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「ロスチャイルドの女たち」(ナタリー・リヴィングストン 著)読了 [読書]

ロスチャイルドといえば金持ちの代名詞とも言うべき家系で、知らぬものはいない。

ヨーロッパの政治や経済を大きく動かしてきた一族の毀誉褒貶の歴史は、当然のことながら多くが語られてきたが、その血統と閨閥に連なる女性たちのことはまったく語られることがなかった。

本著は、ロスチャイルドの女たちが書いた日記や手紙や論文などを発掘し丹念につなぎ合わせて、いわばヨーロッパ近現代の歴史の意外で興味深い実相を見事に浮き彫りにしている。

実に面白い。

そもそもロスチャイルド家は、フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)の勤勉だけが取り柄のような家族から始まった。「ロスチャイルド」は、ゲットーの住居の通称「赤い盾(ロートシルト)」に由来する。古銭業から出発して、やがて宮廷貴族への両替・貸付で取り入り銀行業へと成り上がっていく。始祖母グートレは長寿だったが、ユダヤ人の居住が自由になり、一族が巨万の富を築いてもゲットーの家を離れなかった。

その勃興を支え家計を取り仕切った偉大な母グートレに遺されたのは、棲む家だけ。糟糠の妻であろうと、女には一切遺産を相続させず、死後に経営に口をだすこともまかりならないというのが夫の遺言であり、これがロスチャイルド家の家訓となる。家財と会社は、長男のみに継承させる。婚姻は、厳格にユダヤ人名家かもしくは一族に限られ、政略で決められる。そのためには従兄弟や叔父姪などの近親婚も厭わない。それもこれも、家系の結束を固め資産の分散を防ぐため。女は家具か道具のように見なされた。

そうした男尊女卑は当時の社会常識でもあった。それに対する女たちの鬱屈や不満、抵抗と反抗、反逆を心中に抱えながらも、進取の気性はとどまるところを知らない。期待通りにヨーロッパ各地に拡がる一族のかすがい役を果たし、社交界では政財界に強力な人脈を築き、夫の政治的野心を後押しして選挙基盤を築いていく。男たちは反ユダヤ主義を克服し国会議員の地位や貴族の称号を得るが、それを実現させたのは女たちの力だった。

ヴィクトリア朝の絶世期を迎え、社会的にも進取の気風に溢れていたイギリス社会で、女たちが積極的に推進したのは一族のためだけではない。選挙権の拡大、特に女性参政権にも積極的な論陣を張る。さらには、貧困対策や公衆衛生面にも取り組み、同性愛者への法的差別撤廃をも主張している。

女たちが後押ししたのは、祖地パレスチナにユダヤ国家を建設するというシオニズム運動。

本来、ロスチャイルド家を始めとするユダヤ系保守層は、近代国家への同化を推進する立場だったから、イスラエル国家建設を目指すシオニズムには反対だった。しかし、ロシアでの19世紀末以来のポグロム(ユダヤ人迫害)の激化背景にシオニズム支援へと転換させ、ついには最後の砦だった外務大臣バルフォア伯爵の同意を勝ち取ったのも女の力だった。バルフォアの公開書簡は、ダブルスタンダードの矛盾をはらみながらも、ヒットラー政権の成立で行き場を失い命を落としたユダヤ人への同情が募るとともに、ついには外交公約と見なされていく。

さすがに、スーパーリッチの女たちの活力、行動力はスケールが違う。

彼女たちの活躍、足跡をたどっていくと、ヨーロッパの近現代の歴史が、型どおりの教科書的なものとはまるで違って見えてきて、生々しく血の通ったものに感じられてくる。反抗や反逆、対立はあっても、親族同士の暖かい愛情あふれた絆は、やはり、女性だからこそのもの。しかも、戦争や人種・性差別など今に通じるテーマがちりばめられていて、とても今日的。

残念なのは翻訳。

ただでさえ登場人物が多く、その日記や手紙の片言隻句を頻繁に引用し、イギリス人好みのひねった書き方で読みにくいのに、それを工夫もなく直訳するので読みにくいことこの上ない。人名索引も欲しかった。何とか我慢して読み進めることができたのは、とにかく内容が面白いからに他ならない。

ぜひおすすめしたい。


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ロスチャイルドの女たち
ナタリー・リヴィングストン (著), 古屋 美登里 (翻訳)
亜紀書房
2023年11月4日 初版


