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スクワランオイル [オーディオ]

スクワランオイルが効きます…というお話。

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スクワランというのは、要するにサメの肝油のこと。

もともとサメの肝油から発見されたが、オリーブオイルにも含まれる。抽出したもの(スクアレン)に水素を添加して融点を低めて安定させたものがスクワラン。もともと人間の皮脂にも含まれるから、一般には高級な化粧品とか保湿剤として知られているけど、潤滑性に優れるので工業的には離型剤、潤滑油に使用されている。

これが、オーディオ用途でも接点に塗布するものとして使われてきたことは知る人ぞ知るという話し。接点改質剤というわけです。

いわゆる接点復活剤とは違う。溶剤の類いは一切入っていないし、鉱物油ではない。あくまでも自然由来のもの。これで接点に塗布すると表面の汚れが取れ、接触面が増えて音質が向上するという。

最近になって、金管楽器のバルブの潤滑剤として高品質のものが売られていて、これがオーディオの接点改質剤としても効果があるとの広告を見て捜しまわりました。が、すでに販売中止。どこにも売っていない。品切れで、いまや広告そのものも削除されてしまいました。

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そうしたら、アムトランスが新たに発売したというので飛びついた…というわけです。

深海ザメの良質な肝油から抽出した精製度の高い製品だという。カーボングラファイトの類いの余計なものを入れてごまかしていないことも気に入った。もともとは潤滑剤としての効能が、接点の振動防止とか接面増加に効果があると期待していた。余計なものはないほうがよい。

その効果は…

先ずは上流から始めました。カートリッジシェルとユニヴァーサルアームの接点、フォノケーブル(RCAコネクタ)のアーム側、フォノアンプ入力に試してみたところ、何となく良さげ。

さらにDAC/CDPの出力とプリアンプ入力。次に、プリアンプ出力とパワーアンプ入力へと拡大。何となく音がクリアで音像がリアルになったような気がします。ついには、スピーカーケーブルにも塗ってみました。両端はバナナプラグ。結局、最後のスピーカーの効果が、もっとも効果がありました。気のせいかも知れないけど…。

すっかり気に入って、最後は電源プラグにも塗ってみました。

ちょっと怪談話めくのですが…

商用電源を使っているのはDAC/CDPのGRANDIOSO K1のみ。出水電器のアイソレーショントランスを200V→100Vのダウントランスとして使っています。コンセントは特注のもの。プラグもどちらも無メッキの銅無垢。

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信号系の接点は、無水エチルアルコールと綿棒で定期的にクリーニングしていましたが、まったく抜き差しすることもありませんでした。丹念にサンドペーパーで磨き直してアルコールと綿棒でクリーニングするとかなり黒々と汚れが取れます。最後にスクワランオイルを綿棒でごくごく薄く塗布します。

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すると…

今まで通電するとかなり筐体が暖まるのですが、スクワランオイルを塗った後では、ほとんど冷たいまま。音質がどうのというより、このビフォー・アフターにはびっくり。

実は、買ったばかりの頃は筐体が暖まることはなかったのですが、二~三年たって夏場の室温が上がる季節にはかなり気になるほど暖まってしまうようになっていました。バルミューダのサーキュレーターなどで風をあててたりしていたのですが、今回、それがピタリと収まってしまいました。

まあ、無メッキなので表面酸化しやすい端子を久しぶりにきれいに磨いた効果もあるでしょうから、スクワランオイルだけではないかもしれませんが、これはもう間違いなくプラセボ以上の効果があります。

私は、管球アンプは使っていないので実験はできませんが、一番効くのは真空管のピンではないでしょうか。USBのコネクタなんかでも効果がありそうです。

タグ:スクワラン
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「終わりのない日々」(セバスチャン・バリー 著)読了 [読書]

