「古代ゲノムから見たサピエンス史」(太田博樹 著)読了 [読書]
コロナ感染でほとんどの人に知られるようになったPCR検査。
とはいえそれが何をしていて、どのような原理のものかは、誰も知らない。かくいう私も本書を読んで初めてそれを知った。
PCRとは、ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction)のことで、これによって検体のDNAサンプルの遺伝子領域やゲノム領域のコピーを連鎖的に増幅する方法を言う。キャリー・マリスは、この発明によって1993年にノーベル化学賞を受賞した。感染症検査ではこれによってウィルスを特定するわけだが、一方で、これによって発掘された絶滅生物の遺物などから取り出された部分的なDNAの遺伝情報を分析することが可能になった。
恐竜のクローンを生み出す「ジュラシック・パーク」は架空のSFだけれど、古代ゲノム学が、これほど具体的に人類の進化の系統や、絶滅した古代人類の体型の特徴などを解明するというから驚きだ。
本書は、著者自身の研究経歴などを紹介しながら、最新の研究動向や人類創成の謎解明の成果を紹介する。文章は平明で読みやすいが、正直言ってゲノム解析などの原理や手法については読んでもちんぶんかんぷんだ。それでもその内容は驚愕の連続であり興味は尽きない。
そうした最新研究によれば、人類はアフリカに唯一の祖先を持つといういわゆる「イヴ仮説」が証明され定説になった。さらにその後の研究の進展で、いったんは現生人類(サピエンス)とは別種とされた絶滅ネアンデルタール人と現人類は交雑していたことも明らかになった。
やはり我々にとって興味深いのは、日本人とは誰か?ということ。
人類が日本列島に達したのは、約3万8千年前だということはわかってきた。けれども、いつどういう経路で渡ってきたのかは不明のままだ。すなわちユーラシア大陸の南側の経路(南回りルート)なのか、北側の経路(北回りルート)なのかがいまだに不明だそうだ。いずれもバイカル湖東から朝鮮半島、あるいは樺太経由で日本に渡ってきているが、時系列の違いもよくわかっていない。
時系列というのは、すなわち、狩猟採集民と農耕民とが同一の祖先から分岐したのか、ある時期(4千年前)に渡来した集団(クラスター)に置き換えられてしまったのか、はたまた、渡来民に征服されて混血していったのか、という疑問のことである。
人類学者の植原和郎はそれまでの議論と自らのデータ解析とを簡潔にまとめ、『日本人の期限に関する二重構造モデル』(1995年)にまとめた。それは混血説というべきものだが、植原は今後の議論の叩き台としてこれを提示した。
近年の古代ゲノム学の成果は、「アイヌ人は縄文人の直接の子孫である」という仮説を強く支持するという。伊川津貝塚から発掘された女性人骨は、驚くほど古い時代(2万6千年前)に分岐していて南回りルートであることを示している。このことは考古遺物研究が示すシナリオとは矛盾する。
縄文人は、日本列島のどの地域においても似ていて、比較的均質だとみられていたが、近年の研究では地域差があって多様性があることがわかってきた。だから古代ゲノム学ももっと標本数を増やすことが課題となっている。まだまだ結論は出ていない。
新型コロナ感染ではネアンデルタール由来のゲノムが重症化リスクに関係しているということも言われている。そうした感染症を原因とするクラスターの興廃や置換についても今後の研究の課題だし、縄文人の排泄物(糞石)ゲノムから縄文時代から弥生時代への食性の変化を読み取ることも課題となる。縄文時代中期の海面上昇以降、大陸との行き来ができなくなる。いわゆる「縄文人の孤立」だが、果たしてほんとうに孤立していたのかということも検証すべき課題だという。
古代ゲノム学という新たな領域創造のストーリーとその成果がもたらす意味合いに興味が尽きない。考古学や人類形態学などとの新たな相互連携にも大いに期待が募る。
古代ゲノムから見たサピエンス史
