュルケンは、真っ赤なワンピースパンツドレスで颯爽と登場。ハイヒールとボディコンのパンツドレス、体格も立派なので実にかっこいい。パートナーの實川風は、知的な好青年。こちらは実直な黒に近い暗灰色のスーツ。
前半は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。
もともとスキャンダラスな野趣あふれるバレエ曲ですが、作曲者自身の編曲によるピアノ連弾版は、リズムや打楽器的性格がむき出しになって迫ってきて大迫力。二番ピアノ側に回ったデュルケンが大活躍。こういうリズムの打撃感は、弾き手にとっても聴き手にとっても快感で、そこに一種の一体感が生ずるのは、どこか和太鼓集団の演奏に通じます。
後半は、ブルーノ・ワルターが編曲したマーラーの「巨人」。
こちらは、デュルケンは一番ピアノで、實川は二番ピアノに回り実直に基音や音響の下支えを響かせます。もちろん、低音部側や和声にも聴かせどころはあるのですが、目立つのはデュルケン。あの葬送楽章でもずっと實川が物憂い卑属なテーマを虚ろに奏でている(原曲:コントラバス独奏)が、そこにデュルケンが突然に被るように旋律線が闖入する(原曲:オーボエ)。そういうコントラストがむしろ際立つピアノ・デュオ。

とにかくデュルケンは積極的で果敢。多少のミスタッチや頭のずれはものともせず、所狭しと立ち回る。一方の實川のテクニックは実に正確で乱れが無い。縦横無尽に引っかき回すデュルケンに対し、實川は見事に受けに回り丁々発止の打ち込みをものの見事にやり返す。嵐のような終楽章は、まさにそういう疲れを知らぬ二人の大熱演。客席ものけぞり返るような迫力の熱量を浴びて大いに盛り上がりました。
アンコールは、二人並んでの4手連弾。グリークの「ペールギュント」は、やはり管弦楽からの編曲。独奏曲は有名で、腕の立つピアニストがよく取り上げていますが、連弾曲があることは知りませんでした。これまでの興奮を鎮めるような「朝」のメロディがとても綺麗でした。

第532回日経ミューズサロン
キヴェリ・デュルケン&實川 風
ピアノ・デュオ・リサイタル
2023年3月6日(金)18:30~
東京・大手町 日経ホール
(E列24番)
キヴェリ・デュルケン(Kiveli Doerken)
實川 風(Kaoru Jitsukawa)
ストラヴィンスキー/春の祭典
マーラー(ブルーノ・ワルター編)/交響曲第1番「巨人」(2台ピアノ編曲版)
(アンコール)
グリーグ/ペール・ギュント 第1組曲 より 第1曲「朝」作品46-1
それにしても、一見、同じ楽器であるピアノ2台の連弾という没個性のデュオであっても、演奏者たちの取り合わせといい、取り上げられる演奏される曲といい、こんなにもヴァラエティがあるとは…!というのが率直な感想でした。
ピアノ・デュオといえば、例えば、バレンボイムとアルゲリッチみたいな両巨匠のようなタイプや、デュオ・クロムランクを頂点とする、夫婦、姉妹兄弟による融合一体タイプもあって、多士済々。
曲の方も、ブラームスやドヴォルザークの「ハンガリー舞曲」のようにもともと4手連弾として出版されて大ヒットして管弦楽曲に編曲したものもあるし、逆に管弦楽曲を4手や2台ピアノに編曲したものもあります。もともと、作曲家による試演とか、オペラやバレエのリハーサル、小規模な公演のためにしばしばピアノ版が伴奏に使われ、連弾かどうかはともかくピアノと管弦楽とは密接な関係になっているわけです。
今回は、特に大規模な管弦楽をピアノ・デュオに編曲したもの。ともにとびきりド派手なヴィルティオーソ性を発揮するような曲が2曲。

キヴェリ・デュルケンは、真っ赤なワンピースパンツドレスで颯爽と登場。ハイヒールとボディコンのパンツドレス、体格も立派なので実にかっこいい。パートナーの實川風は、知的な好青年。こちらは実直な黒に近い暗灰色のスーツ。
前半は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。
もともとスキャンダラスな野趣あふれるバレエ曲ですが、作曲者自身の編曲によるピアノ連弾版は、リズムや打楽器的性格がむき出しになって迫ってきて大迫力。二番ピアノ側に回ったデュルケンが大活躍。こういうリズムの打撃感は、弾き手にとっても聴き手にとっても快感で、そこに一種の一体感が生ずるのは、どこか和太鼓集団の演奏に通じます。
後半は、ブルーノ・ワルターが編曲したマーラーの「巨人」。
こちらは、デュルケンは一番ピアノで、實川は二番ピアノに回り実直に基音や音響の下支えを響かせます。もちろん、低音部側や和声にも聴かせどころはあるのですが、目立つのはデュルケン。あの葬送楽章でもずっと實川が物憂い卑属なテーマを虚ろに奏でている(原曲:コントラバス独奏)が、そこにデュルケンが突然に被るように旋律線が闖入する(原曲:オーボエ)。そういうコントラストがむしろ際立つピアノ・デュオ。

とにかくデュルケンは積極的で果敢。多少のミスタッチや頭のずれはものともせず、所狭しと立ち回る。一方の實川のテクニックは実に正確で乱れが無い。縦横無尽に引っかき回すデュルケンに対し、實川は見事に受けに回り丁々発止の打ち込みをものの見事にやり返す。嵐のような終楽章は、まさにそういう疲れを知らぬ二人の大熱演。客席ものけぞり返るような迫力の熱量を浴びて大いに盛り上がりました。
アンコールは、二人並んでの4手連弾。グリークの「ペールギュント」は、やはり管弦楽からの編曲。独奏曲は有名で、腕の立つピアニストがよく取り上げていますが、連弾曲があることは知りませんでした。これまでの興奮を鎮めるような「朝」のメロディがとても綺麗でした。

第532回日経ミューズサロン
キヴェリ・デュルケン&實川 風
ピアノ・デュオ・リサイタル
2023年3月6日(金)18:30~
東京・大手町 日経ホール
(E列24番)
キヴェリ・デュルケン(Kiveli Doerken)
實川 風(Kaoru Jitsukawa)
ストラヴィンスキー/春の祭典
マーラー(ブルーノ・ワルター編)/交響曲第1番「巨人」(2台ピアノ編曲版)
(アンコール)
グリーグ/ペール・ギュント 第1組曲 より 第1曲「朝」作品46-1
春うらら (香月麗 チェロ・デビューリサイタル) [コンサート]
香月さんは、パリ国立高等音楽院に在学中で、この夜がデビューリサイタルなのだそうだ。私自身は、一昨年の6月にすでに芸劇ブランチコンサートでお目にかかっているのですが、あのときはスイスのローザンヌ高等音楽院に在学中でつまりは高校生だったことになります。とても若い。
見かけも小柄でまだあどけない面立ちの香月さんのチェロは、雄渾さとか、雄弁さというのではなく、清澄な音色で優雅な伸びのよいフレージング、それでいて繊細で精緻。さながら、気高くもとても心優しい小公女