THE WOMEN OF ROTHSCHILD by Ntalie Livingstone
The Untold Story of the World's Most Famous Dynasty

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マーラーの最後の言葉 (インバル/都響 マーラー・シリーズ) [コンサート]

またしてもインバルが都響でマーラーを振る。しかも第10番。いくらかくしゃくとした指揮振りといえども88歳のインバル。そのマーラーを聞き逃すのは悔いが残るかも知れない。そう思うと矢も楯もたまらず足を運びました。

10番は、しばらく前までは、どちらかと言えばまがいものという印象。まさか、メジャーの実演で聴けるとは思ってもいませんでした。未完の遺稿は、作曲者自身が破棄するように言い遺していたそうですが、妻アルマが遺品として所有していたものから様々な補筆の試みがされてきました。その中で、近年、クック補筆版が定稿として定着してきているようです。

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プログラムに寄せたインバル自身の寄稿によると、BBC響で演奏する際にクックがリハーサルにも立ち会い、意見も交わしたとのこと。クックはそれをふまえて改訂版(第3稿第1版)を出版したとのこと。いわばインバルは、このクック版の権威者というわけです。そのことを初めて知りました。

演奏は、マーラーにしては淡々としたもの。

とはいえオーケストラの緊張はこちらにも伝わってきます。最初の開始のヴィオラは、思いのほか冷静な運びでマーラーの終末的な感情からは距離をとったもの。そういう清澄な底流に次第に音を積み重ねていく。ふたつのスケルツォの大きな回想的感情の動揺や起伏も、それに挟まれて突如として覚醒し感情を爆発させる中間楽章も、音楽としては自制と抑制の効いたもののように感じました。

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感動的だったのは終楽章。

インバルは、最後の最後にクライマックスを持ってくるというストーリーを描いていたのでしょうか。曲の終末は、まさにマーラーの遺された言葉。現世の感情をすべて呑み込むようなの大海のようであらゆる情感を湛えていて、万感の思いを超越していて、とても美しいものでした。

特に、バスドラムの打撃音が一段落した後のフルートの旋律には陶然。都響のフルートってこんなに凄かったかしらと思ったほど。そう思ったとたんに、それまでの演奏が急に回帰してきて、この場面まで何となく聞き流していた都響のソロイストのレベルの高さに思いを噛み締めるような心地がしました。

久しぶりに芸劇でオーケストラを聴きましたが、可もなく不可もなくというホール音響は相変わらず。リニューアル後は何となく名ホールらしい風格も感じるようになりましたが、音響のキャラクターはとても地味。1階席の前方は、ステージの奥が狭まっていて壁面や反響板で上下左右を囲むという古臭さのせいなのかステージ後方の楽器の音色や響きが不安定。それでも後半になってアンサンブルの密度が上がってくると音の芯がしっかりして、弦楽器の色彩にも強さが増してきます。その点でも、終楽章の音楽的集中度が素晴らしかった。

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この日は、ヴィオラ首席の店村眞積さんの最後の演奏でした。店村さんは、長くN響の顔だった名ヴィオリスト。都響に移籍したときは驚きました。いってみればオーケストラ奏者のキャリアは、N響が上がりという時代。そういうキャリアのすごろくみたいなものをひっくり返したひと。サイトウ・キネンや水戸室内管の常連でもあったから、そういう逆転によって、それまで不安定だった都響の格付けが上位定着するきっかけだったような気さえします。それだけに、退団と聞いて感無量のものがあります。インバルのマーラー第10番は、その引き際をいっそう引き立てるものでした。

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感動とか印象という点では多少とも薄いものがありましたが、長く記憶に残るコンサートでした。



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東京都交響楽団
第995回定期演奏会Cシリーズ
【インバル/都響 第3次マーラー・シリーズ①】
2024年2月23日(金・祝)14:00
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階G列 10番)

指揮:エリアフ・インバル
コンサートマスター:矢部達哉

マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(デリック・クック補筆版)

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少年のような哲学者 (本堂竣哉-ピアノ) [コンサート]

