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岡山 秋の音会 (その1) [オーディオ]

岡山・秋の音会に今年も参加しました。飛び入りのように参加して、以来、毎年の恒例のようになっている楽しいオーディオ遠征です。今年は、久々に横浜のvafanさんも参加。

個性あふれるメンバーはそれぞれが流派が違っていてアプローチの仕方がみんな違います。けっこう辛口のコメントが飛び交う、一見、修羅場(?)のようでいて、雰囲気は和気あいあい。とても楽しいオーディオ仲間です。

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第一日目のスイートサウンド邸は、ちょっとログハウス風のおしゃれな広々としたリビングスペースに、3wayマルチドライブのシステム。アンプはすべて金田式。上流はネットワークでファイル再生と手作りのとても手のかかったもの。

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スピーカーユニットをグレードアップしての満を持してのお披露目でしたが、うるさ型から高域と中域とのつながりが悪いとのコメント。スイートサウンドというHNの通りで、甘い心地のサウンドが持ち味なのですが、確かに中域のクリーミイなおいしさがすっかり後退して高域がかなり耳につきます。

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2階のサブシステムは、ウィーンアコースティックを中心としたシンプルなものです。こちらも金田式。スピーカーはまさにvafanさんから刺激を受けての導入。ネットワーク式なので帯域バランスとしては模範的。いずれ場所を移して、もっとのびのびと鳴らしたいという構想をお持ちなのだとか。

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それにしても、メインシステムのアンバランスは不可思議です。変更はユニットだけなのだそうですが、聴いたところ原因はユニットのせいではなさそうです。先ずは帯域バランスを改めて測定してみる必要がありそうです。スイートサウンドさんも新たなチャレンジに静かな闘志を燃やしておられるようでした。
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「沈黙の勇者たち」(岡 典子 著)読了 [読書]

ナチス政権下、ユダヤ人差別はやがて迫害へ、そしてそれは大量殺戮のホロコーストへと極限化していった。

第二次世界大戦勃発の1939年当時までに数十万人のユダヤ人がドイツ国外に逃れたが、41年にユダヤ人国外移住が禁止された時点で約17万人のユダヤ人がドイツ国内に取り残された。彼らは片っ端から摘発されてドイツ占領地の強制収容所へと送り込まれた。

しかし、移送を逃れた1万~1万2千人が潜伏した。

こうした潜伏した1万人のうち、およそ5千人が生き延びて終戦を迎えることとなる。あの苛烈を極めたユダヤ人狩りのなかで約半分が生き残ったというのは驚異的だ。そういうユダヤ人を救おうと手を差し伸べた名も無きドイツ市民は、今なお不明だが、最近の研究によると2万人以上にのぼると言われているそうだ。

「沈黙の勇者」たちは、その多くがごく平凡な「普通の人びと」だった。

男性も女性もいて、職業もさまざま。医師、教師、聖職者、労働者、農夫、主婦も娼婦もいた。老人も青年も子どももいたし、障害者や末期のがん患者もいたという。圧倒的多数のドイツ国民がユダヤ人迫害に加担し、死の強制収容所へ移送されるのを「見て見ぬふり」をしていた時代であり、ナチスが奨励した密告により、隣人ばかりか身内や家族までに裏切られるような社会のなかで、彼らは自身や家族を危険にさらされてまで、ユダヤ人を匿い、逃避行を助け、違法な身分証明書偽造に手を出した。

こうした「沈黙の勇者たち」は、近年まで知られることがなかった。

長い間、ホロコーストはナチスが独裁政治のなかで秘密裡に遂行した政策であり、多くの国民は知らなかったとされていた。「国民は知らなかった」とすることで、責任をすべてナチスに負わせて一般市民の免責をはかる戦後の総括が進められてきたからだ。多くの一般市民がユダヤ人救援に関与したと認めることは、市民は知らなかった、ナチスに欺されていた、という前提を覆すことにもなる。

