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チャンピオンベルト [雑感]

朝ドラ「虎に翼」を楽しみに見ています。

伊藤沙莉がちょっとぶっ飛んでる女の子を演じていてその快調な演技ぶりがなんともいえず痛快。

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兄の結婚式で、宝塚版の「モン・パパ」を歌いまくって大盛り上がりという場面は絶品でした。

♪うちのパパとうちのママが並んだ時
大きくて立派なはママ
うちのパパとうちのママと喧嘩して
大きな声でどなるは いつもママ
いやな声であやまるのはいつもパパ
うちのパパ毎晩おそい
うちのママ ヒステリー
暴れてどなるはいつもママ
はげ頭下げるはいつもパパ
出鱈目いう それはパパ
胸ぐらをとる それはママ
パパの体はゆれるゆれる
クルクルとまわされる♪


主人公が通うのは、お茶の水にある女学校。

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そのセーラー服姿を見てちょっとのけぞりました。あの、ぶっといベルトには見覚えがあります。その時のトラウマがよみがえって胸がうずく。あれを我々はチャンピオンベルトと呼んでいました。

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高校生の時、女子高生と合同読書会をやることになって、そこに現れたチャンピオンベルト・ガールズ。女子高生と楽しい時を過ごせると浮かれていたわれわれは、ぐうの音もでないほどに言い負かされ、そんな読解力と知能程度でよくも恥ずかしくないわね…とコテンパンにやられたのです。

チャンピオンベルトに恐怖さえ覚え、半泣きでした。

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花咲ガニ [雑感]

花咲ガニ。
痛い。
遅まきながら誕生日祝いだと娘が北海道土産を兼ねて買い付けてきた。
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無言館 [雑感]

長野県上田市にある《無言館》に行ってきました。
https://mugonkan.jp/

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無言館は、戦没者画学生を慰霊する美術館。

遺された作品や下絵、素描、あるいは家族に託された遺品は、生きることを希求した青春の息吹や家族への思いがこめられていて胸を打ちます。

帝展(現・日展)で、首位入選(次席は東山魁夷画伯)を遂げた作品の下絵から、家族に当てた肉筆の絵はがきまで、その遺作・遺品は様々。東京美術学校(現・東京芸術大学)や帝国美術学校(現・多摩美術大学、武蔵野美術大学)などの卒業生から、家業の提灯店を継ごうと苦学して美術を学んでいた若者まで、その軌跡も様々です。

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建物は、コンクリートの打ちっぱなしの素朴な建物。館主の窪島誠一郎自身の設計で、全体を平面で見ると十字形になっていて、扉口も左右になっているのは教会を模したのでしょうか。

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終戦記念日ということで、画学生の名を刻んだ絵筆を訪問者ひとりひとりが奉納して、慰霊を弔います。

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二十年以上前に母とともに出来たばかりの時に訪ねて以来の再訪ですが、さらに第二展示館「傷ついた画布のドーム オリーヴの読書館」も増設されていたのは嬉しい限りです。その母も先年亡くなりましたので、一緒に再訪ということはかないませんでしたが。

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タグ:無言館
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父と母の終戦の日 [雑感]

父と母は、終戦を仙台市で迎えました。

結婚は、その年の3月。新婚ほやほやでした。

父は、理系の研究生でしたので兵役を免除され、東京の研究所に所属していました。終戦直前になって研究室全体が仙台の大学に疎開することになったのです。けれども、すでに仙台も焼け野原になっていました。

父母はそこで終戦の日を迎えることになったのです。

その終戦時の風景も、映画やTVドラマのそれとはだいぶ違っています。

8月15日の夜、父は仲間と配給の残りの酒で飲み明かします。白熱灯を思う存分に煌々と灯すのがすごくうれしかったとぽつりと言うのを聞いたことがあります。そのまぶしい電球の下で、肩を組んで輪になって、「さあ、これからは自由だ!万歳!」と踊り騒いだそうです。

それを見ていた母は、戦争に負けたのだから少しはしんみりしたらよいのにと、いつまでも続く酔漢の大騒ぎを呆れて見ていたそうです。
タグ:終戦
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ボクの先生は被爆者だった [雑感]