久々に「明日への扉」シリーズにふさわしい新人の登場でした。

紀尾井ホールの会報「紀尾井だより」に片桐卓也氏がこんなことを書いています。

『明日への扉シリーズを聴く楽しさは、才能の発見だけではなく、その才能が次にどんな扉を開けようとしているか、扉への彼ら彼女らのノックの音を聴き取る点にもある』

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本堂俊哉のノックの音はさして大きくない。

とても真っ直ぐで折り目正しい。むしろ、真っ当過ぎると言ってよいほど。ところが、不思議と鼓動が高まる。いったいこの人はどんなピアニストになるのか?将来が楽しみなどという美辞麗句ではない。どうしても解答を見てみたい謎がけ…のようなものを見た興奮でいっぱいでした。

イギリス組曲のなんと鮮度の高いこと。叙情味にあふれた演奏。

もともとチェンバロの曲ですが、特に第3番は、よくピアニストが取り上げる曲。本堂は、ピュアで透明度の高い音色で叙情豊かに歌い上げます。丁寧でよく考えられているペダルワークがとても印象的。ピアノによるこの曲の演奏としては、均整がとてもよく整えられていて、繰り返しの装飾も工夫と節度がよくバランスが取れています。サラバンドでの繰り返しでは、バッハ自筆の装飾譜を弾いていて、これもピアノ演奏として綺麗な息づかい。ちょっぴり残念だったのは、ガヴォットⅡのドローン(バグパイプのような持続音)がよく聞こえなかったこと。

後半の《ハンマークラヴィーア》は、新人離れした快演でした。

この曲はいわばベートーヴェン晩年の金字塔とも言うべき大曲――そういう刷り込みがあるから、第一楽章の冒頭の第一主題に思わず触れ伏して畏怖の念が先立ってしまい長い曲だけになかなか気持ちが入っていかない。スケルツォの異形ぶりは度を越しているし、アダージョはあまりに長い。最後の韜晦なフーガにはただただ畏れいるばかり。

本堂は、第一楽章こそやや重たかったけれど、スケルツォはずっと軽く、聴き手を翻弄するような諧謔味と自由奔放な解放感あふれるもので、アダージョの瞑想もずっと清新で若々しい。最後のフーガも、今話題のアニメ「君たちはどう生きるか」を想起させるような清々しい感性あふれるもの。前半のバッハからしてそうですが、とにかくこの青年の対位法、多声部奏法の技巧の高さには舌を巻くほど。

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最初の「前奏曲とフーガ」は、あまりピンと来ませんでした。

長大な曲ですが、もともとバッハのなかではあまり馴染みのない曲かもしれません。もともとは「クラヴィーア練習曲集」第3巻にある曲。オルガン用の曲集と言われていて、その巻頭の《前奏曲》と巻末に置かれた《フーガ》をひとつにして、ブゾーニがピアノ用に編曲したもの。

コンサートの後で、プログラムを読んでみると本堂は、最後のロマン主義ピアニストと言われるフェルッチョ・ブゾーニらしさをそのままに表出するという決意をもって取り組んだとのこと。なるほど、新古典主義への過渡期でもあったブゾーニのバッハ偏愛には、どうしてもつきまとったロマンチシズムの色彩がそのまま感じられる編曲。白黒時代の名作映画にデジタル技術で彩色を施すような違和感がどうしてもつきまといます。それが実は、確信犯だったとわかって納得でした。

このプログラムの解説文も本堂俊哉自身によるもの。

その解説がちょっと図抜けたもので教えられることが多くありました。しかも、ブゾーニ編のバッハへの意識など演奏者としてのねらいや思いも抜け目なく忍ばせていて、しかも、よくまとまっています。これもちょっと新人離れした、プロデュース力だと感心しきり。

最後のあいさつトークもちょっとぶっ飛びでした。

いささか硬直的なステージマナーにずっと見えていて、マイク片手にちょっと固まった姿勢から、型どおりの感謝の台詞が出てくるものと思っていたら、いきなり…

「なぜ私は音楽を演奏するのか?それは…」

と来て、会場はどっとどよめきました。

本堂によれば、それはふたつあって、ひとつは「真実の追究」、もうひとつは「魂の救済」なんだとか。おまけに、タルコフスキーの映画の哲学めいた話しもひとくさり。渋谷のBunkamuraで上映中だからぜひ観るべしと勧められて、これには聴衆もちょっと苦笑。こんなあいさつトークも、「明日への扉」始まって以来のことで前代未聞のことに違いありません。

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ちょっと小柄で、その童顔に似合わぬ老成したもの言いのギャップ感は、警視庁の老練な刑事たちをもタジタジとさせる、高校生名探偵を想起させます。

