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時期はずれのミレニアム (小林壱成 ヴァイオリン・リサイタル) [コンサート]

この紀尾井ホール主催の「明日への扉」シリーズについては、公演の時点ではすでに新人ではなく大活躍で名の知れた若手になっていたということを何度も申し上げてきました。

昨年、一昨年とコロナ禍のせいで、公演休止や延期が相次ぎましたが、この「明日への扉」も例外ではありません。そのせいで公演時にはすでに大物ということがよけいに顕著になってきました。前回のフォルテピアノの川口成彦もそうでした。

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今回の小林壱成は、もともとは昨年春に予定されていたもの。その間に小林は東京交響楽団のコンサートマスターに就任してしまいました。在京のトップオケのひとつのコンマスですから、もうすでに明日への扉を開けて立派なキャリアへと歩み出してしまっているというわけです。

プログラムも、サン=サーンスは没後、ピアソラは生誕と、ともにミレニアムを意識しての選択だったのですが、それも今やわざわざそのことを言い訳しなければならないという次第。

一方で、シマノフスキもショーソンも、今どきの新人がデビューリサイタルやCDでよく取り上げる曲。まずはお手並み拝見というところですが、小林はもうすでに卒業という雰囲気がないでもなく、終始、そつの無い演奏。

面白かったのはサン=サーンスのソナタ。

サン=サーンスは、元天才が長じて超保守的な権威になったというところもあって、私も若い頃は退屈なものに感じてしまい敬遠していました。かつて吉田秀和は「なんという安っぽさ、俗っぽさ」「常套手段ばかり」「百貨店の包み紙」(『LP300選』)と散々に言っていて、私も多分に影響されていたのでしょう。それが近年、ちょっとしたブームのような感じで、よい演奏に接することが多くなってきました。まさにミレニアムの作曲家です。

緊密な構成と堅牢な演奏技術とその効果が、小林の持ち味にもマッチしていて、ロマンチシズムの啓蒙思想とクラシシズムの均整美が結びついた、いかにも近代フランスらしい教養を感じさせます。

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ピアノの小澤は、ぴったりと小林の持ち味に合わせて、なおかつ、この多彩なプログラムから、何でもござれと言わんばかりに、それぞれのピアノ・パートの面白さを引き出していて、その何気ない上手さに舌を巻いてしまいます。

後半は、同じミレニアムのピアソラですが、決して場面が大きく転換した感じがなくて、サン=サーンスに通ずる通俗と教養の融和を感じさせます。小林の手にかかると、俗っぽく演奏されがちなピアソラもその根底にある教養が滲み出てくる。あの頃の吉田秀和は、結局、そういう通俗と教養が互いに混ざり合えないと信じていた時代にとどまっていたということでしょうか。

最後のプロコフィエフもそういう小林の特質が出ていたように感じます。プロコフィエフをデビュー間もない新人が盛んにプログラムに掲げる時代になったということに感無量の気分もありますが、同時に聴き手にとってもプロコフィエフがそれほどの聴きづらさを感じさせない時代にもなったのだと気づきます。

「戦後」は遠くなりにけり…というところでしょうか。



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紀尾井 明日への扉30
小林壱成(ヴァイオリン)
2022年2月16日(水) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階 15列18番)

小林壱成(ヴァイオリン)
小澤佳永(ピアノ)

シマノフスキ:ノクターンとタランテラ op.28
ショーソン:詩曲 op.25
サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調 op.75

ピアソラ:ル・グラン・タンゴ(グバイドゥーリナ編)
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ短調 op.80

(アンコール)
ピアソラ:タンゴの歴史より「ナイトクラブ1960」

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