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桂離宮 [旅日記]

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また来てしまいました。

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四季折々それぞれの風情があって意識と感覚が覚醒させられます。

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レトロな喫茶店 [旅日記]

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チーズケーキもおいしかった。
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旧醸造試験所 [旅日記]

旧醸造試験所を見学してきました。

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ここは通称「赤煉瓦酒造工場」。レトロな赤煉瓦の建物ですが、建築界の三大巨匠の一人である妻木頼黄が手がけた遺構のひとつとして重要文化財に指定されています。妻木といえば、横浜の赤れんが倉庫や元横浜正金銀行本店などが有名です。もうお気づきでしょう。銀行や、港湾、税関、そして、酒造と、いずれも財務官僚の管轄。妻木は旧・大蔵省営繕の総元締めだったというわけです。

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妻木は、工部大学校(後の東大建築学科)でジョサイア・コンドルに学んだのは、東京駅の辰野金吾や迎賓館赤坂離宮の片山東熊らと同じですが、アメリカのコーネル大学に留学、その後、ドイツにも留学するなど、他の二人と違って西洋建築の堂々とどっしりとした合理的機能美に徹していて赤煉瓦がそのシンボルのようなものだという気がします。

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こちらは、日清戦争後の殖産興業の一環として酒造業の発展のための研究所として設立されました。あの時代、官営八幡製鉄所や長崎造船所のような軍事力一辺倒では決してなかったのです。

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今は研究所そのものは広島に移転してしまいましたが、かつては山廃酛を開発したり、速醸酛を発明したりと、いささか神がかっていた日本酒醸造技術の近代化の中心となりました。また、全国新酒鑑評会の会場ともなりました。

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建築もよし、日本酒もよしで、二度おいしい酒造試験所見学でした。
タグ:東京の洋館
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前田侯爵邸 [旅日記]

東京・駒場の前田侯爵邸を見学しました。

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この洋館は、旧加賀藩前田家16代当主・前田利為侯爵一家の住居として使われていました。

加賀藩の江戸上屋敷は、今の東京大学本郷にありましたが明治維新後にほとんどが政府に収公され官有地となりました。ところが収公後も前田家はそのまま東大の校地に隣接する本郷弥生町(向ヶ丘 )に広大な敷地と邸宅を構えていたのです。

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駒場に移転したのは、関東大震災の復興整理でした。東大は、そのまま本郷地区の整備拡張の途を選び、前田家の敷地と駒場にあった農学部農地と交換することになります。それがこの駒場の前田邸であり、一方が本郷弥生地区の現・農学部ということになります。

なお、今の東大駒場は旧制一高にあたりますが、これも1935年に農学部の残りの土地との交換の形で駒場に移転したもの。

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旧前田家本邸は、昭和4年に竣工。高祖前田利家以来の武人としての家格にならい利為は軍人としてのキャリアを踏むことになりますが、同時に駐英武官なども歴任した開明派で外国賓客をこの本邸や和館で大いにもてなしました。陸士同期には東条英機がいますが、利為は東条のことを「頭が悪く、先の見えない男」と批評し、東条が首相になってからは「宰相の器ではない。あれでは国を滅ぼす」と危ぶんでいたといいます。対して東條のほうは利為を「世間知らずのお殿様」と揶揄していたのだとか。

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そういう利為の人柄を反映するように、邸宅内の造りは英国の貴族の館風で意外に質実で飾り気はあまりないのですが、実に大きく堂々としていて圧倒されます。さすが大大名の家柄。明治期に財を成した御用商人や実業家たちの邸とは違うと実感しました。
タグ:東京の洋館
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牛窓 岡山大学 (岡山 探訪 その5) [旅日記]

牛窓の景観は格別。小豆島をはじめ織りなす島影と遠く見はらかす屋島など四国の青い影。いつまでも眺めていて飽きません。

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海辺のテラスカフェでイタリアンをいただきます。ヨットハーバーの浮舟ハウスも面白い。

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帰りの便まではまだ余裕があったので、大学のキャンパスを散策。

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お目当てはSANAA(サナア――妹島和世&西沢立衛)設計の建物。福武書店(ベネッセ)といえば進研ゼミ。岡山が出自なんですね。東大の福武ホール(安藤忠雄・設計)がよく知られていますが、こちらのホールやカフェもなかなかのもの。とてもオープンで風が吹き抜けるようなガラス張りのデザインは、直線的なようでいて柔らかい。

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タグ:牛窓 岡山 SANAA
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閑谷学校 (岡山 探訪 その4) [旅日記]

岡山藩の藩校として創設された閑谷学校。

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幕末以後も変遷を重ねながら息長く歴史を刻んできた。今も現役で、国宝の講堂で定期的に儒学書の素読なども行っているとのこと。

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教育の歴史もさることながら、建物も素晴らしい。

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国宝の講堂のほか、聖廟や祠などが重要文化財。石塀は丸みを帯びていてとてもユニーク。

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使用されている亙は、このために近隣に登窯も作られたそうだが、いわゆる備前焼。

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帰路に備前焼の里にも立ち寄りました。
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湯郷温泉 (岡山 探訪 その3) [旅日記]

この街が、なでしこジャパンの宮間あやら有力選手を輩出し世界に羽ばたいたなんてちょっと信じられない。

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昭和で時間がフリーズしている。

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高梁 (岡山 探訪 その2) [旅日記]

城下の街は、古くから水運の要衝として栄えました。

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天領から有力親藩の所領となり、幕末には老中首座・板倉勝静の治下にあった。領主・勝静は鳥羽伏見から江戸、会津、函館まで転戦し抵抗したが、一方、新政府に従った岡山藩の管理下に置かれた在地は、その領主を説得して無血開城に応じ街は平和裏に明治へと引き継がれていく。


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いまや鄙びた風情の街だけれど、そういう歴史をしのばせるように武家屋敷や、一時期領主でもあった若き小堀遠州の作と伝えられる石庭や、新島襄が創建に関わった教会など気品のある街並みを今に伝えています。

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タグ:高梁 岡山
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備中松山城 (岡山 探訪 その1) [旅日記]

天空の山城

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現存天守閣(12城)のひとつ――しかも、唯一の山城。

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大石内蔵助が、廃嫡後の城の受け取りと城代を担ったことでも知られる。

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廃城後、荒れるままになったが標高400m以上ということが解体を免れることになり放置されたことが幸いした。昭和になって調査が進み修復された。その修復には感激的な地元住民の貢献があった。児童や女学生が2万枚もの瓦を山上まで運んだというエピソードは有名。

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