自粛解除の道筋が見えてきた首都圏の週末。住宅地にもほんのりと日常の息づかいが戻りつつあるといういうように感じます。



中山道の一里塚あたりを横切り、坂を下りていくと大きな沼がある公園があります。



ここは台地の崖下の湧水が水源となっていて、水もきれい。公園はオープンですし、投げ釣りこそ御法度ですが、釣りは自由です。釣り好きなひとにとってはたまらない息抜きの場所のようです。

再び、長い坂道を上っていくと、閑静な住宅地が広がっています。



その道の行き着くところに、東武線の「ときわ台」駅があります。

東武線の駅のなかでも一番好きな駅舎で、駅前のロータリーも昭和の面影が残されていて落ち着いた品格を感じさせます。



昭和10年(1935年)に東武鉄道が開発した「常盤台住宅地」で、しばしば東武線の「田園調布」などとも言われています。むしろ、ご本家よりも静謐な住宅地の品位を保っていて、町並みのそこかしこに町作りにこめられた理想が形として残されているのです。



駅を中心に円形放射状の道路が展開していて、そのプラタナスが植わった道筋はそのまま。一部にはアパート化もされていますが、静謐さは保たれているのです。

線路を渡った環七に近い側は、商店街が密につながっています。板橋区のなかで、中山道(国道17号)と環七(都道318号)、川越街道(国道254号)に囲まれた幹線トライアングル地域ですが、これほど鮮明に町並みの雰囲気が線路ひとつ隔てて違っているのは、ちょっと数少ない例のひとつだと思います。

ここから、川越街道の喧騒をひとまたぎすると、再び、住宅地の静謐が戻ってきます。ここで石神井川に再び出会い、それを上流へと遡っていくと広大な緑地公園があります。



城北中央公園は、板橋区、練馬区にまたがる26万㎡の緑地で、都内屈指の広さの緑地運動公園。その前身は、昭和17年(1941年)に整備された防空緑地のひとつ。都内には、ほかにも世田谷区の砧公園や足立区の舎人公園などが同じ歴史を持っています。つまり、東京の大規模な緑地が確保されたのは戦時体制のおかげでした。軍は用地確保の命令はしたものの具体的な整備には口をはさむ余裕もなく、こうした用地は戦後に引き継がれました。

石器時代の遺跡や縄文・弥生時代の縦穴住居跡も発掘されています。王子もそうですが、石神井川の小高い台地は、豊かな武蔵野の自然があったのだと思います。



石神井川の対岸では、大きな工事が進められています。

都が進めている都市河川の洪水対策工事の一環で、25万立方メートルの巨大な地下調節池を建設するというもの。いわば「地下神殿」の東京都版です。いずれは、環七の直下の地下トンネルを通して神田川とその支流の善福寺川、妙正寺川とも連結され、中間立坑が環七に設置される計画になっています。

石神井川は、この付近でも、相変わらず三面コンクリートの典型的な都市河川。川とも堀とも言えず、せいぜいが水路というべき無愛想な面持ちですが、その周辺は落ち着いた閑静な住宅地になっています。



その川沿いの道をそぞろ歩きのように進むと、やがて、森のような場所へと流れが入っていきます。

そこは「としまえん」。石神井川はその敷地のど真ん中を横断しているのです。



豊島園駅の改札口も、週末なのに閑散としています。

門は今はかたく閉ざされています。東京都の緩和ステップでも、遊園地は最終段階にならないと自粛解除とはならないそうです。



2月ごろに、閉園されてテーマパークに衣替えとなるとの報道が流れましたが、コロナ騒ぎで、その話しの行方もまったく耳にしなくなってしまいました。もともと東京都の防災機能整備とのかけひきがあったのですが、長年親しまれてきたこの遊園地の未来はまったく見えなくなってしまいました。