1曲目のドビュッシーの晩年のソナタも、ともすれば演奏者によっては二十世紀的なモダンなたたずまいが強く出がちだけれど、むしろ、シンプルで古典的なたたずまいに擬古的な透明な響きがあって、むしろ穏やかな春到来を待つようなすがすがしささえ感じます。
次の曲の作曲家プロコフィエフは、もともとは今まさに戦場になっているウクライナ・ドネツク州の生まれで、最初に作曲を教えたのもやはりウクライナ出身のレインゴリト・グリエールですから、今やウクライナの作曲家というべきなのかもしれません。この曲が取り上げられているのは、香月さんの先生の筋が、この曲の初演者ロストロポーヴィチにつながるからなのでしょう。晩年の穏やかで晴れ晴れとした心境を感じさせる。平和な春を願うなかにどこか、回顧的で最後には生まれ育ったウクライナの農場の広々とした春の風景を夢見たのではないかと思ったほど。
後半はメンデルスゾーン。これが素晴らしかった。
まずは、作品109の《無言歌》。《無言歌》といえばメンデルスゾーンの名刺代わりみたいなピアノ曲ですが、チェロとピアノのためにも何曲か作曲されています。小品としてチェリストがちょっとした場面でよく弾いている珠玉の作品で、息の長いチェロの夢見心地のフレージングは、ほんとうに《詞のない歌》そのもの。

この夜の白眉は、最後のチェロ・ソナタだったと思います。メンデルスゾーンというのは、単に優雅なだけではない。やはりどこかに果てしない情熱の向かうところがあって、その感情は決して粗暴に衝突したり威圧するものではないけれど、情感の色合いが豊かでたっぷりとした熱量をたたえている。そういうメンデルスゾーンに、しっかりとした古典的な構成美を打ち出した素晴らしい演奏だったと思ったのです。メンデルスゾーンは、あまり目立たない存在で、名だたる大家もあまり取り上げていないようです。香月さんにはとてもお似合いの曲。それだけでなく、メンデルスゾーンはもっともっと聴かれてよい…そう思わせてくれた演奏でした。

終始一貫、寄り添う影のようにサポートされていた鈴木慎崇さんのピアノは、さすがアンサンブルピアニストの第一人者。音は強音でも濁らず、チェロを常に包み込みさりげなく装飾するように、しかも輪郭の美しい燦めきのある音は、滑らかなチェロの美音をよく引き立てていました。
最後のスピーチは、香月さんのお人柄を感じさせるように、ちょっと生真面目すぎるほど生真面目でそれでいて真摯な気持ちの伝わる初々しいもの。アンコールは《歌の翼に》。
外は寒かったけれど、春がもう目の前――そんな素敵なリサイタルコンサートでした。

紀尾井 明日への扉34
香月 麗(チェロ)
2023年3月3日(金) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階 18列13番)
香月 麗 (チェロ)
鈴木慎崇(ピアノ)
ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調 L.135
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ ハ長調 op.119[プロコフィエフ没後70年記念]
メンデルスゾーン:無言歌ニ長調 op.109 MWV Q 34
メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番ニ長調 op.58 MWV Q 32
(アンコール)
メンデルスゾーン:歌の翼に
見かけも小柄でまだあどけない面立ちの香月さんのチェロは、雄渾さとか、雄弁さというのではなく、清澄な音色で優雅な伸びのよいフレージング、それでいて繊細で精緻。さながら、気高くもとても心優しい小公女

1曲目のドビュッシーの晩年のソナタも、ともすれば演奏者によっては二十世紀的なモダンなたたずまいが強く出がちだけれど、むしろ、シンプルで古典的なたたずまいに擬古的な透明な響きがあって、むしろ穏やかな春到来を待つようなすがすがしささえ感じます。
次の曲の作曲家プロコフィエフは、もともとは今まさに戦場になっているウクライナ・ドネツク州の生まれで、最初に作曲を教えたのもやはりウクライナ出身のレインゴリト・グリエールですから、今やウクライナの作曲家というべきなのかもしれません。この曲が取り上げられているのは、香月さんの先生の筋が、この曲の初演者ロストロポーヴィチにつながるからなのでしょう。晩年の穏やかで晴れ晴れとした心境を感じさせる。平和な春を願うなかにどこか、回顧的で最後には生まれ育ったウクライナの農場の広々とした春の風景を夢見たのではないかと思ったほど。
後半はメンデルスゾーン。これが素晴らしかった。
まずは、作品109の《無言歌》。《無言歌》といえばメンデルスゾーンの名刺代わりみたいなピアノ曲ですが、チェロとピアノのためにも何曲か作曲されています。小品としてチェリストがちょっとした場面でよく弾いている珠玉の作品で、息の長いチェロの夢見心地のフレージングは、ほんとうに《詞のない歌》そのもの。

この夜の白眉は、最後のチェロ・ソナタだったと思います。メンデルスゾーンというのは、単に優雅なだけではない。やはりどこかに果てしない情熱の向かうところがあって、その感情は決して粗暴に衝突したり威圧するものではないけれど、情感の色合いが豊かでたっぷりとした熱量をたたえている。そういうメンデルスゾーンに、しっかりとした古典的な構成美を打ち出した素晴らしい演奏だったと思ったのです。メンデルスゾーンは、あまり目立たない存在で、名だたる大家もあまり取り上げていないようです。香月さんにはとてもお似合いの曲。それだけでなく、メンデルスゾーンはもっともっと聴かれてよい…そう思わせてくれた演奏でした。

終始一貫、寄り添う影のようにサポートされていた鈴木慎崇さんのピアノは、さすがアンサンブルピアニストの第一人者。音は強音でも濁らず、チェロを常に包み込みさりげなく装飾するように、しかも輪郭の美しい燦めきのある音は、滑らかなチェロの美音をよく引き立てていました。
最後のスピーチは、香月さんのお人柄を感じさせるように、ちょっと生真面目すぎるほど生真面目でそれでいて真摯な気持ちの伝わる初々しいもの。アンコールは《歌の翼に》。
外は寒かったけれど、春がもう目の前――そんな素敵なリサイタルコンサートでした。

紀尾井 明日への扉34
香月 麗(チェロ)
2023年3月3日(金) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階 18列13番)
香月 麗 (チェロ)
鈴木慎崇(ピアノ)
ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調 L.135
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ ハ長調 op.119[プロコフィエフ没後70年記念]
メンデルスゾーン:無言歌ニ長調 op.109 MWV Q 34
メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番ニ長調 op.58 MWV Q 32
(アンコール)
メンデルスゾーン:歌の翼に
小森谷巧プロデュース (読響アンサンブル・シリーズ) [コンサート]
読響のコンサートマスターを長く務める小森谷さんが定年で退団されるということは、このコンサートで初めて知りました。これは、言ってみればマエストロ小森谷のフェアウェルコンサート。

一見プログラムは、弦楽合奏の名曲をずらりと並べたものという風にしか見えません。
恒例のプレトークでは、司会の鈴木美潮さん(読売新聞記者)が、このプログラムの意図はどんなところかと聞いても、小森谷さんは「自分は無口だから」と笑うだけで何も語らない。