ハードタッチの西部劇ならぬウェスタン小説。

時代は、日本で言えば幕末、ペリー来航の時代。

1845年のアイルランドの大飢饉、1859年にオレゴンが米国33番目の州に昇格、4年にわたった南北戦争が1865年に終結する。大平原での凄惨なインディアン戦争は最終局面を迎え、丸腰のシャイアン族を襲い男女、子どもの区別なくおよそ150名を殺害したサンドクリークの虐殺は、1864年のことだった。

物語は、アイルランドのジャガイモ飢饉で家族を失い食い詰めてアメリカに渡りミズーリ州に流れつき、食うために志願兵になったトマス・マクナルティの回顧録として語られていく。

トマスは、そこで生涯の伴侶であるジョン・コールと出会う。二人は食いつなぐために戦士となり、インディアンの掃討、南北内戦と、ありとあらゆる殺戮、残虐行為に加担し、飢餓や凍傷、捕虜虐待を生きながらえる。

戦役の合間に、二人の少年はミシガンの石膏鉱山町でダンス酒場で女装して男たちのダンスの相手をしたり、ひげ面の男前になってからは顔を黒く塗って演ずるブラックフェイス演劇の俳優ともなる。

言葉は不衛生で汚物、排泄、血まみれの負傷や病褥の苦痛に満ちあふれ、差別や蔑視、侮辱、卑猥な低俗な口汚さに何のはばかりもない。敵の遺体を損壊し、頭の皮を剥ぐのはインディアンばかりでなく白人兵士の習いでもあった。それが、殺伐たるリアルな描写ともなり、正義も人道も不在な戦争の空虚な実相を露わにする。下層底辺にあったアイルランド人が共に緑のシャムロックの旗を掲げて、南軍・北軍に分かれて最前線で正面対峙するというのは何とも言えぬユーモアさえ感じさせる。

そういう文面でありながら、心地よいリズムと響きがあって詩的であるとさえ言える。野蛮で野卑で美しい韻律に満ちている。アイルランドを代表する現代作家としてカズオ・イシグロらの絶賛を浴びているというのもよくわかる気がする。

トマスは女装を通じて自分のアイデンティティに目覚めていき、ジョン・コールと婚姻の契りを交わす。酋長の姪で、虐殺の現場で救い出したウィノナは、この同性の夫婦の娘となる。ウィノナは、劇場の詩人・劇作家の黒人の老人の手ほどきを受けて知的で美しい少女に育つ。同性夫婦と蛮人の養女という三人家族は、南部州のテネシーに逃れる。そこでは奴隷を解放したがために木に吊された父親の農場を引き継いだ戦友が待っていたからだ。

とにかく終始、波瀾万丈。

約束の地でのしばしの安息の日々もすぐに破られる。終末に向けてのどんでん返しの連続は、さながらスピードの落ちないジェットコースターで息もつかせず一気読みした。

すごい文学があったものだ。

翻訳もたいへんな労作。


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終わりのない日々
セバスチャン・バリー 著
木原善彦 訳
白水社
2023/6/2 (新刊)

DAYS WITHOUT END
Sebastian Barry
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クァルテット・エクセルシオ (浜離宮ランチタイムコンサート) [コンサート]

クァルテット・エクセルシオは、川崎・鶴見のサルビアホールでのショスタコーヴィチを聴いて、思わず興奮してしまうほどの感銘を受けました。

サルビアホールというの100人ほどの音楽専門小ホール。駅前の公民館風のビルの中の質素で何でもないような小ホールですが、響きはとてもリッチで弦楽四重奏にはこれ以上のヴェニーはない。もう奇跡とも言えるほどのホールです。

果たして他のホールとはどの程度違うのだろうか?弦楽四重奏の濃密でエネルギッシュな響きは、ほかのコンサートホールではどうなのだろうか?――そういう興味でこのコンサートに足を運んだというのが正直なところです。

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モーツァルトの序曲の弦楽四重奏版。プログラムには編曲者のクレジットがありません。チェロの大友さんのトークでは、かつてはオペラも室内の小規模なしつらえで私的に楽しまれたことも多かったのだとか。かといってこの編曲がモーツァルトのオリジナルかというとそうではないようです。