一方で、ユダヤ人の側もまた多くを語りたがらなかったという。

あまりに凄絶で重すぎる体験だったからである。自分だけが生き延びたことへの負い目もあった。救われたユダヤ人の生々しい体験が語られるということは、見て見ぬふりをした市民や密告者の告発でもあり、いつまでも過去にとらわれ、自分たちを繰り返し非難し続ける不快な話題だと感じさせるからだ。

こうした体験証言は、多岐にわたる。ほんの人間的な同情心から怯えながら手を貸した事例もあるし、深い信仰心や反ナチの確信を貫こうとした人々もあれば、潜伏者も巻き込んだ大がかりな証明書偽造組織まであって、多種多様に及ぶ。


本書は、近年の成果である膨大な資料から、何人かの潜伏者の体験を取り上げて、そういう名も無き市民たちの実相をドラマチックに語っている。

ページをめくる手が止まらず一気読みした。

終戦の数ヶ月前に摘発された身内の自白から瓦解した偽造組織や、わずか二ヶ月前に偶然鉢合わせになった旧知のドイツ人友人の密告により捕らえられた若者、それを見過ごせないと自首した姉の話しなど、涙無くしては字を追うことができない。

分断と経済格差の拡大、ポピュリズムの勢力拡大、同調圧力を強めるネット社会、難民・移民、テロと戦争…そういうさまざまな問題に直面している現代社会。そのなかで、この「市民的勇気」の原像が問いかけることは様々だ。

多くの人に読んで欲しい名著だと思う。


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沈黙の勇者たち
 ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い

岡 典子 著
新潮選書


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本村睦幸のバロック音楽サロン Vol.3 [コンサート]

ごく普通の駅前の区民文化センターなのにとてもよい響きのサルビアホール。

100席ほどの小さいホールですが、いや、それだからこそ実現できた響きなのでしょう。その音の良さは、ここで開催される弦楽四重奏シリーズで体感してきましたが、なるほど古楽アンサンブルでもなおのこと響きの良さを堪能できるかもしれないと、本村睦幸のリコーダーを中心としたバロックアンサンブルのコンサートに足を運びました。

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実は、ちょっとしたハプニングが…

もともとは、リコーダーとバロック・ヴァイオリンと通奏低音のアンサンブルの予定だったのですが、ヴィオラ・ダ・ガンバの折口未桜さんが直前の急な発熱のため出演できなくなってしまいました。通奏低音は、チェンバロの上羽剛史さんお一人ということに。いわば四重奏が三重奏になってしまったのです。

プログラムは急遽差し替えに。

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予定した最後のテレマンの「パリ・カルテット」は演奏不能。同じテレマンのトリオ・ソナタに差し替えとなり、順番も変更となりました。トリオ・ソナタというのは、ヴァイオリンやフルートなど2つの旋律楽器と通奏低音という3つの声部から成り立っています。ヴィオラ・ダ・ガンバは、作曲者が指定したチェンバロの左手の基音を補強する役割。これが欠けると音色バランスが変わってしまいますが、かえって軽く運動性の高い、すっきりとした響きになりました。

チェンバロの上羽さんによれば、ガンバの低域の支えが無くなる分、一生懸命左手をしっかりと弾くことにされたそうです。その分、右手の装飾とかアドリブは控えめにする。リゴドン風の舞曲などは、ガンバが太鼓を模したような同音の繰り返しを響かせてくれるのですが、それをチェンバロの左手で目一杯頑張る。かえって打楽器らしい響きが強調される。全体に、音調がより古典派へ近づいて、この日のプログラムのように18世紀中葉の音楽をよりそれらしく響かせてくれたような気がします。

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楽しかったのは、本村さんが何種類ものリコーダーで演奏してくれたこと。最初はいきなりソプラニーノ。珍しいヴォイスフルートというd'管のものも披露。これはパリカルテットの目玉だったのでちょっと残念。