「自分は長い間、同僚である団員のみんな一人ひとりに支えられてコンマスの重責を果たすことができた、今日はそんな仲間に感謝の気持ちをこめて、とにかく一緒に楽しく過ごしたい。」
鈴木さんが、事前の勉強で得たあらん限りの知識をぶつけて、重ねて水を向けても――そういう趣旨を、笑いながら繰り返すばかり。
けれども、いざ聴いてみると、ほんとうにそういう趣旨がよくわかる。ステージ上の皆さんがとても楽しそうで、聴いていても楽しい。そういう楽しい弦楽合奏のひととき。
そういう楽しさが炸裂したのが、前半のヴィヴァルディ。
最初は、よく知られた「春」。季節は3月だし、小森谷さんがソリストとして前に出て妙技を聴かせる。でも、ヴィヴァルディの協奏曲は、古典派以後のヴィルティオーソを前面に押し出すコンチェルトとは違うことがよくわかります。合奏パートにだってソロの光があたる。《春がやってきた》と曲が始まると、すぐに《小鳥たちの歌》《小鳥は楽しい歌で春を迎え》と合奏パートのソロが小森谷さんのソロと楽しくさえずりを交わすという趣向。
二曲目の、作品3の協奏曲集では、まず、首席の瀧村依里さんがソリストとして加わる2つのヴァイオリンがソリスト。でもこれだって4つのパートに分けられたヴァイオリンのなかで二人が抜け出してソロを演ずるという仕掛けで、始まりは全員のトゥッティ。第二楽章のお二人の掛け合いがとても美しく、しかも楽しそう。
極めつけは、前半最後の作品3の第10番。
瀧村さんに代わって、これまで合奏パートにいた3人が小森谷さんと4人のソリストとなる協奏曲。題名こそ《4つのヴァイオリンのための》だけれど、独奏チェロも途中でド派手に疾走する場面があるから、プログラムには高木慶太さんも独奏にクレジットされる。そうなると、合奏パートも結局は一人ずつということになるので、結局は全員が単独のパートを受け持っているようなもの。13の弦楽器とバス、チェンバロのための合奏協奏曲みたいなもの。各パートがソロやユニゾン、重奏と重なったり掛け合ったり交代してリレーしたり、その韻や呼応が楽しいことこの上ない。ヴィヴァルディが女子養育院の生徒たち全員に見せ場を持たせて楽しく盛り上がっている様子が絵のように見えてくる。
中間楽章末尾で、4人のソリストがそれぞれ順にヴィヴァルディの《四季》の春夏秋冬のテーマをもとにカデンツァを弾くという楽しい趣向もご披露、会場を沸かせました。
後半は、チェリスト以外は立って演奏。
弦楽セレナーデは、エルガーの出世作。弦楽五部だけれどこれもパートがすぐに2分に分かれたり、半分にしたりと実質は6声部も7声部もある。ヴィオラの印象的な音型で始まる第一楽章アレグロは、もともとは《春の歌》と題されていたらしいから今の季節にふさわしいし、保守的な若書きの作風はもしかしたら小森谷さんの青春自画像なのかもしれません。
掉尾を飾ったのがグリーグの《ホルベア組曲》。ベルゲン同郷である18世紀の文豪を讃えた擬古的な組曲。やはり弦楽五部だけれでも、意匠は細やか。特に、最終曲のリゴードンでは、ヴァイオリンとヴィオラがソロの二重奏を奏でる。
バロック期の舞曲という触れ込みだけれど、ここのソロはまるでスカンジナビアのフィドルといった風に聞こえます。ヴァイオリン一筋の人生を歩んできた小森谷さんを祝福するように読響のメンバーがみんな輪になって、そのフィドルに合わせて楽しげに踊るかのようにも思えました。
アンコールは、モーツァルトの珍しいバレエ曲。小森谷さんはヴァイオリンを持たずに指揮だけ。自分は楽器を置き、パントマイムで何も語らず。そうやってコンサートを閉じるのは、これもまた小森谷さんのしゃれっ気なのでしょうか。
楽しかった。

読響アンサンブル・シリーズ
第37回 《小森谷巧プロデュース》
2023年3月2日(木) 19:30~
トッパンホール
(P6列 12番)
ヴァイオリン/リーダー=小森谷巧(読響コンサートマスター)
瀧村依里(首席)、岸本萌乃加(次席)
小形響、川口尭史、小杉芳之、武田桃子、肥田与幸
ヴィオラ=柳瀬省太(ソロ・ヴィオラ)、長岡晶子、森口恭子
チェロ=髙木慶太、林一公
コントラバス=大槻健(首席)
チェンバロ=大井駿
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」から「春」
*独奏:小森谷巧
ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 RV522
*独奏:小森谷巧、瀧村依里
ヴィヴァルディ:4つのヴァイオリンのための協奏曲 RV580
*独奏:岸本萌乃加、武田桃子、小森谷巧、川口尭史 | 髙木慶太(Vc)
エルガー:弦楽セレナード
グリーグ:組曲「ホルベアの時代から」
(アンコール)
モーツァルト:バレエ組曲〈レ・プティ・リアン〉パントマイム

一見プログラムは、弦楽合奏の名曲をずらりと並べたものという風にしか見えません。
恒例のプレトークでは、司会の鈴木美潮さん(読売新聞記者)が、このプログラムの意図はどんなところかと聞いても、小森谷さんは「自分は無口だから」と笑うだけで何も語らない。

「自分は長い間、同僚である団員のみんな一人ひとりに支えられてコンマスの重責を果たすことができた、今日はそんな仲間に感謝の気持ちをこめて、とにかく一緒に楽しく過ごしたい。」
鈴木さんが、事前の勉強で得たあらん限りの知識をぶつけて、重ねて水を向けても――そういう趣旨を、笑いながら繰り返すばかり。
けれども、いざ聴いてみると、ほんとうにそういう趣旨がよくわかる。ステージ上の皆さんがとても楽しそうで、聴いていても楽しい。そういう楽しい弦楽合奏のひととき。
そういう楽しさが炸裂したのが、前半のヴィヴァルディ。
最初は、よく知られた「春」。季節は3月だし、小森谷さんがソリストとして前に出て妙技を聴かせる。でも、ヴィヴァルディの協奏曲は、古典派以後のヴィルティオーソを前面に押し出すコンチェルトとは違うことがよくわかります。合奏パートにだってソロの光があたる。《春がやってきた》と曲が始まると、すぐに《小鳥たちの歌》《小鳥は楽しい歌で春を迎え》と合奏パートのソロが小森谷さんのソロと楽しくさえずりを交わすという趣向。
二曲目の、作品3の協奏曲集では、まず、首席の瀧村依里さんがソリストとして加わる2つのヴァイオリンがソリスト。でもこれだって4つのパートに分けられたヴァイオリンのなかで二人が抜け出してソロを演ずるという仕掛けで、始まりは全員のトゥッティ。第二楽章のお二人の掛け合いがとても美しく、しかも楽しそう。
極めつけは、前半最後の作品3の第10番。
瀧村さんに代わって、これまで合奏パートにいた3人が小森谷さんと4人のソリストとなる協奏曲。題名こそ《4つのヴァイオリンのための》だけれど、独奏チェロも途中でド派手に疾走する場面があるから、プログラムには高木慶太さんも独奏にクレジットされる。そうなると、合奏パートも結局は一人ずつということになるので、結局は全員が単独のパートを受け持っているようなもの。13の弦楽器とバス、チェンバロのための合奏協奏曲みたいなもの。各パートがソロやユニゾン、重奏と重なったり掛け合ったり交代してリレーしたり、その韻や呼応が楽しいことこの上ない。ヴィヴァルディが女子養育院の生徒たち全員に見せ場を持たせて楽しく盛り上がっている様子が絵のように見えてくる。
中間楽章末尾で、4人のソリストがそれぞれ順にヴィヴァルディの《四季》の春夏秋冬のテーマをもとにカデンツァを弾くという楽しい趣向もご披露、会場を沸かせました。
後半は、チェリスト以外は立って演奏。
弦楽セレナーデは、エルガーの出世作。弦楽五部だけれどこれもパートがすぐに2分に分かれたり、半分にしたりと実質は6声部も7声部もある。ヴィオラの印象的な音型で始まる第一楽章アレグロは、もともとは《春の歌》と題されていたらしいから今の季節にふさわしいし、保守的な若書きの作風はもしかしたら小森谷さんの青春自画像なのかもしれません。
掉尾を飾ったのがグリーグの《ホルベア組曲》。ベルゲン同郷である18世紀の文豪を讃えた擬古的な組曲。やはり弦楽五部だけれでも、意匠は細やか。特に、最終曲のリゴードンでは、ヴァイオリンとヴィオラがソロの二重奏を奏でる。
バロック期の舞曲という触れ込みだけれど、ここのソロはまるでスカンジナビアのフィドルといった風に聞こえます。ヴァイオリン一筋の人生を歩んできた小森谷さんを祝福するように読響のメンバーがみんな輪になって、そのフィドルに合わせて楽しげに踊るかのようにも思えました。
アンコールは、モーツァルトの珍しいバレエ曲。小森谷さんはヴァイオリンを持たずに指揮だけ。自分は楽器を置き、パントマイムで何も語らず。そうやってコンサートを閉じるのは、これもまた小森谷さんのしゃれっ気なのでしょうか。
楽しかった。