いったい、将来、どんなピアニストに成長し、私たちにどんな新しい扉を開けてくれるのか、ちょっと計り知れないところのある新人ピアニストの登場です。





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紀尾井 明日への扉38
本堂竣哉(ピアノ)
2024年2月22日(木) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階 17列3番)

本堂 竣哉(ピアノ)

バッハ/ブゾーニ:前奏曲とフーガ 変ホ長調《聖アン》BWV552
バッハ:イギリス組曲第3番ト短調 BWV808

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 op.106《ハンマークラヴィーア》

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「日本のクラシック音楽は歪んでいる」(森本 恭正 著)読了 [読書]

日本の西洋音楽受容を一刀両断。日本のクラシック音楽ファンをすべて敵に回すような論調は、SNSで言うところの「釣り」手法、あるいは「炎上」商法とでも言うべきでしょうか。

そういう私も、ネットで話題になっているのを見て、まんまと釣り上げられて手にしてみたクチ。ただし、この著者には、10年前に同じ光文社新書で「西洋音楽論」という良著があって、作曲家・指揮者としてヨーロッパで活動してきた自身が西洋音楽の本質に覚醒していく経験を率直に語っていて、優れて啓蒙的なものでした。

というわけで、まずは著者の言い分を勝手に要約してみると次のようなものだと受け止めました。

批判1 戦前・戦後を通じて権威的存在だった井口基成が技術主義の元凶

批判2 明治の音楽教育は、本質を欠いた表面的な西洋音楽移植による機械論

批判3 明治政府の西洋音楽導入は、伝統邦楽の否定と軍事教育

批判4 日本人はダウンビート体質 アップビートを理解しない

批判5 西洋音楽は暴力的で平和志向の邦楽と相容れない

批判6 西洋音楽は階級社会的で資本主義・拡大主義

批判7 吉田秀和は、戦中内務省検閲に関わった権威主義者

批判8 楽譜に表記されていない音楽を再現発想する素養の欠如

批判9 日本人はフレージングが不得手(歌えない)

批判10 日本人の演奏は四角四面でスウィングがない

批判11 日本人は絶対音感偏重で相対音感が身についていない

批判12 コピーや既存知識ベースを組み合わせた最適解では創造はできない


多くは、かなり以前から言い古されてきたこと。著者自身、前著の使い回しというところもある。21世紀の現代、世界的に活躍する日本人作曲家、演奏家も多い。日本的な音楽伝統や美意識についての理解や共感も高まってきていて、日本文化に対する異国趣味一辺倒の好奇趣味的な視線はもはやほとんどない。それは決して著者の言うような西洋音楽(文化)の侵略支配とはいえないとも思います。その意味でも、著者の偽悪的な口調は、いささか時代錯誤なのではないでしょうか。

とはいえ、的確な指摘は多々ある。書きようによっては、クラシック音楽入門あるいは再入門として面白く読めるところも豊富にあったはず。学術的なささいな間違いで揚げ足をとられたり、吉田秀和批判などに拒否感を抱かれてしまうのは、編集部のそそのかしに安易にのってしまった著者の不徳の致すところというべきなのかもしれません。

もったいない。




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日本のクラシック音楽は歪んでいる
12の批判的考察
森本 恭正 (著)
光文社新書
タグ:森本 恭正
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バッハの楽器博物館 (大塚直哉レクチャー・コンサート) [コンサート]

大塚直哉さんのレクチャー・コンサートは、もともと与野本町の彩の国さいたま芸術劇場で開催されていましたが、改修工事で休館中は浦和の埼玉会館小ホールで行われています。

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この埼玉会館はとても歴史のある施設で、初代の建物は昭和天皇のご成婚を記念して計画されましたが、関東大震災による一時中断を乗り越え大正末年に竣工します。日比谷公会堂に先んじての開館でした。現在の建物は二代目で、上野の東京文化会館や神奈川県民音楽堂、京都のロームシアターと同じ、昭和のモダニズム建築の旗手・前川國男の設計。大ホールは音響の良いことで知られています。

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小ホールは初めてですが、さすがに設計の古さは否めず、残響が短くステージはドライで座席側がライブなアコースティック。講演会などには向いていますが、クラシック音楽の小ホールには向いていないようです。ましてや、音量の小さな古楽器には不向き。それでも満席の皆さんは、実に静かに耳を澄ませておられます。

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今回は、バッハの楽器博物館と題して、バッハの名曲をバロック時代の様々な古楽器で弾き分けて聴いてみようというもの。