後で調べてみると、オーストリアの修道院に保管されていた18世紀末に書かれた編曲者不詳の弦楽四重奏版の総譜があるそうです。おそらくその楽譜を用いたのでしょう。いずれにせよ、プログラムにこうしたことがひと言も書かれていないのはどうかと思いました。

二曲目は、同じくモーツァルトの「不協和音」。ハイドンを思わせる作曲技法上のエスプリを感じさせ、音楽的には古典的な生真面目さが際立ちます。「フィガロの結婚」序曲もそうですが、聴き慣れた曲を聴く楽しさはありますが、どこか平板で新しい発見とかわくわくするような生演奏らしいスリルはありません。

そのことは、シューベルトの「断章」でも同じ。曲想にはどこかロマン派を飛び越えて、いきなり二十世紀に突入するようなモダンさがありますが、そういうものを聴く戦慄とかテンションが不足してしまいます。

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楽しかったのは後半のメンデルスゾーン。いかにも早熟の天才メンデルスゾーンらしい、造形上の調和があって耳なじみがよい。聴き手にとっても何の予見を求めないからこそ、その音楽の協和的な楽想が気持ちよく流れていきます。もしかしたら、常設四重奏団としてベテランの域に達したエクセルシオの美質はこういうところにあったのかもしれません。

このホールは、中規模の室内楽向け会場としてよい音だとは思いますが、必ずしもトップクラスだとは思えません。ピアノ独奏や、器楽ソロには向いていますが、ハーモニーの響きは今ひとつという気がします。やはりサルビアホールの弦楽四重奏というのかなり特別なものだということなのでしょう。

アンコールがとてもよかった。

グレインジャーは、イギリスの作曲家。とはいえ生まれはオーストラリア、帰国して頭角を現しますが、第二次世界大戦勃発とともにアメリカに移住。有名な「戦士たち」はシカゴのリリックオペラハウスで初演されています。

「岸辺のモリー」は、アイリッシュの調べと響きのなかにリズムや旋律線が面白く交代し絡み合うところが、とても小粋で心地よい。作曲者自身が、弦楽オーケストラや吹奏楽に編曲していてCDではこちらが人気でオリジナルの弦楽四重奏は珍しい。後年、クライスラーがヴァイオリン独奏用に編曲していてこれもCDがあるようですが、作曲者自身はこの編曲を酷評し嫌っていたそうです。集団で踊るアイリッシュダンスのステップのようなリズムのテクスチャがまったく失われてしまうからでしょう。

それにしてもいかにもベテランらしい選曲でした。




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浜離宮ランチタイムコンサートvol.229
クァルテット・エクセルシオ
2023年8月17日(木)11:30
1階12列14番

クァルテット・エクセルシオ
西野ゆか、北見春菜(ヴァイオリン)、吉田有紀子(ヴィオラ)、大友肇(チェロ)

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492(弦楽四重奏版)
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K. 465「不協和音」
シューベルト:弦楽四重奏曲 第12番 ハ短調 D 703「四重奏断章」

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12

(アンコール)
パーシー・グレインジャー:岸辺のモリー
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「白鶴亮翔」(多和田葉子 著)読了 [読書]

ドイツで一人暮らす日本人女性の何気ない身の回りの隣人たちとの日常の交流を綴ったエッセイ風の私小説。

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作者の多和田葉子さんは、大学を卒業後、およそ40年にわたってベルリンで暮らしていて、日本語とドイツ語の二つの言語で小説の執筆を行っていて、作品は多くの言語に翻訳され紹介されている。だから、よけいにそのように見える。