読響アンサンブル・シリーズ
第37回 《小森谷巧プロデュース》
2023年3月2日(木) 19:30~
トッパンホール
(P6列 12番)
ヴァイオリン/リーダー=小森谷巧(読響コンサートマスター)
瀧村依里(首席)、岸本萌乃加(次席)
小形響、川口尭史、小杉芳之、武田桃子、肥田与幸
ヴィオラ=柳瀬省太(ソロ・ヴィオラ)、長岡晶子、森口恭子
チェロ=髙木慶太、林一公
コントラバス=大槻健(首席)
チェンバロ=大井駿
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」から「春」
*独奏:小森谷巧
ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 RV522
*独奏:小森谷巧、瀧村依里
ヴィヴァルディ:4つのヴァイオリンのための協奏曲 RV580
*独奏:岸本萌乃加、武田桃子、小森谷巧、川口尭史 | 髙木慶太(Vc)
エルガー:弦楽セレナード
グリーグ:組曲「ホルベアの時代から」
(アンコール)
モーツァルト:バレエ組曲〈レ・プティ・リアン〉パントマイム
タグ:読響アンサンブルシリーズ
「ボストン美術館 富田幸次郎の五〇年」(橘しづゑ 著)読了 [読書]
浮世絵をはじめとする日本美術のコレクションが充実していることでよく知られるボストン美術館。戦前、戦中、戦後の長きにわたっ、てそのアジア部の中枢を担ってきた富田幸次郎。日米関係の緊張が高まる中で買い求めた『吉備大臣入唐絵詞』が、国宝級の海外流出と反感を買い「国賊」とまで呼ばれた。その富田幸次郎の、渡米から戦後の復興までの50年の足跡をたどる。
著者は、長年、茶道と華道の研鑽を続けてきたが、50歳を過ぎて一念発起、東京女子大の門を叩き社会人学生となった。夫の赴任に伴い1年間、家族とともにボストンに在住。そこで目の当たりにしたボストン美術館の絢爛豪華な日本コレクションに驚き、学部の卒論で富田幸次郎を取り上げた。
著述はいたって実直。幸次郎の渡米のいきさつから、その当時、ボストン美術館中国・日本美術部に迎えられていた岡倉天心と出会い、以来、美術館の東洋美術の発展・充実に尽くし、日本美術を欧米に広く深く知らしめたその功績を、ほぼ経時的にたどっていく。
その実直な筆致がかえって、明治以来の日本美術の興隆を俯瞰してよどみがない。
東京遷都の後、抜け殻のようになった古都に廃仏毀釈が追い打ちをかける。明治初期の京都の荒廃ぶりはすさまじかったという。漆工芸職人の家系にあった富田は、欧米でジャポニズムがもてはやされ、そこに活路を見いだそうとする政府が公募した実業練習生として渡米する。後援したのが文部省ではなく農商務省だったということに、西洋文明導入と殖産振興に明け暮れていた当時の日本の姿が映し出される。
ボストンに滞在して次第に富田は、塗材・艶出しなどの技術習得に限界を覚え、工芸製造や商業貿易といったビジネスへの動機が薄れ、一方で「学問方の学者にあらざる学者」「大審美学者」になりたいとの希望に目覚める。まだキュレーターとか学芸員といった考え方がなかった時代のこと。
その伏線として、フェノロサやモースらの「お雇い」、岡倉天心など、日本の伝統美術の「再発見」に尽くした人々との連なりや、彼らとの出会いが鮮やかに描かれる。また、ウィリアム・スタージス・ビゲローやエドワード・ジャクソン・ホームズ、イザベラ・スチュワート・ガードナー夫人など芸術支援を通じて、当時のボストン社会の親日的で誇り高い富裕層の実相も見えてくる。
富田は、「源氏物語」の翻訳で有名なアーサー・ウェーリと司馬江漢の落款をめぐって論争している。司馬江漢は、鈴木春信門下として浮世絵から出発し西洋絵画・版画画家、科学者へと転身した人だが、春信の代作者としてその落款には真偽混同が多い。「源氏物語」翻訳者といえども外国人には漢字など文字の判読には限界があった。こういったところに「学問方にあらざる学者」としての立ち位置や役割、あるいは文献学者と、審美学者、美術蒐集・保存の実務者、それぞれの交流協同の重要性が見えてくる。
富田を「国賊」と非難したのは東京帝大教授の瀧精一だった。日米関係が悪化の一途をたどり軍国主義化する日本の国粋的な論調に大いに押されたこともあったが、瀧はもともと美術品の海外流出対策として「重美保存法」の成立に熱心だった。かえってこの事件でそれが立法制定され、美術品を一般の鑑賞も受けずに隠匿され、人知れず売買されるということへの危機意識が表に浮かび上がりもした。それが戦後の文化財保護法につながっていったという。
戦争中の富田は、旅行制限などの差別は受けたが、本国送還されることもなくボストン美術館は引き続き幹部職員として遇した。その彼が、日本の古都を空襲から救ったということはあまり知られていない。共に天心に仕えた親友のラングドン・ウォーナーがロバーツ委員会の日本部主任を務めていて、日本における美術歴史遺跡の保護のためのリスト作成にあたり富田もこれに協力した。いわゆるウォーナー・リストである。京都が爆撃されなかった経緯は諸説あるが、このリストが実在することは事実だ。富田は戦中のことは一切語らなかったというが、本書は周囲の証言などを丁寧にたどっている。
日本美術も美術館も今やゴールデンエイジとも言うべき隆盛にある。今日の私たちはそれをあたりまえののように享受してるが、そのことに内包されている歴史やそれに尽くした人々のことが、本書を読むととてもよく見えてくる。誠実な著述は、平易でありながら、決して俗受けも狙わない。
美術に少しでも興味がある方なら、ぜひ一読をおすすめしたい。目立たない好著。

