とても小さなスペースのコンサート。



先日聴いた南紫音さんを追っかけているうちに、ここにたどり着いた。場所は、町田市。横浜線成瀬駅から徒歩で5分ほどの街道沿いにある。1階は陶器のお店で陶芸教室などもやっているという。脱サラのご夫婦が経営していて、名だたるトップクラスの演奏家を招いて160回目。




むき出しのらせん階段を上るとドア際にいきなりヤマハのコンサートグランドが置いてある。ちょっと大きめの教室という程度のスペース。100人も入らないだろう。ドアは二重になっていて壁厚も60センチほどもあるが、やはり遮音は完全ではない。床は木のフローリング。壁もごく普通。ところが不思議と余計な響きがない。とてもデッドで音が吸い取られている感じで何も響かない。



少し悪い予感がした。

ところが、いざ聴いてみると不思議と音が痩せていない。録音スタジオのように直接音中心だけれど、芯があってくっきりしている。

南さんも、菊池さんも、小さな空間だからといって容赦しない。初めこそその音圧の大きさとデッドな音響にたじろいだけれど、慣れてくると直接心に感情が飛び込んでくるような距離感の近さに胸全体が共振してきてしまう。

残響がない分だけ音の艶がないけれども、その手触り感がとてもリアル。音が大きくとも破綻がないのはお二人の力量だとは思う。音量ばかりでなく音色の彩の変化のダイナミックスがとてつもなく大きい。



ベートーヴェンの若いソナタは、勇躍とした気負いがあってしかも初々しく、ふたりは寄り添うようにして仲がよい。イザイは何もかもがむき出しで激しく、技巧の具材がぐつぐつと煮え立つようだ。シューベルトの大好きな名曲はさながら鋳鉄のオブジェのようにモダンで色鮮やか。無数の小さな鋼球が転がり出るようにインテンポ。



後半は南さんの勢いあふれる演奏に心沸き立つ思いがした。がっがっと叩きつけるような低弦や、ひゅっと風を切るような高音。まるでスラーの点描画のような印象派的な光と影がただよう弱音器の音色。そういうものが南さんの息づかいとともに迫ってくる。



気になっていたヴァイオリンだが、先日聴いたときよりさらに精悍。同じようにも思えるが違うようにも思える。先日のがガルネリで、今日はモダンかと当てをつけた。



ご本人に伺ってみたら、「サント・セルフィン」というご自身が所有されている楽器。ヴィヴァルディの時代のヴェネツィアの工房で制作されたれっきとしたオールド。しかも、先日も今日も同じ楽器だったそうだ。

大はずれだった。

「違って聞こえましたか?」と南さんも苦笑していた。


未発売のCD。これから店頭に。バボラークのホルンとのデュオでピアノが菊池洋子さん。







アートスペース・オー 第160回コンサート
南紫音(Vn)/菊池洋子(P)デュオ

3月13日(日)午後4時~

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番Op.12-1
イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第5番 作品27-5
シューベルト=リスト:ウィーンの夜会第6番イ長調より
シューベルト:楽興の時第3番ヘ短調D.780-3 op.94-3
シューベルト:即興曲op.90-2

エルガー:朝の歌
ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女(ハルトマン編)
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
ラヴェル:ツィガーヌ

(アンコール)
ドビュッシー:美しい夕暮れ(ハイフェッツ編)
エルガー:愛の挨拶