…が、読み進めるほどに、そうではないとわかる。軽快なさりげない文章は、それでいて実に巧みで読みやすく、しかもリアルで含蓄や示唆に富んでいる。

主人公・美砂は、ふとしたことから太極拳スクールに参加します。ベルリンで東北(旧・満州)出身の中国人に習う。生徒たちは、南アメリカ人のカップル、ロシア人、イギリスの大学を出たフィリピン人と出自は様々。

美砂は、ドイツ文学研究の夫の留学に伴ってドイツに来たけれども、夫の帰国には従わずドイツに残る。ベルリンに定住している美砂の周囲の登場人物もほとんどがドイツ人以外の異国人。

ドイツ人と言えるのは、女友達のスージーと隣人のMさんぐらいのもの。そのMさんも、戦後に東プロイセンから移住してきた故郷追放者。Mさんというのは、最初の自己紹介で名前を聞き取りそびれ、かろうじて聞こえたイニシャルで呼んでいる。ドイツ人といっても微妙で希薄。

Mさんとの会話を重ねていくうちに、そういう異邦人たちがそれぞれに抱えるものが次第ににじみ出てくる。主人公が手すさびに翻訳するクライストの短編「ロカルノの女乞食」や、映画「楢山節考」や谷崎潤一郎などの古典的名作が、無理解や差別、分断や復しゅうの暗喩となって不吉さを醸し出す。一見、軽やかに進む文章の生地をこういう縦横の糸がびっしりと裏打ちして揺るがない。

過去の歴史や体験を背負う異邦の男女は、分断よりも互いに関わり合うことで優しく温和になれる。別れた夫は、美砂がドイツで見違えるように活発になって社交の場に溶け込むことをよく思わなかった。「発音だけはいいね」とそういう妻をくさすようなことを口にする。自分は壁に重たく張り付いているくせに、家に帰るとあれこれと饒舌になる。

白鶴亮翅(はっかくりょうし)とは、太極拳の型のひとつ。前後に両腕を真っ直ぐに広げる姿態が、翼を広げる鶴のようになる。太極拳は、呼吸を整え身体的なバランスと健康を得るものだが、基本は武術であるという。白鶴亮翅は、前方だけでなく後方からの敵にも即座に反応できる形だという。

この白鶴亮翔が、ドストエフスキー「罪と罰」と結びつき、見事なまでのエンディングとなる。

ロシア人女性アリョーシャは、成金未亡人で若いベンチャーに投資している。金を貸し与えている若い燕に不意に背後から襲われるが、習い憶えた白鶴亮翔のおかげで襲撃をとっさに避けることができた。「罪と罰」は、青年ラスコーリニコフが殺人の罪を犯すところから始まる。殺した高利貸しの老婆の名前がアリョーシャだったのです。この小説では、青年の罪を未然に防ぐことで終結となるというわけです。

もともとは朝日新聞に連載されたもの。その連載開始がロシアによるウクライナ侵攻と同時だったというのは決して偶然ではないだろうと思います。そこに作者の並々ならぬ洞察力を改めて感じるのです。

村上春樹にノーベル賞を期待する向きには気の毒だけれど、いずれは、多くの人がこの人の作品を慌てて読むことになるかもしれません。そうならないためにも、この最新作をおすすめします。



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白鶴亮翅(はっかくりょうし)
多和田葉子 著
朝日新聞出版
2023/5/8 新刊
タグ:多和田葉子
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1800年ブルク劇場 (石上真由子/アンサンブル・アモイベ) [コンサート]

ヴァイオリニスト石上真由子さんが主宰するアンサンブル・アモイベの演奏会。

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石上さんの名前を知ったのはつい最近のこと。京都を拠点に活動しておられるようで、東京では縁が無いのかなと思いつつググッてみると何とトッパンホールでのアンサンブルコンサートがある。それでさっそく予約してみたというのが今回の出会いとなりました。