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いろいろな楽器を演奏するのですが、ヴァージナルなどは極小の音量。いわば小型チェンバロと言うべきものですが、バッハは家庭での練習用に使用したとのこと。何しろ家族が寝静まっていても練習できるようにと家庭に置いていた楽器。弦は縦ではなく横に張っていてコンパクト。蓋は自分だけに聞こえるように立てられる。だから、大塚さんが演奏するのは後向き。それでもやっと聞こえるかどうかの音量です。まさに耳を澄ませて聴き入ったわけです。なお、この楽器は、埼玉県在住の久保田工房で製作されたものだそうです。

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リュートも小さな音量の楽器。二本ずつ13対の弦が張られている。つまり13弦とはいわず13コースなどと呼ぶ云われです。その繊細なこと。バッハは、リュート向けと指定しての作曲はしていませんし、よくリュートで演奏される曲であっても運指面ではほぼ不可能とも思えるほどの無理難題の曲ばかり。初めて演奏を目の当たりにしましたが、佐藤亜紀子さんの演奏は、とても優雅で繊細極まりない音色ですが、フーガなどはもうパズルを解いているかのような感じで唖然とさせられます。

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一方で、とても音量が大きいのがオーボエ属。尾崎温子さんは、何台もの楽器を持ち替えてその音色を披露。特に、オーボエ・ダカッチャはカンタータや受難曲など声楽作品でしかお目にかかれないので、目の前で演奏されるのは希少な経験。実は、マタイ受難曲などでもわずかな休符の間に持ち替えるところがあって、演奏者にとってはまさに受難の曲なのだそうです。

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バッハの音楽としては、これまた滅多に聴くことがないのがヴィオラ・ダ・ガンバ(英:ヴィオール)です。16世紀から17世紀にかけてのイギリスでは、コンソートといって弦楽四重奏のように盛んに演奏されました。けれども、たいがいは通奏低音のひとつとして参加する地味な存在で、バッハの室内楽で演奏されることは希少だと思います。最後のアンサンブルでは、トレブルという高域楽器を演奏されました。ヴァイオリンほどの小さサイズなのに、ガンバの名の通り両足に挟んでの演奏です。

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演奏された森川麻子さんは、生で接するのは初めてですが大変な名人で驚きました。長年、イギリスに在住し、“FRETWORK”という世界的なコンソートグループの一員として活動されてきたそうで、日本ではその名を知ることができなかったわけだと納得しました。

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森川さんが参加した演奏のCDで比較的入手が容易なのは、浜松市楽器博物館のコレクションシリーズのひとつである「ヴィオラ・ダ・ガンバ・コンソート」だと思います。ここで演奏しているザ・ロイヤル・コンソートは、森川さんら巨匠ヴィーラント・クイケン氏に学んだ3人が中心となって結成されたグループ。単なる博物館土産ではない、大変な名演・名盤です。

一昨年に帰国、現在は東京芸大の講師もされているとのこと、今後はその演奏に触れられる機会も多くなると期待が膨らみました。



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大塚直哉レクチャー・コンサート in 埼玉会館
Vol.2 J.S.バッハの楽器博物館
2024年2月11日(日祝)14:00~
浦和市 埼玉会館 小ホール
(1階 3列13番)

大塚直哉(ポジティフ・オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、お話)

ゲスト:
尾﨑温子(バロック・オーボエ、オーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダ・カッチャ)
佐藤亜紀子(バロック・リュート、テオルボ)
森川麻子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

J. S. バッハ:
【鍵盤楽器】
「平均律クラヴィーア曲集第2巻」より〈第3番 前奏曲とフーガ 嬰ハ長調〉
コラール“ただ愛する神の力に委ねる物は”
小プレリュード ハ長調

【リュート】
前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調

【オーボエ】
カンタータ第156番“わが片足は墓にありて”
オーボエとチェンバロのためのソナタ ト短調


【ヴィオラ・ダ・ガンバ】
ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番 ト長調

【声楽作品の中で活躍する楽器たち】
★カンタータ第1番“暁の星はいと麗しきかな”
 3.アリア ‘満たせ、天なる神の炎よ’より
★ミサ曲 ロ短調
 10.アリア‘父の右に座したもう者よ’より
★マタイ受難曲
 20.アリア‘私はイエスのそばで目覚めていよう’より
 57.アリア‘来たれ、甘い十字架よ’より
★ヨハネ受難曲
 19.アリオーソ‘思い見よ、わが魂’