太田博樹 著
歴史文化ライブラリー565
吉川弘文館
とはいえそれが何をしていて、どのような原理のものかは、誰も知らない。かくいう私も本書を読んで初めてそれを知った。
PCRとは、ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction)のことで、これによって検体のDNAサンプルの遺伝子領域やゲノム領域のコピーを連鎖的に増幅する方法を言う。キャリー・マリスは、この発明によって1993年にノーベル化学賞を受賞した。感染症検査ではこれによってウィルスを特定するわけだが、一方で、これによって発掘された絶滅生物の遺物などから取り出された部分的なDNAの遺伝情報を分析することが可能になった。
恐竜のクローンを生み出す「ジュラシック・パーク」は架空のSFだけれど、古代ゲノム学が、これほど具体的に人類の進化の系統や、絶滅した古代人類の体型の特徴などを解明するというから驚きだ。
本書は、著者自身の研究経歴などを紹介しながら、最新の研究動向や人類創成の謎解明の成果を紹介する。文章は平明で読みやすいが、正直言ってゲノム解析などの原理や手法については読んでもちんぶんかんぷんだ。それでもその内容は驚愕の連続であり興味は尽きない。
そうした最新研究によれば、人類はアフリカに唯一の祖先を持つといういわゆる「イヴ仮説」が証明され定説になった。さらにその後の研究の進展で、いったんは現生人類(サピエンス)とは別種とされた絶滅ネアンデルタール人と現人類は交雑していたことも明らかになった。
やはり我々にとって興味深いのは、日本人とは誰か?ということ。
人類が日本列島に達したのは、約3万8千年前だということはわかってきた。けれども、いつどういう経路で渡ってきたのかは不明のままだ。すなわちユーラシア大陸の南側の経路(南回りルート)なのか、北側の経路(北回りルート)なのかがいまだに不明だそうだ。いずれもバイカル湖東から朝鮮半島、あるいは樺太経由で日本に渡ってきているが、時系列の違いもよくわかっていない。
時系列というのは、すなわち、狩猟採集民と農耕民とが同一の祖先から分岐したのか、ある時期(4千年前)に渡来した集団(クラスター)に置き換えられてしまったのか、はたまた、渡来民に征服されて混血していったのか、という疑問のことである。
人類学者の植原和郎はそれまでの議論と自らのデータ解析とを簡潔にまとめ、『日本人の期限に関する二重構造モデル』(1995年)にまとめた。それは混血説というべきものだが、植原は今後の議論の叩き台としてこれを提示した。
近年の古代ゲノム学の成果は、「アイヌ人は縄文人の直接の子孫である」という仮説を強く支持するという。伊川津貝塚から発掘された女性人骨は、驚くほど古い時代(2万6千年前)に分岐していて南回りルートであることを示している。このことは考古遺物研究が示すシナリオとは矛盾する。
縄文人は、日本列島のどの地域においても似ていて、比較的均質だとみられていたが、近年の研究では地域差があって多様性があることがわかってきた。だから古代ゲノム学ももっと標本数を増やすことが課題となっている。まだまだ結論は出ていない。
新型コロナ感染ではネアンデルタール由来のゲノムが重症化リスクに関係しているということも言われている。そうした感染症を原因とするクラスターの興廃や置換についても今後の研究の課題だし、縄文人の排泄物(糞石)ゲノムから縄文時代から弥生時代への食性の変化を読み取ることも課題となる。縄文時代中期の海面上昇以降、大陸との行き来ができなくなる。いわゆる「縄文人の孤立」だが、果たしてほんとうに孤立していたのかということも検証すべき課題だという。
古代ゲノム学という新たな領域創造のストーリーとその成果がもたらす意味合いに興味が尽きない。考古学や人類形態学などとの新たな相互連携にも大いに期待が募る。
古代ゲノムから見たサピエンス史
太田博樹 著
歴史文化ライブラリー565
吉川弘文館