全席自由席。――その割にチケット代はまとも。予約はネットで、QRコードのチケットレス。今風の手作り感満載のコンサートマネジメント。

自由席というのは、メリット/デメリット両面あるが、メリットは何と言っても自由人の優位性を活かして良い席がゲットできること。1時間前の開場時間以前に列に並んで、前方の中央席をゲットしました。蛇足ながら、久々にトッパンホールの音の良さを満喫。こういう中小規模のホールでは、平面で天井との距離が保てる前方席と傾斜が始まる後方席とでは雲泥の差があります。トッパンホールは、良いホールですが、音響と視界の良い範囲が小さすぎる恨みがあります。

プログラムは、いたってシンプル。

ベートーヴェン・オンリー。しかも、あの七重奏曲とその編成に合わせた編曲版の同交響曲第一番のみというもの。七重奏曲とハ長調交響曲は、ともに作曲者初期の傑作で、1800年、ウィーンのブルク劇場のアカデミーで初演されました。現在のブルク劇場は、演劇用の劇場として移設されたもの、しかも第二次大戦で破壊、戦後に再建されたもので、まったくの別物というのは、音楽評論家・奥田佳道さんのプレトークで初めて知りました。

前半の交響曲第一番。個人的には高校時代のオーケストラで散々練習したので、ベートーヴェンの交響曲のなかではいちばん愛着のある曲。編曲が巧みでまったく違和感がなくて、実に闊達な演奏、個人技の巧みさが大炸裂でした。何しろメンバーは、いずれも一級のソリスト、トップオーケストラの首席クラスの達人ぞろいです。

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後半のアンコールでの石上さんのヴァイオリンの妙技にも感服。後半に演奏される七重奏曲のテーマによる即興曲のそのまた即興的演奏ということだそうで、石上さん自身の委嘱による新作。フラジオレットへの飛躍など細かいことを言えば多少の疵も耳につくのですが、音楽の流れとか躍動が聴いていてワクワクするほど素晴らしい。

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後半の七重奏曲が、これまた素晴らしかった。

実演はあるようでないような曲。その昔、FM放送のクラシック番組のエンディングテーマで耳なじみになり、よく聴いてきた曲ですが、レコード、CDとなるとバリリらウィーン・フィルメンバーの古いモノラル盤しか持っていません。初演当時に大人気の曲となり、この曲ばかりがもてはやされるので、かえってベートーヴェンが嫌がったというエピソードも、今回、実演を聴いて納得です。スリリングで粋なエスプリが効いていて、こんなにベートーヴェンが楽しいとは!と大発見でもしたような気分です。作曲技法も練達で、これを聴くと前半の交響曲は編曲版だけにちょっとバタバタしているところもあったなぁと思うほど。

中央で大活躍のコントラバスの幣 隆太朗さんは初めて。その縦横無尽ぶりにはたまげました。SWRシュトゥットガルト放送交響楽団の首席として活躍されているのだとか。ドイツ公共放送局オーケストラというと、すぐに河原泰則のお顔が目に浮かびます。シュトゥットガルトとケルンの違いとはいえ、こんな素晴らしい後継者がいたのですね。

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翌日の京都公演は、台風のために中止。新幹線に飛び乗る予定だった石上さんのトークはとてもつらそうで、会場全体もちょっとうるうる。でも、そのおかげをいただいて時間の余裕ができて、モーツァルトのジュピター交響曲まで聴かせてもらった東京の聴衆の僥倖はこの上ないものとなりました。



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Ensemble Amoibe vol.60
- ベートーヴェン 七重奏曲 -
2023年8月14日(月) 19:00
東京・文京区 トッパンホール

石上 真由子(ヴァイオリン)
篠﨑 友美(ヴィオラ)
上村 文乃(チェロ)
幣 隆太朗(コントラバス)
アレッサンドロ・ベヴェラリ(クラリネット)
長 哲也(ファゴット)
福川 伸陽(ホルン)

ベートーヴェン:
交響曲 第1番 ハ長調 作品21 (七重奏編成版 [編曲:内門卓也])

七重奏曲 変ホ長調 作品20

(アンコール)
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調「ジュピター」より 第一楽章

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