SSブログ

倚松庵 [旅日記]

倚松庵は、文豪谷崎潤一郎の旧居。

IMG_2036_1.JPG

庵号は、谷崎夫人の松子にちなむ。石銘碑は、松子夫人の揮毫による。

ここで名作「細雪」が執筆された。……というよりも、その舞台そのもの。

IMG_2070_1.JPG

家主の後藤靱雄は関西学院のサッカー選手。父がベルギー人で背が高くハンサムだったらしい。和風木造建築なのに、天井が高く暖炉がある洋間などはモダンな雰囲気があります。

松子夫人は、後年、「細雪」をまるで日記のようだと言ったそうです。ここで起こったことそのものが仔細に描写されている。小説は、大阪船場の旧家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子の物語。第二次世界大戦前の、崩壊寸前の阪神間モダニズム時代を背景に大阪(船場)文化の崩壊を描く。三島由紀夫も絶賛した《滅びの美》の世界。

その幸子が松子夫人。その松子夫人には、重子、信子の二人の妹がいてずっと姉と同居。松子が谷崎と再婚してもずっと同じ家に同居していたという。「細雪」が、この姉妹がこの倚松庵で過ごした日常をそのまま映した『日記』だという由縁です。

IMG_2040_1.JPG

小説が、ほんとうに日常そのものだったのかは証明できませんが、この倚松庵の造りや間取りは、まさに小説で描かれた寓居の通りであることに驚かされます。谷崎は、実際は四畳半の一階の日本間を『六畳の……」としたりしていて、少し膨らませている。訪問当初に意外につつましい家だという印象を持つのはそのせいかもしれません。それでも、小説で描かれる具体的な導線や叙景が見事なまでに一致するのです。

倚松庵1Ftrm_1.jpg倚松庵2Ftrm.jpg

映画(1983)で、古手川祐子が姉の吉永小百合の足の爪を切っている場面が、1階の四畳半。廊下を隔てて風呂場があって湯上がりの涼みや着替えによく使われたとのこと。対照的な性格の二人が内面では結びついていることを象徴するような部屋。縁側があって庭木の緑が濃くそういうふたりの姉妹の睦まじさとくつろぎを映し出しています。

IMG_2058_1.JPG

あまりに映画のセットが見事な写実なので、監督の市川崑に、この庵を尋ねたことがあるのかと聞いそうです。その返事は「一度もない」との意外なもの。それほどに、市川は原作を読み込み、その谷崎の叙述は、現実を精確に描写していたということになります。

この日は猛暑でしたので、上記のような説明はすべてクーラーが効いている一階の洋間(谷崎が描いた『食堂と応接間と二た間つづきになった部屋』)で行われました。

その説明はとても絶妙なもので、並みの案内をはるかに超える内容の濃いもの。妙齢の女性の口舌はとても心地よく、(僭越ながら)これはただの案内係ではないなと……。あとで知ったことですが、武庫川女子大学名誉教授のたつみ都志さん。

倚松庵は、もともとは、いまの場所より150メートルほど南にあったそうです。1985年六甲ライナー開通時に、取り壊しになる予定であったのを、付近の住民と保存運動を行い、ようやく市が動いて移設保存が実現したもの。たつみさんはその市民運動のリーダーでもあったようです。

見学は、予約制。グループは10名ほどでしたが、私たちともう一組の老夫婦以外はみな若い人たちばかりでした。高校生のグループもうっすらと汗をかきながら熱心に説明に聞き入る。

印象的だったのは、ひとりの二十歳そこそこの中国人留学生の青年。

たつみさんとは既知の間柄のようで、見学が終わったあとも熱心なやりとりをつづけていました。漏れ聞こえてきた会話は、日本語の助詞の使い方。「が」が主語を示す格助詞ばかりではなく、古語的用法で《体言の代用》として用いられることもあるということ。中国人青年が「ああ、そういうことだったんですね。それでわかりました。」と、汗だらけの額を上下に揺らしての喜色満面の笑顔がとても印象に残りました。

谷崎文学の普遍性を強烈に印象づける建物ツアーになりました。

タグ:京阪神旅行
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

京都の裏小路の宿とカフェ [旅日記]

京博(きょうはく)に行く前に立ち寄った宿泊所。ウチのかみさんが今晩ご宿泊とのことで荷物を預けに立ち寄りました。

IMG_1493_1.JPG

ここは京都御所の東側の河原町通りと鴨川の間の裏小路。どこか懐かしい下町っぽい閑静な住宅街ですが、御所に近いだけに由緒正しさを感じさせます。この宿泊所も、ちょっとした穴場。宮家ゆかりの地だそうで、かつて香淳皇后(昭和天皇の皇后)が幼少の一時期をお過ごしになったのだとか。

IMG_1503_1.JPG

京都といえども、こういうところには観光客は来ません。

IMG_1502_1.JPG

お寺さんと保育園に隣接した、ちょっとレトロなカフェでひと休み。

IMG_1498_1.JPG

アイスティーとセットのフレンチトーストが美味しかった。
タグ:京都散策
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

