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「虚妄の三国同盟」(渡辺 延志 著)読了 [読書]

日独伊三国同盟は、ナチドイツを信奉する軍部や、松岡洋右などの外交政治家が主導した軍事同盟で、日本が英米と開戦する決定的要因となった。欧州大戦と日中戦争を結びつけて世界大戦への道筋から後戻りできないものにしてしまった。

私たちの世代はそのように教えられてきた。

しかし、現代では研究が進み、実際のところは《軍事同盟》としては非常にちゃちな建てつけの条約で、実際に非常に急ごしらえのものだったことがわかっている。その目的は、あくまでも米国の欧州参戦をけん制することが日独の目的であって、日本の参戦を促すような拘束力は極めて弱かったし軍部も対米戦争回避を心から切望していたという。実際に、東西両面の戦争準備が整っていなかった米国のけん制としてはそれなりに機能したし、軍部も欧州情勢を見極める時間を十分に得たとも言われている。

本書は、これまであまりその実態が解明されてこなった外交交渉の舞台裏を余すところなく暴いている。それは東京裁判の国際検察局(IPS)の膨大な尋問調書を読み解くことによって明らかになった。東京裁判では、当事者であった近衛文麿が逮捕前に自死し、松岡も拘留中に病死したことにより追求が徹底せず、尋問調書の存在もあまり注目されてこなかったからだ。著者は朝日新聞の記者だが、退職前から英文資料を読み込み、執念を燃やしてこうした交渉の経緯をたどっている。渾身の力作といえよう。

尋問のなかから浮かび上がってくるのは、松岡の不誠実な対応だ。のらりくらりととぼけて事実を認めない。一方で、他の尋問からIPSは、その実態をほぼ把握していた。そうした他の証言をぶつけても、松岡は、肝心なことになると「覚えていない」と逃げる。対照的に、誠実に応答しているのが交渉時に駐日ドイツ特命全権大使の任にあったオイゲン・オットだ。交渉は、ほとんどドイツから派遣された特使ハインリヒ・スタマーと松岡との間だけで進められた。外交組織は茅の外に置かれた。

最大の問題は、「自動参戦条項」。

本文第三条には、欧州戦争、日中戦争それぞれの非当事国によって攻撃されたら「政治的・経済的・軍事的方法」により相互に援助すべきとあった。国内には戦争に巻き込まれると強硬に反対する向きが多かった。松岡は反対派を押し切るために交換公文で骨抜きにすることを企てる。これで枢密院の査問も言い抜け、折からのドイツの快進撃による「バスに乗り遅れるな」の国民的大合唱も背中を押した。一方で、スタマーは、交換文書は私信レベルと解釈し本国に対して報告していなかった。公文として発信されていれば、暗号解読に成功していた英米もこれを知ったであろうことは想像に難くなく、三国同盟が自動参戦ではなく条件留保付きだと認識できていたろうと悔やまれる。それほどにいい加減な同盟だった。

松岡は、対米戦回避論者であり三国同盟はあくまでも米国参戦をけん制する目的であったことは確かなようだ。その思いは、むしろソ連も巻き込んでより対米けん制を強化できると踏んでいた。とはいえ同盟締結を拙速に進めたのは己の政治的野心に過ぎない。駐独大使大島浩らは、ナチスドイツのソ連侵攻の事前情報も、それがモスクワ前面で挫折したことも、薄々知りながらドイツ優勢を煽り立てた。三国同盟は、結局は、ひどくちぐはぐなまま日本を自ら窮地に追い込むばかりで何の実効性をあげなかったのだ。むしろ日本はナチスドイツに散々に翻弄されてしまった。その様は、ひどく無様な外交だったとしか言い様がない。

松岡は、日米開戦時、「三国同盟は僕一生の不覚」と号泣したと伝えられるが、どういう責任を感じたのかは怪しいものだ。ましてや、近年、再評価の声もあるがとんでもないことだと思う。

東京裁判で、三国同盟を罪状として起訴されたのは、松岡洋右のほかに駐独大使大島浩と駐伊大使白鳥敏夫の3名。結局、松岡は判決前に獄中で病死、他の2人は死刑を免れた。それは松岡の死ということもあるが、あまり法廷で理非が論じられることもなく調書も長らく日の目を見なかった。国際検事局は実のところその内情を知って鼻白んだのではないか。



虚妄の三国同盟_1.jpg

虚妄の三国同盟――発掘・日米開戦前夜外交秘史
渡辺 延志 (著)
岩波書店
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