ボストン美術館 富田幸次郎の五〇年
たとえ国賊と呼ばれても
橘しづゑ 著
彩流社
はじめに
第一部 ボストン美術館アジア部キュレーターへの道のり
第一章 父親、蒔絵師富田幸七──漆の近代を見つめて(1854~1910)
第二章 幸次郎の生い立ちと米国留学(1890~1907)
第三章 ボストン美術館──めぐり合う人々(1908~1915)
第四章 目覚め──美術史家として(1916~1930)
──アーサー・ウエーリと司馬江漢の落款をめぐる論争考
第二部 富田幸次郎の文化交流──日米戦争のはざまを米国で生きる
第五章 祖国に国賊と呼ばれて(1931~1935)
──『吉備大臣入唐絵詞』の購入
第六章 1936年「ボストン日本古美術展覧会」の試み(1936~1940)
──戦間期における日米文化交流の一事例として
終 章 太平洋戦争とその後(194 ~1976)
富田孝次郎年譜
著者は、長年、茶道と華道の研鑽を続けてきたが、50歳を過ぎて一念発起、東京女子大の門を叩き社会人学生となった。夫の赴任に伴い1年間、家族とともにボストンに在住。そこで目の当たりにしたボストン美術館の絢爛豪華な日本コレクションに驚き、学部の卒論で富田幸次郎を取り上げた。
著述はいたって実直。幸次郎の渡米のいきさつから、その当時、ボストン美術館中国・日本美術部に迎えられていた岡倉天心と出会い、以来、美術館の東洋美術の発展・充実に尽くし、日本美術を欧米に広く深く知らしめたその功績を、ほぼ経時的にたどっていく。
その実直な筆致がかえって、明治以来の日本美術の興隆を俯瞰してよどみがない。
東京遷都の後、抜け殻のようになった古都に廃仏毀釈が追い打ちをかける。明治初期の京都の荒廃ぶりはすさまじかったという。漆工芸職人の家系にあった富田は、欧米でジャポニズムがもてはやされ、そこに活路を見いだそうとする政府が公募した実業練習生として渡米する。後援したのが文部省ではなく農商務省だったということに、西洋文明導入と殖産振興に明け暮れていた当時の日本の姿が映し出される。
ボストンに滞在して次第に富田は、塗材・艶出しなどの技術習得に限界を覚え、工芸製造や商業貿易といったビジネスへの動機が薄れ、一方で「学問方の学者にあらざる学者」「大審美学者」になりたいとの希望に目覚める。まだキュレーターとか学芸員といった考え方がなかった時代のこと。
その伏線として、フェノロサやモースらの「お雇い」、岡倉天心など、日本の伝統美術の「再発見」に尽くした人々との連なりや、彼らとの出会いが鮮やかに描かれる。また、ウィリアム・スタージス・ビゲローやエドワード・ジャクソン・ホームズ、イザベラ・スチュワート・ガードナー夫人など芸術支援を通じて、当時のボストン社会の親日的で誇り高い富裕層の実相も見えてくる。
富田は、「源氏物語」の翻訳で有名なアーサー・ウェーリと司馬江漢の落款をめぐって論争している。司馬江漢は、鈴木春信門下として浮世絵から出発し西洋絵画・版画画家、科学者へと転身した人だが、春信の代作者としてその落款には真偽混同が多い。「源氏物語」翻訳者といえども外国人には漢字など文字の判読には限界があった。こういったところに「学問方にあらざる学者」としての立ち位置や役割、あるいは文献学者と、審美学者、美術蒐集・保存の実務者、それぞれの交流協同の重要性が見えてくる。
富田を「国賊」と非難したのは東京帝大教授の瀧精一だった。日米関係が悪化の一途をたどり軍国主義化する日本の国粋的な論調に大いに押されたこともあったが、瀧はもともと美術品の海外流出対策として「重美保存法」の成立に熱心だった。かえってこの事件でそれが立法制定され、美術品を一般の鑑賞も受けずに隠匿され、人知れず売買されるということへの危機意識が表に浮かび上がりもした。それが戦後の文化財保護法につながっていったという。
戦争中の富田は、旅行制限などの差別は受けたが、本国送還されることもなくボストン美術館は引き続き幹部職員として遇した。その彼が、日本の古都を空襲から救ったということはあまり知られていない。共に天心に仕えた親友のラングドン・ウォーナーがロバーツ委員会の日本部主任を務めていて、日本における美術歴史遺跡の保護のためのリスト作成にあたり富田もこれに協力した。いわゆるウォーナー・リストである。京都が爆撃されなかった経緯は諸説あるが、このリストが実在することは事実だ。富田は戦中のことは一切語らなかったというが、本書は周囲の証言などを丁寧にたどっている。
日本美術も美術館も今やゴールデンエイジとも言うべき隆盛にある。今日の私たちはそれをあたりまえののように享受してるが、そのことに内包されている歴史やそれに尽くした人々のことが、本書を読むととてもよく見えてくる。誠実な著述は、平易でありながら、決して俗受けも狙わない。
美術に少しでも興味がある方なら、ぜひ一読をおすすめしたい。目立たない好著。

ボストン美術館 富田幸次郎の五〇年
たとえ国賊と呼ばれても
橘しづゑ 著
彩流社
はじめに
第一部 ボストン美術館アジア部キュレーターへの道のり
第一章 父親、蒔絵師富田幸七──漆の近代を見つめて(1854~1910)
第二章 幸次郎の生い立ちと米国留学(1890~1907)
第三章 ボストン美術館──めぐり合う人々(1908~1915)
第四章 目覚め──美術史家として(1916~1930)
──アーサー・ウエーリと司馬江漢の落款をめぐる論争考
第二部 富田幸次郎の文化交流──日米戦争のはざまを米国で生きる
第五章 祖国に国賊と呼ばれて(1931~1935)
──『吉備大臣入唐絵詞』の購入
第六章 1936年「ボストン日本古美術展覧会」の試み(1936~1940)
──戦間期における日米文化交流の一事例として
終 章 太平洋戦争とその後(194 ~1976)
富田孝次郎年譜
タグ:ボストン美術館
ヴェルディ「ファルスタッフ」 (新国立劇場) [コンサート]
素晴らしいプロダクションで、このオペラをこんなに楽しめたことは今までにないことでした。
「ファルスタッフ」といえば、数多いヴェルディの名作オペラのなかでも最晩年の傑作と言われています。先般の日経新聞「私の履歴書」でリッカルド・ムーティが『彼(ヴェルディ)が80歳になってもイタリアの作曲家の中で最も革新的だったことがわかる』と、何度も言及しているし、古くはトスカニーニも傑作中の傑作と言っていて、その評価はすでに常識化しています。
ところが、個人的にはそのことがなかなか実感できなかった。自分が初めて、直接、相対したのは、シカゴ響の演奏会形式での上演。タイトルロールがギジェルモ・サラビアというメキシコ出身のアメリカ人だったが、陽気な女房たちはカーティア・リッチャレッリ(フォード夫人)、クリスタ・ルードウィッヒ(クイックリー夫人)、アン・マレー(ページ夫人)と豪華で、ナンネッタが当時売り出し中のキャスリーン・バトル。指揮もショルティだから、悪かろうはずがない。もちろん、九重唱とかフーガとか、その颯爽たる大アンサンブルの音楽技巧には圧倒されたけれど、オペラとしては脈絡も人間味も何もない、ただのせわしないドタバタにしか思えません。その後、METライブビューイングも含めてステージを何度も観ましたがどうもぴんとこなかったのです。

それが、今回の上演でぱっと霧が晴れるような気がしました。
なぜ、そいういうことが起こったのか?
自分でもよくわかりません。ひとつは舞台上の視覚的な立体感と、転換のテンポのよさ。歌手たちの、歌唱ばかりでなく、細かな仕草も含めた演技のアンサンブルが実に見事だったこと。演出が、あえて時代的翻案などをしない写実主義的な演劇リアルで的確な感性とユーモアにあふれていたことなどがあげられるのかもしれません。しかも、立体的な演劇(演出)が音楽的なアンサンブルと極めて高い同調性を発揮したこと。それはとても高度な多次元的な同調だったのだと思えるのです。

実際、演出のジョナサン・ミラーは、
「伝統的なしきたりに則った舞台の中でのみ花開き、何らかの理論をはてはめようと試みても、受け付けない」
「現代の批評家が好む〈コンセプト〉とは無縁。ドイツに始まった〈コンセプト〉に基づく演出、意図的に観客の期待を裏切ったり、露骨な性描写を多用するやり方には興味がありません。…人間同士のやりとりにこそ真実があるのです」
と語っていました(プログラムの過去インタビュー再掲載)。
ミラーの演出は、この新国立劇場での定番になっていて何度も繰り返し採用されていたのですが、どうも今回の上演が最大級の成功を収めたようです。そのことの要因が何なのかは、これまた私には不明なのですが、とにかく素晴らしく活き活きとしていて観るものをわくわくさえる傑作上演だったことは確かです。客席は大騒ぎでした。

