城下の街は、古くから水運の要衝として栄えました。
天領から有力親藩の所領となり、幕末には老中首座・板倉勝静の治下にあった。領主・勝静は鳥羽伏見から江戸、会津、函館まで転戦し抵抗したが、一方、新政府に従った岡山藩の管理下に置かれた在地は、その領主を説得して無血開城に応じ街は平和裏に明治へと引き継がれていく。
いまや鄙びた風情の街だけれど、そういう歴史をしのばせるように武家屋敷や、一時期領主でもあった若き小堀遠州の作と伝えられる石庭や、新島襄が創建に関わった教会など気品のある街並みを今に伝えています。
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