ちょっとクセになる京博(きょうはく) [旅日記]

初夏の修学院離宮は、思いのほか暑かった。

四季折々に表情を変える庭園ですが、特に夏の離宮は自然の強く照らし出されるような気がします。それだけに回遊式庭園のパワーがすごい。

一ヶ月の休暇をずっと日本で過ごすというドイツ人のカップルは京都御所にまわるとかで、彼らと出町柳の駅で別れると、私たちは国立博物館へ。

IMG_1506_1.JPG

明治古都館と呼ばれるもともとの建物は、ジョサイア・コンドルの直弟子の片山東熊の設計。長州藩下級藩士の小倅で騎兵隊に入隊し戊辰戦争を戦ったきかん気らしく、同期の辰野金吾に較べると、どこか国粋的なところがあって和洋折衷の意匠がちょっとクセになります。

IMG_1515_1.JPG

明治天皇に「贅沢すぎる」と叱られて気に病んだというエピソードの旧東宮御所(現・迎賓館)よりも、かえって伸びやかで、片山ファンにはたまらない魅力を感じさせるのが、この京博(きょうはく)。

IMG_1510_1.JPG

「雪舟展」鑑賞を兼ねての久々の再訪です。
タグ:京都散策
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

蘇州園(旧・弘世助三郎邸) [旅日記]

旧・乾邸見学の後に訪れたカフェ(蘇州園)は、日本生命創業者・弘世助三郎の旧邸でした。

IMG_1451_1.JPG

IMG_1455_1.JPG


IMG_1460_1.JPG

飛び込みだったので私たちはケーキセット。事前に予約してアフタヌーンティーを楽しむのがこのカフェの王道なのだとか。でも私のいただいた抹茶テラミスは最高においしかった。

IMG_1467_1.JPG

高級住宅街といえば、よく「東の田園調布、西の芦屋・六麓荘」と言われますが、かつてのこの地(住吉・御影)はケタ違いの豪邸群でした。

manssions_trm_1.jpg

map_1.jpg
タグ:神戸散策
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

旧・乾邸 [旅日記]

メインイベントは、渡邊節の傑作といわれる旧・乾家住宅。

汽船会社の創業者・乾新治の個人住宅。住吉山手は近代になって開発された高級住宅街ですが、その中でも昭和10年という遅い時期の建築なので立地は、急坂を上ったかなり山手の斜面にあります。

IMG_1392_1.JPG

渡邊節の作品としては、綿業会館がありますが、こちらはれっきとした個人の自宅。迎賓館とか別荘とかでもない。渡邊は、設計者としてはかなりのカネ喰いだったようですが、施主にしてみれば思いのたけを尽くしてくれるひと。綿業会館に較べると確かにスケールは小さいのですが、それだけに贅が凝縮されています。導線や見た目の立体的な意匠に細やかな配慮が行き届いてるという印象。

IMG_1420_1.JPG

特に、ゲストルームはとても気持ちが良い。薄い色づけのステンドグランスがお洒落で部屋が開放的で明るい。半分はサンルームにいるような雰囲気で、庭園をながめながらゆったりといつまでもくつろいでいたい気分。

IMG_1416_1.JPG

それでいて、天井は吹き抜けのように高く大きなシャンデリア――さらに、渡邊節のシンボルとも言える2階へと上がる階段が重厚さと豪華さを演出している。ここはやっぱりゲストルームなんだと忘れかけていたことに思い当たります。

IMG_1449_1.JPG

洋式庭園から眺める正面外観は、ちょっと不均衡。向かって右が洋式のゲスト部分で左が居室部分で和式になっているからです。でも、それは外観という見てくれよりも内側の機能や意匠を優先するからであって、そこが個人住宅の魅力でもあり、渡邊節の真骨頂だという気がします。

IMG_1431_1.JPG

意匠面でカネに糸目をつけなかったと言われる渡邊ですが、一方では建築家として極めて機能主義、合理主義で、この建物も鉄筋コンクリート製だそうです。短期間で済ませることが得意だったそうで、建設中に住居を失う新婚の息子夫婦にはその間、世界旅行に行かせて見聞を広めさせたのだとか。

IMG_1433_1.JPG

そのおかげで、長い風雪に耐えていまでもまるでそこに人が住んでいるかのように保全されています。この一帯(旧・住吉村)には大富豪たちの大邸宅が立ち並んでいたそうですが、そのほとんどが失われている。その意味でも、この乾邸は見る価値のある建物です。
タグ:神戸散策
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

白鶴美術館 [旅日記]

白鶴酒造の創業家・七代目当主嘉納治兵衛が自ら蒐集した古美術を展示するために建てられた美術館。

IMG_1374_1.JPG
IMG_1381_1.JPG

中はゆったりとした造りで、殷周の青銅器や唐、明、清代の陶磁器などがゆとりをもって展示されています。国宝、重要文化財の数々にも圧倒されますが、建物もすべて私財を投じた私設の美術館ということにも驚きます。