【バッハ家の音楽会】
カンタータ第76番“天は神の栄光を語り”
ヨハネ受難曲
 30.アリア‘事は成就された’
カンタータ第187番“ものみな汝をまてり”
 5.アリア‘神はすべての命を与えたもう’

(アンコール)
カンタータ第106番“主よ、汝のしもべを裁くことなかれ”
 3.アリア‘何と震えて揺らぐことか’

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若いクァルテット、シューベルトに挑戦する(プロジェクトQトライアルコンサート) [コンサート]

プロジェクトQというのは、若いクァルテットの発掘と育成を目的としたクァルテット振興運動。

トップオーケストラのメンバーも、どんどんと積極的に室内楽アンサンブルに参画するようになりました。副業奨励の働き方改革の先鞭をつけるような音楽界の動きでしたが、ウィーン・フィルなどは古くからそういう仕組みがあって、室内楽でアンサンブルを磨き音楽性を高められると、むしろ奨励されてきたこと。ついにその潮流は若いひとたちの育成現場にも及んできたというわけです。

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参加する若いクァルテットは、「マスタークラス」を受講し、本公演の1か月前に「トライアル・コンサート」を経験した上で「本公演」に臨むという3つのプログラムを通し、約半年間で1つの作品に向き合う。私たちは、そのひとつひとつに聴衆として、つぶさに接することができるという仕組み。

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会場は、東京音楽大学の中目黒・代官山キャンパス。池袋キャンパスは、何度かマスタークラスなどに出かけていますが、こちらは初めて。池袋と同じようにとてもモダンな建物で建築関係の賞ももらっている。

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音楽ホールも、池袋に負けず素晴らしいホール。どちらも街中の音楽ホールもたじたじといった本格的なものですが、こちらは木組みのデザインがアイキャッチの素敵な内装。見るからに音は良さそう。座ったとたんに音楽に集中できる――そういうクリーンな響きのホールです。

1組目のクァルテット・テネラメンテは、若いシューベルトの第9番。

古典美のなかにロマンチックな情感の新鮮極まりない萌芽を見せるト短調のクァルテット。とても真摯な取り組みで繊細。しっかりとした構成美はとても安定しています。古典形式にしきりに現れる、繰り返しや回帰、回顧のシーンでもたらされる心理的な効果をどう追求するかが課題なのかもしれません。

2組目のクァルテット・アンジェリカは、定番中の定番「死と乙女」に挑戦。

アンサンブルが見事。第一ヴァイオリンの遠藤望名さんがちょっとハンパない。彼女をリーダーに、他の3人は2連、3連となって寄り添い、時に対峙して絡みつく。ヴィオラの細田菜々美さんもかっこいい。大学生・高校生の混交アンサンブルとは思えないレベルの高さで、シューベルトのリリシズムを歌い上げる。

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ちょっと気になったのは、椅子の配置。

両グループとも共通の椅子で、あらかじめステージにバミってあるようで定位置なのですが、演奏前に微妙に位置取りを調整するので、少し違ってきます。

ただ、共通で気になるのは、チェロがまったく横を向いてしまうこと。

写真を撮れないので、イメージを図にしてみました。

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クァルテット・テネラメンテは、中央の第二ヴァイオリンとヴィオラは正面を向き、両脇の第一ヴァイオリンとチェロを相対する。四角四面の配置ですが、ヴァイオリンはまだしもチェロの面が完全に横を向いてしまう。

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クァルテット・アンジェリカは、さらに中央の二人がやや左の第一ヴァイオリンに寄っていて、しかもわずかにそちらを向く。右のチェロがやや取り残される格好ですが、チェロがさらにヴァイオリン側を向くので真横以上に内側向きになってしまいます。

音響面でもヴィジュアルな面でも好ましいとは思えません。特に「死と乙女」では、チェロが活躍する場面が多いので、ここは配慮してほしいところです。

こういうステージでの位置取りとか、ホール音響の確認などは、こうした演奏チャンスがなければ実感できることは少ない。マスタークラスから試演まで一貫した本格指導を受けられるのはすごいことなので、3月3日の本番までの仕上げが楽しみです。


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プロジェクトQ・第21章
若いクァルテット、シューベルトに挑戦する
トライアル・コンサート 〈第1日〉
2024年2月10日(土)15:00
東京・中目黒 東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパス TCMホール