小学校の担任の先生は広島の出身でした。

あの日、爆心地からほど近いところで被爆しました。

女学生だった先生は、学徒勤労動員で工場にいたのです。工場の屋根はつぶれ、そのがれきの下からようやく這い出したのだそうです。そこから自宅をめざす市中で見た光景はまさに地獄絵でした。先生が語り出すと教室は水を打ったようにしんとしました。

後年になって知った丸木夫妻による原爆絵図が先生の話とまったく同じだったことに驚きました。先生が、そのことを教室で語ったころは、まだ、被爆者が自らの体験を語るようなことはほとんどなかったのです

PTAの懇談で自分が被爆者であることを知った母たちが、子供達の前でその被爆体験を語って欲しいともちかけたのがきっかけだったと聞いています。先生は、原爆投下の日のことばかりではなく、直後数日間の市内の様子や終戦直後の混乱のことも折に触れて語ってくれました。がれき野原を市電が走っていて、それが不可解な空虚感でもあり、同時に生きている実感のようでもあり、不思議な光景だったという話しも印象的でした。

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丸木夫妻が埼玉で美術館を作ったというので、母といっしょに見に行ったのは中学生の時。小説「黒い雨」を読んだのは高校生になってからでしたから、それらは私にとっては、先生の語った光景の追体験ということに過ぎません。小説は、被爆の直接体験というよりは、原爆症やヒバクシャへの差別ということがテーマだと言うべきでしょうか。

先生は、乳がんを発症して手術を受けます。

その間、私たちのクラスは他の先生にたらい回しにされ、そのことをうっかり忘れた先生によってほったらかしにされ校内で物議を醸しました。先生は、そのことを聞いて病院のベッドで号泣したそうです。

先生夫妻はともに広島出身で東京の大学で知り合ったのですが、子供ができませんでした。定年になって広島へと戻りましたが、先生はまもなく亡くなりました。

毎年の年賀状交換が続いていましたが、突然のように先生のご主人からの訃報となって戻ってきた時には、あまりに突然のことで言葉を失いました。その暗然たる心に黒いものが拡がったことは確かです。
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解除に向けて着々と [雑感]

今日、特別定額給付金が振り込まれました。

思ったより早い給付でした。

やはりマイナンバーカードの導入、住基ネットとのシステム接続の対応で自治体によってずいぶんと差が出たようです。

そもそも、5月1日の開始と同時に、オンライン申請を受け付けたのは、東京都の62の自治体のなかでも、下記の11自治体だけでした。

品川区
渋谷区
江戸川区
足立区
北区
武蔵野市
調布市
小平市
多摩市
小金井市
町田市

マイナンバーカードや住基ネットの導入時には、やれ、プライバシーがどうの、国民総背番号は国家独裁だの、情報漏洩が怖い、悪用されるだのと反対し、なかには福島県矢祭町のように最後まで抵抗し続けた自治体もありました。情報セキュリティーをタテに公的個人認証と住基台帳とを意図的に接続しなかった自治体も少なくないようです。

図書館も、ぼちぼちと動き始めました。

最寄りの図書館では臨時休館直前にオンライン予約していた書籍などの貸し出しをしてくれるとのハガキが届いたのです。非常事態宣言が迫る中で、急いで予約を入れたのに、結局、時間切れになっていたものがようやく貸し出されるということで、さっそく取りに行きました。

近所の商店街でも、ぼちぼちと営業を再開した飲食店も見かけます。とりあえずは営業時間を限っての開店のようです。行きつけのラーメン屋さん、中山道沿いの居酒屋さんも午後には店を開けています。

少しずつ、着実慎重に再開するのがよいと思います。

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久しぶりにこのお店に出かけました。やっぱりショッピングは楽しいなぁ。気持ちがうきうきして、ついついあれこれ買ってしまいました。