ですから歌手も、いちいち個別に言及するのも無意味に感じるほど素晴らしかったとしか言いようがありません。ひとりひとりの歌唱や容姿、演技をあげて言うことより、そのアンサンブルの素晴らしさを褒め称えたいと思うのです。あえて言えば、あれだけの演技上のアンサンブルとアイデアを仕上げた舞台監督、演技指導にブラボー!
もうひとつだけ、特筆したいのはオーケストラ。
今回のピットは、いつもの東響なのですが、とにもかくにも腰が抜けるほど驚喜する思いがしました。緩急や強弱のコントラストが素晴らしく、音にスピードがある。特に木管のアンサンブルが素晴らしく、ソロも単に上手下手ということを超えて舞台上の歌手たちと対話するかのように豊かに「演技」する――そのことに驚喜したのです。器楽と歌唱の対話がこの上なく楽しかった。指揮のコッラード・ロヴァリースは見たところ、実に淡々と指示するだけに見えましたが、それだけオーケストラに信頼を置いていたのでしょう。日本の歌劇場のオーケストラがこんな風に本場の名門歌劇場を上回る演奏をしてくれるなんて!
早くも、今年のマイ・ベスト間違い無しと思わせる体験となりました。

新国立劇場
ヴェルディ 「ファルスタッフ」
2023年2月18日 14:00
東京・初台 新国立劇場 オペラハウス
(1階4列12番)
【指 揮】コッラード・ロヴァーリス
【演 出】ジョナサン・ミラー
【美 術・衣 裳】イザベラ・バイウォーター
【再演演出】三浦 安浩
【照 明】ペーター・ペッディニック
【舞台監督】高橋 尚史
【プロンプター】飯坂 純
【演出助手】上原 真希/根岸 幸
【ファルスタッフ】ニコラ・アライモ
【フォード】ホルヘ・エスピーノ
【フェントン】村上公太
【医師カイウス】青地英幸
【バルドルフォ】糸賀修平
【ピストーラ】久保田真澄
【フォード夫人アリーチェ】ロベルタ・マンテーニャ
【ナンネッタ】三宅理恵
【クイックリー夫人】マリアンナ・ピッツォラート
【ページ夫人メグ】脇園 彩
【合 唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】三澤洋史
【管弦楽】東京交響楽団
「ファルスタッフ」といえば、数多いヴェルディの名作オペラのなかでも最晩年の傑作と言われています。先般の日経新聞「私の履歴書」でリッカルド・ムーティが『彼(ヴェルディ)が80歳になってもイタリアの作曲家の中で最も革新的だったことがわかる』と、何度も言及しているし、古くはトスカニーニも傑作中の傑作と言っていて、その評価はすでに常識化しています。
ところが、個人的にはそのことがなかなか実感できなかった。自分が初めて、直接、相対したのは、シカゴ響の演奏会形式での上演。タイトルロールがギジェルモ・サラビアというメキシコ出身のアメリカ人だったが、陽気な女房たちはカーティア・リッチャレッリ(フォード夫人)、クリスタ・ルードウィッヒ(クイックリー夫人)、アン・マレー(ページ夫人)と豪華で、ナンネッタが当時売り出し中のキャスリーン・バトル。指揮もショルティだから、悪かろうはずがない。もちろん、九重唱とかフーガとか、その颯爽たる大アンサンブルの音楽技巧には圧倒されたけれど、オペラとしては脈絡も人間味も何もない、ただのせわしないドタバタにしか思えません。その後、METライブビューイングも含めてステージを何度も観ましたがどうもぴんとこなかったのです。

それが、今回の上演でぱっと霧が晴れるような気がしました。
なぜ、そいういうことが起こったのか?
自分でもよくわかりません。ひとつは舞台上の視覚的な立体感と、転換のテンポのよさ。歌手たちの、歌唱ばかりでなく、細かな仕草も含めた演技のアンサンブルが実に見事だったこと。演出が、あえて時代的翻案などをしない写実主義的な演劇リアルで的確な感性とユーモアにあふれていたことなどがあげられるのかもしれません。しかも、立体的な演劇(演出)が音楽的なアンサンブルと極めて高い同調性を発揮したこと。それはとても高度な多次元的な同調だったのだと思えるのです。

実際、演出のジョナサン・ミラーは、
「伝統的なしきたりに則った舞台の中でのみ花開き、何らかの理論をはてはめようと試みても、受け付けない」
「現代の批評家が好む〈コンセプト〉とは無縁。ドイツに始まった〈コンセプト〉に基づく演出、意図的に観客の期待を裏切ったり、露骨な性描写を多用するやり方には興味がありません。…人間同士のやりとりにこそ真実があるのです」
と語っていました(プログラムの過去インタビュー再掲載)。
ミラーの演出は、この新国立劇場での定番になっていて何度も繰り返し採用されていたのですが、どうも今回の上演が最大級の成功を収めたようです。そのことの要因が何なのかは、これまた私には不明なのですが、とにかく素晴らしく活き活きとしていて観るものをわくわくさえる傑作上演だったことは確かです。客席は大騒ぎでした。

ですから歌手も、いちいち個別に言及するのも無意味に感じるほど素晴らしかったとしか言いようがありません。ひとりひとりの歌唱や容姿、演技をあげて言うことより、そのアンサンブルの素晴らしさを褒め称えたいと思うのです。あえて言えば、あれだけの演技上のアンサンブルとアイデアを仕上げた舞台監督、演技指導にブラボー!
もうひとつだけ、特筆したいのはオーケストラ。
今回のピットは、いつもの東響なのですが、とにもかくにも腰が抜けるほど驚喜する思いがしました。緩急や強弱のコントラストが素晴らしく、音にスピードがある。特に木管のアンサンブルが素晴らしく、ソロも単に上手下手ということを超えて舞台上の歌手たちと対話するかのように豊かに「演技」する――そのことに驚喜したのです。器楽と歌唱の対話がこの上なく楽しかった。指揮のコッラード・ロヴァリースは見たところ、実に淡々と指示するだけに見えましたが、それだけオーケストラに信頼を置いていたのでしょう。日本の歌劇場のオーケストラがこんな風に本場の名門歌劇場を上回る演奏をしてくれるなんて!
早くも、今年のマイ・ベスト間違い無しと思わせる体験となりました。

新国立劇場
ヴェルディ 「ファルスタッフ」
2023年2月18日 14:00
東京・初台 新国立劇場 オペラハウス
(1階4列12番)
【指 揮】コッラード・ロヴァーリス
【演 出】ジョナサン・ミラー
【美 術・衣 裳】イザベラ・バイウォーター
【再演演出】三浦 安浩
【照 明】ペーター・ペッディニック
【舞台監督】高橋 尚史
【プロンプター】飯坂 純
【演出助手】上原 真希/根岸 幸
【ファルスタッフ】ニコラ・アライモ
【フォード】ホルヘ・エスピーノ
【フェントン】村上公太
【医師カイウス】青地英幸
【バルドルフォ】糸賀修平
【ピストーラ】久保田真澄
【フォード夫人アリーチェ】ロベルタ・マンテーニャ
【ナンネッタ】三宅理恵
【クイックリー夫人】マリアンナ・ピッツォラート
【ページ夫人メグ】脇園 彩
【合 唱】新国立劇場合唱団
【合唱指揮】三澤洋史
【管弦楽】東京交響楽団
「愚者の階梯」(松井今朝子 著)読了 [読書]
松井今朝子の歌舞伎ミステリー最新作。