クァルテット・テネラメンテ
[米岡結姫/佐久間基就(Vn)島 英恵(Va)金 叙賢(Vc)]

シューベルト:弦楽四重奏曲第9番ト短調 D.173


クァルテット・アンジェリカ
[遠藤望名/渡邉響子(Vn)細田菜々美(Va)森 朝美(Vc)]

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」

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彩の国さいたま芸術劇場リニューアル内覧会 [音楽]

彩の国さいたま芸術劇場の改修工事が終了しました。3月1日にリニューアルオープン。その内覧会に行って来ました。

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改修工事のテーマは、「安心」「快適」「充実」の3つ。

ますは、天井を準構造化し耐震性を高めたこと。3Dスキャン技術で工事前と後で形状はまったく同じで音響への影響は皆無。空調を更新し感染対策としての換気量も見直したそうです。また、排煙・消火設備も充実させたとのこと。

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快適さという点では、客席椅子をリフレッシュ。確かに座り心地もよくなりました。音楽ホールは、圧倒的に静粛性が向上したそうです。もともと静かな環境立地なのですが、音楽ホールとしての静寂性は確かに感じ取れます。

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デモンストレーションでは、スクリャービンの幻想曲が披露されました。このホールの音響はとても気に入っています。静音の美しさがさらにアップした気がします。

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舞台装置の充実ということは、ほとんどが劇場用の大ホールのお話し。デモンストレーションでは、吊り物機構の華々しいショーがあって面白かった。緞帳やオペラカーテンの上げ下げが音一つせず、スムーズで実に見事。

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こういう内覧会は楽しい。多くの人々が詰めかけてきて、びっくり。大ホールも音楽ホールも満席でした。

このホールは、我が家からは電車1本で便利だし、音響も気に入っていたのでリオープンはうれしい。
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「新鋭とベテラン」 (清水和音の名曲ラウンジ) [コンサート]

このシリーズの楽しみは、そのフレッシュな顔ぶれと、昼前の1時間という気楽さにもかかわらずそうそうたるメンバーによる本気の演奏。

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今回は、そういう新鋭とベテランによるコンビネーション。

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ヴァイオリンの石川未央さんは、桐朋学園の特待生4年生。実は、ヴァイオリンとピアノの両刀遣いで、ピアノの方は本科生で清水和音さんの生徒さんなんだとか。ピアノレッスンにはヴァイオリン持参で、ヒマさえあればこちょこちょとそっちを弄ってばかりだとは先生の清水さんの弁。

クライスラーの3曲は、それぞれのキャラクターを弾き分ける。小柄ながらもなかなかに力強い。

メインは、ブラームスのピアノ五重奏曲。

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第一ヴァイオリンは、大江肇さん。新鋭と言っても、昨年、神奈川フィルのコンサートマスターに就任。大人気の首席ソロ・コンサートマスターの石田泰尚さんと、堂々とタッグを組むというわけだから、こちらは厳然たるプロ。

石川さんは、重鎮のの佐々木亮さん、辻本玲さんにはさまれるようにして、ちょっと窮屈そう。それでものびのびと、ブラームスの交響的掛け合いに積極的に参加。ブラームスの労作とはいえ、吉田秀和をして「通俗的なくらいに有名な作品」と言わしめた室内合奏曲。ブラームスの重々しい重奏のなかに押し込められるので、どうしても石川さんのヴァイオリンは埋没してしまいがち。

才能に恵まれて、場慣れしているようでも、クライスラーやトークでもちょっと緊張している様子。子供の頃から並外れた才能を発揮し、ヴァイオリンもピアノも弾けるマルチタレントというのは、若いうちだからこそのちょっと出来過ぎの部分もあって、それだけに慣れた振る舞いを装えば装うほど印象が薄まりがち。クライスラーのポピュラー名曲というありきたりのお披露目もちょっと何だかなぁ…という感じ。

フレッシュな若手をどんどんと押し出したいという清水さんの趣意には大いに賛同するけれど、リラックスした雰囲気作りも大事だし、もう少しご本人のキャラを引き出すようなステージやプログラムの工夫があってもよいかなと思いました。

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芸劇ブランチコンサート
清水和音の名曲ラウンジ
第46回「新鋭とベテラン」
2024年2月7日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階M列18番)