自転車で行けば、自宅から30分ぐらい。まあ、秋葉原、神保町界隈だってせいぜい40分ぐらいです。

かさばる荷物はなかなか自転車というわけにはいきませんが、ちょっとした買い物なら自転車でも十分。非常事態宣言解除後も、できれば公共交通機関は使わずに、かといって自家用車というわけにもいかないほどの距離なら自転車で行ってしまえ…と思っています。

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北京のベートーヴェン [雑感]

いささか調べものをしていて、古い書籍に目を通していたら故吉田秀和氏の一文が目にとまった。標題は「北京で聴いた《第九》」という小論で、初出は1980(昭和55)年の朝日新聞掲載の「音楽展望」である。


「中国で第九を指揮します」という小澤征爾に誘われ、初めて北京を訪問した際の所感をつづっている。吉田は、『かつて文革はなやかなりしころ、中国にベートーヴェン批判の声が高いというので…いささかの所感を申しのべた』ところ『こういうことは長い目で見なければ』とたしなめられたというようなことを書いている。


実は、学生時代の青二才だった私は、若気の至りで「レコード芸術」誌にそういう趣旨の投書したことがある。〈現実の中国はまだまだ貧しい。衣食足れば、いずれは受け入れられるだろう。現実無視の芸術至上主義の観点からの批判は当たっていない〉。そんなことだったと思う。


中国にベートーヴェンはいらない。文革時代、ベートーヴェン批判と排撃は苛烈を極めた。「ベートーヴェンを排除したあとは、あのラフマニノフの亜流のピアノ協奏曲とか、あの何とかいったソ連の流れをくんだバレエ・オペラ曲の類しかなかった」。当時、盛んに演じられたのは「ヤンパンシー(模範劇)」と呼ばれる現代革命京劇と、それを翻案したオペラやバレエだった。


そして、その吉田自身が、10年も経たずして『長い間飢え渇えていたかのように第九を黙々とむさぼりきく人の大群」を目の前にすることになる。それどころか今や中国は、世界最大のピアノ生産国であり、そうそうたる人気ピアニストを輩出するクラシック音楽大国となった。


しかし、吉田をたしなめたという人々は正しかったのだろうか。


本当にベートーヴェンは中国に受け入れられ、人々の盛んな共感を得ているのだろうか。どこか、中国のピアニストたちはベートーヴェンがなじみにくい。必ずしも熱心ではない。ユンディー・リーもユジャ・ワンもショパンやラフマニノフばかりを弾く。満族のラン・ランは、ベートーヴェンも弾くが1番とか4番のどちらかといえば形式の自由な幻想曲風の曲をとりあげている。本来は凝集的で内向的なパッションのベートーヴェンの熱情や悲愴も、彼らにかかると自己愛的な陶酔になってしまい、私には少なからず違和感がある。


文革の芸術路線をもっぱら主導したのは毛沢東夫人である江青ら「四人組」だった。西欧文化の吹きだまりのような〈魔都・上海〉で育った富裕な文化人たち。1930年代の上海とは繁栄と退廃、享楽と革命、野心と迫害とが入り交じったそういう自己矛盾をはらんでいた。


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現代中国の指導者は《太子党》という幹部子弟が半ばを占めている。彼らは家族や自らが文革の迫害を受けた体験を持つ。その彼らがことさらに毛沢東主義的な思想政策を進めるという矛盾。そういうイデオロギーの相克と矛盾がもたらす社会的トラウマは深い暗部にまで浸透していて、40年以上経った今でも屈折したアンビバレントな心象となって影をひいているのではないか。ベートーヴェンとはすぐれてイデオロギー的である。だからこそイデオロギー批判の対象となりやすいし、屈折した政治的蹉跌を吸蔵しがちなのだ。そういうことをあの頃の私は見落としていたようだ。


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天安門広場にほど近い胡同の古い四合院がひしめく家並みを取り壊して建設された《中国国家大劇院》。フランス人設計によるチタン外装に覆われた半滴球型のドームは超現代的な姿をしている。その2007年のこけら落とし初日の演目は、文革時代に盛んに上演された《模範劇》のひとつ、革命バレエ「紅色娘子軍」だった。

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