歌舞伎といっても、時代は戦前の昭和。生活感覚も現代人に身近で共通する部分が多い。近現代の歴史小説とミステリー仕立てとが相互作用で、日常的なリアリティを互いに高めあっていて、先へ先へとよどみなく読み進むことができる。
舞台は、いよいよ日本が戦争へと突き進む昭和10年のこと。その年に、満州国皇帝が日本に招かれ大歓待を受け、歌舞伎座で奉迎式典が催される。同じ年、憲法学者の美濃部達吉の学説が、前年に起こった国体明徴運動の攻撃の的となり貴族院議員の座を追われる。いわゆる「天皇機関説事件」である。
歌舞伎座といえば、今でこそ伝統演劇「歌舞伎」の確固たる殿堂だけれど、実のところは松竹という関西から東京に進出してきた民間興行会社の所有。大方の歌舞伎役者もそこに属している。そこに至るまでには紆余曲折がある。焼失再建途上にあった歌舞伎座は、建物躯体が完成したところで関東大震災によって再び灰燼に帰する。復興した豪華な施設は東京の新名所となるが、明治座や新富座など他の劇場の経営を圧迫する。昭和6年にこれらが合併して松竹興行株式会社となる。
この時代は、第一次大戦後の好景気、震災、その復興景気も間もなく世界大恐慌に見舞われるという激しい経済変動のなかで経営の浮沈が大きかった。破産、首切り、減俸などが広がり、労働争議や小作争議が頻発し、共産主義などの左翼思想に染まった労働運動も活発で、ストライキも頻発する。
歌舞伎界も例外ではなく、劇場従業員も含めた人員淘汰と減俸で、幹部俳優も含めて、下々に至るまで不安と動揺を与えた。こうした動きと呼応するように、中村翫右衛門や、一時、松竹を飛び出した二代目・猿之助のように、旧態依然とした歌舞伎の因習に反発して、新しい演劇運動に身を投ずる俳優たちもいた。この頃に設立された前進座もそのひとつだった。
歌舞伎界や新演劇運動と密接な関係にあったのが映画界。映画俳優は、歌舞伎出身やその縁者たちであり、新演劇運動のかたわらに映画俳優に身を投じたものが多い。時代は、ちょうど無声映画からトーキー映画への変遷期で、廃業の憂き目にさらされたのが活動弁士だ。日本には浄瑠璃など話芸の伝統があったから、こうした活弁士たちも伝統演劇とは親密な縁があった。
こうした時代の歴史とフィクションを巧みに虚実取り混ぜながら、三人の連続不審死をめぐって疑惑の謎解きが進行する。
『天皇機関説の排撃で憲法の解釈が改められた今年、ひょっとしたら日本は踏み板から一段足を滑らせたようなものなのかもしれない。そしてさらに一段、また一段と階梯を転がり落ちて、奈落に沈んでしまう日もそう遠くはないのではないか…』
そう主人公は感慨にふける。「愚者の階梯」との標題は、そのことを指しているようだ。
ミステリー解決の後10年、その感慨が予言したかのように、日本は、誰が企図し、誰が命令したのか、実行者はその確信もないままに、一段、一段と足を滑らせていくように自滅戦争の奈落に落ちていった。
その壊滅について、犯人らしい犯人が見当たらない。誰も責任の自覚もないし、誰も自分が主犯だと思っていない。誰もがただただ悔悟改悛の念にかられるだけなのだ。

「愚者の階梯」
松井今朝子 著
集英社
2022年9月10日 新刊

歌舞伎といっても、時代は戦前の昭和。生活感覚も現代人に身近で共通する部分が多い。近現代の歴史小説とミステリー仕立てとが相互作用で、日常的なリアリティを互いに高めあっていて、先へ先へとよどみなく読み進むことができる。
舞台は、いよいよ日本が戦争へと突き進む昭和10年のこと。その年に、満州国皇帝が日本に招かれ大歓待を受け、歌舞伎座で奉迎式典が催される。同じ年、憲法学者の美濃部達吉の学説が、前年に起こった国体明徴運動の攻撃の的となり貴族院議員の座を追われる。いわゆる「天皇機関説事件」である。
歌舞伎座といえば、今でこそ伝統演劇「歌舞伎」の確固たる殿堂だけれど、実のところは松竹という関西から東京に進出してきた民間興行会社の所有。大方の歌舞伎役者もそこに属している。そこに至るまでには紆余曲折がある。焼失再建途上にあった歌舞伎座は、建物躯体が完成したところで関東大震災によって再び灰燼に帰する。復興した豪華な施設は東京の新名所となるが、明治座や新富座など他の劇場の経営を圧迫する。昭和6年にこれらが合併して松竹興行株式会社となる。
この時代は、第一次大戦後の好景気、震災、その復興景気も間もなく世界大恐慌に見舞われるという激しい経済変動のなかで経営の浮沈が大きかった。破産、首切り、減俸などが広がり、労働争議や小作争議が頻発し、共産主義などの左翼思想に染まった労働運動も活発で、ストライキも頻発する。
歌舞伎界も例外ではなく、劇場従業員も含めた人員淘汰と減俸で、幹部俳優も含めて、下々に至るまで不安と動揺を与えた。こうした動きと呼応するように、中村翫右衛門や、一時、松竹を飛び出した二代目・猿之助のように、旧態依然とした歌舞伎の因習に反発して、新しい演劇運動に身を投ずる俳優たちもいた。この頃に設立された前進座もそのひとつだった。
歌舞伎界や新演劇運動と密接な関係にあったのが映画界。映画俳優は、歌舞伎出身やその縁者たちであり、新演劇運動のかたわらに映画俳優に身を投じたものが多い。時代は、ちょうど無声映画からトーキー映画への変遷期で、廃業の憂き目にさらされたのが活動弁士だ。日本には浄瑠璃など話芸の伝統があったから、こうした活弁士たちも伝統演劇とは親密な縁があった。
こうした時代の歴史とフィクションを巧みに虚実取り混ぜながら、三人の連続不審死をめぐって疑惑の謎解きが進行する。
『天皇機関説の排撃で憲法の解釈が改められた今年、ひょっとしたら日本は踏み板から一段足を滑らせたようなものなのかもしれない。そしてさらに一段、また一段と階梯を転がり落ちて、奈落に沈んでしまう日もそう遠くはないのではないか…』
そう主人公は感慨にふける。「愚者の階梯」との標題は、そのことを指しているようだ。
ミステリー解決の後10年、その感慨が予言したかのように、日本は、誰が企図し、誰が命令したのか、実行者はその確信もないままに、一段、一段と足を滑らせていくように自滅戦争の奈落に落ちていった。
その壊滅について、犯人らしい犯人が見当たらない。誰も責任の自覚もないし、誰も自分が主犯だと思っていない。誰もがただただ悔悟改悛の念にかられるだけなのだ。

「愚者の階梯」
松井今朝子 著
集英社
2022年9月10日 新刊
タグ:松井今朝子
「ピアノ・デュオの極み」 (芸劇ブランチコンサート) [コンサート]
なかなか聴く機会の少ない2台のピアノデュオ。ステージには2台のピアノ差し向かいに置かれていて、右手鍵盤・手前のピアノの上蓋は外されています。

ちょうど2年前には若手の入江一雄さんとのデュオでしたが、今回は、同じ桐朋学園大学でともに教鞭をとる同僚の有吉亮治さん。前回のように、デュオは苦手だとかそんな言い訳もなくずいぶんとリラックスした雰囲気なのは、互いにとても気心が知れた仲だからということでしょうか。
最近でこそ聴く機会が増えてきましたが、今回改めてステージ上の2台連弾を聴いてみると、ふたりのそれぞれのパートがずいぶんとはっきりと分離して聴き取れるのが意外なほどでした。ほとんどユニゾンで始まるモーツァルトですが、すぐに二人で愉快そうに掛け合いが始まります。早いパッセージと基音の連打のタッチの引き分けもそれぞれにあるのですが、二人のタッチの個性のようなものも感じ取れて楽しさも増します。清水さんはとてもクリーンな透明感が魅力、有吉さんは暖かみがあってスラーのつながりがとてもまろやか。
二曲目は、有吉さんの独奏でブラームスの間奏曲。
晩年にはピアノ独奏曲ばかりを書いたブラームスですが、その中でもとびきり優しく感情を抑えた静謐さのなかに慈愛に満ちあふれた曲集です。「きれいな音」を連発していた清水さんの紹介の通りで有吉さんの音色はほんとうにピュア。弾き手のいない蓋が外されたピアノが共鳴しているのでしょうか、心優しいぬくもりを感じさせます。2台ピアノの音の魅力の秘密をちょっとだけ垣間見たような気もしました。
三曲目は、ハイドンヴァリエーション。
オーケストラ版も魅力ですが、先に完成したのはこの2台連弾版で、もちろんスケッチとしての性格もあるのでしょうが、こちらが本家本元。このピアノ連弾版はCD時代になってからいくつもの演奏が聴けるようになりましたが、生演奏はたぶん今回が初体験。お二人の演奏は、融け込むようなアンサンブルが引き立ち、闊達な変奏が続くのにもかかわらずとても耳に心地よい。和声的な部分と対位法的な部分が錯綜前後しますが、やはり、ここでも2つのパートの聞き分けの魅力があって楽しいのです。まったく同じ楽器から様々な色彩とテンペラメントを編み出していく、そういう楽器手法の魅力を感じて心が華やぎます。ゴッホが毛糸玉をキャンバスの手元に置いて、様々な色合わせを確認しながら、色絵の具を隣り合わせたり塗り重ねたりして画いていたというエピソードを思い出しました。
とても素敵な2台ピアノのデュオでした。