IMG_1379_1.JPG

嘉納治兵衛は、灘の酒蔵主と強力し、住吉山手一帯の開発に尽力したひとで、その開発は住宅地としての環境整備のみならず、病院施設の誘致やこのような文化施設の充実のほか、学校の創立など教育面でも貢献したそうです。

IMG_1383_1.JPG

あの屈指の進学校・灘高校もそのひとつ。創設時に顧問を務めた講道館柔道の嘉納治五郎は、白鶴嘉納家の縁戚でした。
タグ:神戸散策
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

桂離宮 [旅日記]

IMG_0269_1.JPG

また来てしまいました。

IMG_0198_1.JPG

四季折々それぞれの風情があって意識と感覚が覚醒させられます。

IMG_0200_1.JPG

IMG_0191_1.JPG

IMG_0249_1.JPG

IMG_0210_1.JPG
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

レトロな喫茶店 [旅日記]

IMG_0169_1.JPG

IMG_0170_1.JPG

IMG_0176_1.JPG

IMG_0173_1.JPG

IMG_0179_1.JPG

チーズケーキもおいしかった。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

旧醸造試験所 [旅日記]

旧醸造試験所を見学してきました。

IMG_9418_1.JPG

ここは通称「赤煉瓦酒造工場」。レトロな赤煉瓦の建物ですが、建築界の三大巨匠の一人である妻木頼黄が手がけた遺構のひとつとして重要文化財に指定されています。妻木といえば、横浜の赤れんが倉庫や元横浜正金銀行本店などが有名です。もうお気づきでしょう。銀行や、港湾、税関、そして、酒造と、いずれも財務官僚の管轄。妻木は旧・大蔵省営繕の総元締めだったというわけです。

IMG_9397_1.JPG

妻木は、工部大学校(後の東大建築学科)でジョサイア・コンドルに学んだのは、東京駅の辰野金吾や迎賓館赤坂離宮の片山東熊らと同じですが、アメリカのコーネル大学に留学、その後、ドイツにも留学するなど、他の二人と違って西洋建築の堂々とどっしりとした合理的機能美に徹していて赤煉瓦がそのシンボルのようなものだという気がします。

IMG_9394_1.JPG

こちらは、日清戦争後の殖産興業の一環として酒造業の発展のための研究所として設立されました。あの時代、官営八幡製鉄所や長崎造船所のような軍事力一辺倒では決してなかったのです。

IMG_9410_1_1.JPG
IMG_9408_1.JPG

今は研究所そのものは広島に移転してしまいましたが、かつては山廃酛を開発したり、速醸酛を発明したりと、いささか神がかっていた日本酒醸造技術の近代化の中心となりました。また、全国新酒鑑評会の会場ともなりました。

IMG_9415_1.JPG

建築もよし、日本酒もよしで、二度おいしい酒造試験所見学でした。
タグ:東京の洋館
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

前田侯爵邸 [旅日記]

東京・駒場の前田侯爵邸を見学しました。

IMG_9434_1.JPG

この洋館は、旧加賀藩前田家16代当主・前田利為侯爵一家の住居として使われていました。

加賀藩の江戸上屋敷は、今の東京大学本郷にありましたが明治維新後にほとんどが政府に収公され官有地となりました。ところが収公後も前田家はそのまま東大の校地に隣接する本郷弥生町(向ヶ丘 )に広大な敷地と邸宅を構えていたのです。

IMG_9436_1.JPG

駒場に移転したのは、関東大震災の復興整理でした。東大は、そのまま本郷地区の整備拡張の途を選び、前田家の敷地と駒場にあった農学部農地と交換することになります。それがこの駒場の前田邸であり、一方が本郷弥生地区の現・農学部ということになります。

なお、今の東大駒場は旧制一高にあたりますが、これも1935年に農学部の残りの土地との交換の形で駒場に移転したもの。

IMG_9437_1.JPG

旧前田家本邸は、昭和4年に竣工。高祖前田利家以来の武人としての家格にならい利為は軍人としてのキャリアを踏むことになりますが、同時に駐英武官なども歴任した開明派で外国賓客をこの本邸や和館で大いにもてなしました。陸士同期には東条英機がいますが、利為は東条のことを「頭が悪く、先の見えない男」と批評し、東条が首相になってからは「宰相の器ではない。あれでは国を滅ぼす」と危ぶんでいたといいます。対して東條のほうは利為を「世間知らずのお殿様」と揶揄していたのだとか。

IMG_9462_1.JPG

そういう利為の人柄を反映するように、邸宅内の造りは英国の貴族の館風で意外に質実で飾り気はあまりないのですが、実に大きく堂々としていて圧倒されます。さすが大大名の家柄。明治期に財を成した御用商人や実業家たちの邸とは違うと実感しました。
タグ:東京の洋館
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行