クライスラー:「美しきロスマリン」「愛の悲しみ」「愛の喜び」
石川未央(Vn) 清水和音(Pf)

ブラームス:ピアノ五重奏曲 ヘ短調作品34
大江馨(Vn) 石川未央(Vn)佐々木亮(Va) 辻本玲(Vc) 清水和音(Pf)

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「新 古事記」(村田喜代子 著)読了 [読書]

作者がふと手にした、原爆開発の手記がもとになっています。

巻末の「謝辞」によると、その手記は、科学者の夫と共にニューメキシコ辺境に暮らした女性が記したもの。夫が勤めるロスアラモスの研究施設が原爆開発のためのものとは知らぬままに2年の歳月が過ぎた。新婚の彼女は、世界と隔絶した岩山の台地で両親に住所を知らせることもできず、夫の仕事の内容も教えられないままに家事と子育てに明け暮れたという。

マンハッタン計画。科学技術の軍事利用、それに加担する科学者たち。

そうした科学者たちの痛切な悔恨。原爆開発を強く提唱し、開発に関わった科学者の大半がホロコーストの恐怖から逃れたユダヤ人科学者たちだったこと。人種差別。日系移民迫害やそれを煽りたてるNYタイムズなどマスコミの執拗な日本人蔑視キャンペーン。ユダヤ人たちの成就は、その意図とは異なって、日本人の頭上で閃光となってすべてを焼き尽くすことになります。

そうした重たいテーマが、さりげない女性たちの日常のなかから薄明かりに照らし出されるように浮かび上がってきます。

集められた科学者はみな若い。だからロスアラモスは新婚さんだらけで、入所後のニューカップルも加わって、ちょっとした出産ラッシュになります。軍が警備する研究施設には大きな産院棟が増設される。

「あたし」は、そんなカップルのひとり。幼なじみの恋人についてきて、親にも知らせることができないままに、辺境の地で式をあげ、やがて身ごもる。柵の外にある動物病院の受付係を勤めているが、研究員が連れてきたペットで大忙し。最初はストレスで病んでいた愛犬たちも、繁殖期を迎えるとやがて人間と同じように出産ラッシュとなって殺到する。

新しい生命の誕生と大量破壊兵器の開発。「あたし」の日常は一見平和のようでいて、静かに湧き上がってくる不安と恐怖がある。時にはくぐもるような原因不明の怒りのようなものがこみ上げて来さえもする。ヒットラーが自殺を遂げ、ルーズベルトが脳卒中で死んでも、日本との戦争は続いている。

「あたし」は、自分が日系移民ではないけれども日本の血をひいていているということを夫に打ち明けた。リンカーン大統領の時に咸臨丸でアメリカにやってきた水夫の孫にあたる。…幼なじみの夫は、押し黙ったままだけど驚く様子もない。

ある日、研究員はこぞって行列を成して機材を積み込んだトラックで遠方を目指して出発する。その家族たちは、隊列が向かった方向とは違う遠望の効く山の頂点を目指す。そこで輝かしい閃光を見るためだ。

「あたし」の夫だけは、隊列には加わろうとせずそれに背を向けるようにして家にこもる。身ごもっていた「あたし」は、その夫とふたりで部屋のなかでひっそりと身を潜める。

ユダヤ人の聖典「タナハ」(旧約聖書)「創世記」では、神がまず「光あれ」と言う。すると光が現れ、闇とを分けた。それが天地創造の第一日の朝となる。

「わたし」の祖先の国の神話は、それとはだいぶ違う。背中合わせで決して顔を合わせないというほどに、とても対照的。

女神のイザナミの「成なり成なりて、成なり合あはざるところ」を、男神のイザナギの「成り成りて成り余あまれるところ」で「刺し塞たぎ」て、国を生み成す。…それが「古事記」の国生みの物語。

作者は、この小説の表題のいわれをひと言も語っていません。

でも、もともと作者は、胚胎というありふれている生の営みの、えも知れぬ不思議に、並々ならぬ関心をもって小説を書きつづってきたところもあります。それは、皮肉たっぷりのユーモアにあふれているけど、どこかに生命のぬくもりを感じさせます。今の私たちは、そういう辛辣な矛盾から逃れられないところに生きています。

この作家の傑作かもしれない。


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新 古事記
村田喜代子
講談社
2023年8月8日 第一刷

初出(「新「古事記」an impossible story) 「群像」連載 2022年~23年

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