芸劇ブランチコンサート
清水和音の名曲ラウンジ
第40回「ピアノ・デュオの極み」
2023年2月15日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階P列18番)
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448
清水 和音(Pf) 有吉亮治(Pf)
ブラームス:3つの間奏曲 op.117
有吉亮治(Pf)
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 op.56b
有吉亮治(Pf) 清水 和音(Pf)

ちょうど2年前には若手の入江一雄さんとのデュオでしたが、今回は、同じ桐朋学園大学でともに教鞭をとる同僚の有吉亮治さん。前回のように、デュオは苦手だとかそんな言い訳もなくずいぶんとリラックスした雰囲気なのは、互いにとても気心が知れた仲だからということでしょうか。
最近でこそ聴く機会が増えてきましたが、今回改めてステージ上の2台連弾を聴いてみると、ふたりのそれぞれのパートがずいぶんとはっきりと分離して聴き取れるのが意外なほどでした。ほとんどユニゾンで始まるモーツァルトですが、すぐに二人で愉快そうに掛け合いが始まります。早いパッセージと基音の連打のタッチの引き分けもそれぞれにあるのですが、二人のタッチの個性のようなものも感じ取れて楽しさも増します。清水さんはとてもクリーンな透明感が魅力、有吉さんは暖かみがあってスラーのつながりがとてもまろやか。
二曲目は、有吉さんの独奏でブラームスの間奏曲。
晩年にはピアノ独奏曲ばかりを書いたブラームスですが、その中でもとびきり優しく感情を抑えた静謐さのなかに慈愛に満ちあふれた曲集です。「きれいな音」を連発していた清水さんの紹介の通りで有吉さんの音色はほんとうにピュア。弾き手のいない蓋が外されたピアノが共鳴しているのでしょうか、心優しいぬくもりを感じさせます。2台ピアノの音の魅力の秘密をちょっとだけ垣間見たような気もしました。
三曲目は、ハイドンヴァリエーション。
オーケストラ版も魅力ですが、先に完成したのはこの2台連弾版で、もちろんスケッチとしての性格もあるのでしょうが、こちらが本家本元。このピアノ連弾版はCD時代になってからいくつもの演奏が聴けるようになりましたが、生演奏はたぶん今回が初体験。お二人の演奏は、融け込むようなアンサンブルが引き立ち、闊達な変奏が続くのにもかかわらずとても耳に心地よい。和声的な部分と対位法的な部分が錯綜前後しますが、やはり、ここでも2つのパートの聞き分けの魅力があって楽しいのです。まったく同じ楽器から様々な色彩とテンペラメントを編み出していく、そういう楽器手法の魅力を感じて心が華やぎます。ゴッホが毛糸玉をキャンバスの手元に置いて、様々な色合わせを確認しながら、色絵の具を隣り合わせたり塗り重ねたりして画いていたというエピソードを思い出しました。
とても素敵な2台ピアノのデュオでした。

芸劇ブランチコンサート
清水和音の名曲ラウンジ
第40回「ピアノ・デュオの極み」
2023年2月15日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階P列18番)
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448
清水 和音(Pf) 有吉亮治(Pf)
ブラームス:3つの間奏曲 op.117
有吉亮治(Pf)
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 op.56b
有吉亮治(Pf) 清水 和音(Pf)
タグ:芸劇ブランチコンサート 清水和音
ラフマニノフが愛したピアノ [オーディオ]
メジューエヴァのラフマニノフ作品集。

先日のNHKBS「クラシック倶楽部」にすっかり魅せられしまいました。
その演奏の素晴らしいこと。TV音声ですがピアノの音も素晴らしい。
使っている楽器は、《ラフマニノフが愛したピアノ》。

画面を見ると、傷だらけ。鍵盤を覆わんばかりの大きな手を持ったラフマニノフの爪がぶつかって引っ掻いた痕なんだとか。

その楽器は、アメリカの倉庫で長期間保管されていて、虫食いやひび割れで演奏できない状態。2020年4月 ピアノは日本に運び込まれ、調律師の高木祐さんが 約1年かけて修復。1つ1つの部品が修理され よみがえった。そして、ラフマニノフが弾いていた当時の音を響かせる。

メジューエヴァさんは、こう言っています。
『ラフマニノフのタッチを覚えている楽器
古い楽器なので調子が(定まらない)
時間と共に様々な音色を出してくれるすばらしい楽器だと思う』

これを見てたまらずCDを買いました(正確にはe-onkyoからDL)。
プログラムもほぼ同じなのでライブかと思ったら、これはれっきとしたセッション録音。収録場所も違います。そして肝心のピアノなのですが、残念ながらこれも違う。とはいっても、こちらの楽器も、あのピアノ(1932年製)と同じニューヨークスタインウェイCD135(1925年製)。むしろ、こちらのほうが目鼻立ちがよりはっきりしている。
メジューエヴァさんは、日本の宝もののようなピアニスト。その真正のロシアンピアニズムにいつも魂を奪われる。ラフマニノフを堪能しました。

先日のNHKBS「クラシック倶楽部」にすっかり魅せられしまいました。
その演奏の素晴らしいこと。TV音声ですがピアノの音も素晴らしい。
使っている楽器は、《ラフマニノフが愛したピアノ》。

画面を見ると、傷だらけ。鍵盤を覆わんばかりの大きな手を持ったラフマニノフの爪がぶつかって引っ掻いた痕なんだとか。

その楽器は、アメリカの倉庫で長期間保管されていて、虫食いやひび割れで演奏できない状態。2020年4月 ピアノは日本に運び込まれ、調律師の高木祐さんが 約1年かけて修復。1つ1つの部品が修理され よみがえった。そして、ラフマニノフが弾いていた当時の音を響かせる。

メジューエヴァさんは、こう言っています。
『ラフマニノフのタッチを覚えている楽器
古い楽器なので調子が(定まらない)
時間と共に様々な音色を出してくれるすばらしい楽器だと思う』

これを見てたまらずCDを買いました(正確にはe-onkyoからDL)。
プログラムもほぼ同じなのでライブかと思ったら、これはれっきとしたセッション録音。収録場所も違います。そして肝心のピアノなのですが、残念ながらこれも違う。とはいっても、こちらの楽器も、あのピアノ(1932年製)と同じニューヨークスタインウェイCD135(1925年製)。むしろ、こちらのほうが目鼻立ちがよりはっきりしている。
メジューエヴァさんは、日本の宝もののようなピアニスト。その真正のロシアンピアニズムにいつも魂を奪われる。ラフマニノフを堪能しました。
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