びっくりしたのは、バスリコーダー。ちょっと面くらいましたが、立奏のためのエンドピンがつけられていたこと。池田梨枝子さんは、ここではヴィオラに持ち替え。ぐっと低音寄りになったトリオ・ソナタの響きで動きまわるわけですから、ちょっとアクロバチックな名人芸があってなかなかスリリングでした。

サルビアホールの魅力をまたひとつ発見した思いがしました。



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本村睦幸のバロック音楽サロン Vol.3
2023年9月7日(月) 14:00
横浜市鶴見 鶴見区民文化センター サルビアホール

本村睦幸(リコーダー)
池田梨枝子(バロック・ヴァイオリン、バロック・ヴィオラ)
上羽剛史(チェンバロ)


ジャン=マリ・ルクレール:
 ヴァイオリン・ソナタ 作品9の3
ヨハン・クリスティアン・ヘルテル:
 ソプラニーノリコーダーとヴァイオリン、通奏低音のためのパルティータ ヘ長調
ゲオルグ・フィリップ・テレマン:
 トリオ・ソナタ ト長調 TWV:42G1

カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ:
 バスリコーダーとヴィオラ、通奏低音のためのトリオ ヘ長調 H588
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル:
 リコーダーとヴァイオリン、通奏低音のためのトリオ ハ短調 HWV386a1



(写真の一部は、主催されたヴィア・ガレリア代表の岡田薫さんのfbから借用しました。)

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「亡霊の地」(陳 思宏 著)読了 [読書]

著者の陳思宏は、台湾でいま最も注目される若手作家。

著者自身が生まれ育った永靖郷を舞台とした大家族の物語。主人公・陳天宏は陳家の末っ子で、五人の姉とその末に生まれた兄弟。著者も9人姉弟の末っ子で、ベルリン在住、同性愛者であることを告知しているから、自伝小説ではないとしても自分の故郷と自分の生い立ちをモデルとしていることは間違いない。

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同性愛者として故郷を追われ、台北で作家として成功するも、そうした抑圧を逃れるためにベルリンで暮らす。そこで出会ったパートナーとの暮らしは貧しく、糊口を凌ぐためにネオナチに参加したパートナーとの間が次第に捻れていき、彼を殺してしまう。刑期を終え、生まれ育った永靖に十数年ぶりに帰郷する。折しも死者の亡霊を祀る中元節。弟が戻ってきたとの知らせに陳家の姉たちが集まってくる。

物語は、天宏の母親、五人の姉、兄、そして今は亡き父親の幽霊のそれぞれが、今現在と過去の記憶とをない交ぜながら語られていく。

視点の主体と時制とが交錯しながら読み進むのは、まるでフォークナーを読むようで難渋する。しかも、80年代の台湾の片田舎の狭い地域社会と大家族のなかでの確執、社会の後進性、密接な人間関係だからこその激烈で理不尽な暴力や暴言、虐待は、息苦しいほどに重い。

だから、なかなか読み進むことができない。

まるで、それはジグソーパズルの小さなピースをはめていく作業に似ている。

現時点という、薄い映像が映し出される台紙の上に、主体も時制も雑多な細かなピースを乗せていく。その作業は、最初はあまりに漠然としていてしかもそれぞれの断片が余りに重く醜悪なので難渋する。

ところが、ピースが少しずつつながり、全体の映像が確かなものとなって徐々に立ち現れてくる。最後には、謎解きがかなったようなカタルシスが訪れる。それは、家族や故郷との何とも言い難い和解ともいうべき終結だ。

最後の最後の失われていたピースがぴたりとはまったその瞬間の衝撃、は言い知れぬほどに大きい。


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亡霊の地
陳 思宏(Kevin Chen)
三須 祐介 (翻訳)
早川書房
2023年5月23日 新刊

英訳
鬼地方(GHOST TOWN)
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